カルテ.09『蛙のかくれんぼ(後編)』

「はぁっ……はぁっ……クソッ、やられた……」


 トオルは悪態を吐きながら、アヤカをお姫様抱っこの形で抱え、逃げるように──実際、逃げているが──上階へと駆けていった。

雷神らいじん』によって放ったベアリング弾を撃ち返され、致命傷は避けたものの、庇ったことによって弾丸はトオルの左腕上腕の辺りをかすめていた。

 皮膚と衣服の境界が無くなり、焼け焦げた事で融合してしまっており、鮮血を流すことすらままならない悲惨な見た目となっていた。


「まぁポジティブに考えなよトオル。止血もついでに出来てラッキーって思った方が気が楽だよ?」


 そんなトオルを、アヤカは抱えられながら『極彩色の流星リッチリー・カラーズ・ミーティア』を用いて治療しながら口を開く。

 口にしたわけではないが、トオルの顔は明らかに暗い不安の色が見えていた。


「すいません、怪我のせいで暗くなってるんじゃないんです。アヤカ先生のおかげで見た目ほど痛みもないですから……問題は『絵に描いた蛙イマジン・トード』をどうするかですよ」


 防がれこそしたが、衝撃を完全に無かったことにされたという訳では無かったらしく、上階へと逃げ切ることには成功したが、初撃で仕留められなかったのはかなり痛手だった。


「一度警戒されてはもう接近は難しいでしょうし、よしんば出来たとしても無策では防がれるだけ……」

「撤退しようにも──患者の命が掛かってるので、万が一にもしないけど──流石に危険な僕たちを逃がしてはくれないだろうな。トオルが負傷している今のうちに、より確実な安全を求め、始末しに来るだろう」

「ミイラ取りがミイラにって奴ですか」

「状況に則して喩えるなら、蛙取りのつもりが蛇だったってところかな? ……と、最高だね。喩えにこだわってる場合じゃなさそうだ」


 闇雲に土地勘のない校舎を走り回ったせいだろう。

 二人は、三年生の教室がある最上階へと登ったところで廊下の行き止まりに行き着いてしまう。


「くっ! ……すいません」

「謝らなくていい。流石の僕もあの状況から逃げ切ってくれたトオルを叱責するなんて出来ない。むしろ腹くくれるってもんだよ。背水の陣……これで本当に迎え撃つしかなくなった」


 トオルの腕から降り、ポケットから青いサングラスを取り出して掛けながら、アヤカは言う。


「安心しなよ。今、思いついた所だからね……色鮮やかな治療法を」


 ◆◆◆


「……──『自信』だ。私の体の中を『自信』が力となって流れている」


絵に描いた蛙イマジン・トード』は逃げた二人を追いかけ、既に勝利を確信しているような足取りで階段を登りながら、自身に暗示を掛けるように唱える。


「ハッキリと、自分が『無敵』だと実感している。貴様らの奇襲に対応出来たことに、生命力を奪う以上の成長を感じている。もはや隠れることも、新たに同族も得る必要もないッ! お前たち二人をこの手で殺し、私は誰にも負けないという『自信』を手に入れるッ! 闘争への勝利こそが、私の平穏だッ!!」


 そう言って、アヤカたちの居るであろう階層に辿り着くと、今度は天井を這って隠れるといったような真似をせず、逆に撃てるものなら撃ってみろと言うように、その身を廊下へと大胆に晒す。

 油断ではない。

 どのような攻撃が来ようと、撃ち返してやれるという自信と、それを実現出来る能力があっての行動だった。

 そうやって廊下に立った時である。視界の端をチラリと、粒子状の、極彩色の何かが映り込み、粒子はそのまま再奥にある空き教室の中へはいると、ピシャリと音を立てて扉を閉め、続いてガチャッという鍵をかける音が響く。


「…………」


 一瞬の静寂。

『絵に描いた蛙』は、自身の体の中に流れる『自信』を更に増大させながら、アヤカたちが籠城したであろう部屋の前へと歩み寄る。


「罠に誘ってるつもりか? ……フッ」


絵に描いた蛙イマジン・トード』は、そんな風にアヤカ達の足掻きを一笑に付し──しかし、最大限の用心をしながら──勢いよく扉を蹴り開ける。

 陽が完全に落ちて、静寂と闇に包まれた教室の中へと、侵略する。

 と、間髪置かずに。

 ひゅん。という風の切る音が左耳に届く。

 その風切り音の正体を、常人を超えた動体視力を持って、『絵に描いた蛙イマジン・トード』は捉える。

 暗闇に溶け込む様な黒い髪と制服を揺らしながら、アヤカが、学校机の上に立って待ち構えており、右手に注射器を握り締めて、『絵に描いた蛙イマジン・トード』の首筋目掛けて突き刺そうとする。

