八年目のラストラブレター「また、会いに行きます。武蔵野の森へ 」
神崎 小太郎
全1話
────今日は、十一月二十日。
主人の大切な日となり、寝坊など許されない。彼の名前は
でも、もうこの世の人ではない。享年、二十九歳。娘に里美と名前を授け、直ぐに死んじゃうなんてずるい。あんぽんたんや!
あれから寂しい三年が過ぎていた。主人が生きていれば、娘の成長する姿も見せられたのに……。
こんなにかわいくなったんだよ。
あなたにそっくり。正人に会いたい。
彼の大好物であった塩大福と焼きおにぎりをリュックに詰め込んで、里美と奥多摩に向かってゆく。行き先は武蔵野の面影を色濃く残す実家となる。運良く奥多摩行きの電車に乗り込むことができた。
「ママ、パパに会いにいくの?」
まだ、娘は四歳になったばかり。けれど、口も達者、絵本が大好きである。誰に似たのかなあ……。やっぱり正人かしら。ずっとそう思ってきた。
カエデやコナラの紅葉真っ盛りの雲取山を車窓から眺めながら、彼の故郷に着くまでいろいろと語りかける。
「里美、パパが寂しがってるからね」
「うん、でも、パパはどこにいるの?」
幼子は首を傾げている。
「お空の雲で見守ってくれているんや」
笑ってそう答えた。娘の前では悲しい顔を見せたくない。ところが、意外な返事がされてくる。
「ママの嘘つき!」
里美の言葉にビックリ。去年はお星さまと言っていたことを思い出す。彼女はしっかりと覚えていたらしい。
墓参りで主人にふたりが元気であることを伝えた後、山麓の紅葉にも「今年もやってきたよ」と挨拶する予定となる。
けれど、今日はもうひとつ別に行きたいところがある。彼との思い出の場所だ。どうしても、物心ついた娘に美しい武蔵野の森を見せたかった。
あっ、揺れる。怖い! すごく長い吊り橋を渡らざるを得ない。
なのにあの娘たら、手すりを持たず蝶のように渡っている。眼下に爽やかな清流、頭上に壮大な竹林、足元を照らす日だまりなど、変幻自在の美しい景色が続いてゆく。
「ママ、あそこを見て」
娘の見上げる空には秋雲が浮かぶ。せせらぎの水音に心がなごみ、耳を澄ますと精霊たちの息づかいが感じられる。森の守り人は想像の世界ではなく生きており、癒しの里を作ってくれていた。
ところが、山道は女性の人生と同様にとても険しいものだ。普通の子供なら直ぐにぐずつき泣いてしまうほど。けれど、里美は強い女の子。「歩こう、歩こう」とハミングしながら木の階段を上ってゆく。
目指すのは森の奥にあるという神社。苔むした石段と杉木立が続く往古が偲ばれる参道が続く。けっこう厳しい道だ。肩で息をせざるを得ない。
峠に差しかかる難所でお地蔵さんが笑顔で迎えてくれた。かわいいお姿でホッとする。もしかして女性の
「子連れでよく来たね。元気を出すんだよ」
そんな励ましが届く気がしてきた。ふうっとため息をつく。ところが、里美はけろっとしてお地蔵さんの顔を優しく撫で回す。何処からか、儚げな声が聞こえてくる。誰だろうか? 廻りにいるのは里美だけのはず。
「神さま、パパに会わせてください。ママはいつも嘘ばかり。大好きなパパが遠い雲の国に行ったなんて言うの! でも、本当はこの森で生きているんでしょう」
それは娘の声だった。彼女は両手を胸の前で握りしめて、何か頼みごとをしているようだ。その言葉を聞くと、お地蔵さんは涙で赤いよだれ掛けを濡らして、首を縦に振るようにも思えてきた。目の前に一枚の看板らしきものが立っているのに気づく。
────〈むさし野の由来〉────
いにしえから川や滝、森に名もなき精霊たちが棲まう「
コナラの樹木が生い茂る神社の一角には、
武蔵野の「むさ」は、元々が武者修行する
“黄泉がえり”とは、本当だろうか? ふと立ち止まってしまう。もしかしたら、あのひとに会えるかも知れない。
文机の中に一通の手紙が残っていたことを思い出してゆく。彼がいつ書いたものかは分からない。もしものことがあったら、読んでくださいとメッセージ付きの「ラストラブレター」となっていた。
「俺は幸せ者。あなたと出会えたことが人生最高の思い出だ。万が一、黄泉の国に行っても愛してるよ。これまでありがとう」
本当に短い手紙だ。だって、三行だけなんだもの。けれど、どれだけ涙で枕を濡らしたことだろうか……。
愛するということが、こんなにも辛いものだと初めて気づく。正人と出会って八年、結婚して五年、直ぐに里美を授かり、後悔など一切していない。
ただ願わくば、この世の中に神さまがいるなら、もう一度主人に会わせてください。まだ伝えていないことが沢山あるから。
突然に
