#3 同じ海

 島の高台から「こばると」さんが撮影した海は、いつも素敵な青が印象的だった。

 僕が投稿するのは山の四季ばかりで、彼女の写真とは見事に対照的だったのだが、それがお互いなんだか面白いみたいで、仲良くなった。広々とした海に囲まれた島でのびのびと暮らす彼女に、僕は憧れを感じていた。

 そして、ようやくこうして会えたのは「こばると」さん本人ではなかった。でも、一体なぜ。


「ごめんなさいね、多部さんをだましてしまったみたいになって」

 静江さんは顔を上げて、僕を見つめた。その瞳は、何かを湛えたように深い色をしていた。

「そんなことは、全然……。でも、じゃあ『こばると』さんは」

「私が案内したかったのは、彼女の部屋なの。良かったら、会ってあげてもらえますか?」

 彼女の部屋。やはり、事情があるのだ。自分で港まで来ることができない、こうして一緒に食事することもできない、そんな事情が。

「もちろんです」

 僕は答えた。


 店を出た静江さんは、山の上へと続く坂道を歩き始めた。行く手に見えるのは学校と、そして病院。山頂では灯台が陽を浴びて、青空に向かって白く光っていた。

 学校は休みのはずだったが、山腹を切り開いたらしい狭い校庭では子供たちが走り回っていた。広い遊び場が他にないのだろう。僕の町でもそれは同じだ。

 振り向くと、坂道のすぐ先にキラキラと入り江が見える。防球ネットに囲まれた校庭からボールが転がり落ちたなら、あの海にそのまま落ちるだろう。


「せんせい!」と歓声を上げる子供たちに手を振りながら、静江さんはそのまま坂道を上がり続けた。分かっていた、予想はしていた。彼女が向かっているのは、坂の上に建つ病院だった。

 島の規模に似つかわしくないくらいに、その古びた三階建ての建物は立派に思えた。無機質な四角いビルではない。正面玄関の周囲はレリーフで飾られ、その上には古風なバルコニーがある。屋上には、教会のような塔屋まで立っていた。


「良い建物でしょう?」

 静江さんが振り返った。

「ええ、驚きました。文化財みたいで」

「もともとは、大昔に建てられたサナトリウムなの。この島の気候が、長期療養にちょうどぴったりだったのね」

「じゃあ……」

 言いかけて、僕は黙った。「こばると」さん、静江さんの妹はここに入院しているのだろう。


 自動ドアに改装されている玄関を入ると、いかにも病院らしい消毒された匂いがした。たった一歩足を踏み入れただけで、静けさの種類が違う、明るい外とは全く隔てられた空間になる。受付で会釈しただけで、静江さんはそのまま病院の廊下を歩いて行った。

 踏み面の石材がいくらかすり減った階段を上り始めて、踊り場で思わず立ち止まった。窓の向こう、眼下に海が広がっている。入り江に続く広い海。その青い風景は「こばると」さんの写真と同じものだった。

 階段の先を行く静江さんが振り返り、何も言わずにうなずいた。


 三階まで、階段を上がった。恐らくこの階に「こばると」さんの病室があるのだろう、そう思った。

 だが、静江さんはさらに階段を上り続けた。三階よりも上ということは、屋上に立っていたあの塔屋の中ということになるはずだ。そんなところに病室があるのだろうか?


 階段を上り切った場所には扉があった。見るからに古びていて、通風のためと思われる下部のルーバーからは、羽板があちこち抜け落ちてしまっている。そして扉の上には、白い文字が書かれた黒いプレートが取り付けられていた。「天候観測室」、そう書かれている。

「着きました」

 そう言って立ち止まった静江さんを、僕は思わず見つめた。

「ここに?」

「ええ、ここに」

 軋み音を立てて、扉が開かれた。


(#4 最終話「また会いに来ます」に続く)

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