#4 また会いに来ます(最終話)

 明るい部屋だった。正面の大きな窓の向こうには、踊り場から見えたのと同じ海が広がる。壁には色あせた天気図などが貼られていて、その名の通り気象観測に使われていた部屋なのだろうか。

 窓の下にはデスクがあって、その上に一台のノートパソコンが載っていた。黒っぽい背景の画面に、明るいウインドウが浮かんでいる。そこに映っていたのは、目の前の窓から見えるのと全く同じ、青い海だった。


「私の妹、『こばると』は。本当の名前は海美うみって言うんですけれど」

 静江さんが、口を開いた。

「十七歳の時にこの病院で亡くなりました。元々、永くは生きられない体でした」

 強い衝撃ではなかった。さっき、あの扉の前に立った時から、僕にも分かっていた。きっと「こばると」さんはもういないのだと。静江さんが、彼女の代わりにアカウントを守ってきたのだろう。


「妹はコンピューターやプログラミングにとても詳しかったの。仕組みは私にもわかりませんが、このパソコンの中に、彼女は自分の分身を遺しました。この窓からの風景を毎日Webカメラで撮影して、メッセージと一緒にネットに投稿する仕組みを」

 今度こそ、僕は言葉を失った。じゃあ、僕がずっとやり取りしていたのは。

「フォロワーの方と、簡単な会話くらいはできたみたいです。あ、これは多部さんのほうが良く知っておられますね?」

「はい。とても、楽しくて……」

 また僕は何も言えなくなった。静江さんの頬を、涙が伝った。


 海美うみさんが遺したプログラムは、人工知能のようなものだったのだろう。少なくとも、彼女がコンピューターの中にいることに、僕は全く気付かなかった。ごく普通に、遠くの友人としてやり取りをしていただけだった。ちょっと天然かな、と思うことはあったけれど。

 彼女の身体は滅びたが、その存在は残された。まるでSFみたいなことを、彼女は自分の力で現実にしたのだ。動かなくなっていく身体と闘いながら、プログラミングという能力を駆使して。


「実を言うと、あなたで三人目なんです。この部屋までご案内したのは」

 と静江さんは、まだ涙の残る目を細めて微笑んだ。

「夏休みの終わりになると、海美うみは毎年、お友達を一人この島に呼ぶみたいで。私もこの時期は気を付けるようにしてるんですけど、今日はうっかりしていて。ごめんなさい」


 帰りの船に乗る僕を、静江さんは一緒に見送りに来てくれた。最終便の時間まで、港のそばのベンチで潮風を浴びながら、二人でしばらく話した。島の暮らしや、僕の住む町のこと、そして海美さんの思い出。やがて、入り江を横切って近づいてくる白い船が見えた。

「時間ですね。多部さん、本当にありがとう。そして、ごめんなさい」

 静江さんは立ち上がって、お辞儀をしてくれた。長い髪がふわりと風にゆれた。

「でも、妹はきっと喜んでます。良かったら、彼女のことを忘れないでいてあげてくださいね。勝手なお願いだけれど」

「もちろんですよ。これからも『こばると』さんには今まで通り、ちゃんとメッセージ送ります。山の写真ばっかりですけどね。来年もまた呼んでくれるかな、この島に」

 彼女の眼がびっくりしたみたいに大きくなって、それからすぐに微笑んでくれた。


 エンジンの音が高鳴り、船が港を出る。大きく手を振る静江さんに、僕も大きく振り返す。入り江を離れるまでの間、ずっとお互いに。

 遠ざかる島の集落の上に、あの病院の塔屋が見えた。さようなら、海美さん。また会いに来ます。

(了)

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最後の後に、会いに来て(全4話) 天野橋立 @hashidateamano

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