ところが、なんと木立の合間から野ギツネがつむじ風にヒューヒューと乗り二匹も出てきた。きっと、小さいので子供だろう。キツネが怖い病気を持つ動物だと、先入観に囚われていた。怖いもの知らずの里美は彼らに近づいてゆく。
「あっ、ごん狐だ!」
「里美、やめなさい。噛まれたら大変」
「ママ、大丈夫だよ。いたずらっ子だけど、森の守り神だから」
娘は今さっき電車の中で読んだ絵本を思い浮かべた様子。彼らの鼻先に自分の手を持っていく。幼心にも関わらず、自信を持っているらしい。
「でも、心配なの」
そうつぶやくしかない。けれど、里美は彼らの気持ちが分かるらしい。
「ごん狐はお友だちだから噛んだりしない。なんかお腹が減ってるみたい。さっきのおにぎりを分けてあげて。きっとね……。恩返ししてくれるよ」
半信半疑で娘の言うとおり、リュックから握り飯を取り出し小ギツネに分けてあげた。二匹は喧嘩せず、笑顔を浮かべて美味しそうに食べている。
「ほんまやなあ……」
なるほど、キツネは悪ふざけなどせず、気持ち良さそうに尻尾まで振ってくる。里美はさらに願いごとまでしているではないか。
「ごん狐さん、パパの居るところ知っているやろう。教えてくれんか?」
娘の健気な姿に愛しさまで感じてしまう。ところが、彼女は摩訶不思議なことを口にしてくる。
「ママ、五円玉をふたり分ちょうだい」
「お金なんかどうするの?」
「いいから、一緒についてきて」
里美はキツネたちと一目散に神社の方へ駆け寄っていく。仕方なく娘を見失わないよう後をつけ本堂にたどり着いた。
彼女は「ママもやって」と言いながら、五円玉を賽銭箱にチャリンと投げ入れる。次にカランコロン……と鐘を何度も打ち鳴らし願いごとをする。
もちろん、我が子にこんなことを教えた記憶はない。まさかとは思うが、森の守り神に教わったのだろうか。不思議な世界だ。その様子は狐の恩返し! まさに、キツネにつままれたようなシーンだった。
────突然、一陣の風を感じてきた。
裏手の
「里美、あそこを見て!」
雲ひとつない山並みが見えていた。
「ママ~」
里美はそう叫び、黄金色に染まるコナラまで近づいてゆく。ところが、木の幹には危険を示す綱が張られている。キツネたちはコンコンと泣き叫ぶ。彼女と手をつないでギリギリまで近寄ると、眼下に切り取ったような光景が迫っていた。
「あっ!危ない」
そこから先は崖だ。もしあのキツネたちがいなければ、奈落の底へ落ちていたはず。この景色は脳裏のどこかに朧気に残っている。
初めて森にやってきた時、正人から言われたことを思い出す。森の
二十年過ぎたら掘り起こす為に。あれは彼が小学六年生の十二歳であったと思う。ならば、今年が二十年目の秋となる。板っ切れを見つけると、里美と一緒に穴を掘りだした。
「ママ、あれ見て」
娘の指さす方を見ると、スーパーで買ったようなガチャの卵型カプセルが顔を出す。中には、白い紙と小さな鈴が入っている。その音色にはしゃぐ娘をよそに紙を開いてみる。マジックで書いた文字が残されていた。
「僕の夢は大きくなったら素敵なお嫁さんをもらうことです」
正人の恥ずかしそうな顔が思い浮かぶ。
向こう側に鳥居が見えてくる。そこには確かに人影が動いている。その姿は次第に大きくはっきりとしたものになってゆく。
あれは、主人では!
この世から消えたはずなのに……
笑顔で手を振ってくれる。その姿は正人にそっくり、里美も気づいたようだ。
「あれ、パパだよ。パパ~」
幼子の精いっぱいな声は山肌にこだまして響きわたる。
「きっと、そうだね」
娘と一緒にうなづく。彼に向かって声をあげる。もうなりふりなど構っていられない。思いきって叫んだ!
「あなたに会えて良かったあ~。今でも幸せや。正人、愛してる」
胸いっぱいでそれしか言えなかった。男は私たちの方を振り向いてくる。傍にいるのが分かったらしい。
「あのタイムカプセルを見つけてくれたんだね。ありがとう。里美と一緒に俺の分まで精一杯生きて、幸せになってくれ!」
そう、男はひと言を発すると何もなかったように靄のなかに消えてしまう。きっと、神さまが会わせてくれたのだろう。もう、二度と会えないかもしれない
でも、またここへやってくるはずだ。あれは正人に間違いないから。
「パパはやっぱり雲の国にいたんだね。ママを嘘つきなんて言ってごめんなさい」
里美の言葉に涙する。けれど、秋になれば、これからも娘と一緒に手をつないで主人に会いにこれる。そう思って、大切なものを胸にしまいながら、武蔵野の森を後にした。
八年目のラストラブレター「また、会いに行きます。武蔵野の森へ 」 神崎 小太郎 @yoshi1449
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