 避けることも出来たが、『絵に描いた蛙イマジン・トード』は敢えてそのまま狙い通り首筋へと受け入れ、触れると同時に平面化させ、無力化する。


「やばっ!?」

「ゴシャルァアアッ!!」


 奇襲に失敗したアヤカは、そのまま蛙の柔らかな指先が肉に食い込んで痛いくらい強く首を絞められると、受け身を取ることも許されずに背中から学校机に叩きつけられ、あっという間にマウントポジションを取られてしまう。


「ぐっ……『極彩色のリッチリー・カラー──」


 アヤカは、肉体を粒子化させて拘束から逃れようとするが、『絵に描いた蛙』は更に口から吐き出された粘液によって、粒子が風に乗ることが出来ずに身動きが取れなくなり、髪を黒く染めていたカラー剤も落とされてしまう。


「うぇっ……ペペペッ! なんだよ、またかよ……髪が戻ったのは鮮やかだけどさぁ……」

「貴様が我々の力を扱えることは、『同族』が貴様に殺される直前で放ったシグナルによって情報共有が済んでいる……粒子になると機動力が無くなるということもな」

「それ狡いなぁ〜、流石な僕にも使い方教えてよ、『同族』のよしみでさ」

「戯言を。貴様のそれは『同族』と言うには半端であるし、教えろというのもこちらの台詞だ。相棒はどこに隠れているのだ? てっきり一緒になって奇襲を仕掛けるものだと思っていたがな。こうして時間稼ぎをして応援でも呼ばせに行かせたか? それとも、隠れて機を伺っているのかな? ……その掃除用ロッカーの中にでも隠れて」


 自信に溢れた声だった。

 どこかに潜んでいるトオルに対して、もう決着はついたのだから、無駄なことはせず、さっさと負けを認めて姿を表わせと語り掛けているようだった。


「……知りたい? そんなに知りたい?」

「いや、やはり聞かんでも良い。貴様が殺されても姿を見せないのであれば、それまでの事よ」


 肉体を粒子に変えられるからと言って、不死身というわけではない。

 脳を腹の中で消化してしまおうと、顎の関節を大きく広げ、アヤカの頭を飲み込もうとした、その時、


「君の名前、『絵に描いた蛙イマジン・トード』と名付けたんだ」


 そんな事を、アヤカは唐突に告げる。


「……は?」

「だから、君の名前だよ。物体を平面化する能力にあやかって、名付けたんだ。アヤカだけに……ってのは、流石に寒過ぎるな」

「なにを……言ってるんだ?」


 殺される寸前だと言うのに、不敵に笑ってみせるアヤカに対し、『絵に描いた蛙イマジン・トード』は困惑を覚え、問い掛ける。


「恐怖で脳味噌がクソになってしまったのか?」

「流石な僕の極彩色の脳細胞は正常に働いてるぜ。そして、なぜ名前をこのタイミングで教えたのかって聞かれれば……これから起こる君の末路を暗示してやってるのさ」

「なにを──」


 言っているのか──そう言葉を続けようとするが、目の前を極彩色の粒子が風に乗って通り過ぎ、そのまま誘導されるように、視線を黒板の方に見やる。

 そこには、絵が描かれていた。

 極彩色の粒子がチョークの代わりになって、黒板アートの様に絵が描かれていっているのだ。

 そして、その絵の中には、アヤカに馬乗りになりながら黒板の方を見る、『絵に描いた蛙イマジン・トード』の後ろ姿が映し出されていた。


「心タンポナーデの治療法は、エコーで心のう液の貯留部位を確認しながら、心嚢穿刺しんまくせんしにて排液を行う。そして──」


 アヤカは、告げる。


「二個前の教室にこれと同じものが描かれている」


 刹那。

 音もなく──否、音を置き去りにして、ベアリング弾は壁を貫通して突き進み、異変に気付いて振り返ろうとした『絵に描いた蛙イマジン・トード』のこめかみへと迫る。


「────ッ!?」


 平面化し、無効化しようとするが、こめかみには既にが異物として存在しており、上から釘を打ち込むようにして再度、壁に貼り付けになってしまうと──もう二度と、『絵に描いた蛙イマジン・トード』として起き上がる事無く、意識を手放してしまうのだった。


「──おいおい、ちょっとやり過ぎなんじゃあないの?」


 その様子を見ながらアヤカは、貫通して開けた壁に向かって、茶化すように話しかけると、同じく茶化すような口ぶりで、


「ご安心を。全力で手加減してやったので」


 そんな風に、トオルは決め台詞を吐いてみせるのだった。

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