カルテ.10『蛙の後日談』

「トオルって、『全力で手加減してやる』って決め台詞にしてる割には手加減下手だよな」


 ダンバース製薬提携の病院にて、アヤカは紙パックタイプのリンゴジュースを片手に廊下を歩きながら、同じく隣を歩くトオルに向かって呟く。


「えっと~……どういう流れでそうなったんでしたっけ?」

「これだよ、こーれ! 今回の『絵に描いた蛙』の仕事、B評価って……」

「ああ、六段階S〜E評価の……死者とか後遺症持ちの傷病者は、アヤカ先生のおかげでいませんでしたが、器物損壊が結構ありましたから」

「そうだけどさぁ~……バス事故とかはともかくとして、トオルが出した損壊の方が多くない? タナカ邸宅での車とか瓦とか、学校の教室の壁二枚抜きとか」

「やっ、それは言わないでくださいよ……!? 戦闘中で気が回らなかったし、その件については経理部にしこたま叱られたんですから……ってか、教室の壁の件はアヤカ先生の指示ですよね!?」


絵に描いた蛙イマジン・トード』を打ち倒した──否、治療した決め手となったのは、アヤカが提案したのは、アヤカ自身が扉を閉める瞬間を敢えて見せ、扉を開けたままの手前の教室にトオルを待機させるというものだった。

 やっていることは、ただ隣の部屋に隠れているだけなのだが──無敵の能力から隙を一瞬だけ作り出すには、十分なトリックだった。


「だけどB!? Bってなんなんだよもぉ~!! 微妙のBかよクッソ~!!」

「ああっ、ちょっ!? 中身入ってるのに紙パックくしゃってせんでくださいよ……! あっ、アハハッ、すみませんね〜なんでもないですよ〜。ハハハッ……」


 廊下の真ん中で人目もはばからずに地団駄じだんだを踏むアヤカを宥めながら、関わるまいと自分たちの横を通り過ぎていくナースや入院患者へと、トオルは誤魔化すような苦笑いと共に頭を下げる。

 すると、そんな声を掛けるのを躊躇ってしまうような二人の背後から、突然声がかかった。


「す、すいません! その、アトラスのお二人……ですよね? その髪の色は……」

「ん? 君は……」


 そこに立っていたのは、点滴スタンドを右手で杖のように持ち、ピンク色の患者衣を身に纏い、身長192センチという恵まれた発育をした少女。

 禍空かくう病によって『絵に描いた蛙イマジン・トード』となっていた、トモコ・タナカの姿がそこにはあった。


 ◆◆◆


「経過は上々のようだね。禍空かくう病に侵されていた時間が長かったのでちょびっと心配だったが、大人しくしてれば明日にでも退院出来るだろうね……リンゴジュース飲むかい?」

「あ、ありがとうございます。いただきます……!」

「それで、話ってなにかな? トモコちゃん」


 トモコから相談があると申し込まれ、三人は場所を廊下から中庭に移し、ベンチに腰掛けていた。


「…………」


 トモコは紙パックのリンゴジュースを受け取ると、軽く会釈をして一口飲み、緊張で乾いていた喉を潤してから、口を開く。


「カエルの、化物になってた時の記憶……全部じゃないけど、うっすらと覚えてるんです。友達とか、お母さんに怪我させたり……ひ、人だって死んでた……かも」

「……ああ」


 紡ぐ言葉の数に比例するように震えるトモコの声に、トオルは彼女がアヤカの心配していた通りの病気に掛かってしまっていることに気付く。

 背負う必要のない罪悪感。

 体は病んでいないのに、気を病んでいる。


 ──彼女に対し、「アレは『絵に描いた蛙イマジン・トード』がやった事で、君が気にする必要は無い」と言ってやることは簡単だ。もしかしたら、それで今一時は『安心』させてやれるかもしれない……。

 ──けど、そうじゃない。彼女が欲しいのは俺みたいな、本来会う事が無いような部外者じゃなく、彼女の周囲を取り巻く環境からの『理解』が欲しいんだ。

 ──トンネルの中でアヤカ先生に治療を受けておきながら化け物と呼んだ教師のように、親しい人達が手のひらを返して自分を差別してくるんじゃないか……それが彼女は怖いんだ。


 だとすれば、自分はなんと言ってやるべきか──そんな事をトオルが考えていると、トモコの隣に座って話を聞いていたアヤカが、嘆息たんそくを一つ吐いてから、


「なんだ、そんなことか。てっきり、流石な僕でも気づかない医療ミスでもあるのかと思ったよ」


 と、肩透かしでも喰らったかのような、無神経と取られてもおかしくない言葉を呟く。


「そ、そんなことって……!」

「ちょっ、アヤカ先生! 彼女は真剣に悩んでるんですよ? それはいくらなんでも……」

「悩んでるって言ってもねぇ……流石な僕もスクールカウンセラーなんて専門外だよ。それにだね、トモコ・タナカ。君の心配は多分杞憂に終わると思うよ?」

「えっ、杞憂……?」


 トオルの言葉に被せるようにして放たれたアヤカのその一言に、トモコは思わず眉根を寄せて復唱する。


「君が心配してるのは、君が好きだった人が君の事を嫌う事を心配してるのだろう? そんなのは本当に要らない心配だ。君のお母さんは一秒だって君を恨んでやしなかったし、事実君の意識が戻った時泣きながらハグまでしてたろう? 今回君を治療出来たのだって、君が怪我させたって言ってる友人が助けたいと頼み込んで協力してくれたからだ……間接的にだが、君の命を救ってくれたんだぜ? 恨んで出来る事だと思うかい?」

「皆が、私のために……?」

「まぁ、野球部の顧問の彼はそういうのには差別的だったけれど……けど、あんなのに好かれる必要ある? 大体にして君、女子バスケ部だろ? 皆の人気者にでもなるつもりなら、むしろこっちが方法を教えて欲しいくらいだね」


 そう言って、アヤカは青いサングラスを傾け、覗いた金色の瞳でいたずらっぽくウィンクすると、トモコの頭を優しく撫でる。

 トモコのそれよりも小さく、子供のような手であったが、母親がするそれのような妙な心地よさがあり、トモコは照れつつも、それを受け入れる。


「まぁ、そんな事を流石な僕がいくら言ったところで、意味は無い。本当に意味があるのは……」

「……? あっ!」


 アヤカの視線に誘導され、トモコが振り返ると、そこには『絵に描いた蛙』に傷付けられ、アヤカ達に協力してくれた生徒達を含む女子バスケ部の面々がこちらに向かってきており、トモコはそのままにべも無く、彼女達の方へと走り出していく。


「……今いいこと言ったなぁ〜。流石は僕だ」

「それ言わなきゃもっと良かったですけどね……けど、少し意外でした。あんな風にアヤカ先生が言葉で人を安心させられるなんて」

「そりゃあ、流石な僕でも、彼女みたいに悩んだことはあるさ。五年前なんて、今よりもっと差別は酷かったし……トオルと会った最初の頃だって、今より荒れてただろう?」

「あぁ〜……確かに。あの頃と比べると、すっかり丸くなりましたね。俺の事も信頼してくれるようになったし……俺を私生活でもこき使うようになったのはどうかと思いますけど」

「トオル以外、頼ったことがないからね」

「そりゃあ……光栄なことで」


 身長差のある肩を並べ、そんな他愛ない話を交わしていると、唐突にトオルの持つ携帯が鳴り響く。

 禍空かくう病の出現を報せる通報である。


「アヤカ先生」

「分かってる。やれやれ、休む暇もない……ね!」


 アヤカはそう言いながら、飲み終えた紙パックをゴミ箱に投げ捨てると、トオルを引き連れ、次なる現場へと足を運んでいく。


「さぁ、治そうか……色鮮やかにね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

色鮮やかな病の治療法 星のお米のおたんこなす @otanko_72

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