カルテ.08『蛙のかくれんぼ(前編)』

 校舎の中はどこも薄暗く静まり返っていて、窓の外に見える空は午後五時現在まで灰色に暗く沈み、墓場のように静まり返っていた。

 生徒の姿が全く見えないのは、夏休みシーズンに入ったから──と言うわけではなく、皆共通にを恐れ、自宅で自粛しているからだった。


「…………」


 その恐るべき病、禍空かくう病に感染したトモコ・タナカが変貌した姿である『絵に描いた蛙イマジン・トード』は、そんな校舎の廊下をひたひたという足音と共に歩いていた。

 発症時点ではアマガエルをそのまま大きくしたような外見であったのだが、今では緑がかった肌や異常に長い手足という人外の要素はあるものの、元の女性らしいくびれや乳房のふくらみが確認され、人間的な要素の比率が強く出ていた。

 これは、トモコ・タナカの肉体が発症時よりも奪い取られて行っていることを意味しており、学校から生徒を排除出来たのも、トモコ・タナカの持っていた知識を用いることが出来たからこそであった。

 そしてあと一晩、この日を生き残れば、肉体は完全に『絵に描いた蛙イマジン・トード』の物となり、こうして隠れ潜む必要も無くなる程の強大な力を扱えるようになる。

 あと少しで────そんなことを『絵に描いた蛙イマジン・トード』が考えていた時だった。


「……──どう? あった?」


 誰もいないはずの教室の中から聞こえてきた男の声に、『絵に描いた蛙』はピタリと足を止める。


 ──宿主の持っていた知識を使って学校から生徒は排除したはず。

 ──であれば、宿主の母親に宿っていた『同族』を殺した存在が追って来たのだろうか……?


 そんなことを考えながら、『絵に描いた蛙イマジン・トード』は見つからないように天井に張り付き、息を潜めながら声の方へ近付いていく。


「ちょっと待って~……あっ、あったあった、これこれ」


 教室を覗いてみれば、二人の男女が並んで談話しているようであり、女子の方の手には、ノートらしきものが握られているのが見えた。


 ──追手……ではない。銃火器の類といった匂いもしない上、制服を着ているということはこの学校の生徒だろうか。

 ──大方、学校の忘れ物を取りに来たといった所であろうが……こちらが神経質に警戒している分、危機感の無さに呆れてしまう。

 ──宿主の残っていた自我に邪魔をされ、死者を出さなかったせいで、イマイチ警告としてのアピールが足りなかったのも原因だろう。

 ──だが、この匂い……来てしまったというのなら……新たな『同族』の為、宿主となってもらうだけだ。


『絵に描いた蛙』はそう結論付け、そのままバレないように天井を這って近づいていき、悲鳴を上げる暇も与えずに仕留めようとした、その時。


「──リンゴは如何かな? 願いの叶う魔法のリンゴは」


 また、声によって足を止められてしまう。

 違う点は、声の主が男でなく女である事。そして、


「それとも蛙なら、必要なのは魔法のキスかな?」


 それは連れに対してではなく、今まさに飛び掛からんとしていた自分に向けて言ったという事だった。


「ゴシャアアアアアアアッ!!」


 先手必勝。なにかされる前に『絵に描いた蛙イマジン・トード』はその長い両手を伸ばして二人に飛び掛かり、一気に押し倒して拘束しようとする。

 だがその一手すらも読まれていたのだろう。

 男子生徒は『絵に描いた蛙』が踏み込んだ時には既に懐から何かを抜き終えており、男性生徒が振り返ると同時に、突然目の前がカメラのフラッシュを焚いたように青白くひらめく。

 訳も分からずに訪れた強い衝撃によって、飛び掛かるはずが、逆に思い切り後方へと吹き飛ばされ、壁に思い切り衝突してしまう。


「っぶねぇ~……思ったより近づいてた……てかもっと早く合図出してくださいよ、アヤカ先生ッ!?」

「ギリギリまで近づけなきゃ避けられちゃうだろう? そんな事より、このダサい髪色を早いとこなんとかしてくれ……ったく、生まれて初めてカラコンまでしたよ」


 女子生徒はそう言いながら、目の付けていた茶色のカラコンを外し、露になった金色の瞳で『絵に描いた蛙』の方を見つめ、口を開く。


「やぁ、あんまりはじめてって感じしないけど、はじめまして。流石な僕の名はアヤカ・モロイシ。そんで、こっちのすっぴんで男子高校生の格好になれて、君を磔にした男がトオル・アズマ」

「あっ、どうも」

「ナゼ、ここニ……どうシテ……」

「おっと、喋れるのか。かなり侵食が進んでいるみたいだな……タネ明かしは、治療後にでも聞くんだな」


 タネ明かし──と言っても、今回はアヤカ達が何かしたというより、トモコが所属する女子バスケ部の協力あってこその作戦だった。

 トンネルでのバス事故によって、生徒の護衛を保護者側が要請したことにより、学校での捜索に人材を割くことが出来ず、二人で探すにしても学校の中は広く、見つける前に『時間切れ』となってしまいかねない。

 どうしたものかと困り果てていた二人の元にやって来たのが、先述した女子バスケ部の協力者であり、最初に『絵に描いた蛙』によって怪我を負わされた六人の被害者であった。

 トモコの身を案じ、自分達になにか出来ることは無いかと、そう申し込んできたのだ。

 そこでアヤカが提案したのが制服を借りて生徒に変装し、『絵に描いた蛙』の方から襲いに来させるというものだった。

 理由は二つ。

 一つは、向こうから来させることで探す手間を大きく省くため。

 そして二つ目は、友人の匂いが染みついた制服に身を包むことで『安心できる環境を求める』という禍空病の性質を利用し、トオルが確実に仕留められる射程距離へと殆ど警戒させずに近づかせるためであった。


「いや、理由三つ目、この制服のデザインは実に鮮やかだね。流石な僕に似合ってる……裾合わせしたのは気に入らないけど」

「……そうですね、似合ってますよ」


 ──数時間前、牢屋に閉じ込めなきゃいけないくらい大暴れして着替えたにしては。


「さて、君の身体に打ち込んだのは特別製のベアリング弾でね。射程距離は五十メートルとそれほど長くは無いが、着弾すると融けた部分から流石な僕の粒子R・C・Mが体内に侵入して、禍空かくう病を殲滅するようになっている。結構長生きした方だが、かくれんぼはもうおしまいだ」

「カクれんぼ……ダト?」


 トオルの攻撃によって、壁に貼り付けにされていた『絵に描いた蛙』は、撃たれた部分を手で押さえながら、ケタケタとした笑いを白い皮膚の上に浮かべる。


「アア、このカラダのもちぬし……アーあー……だが、あまり得意な遊びではなかったようだな。体が大きくて、すぐに見つかってしまっていたのだ」

「不味いな、言葉が流暢りゅうちょうになってきている。脳の侵食が進んでいるらしい。トオル、もう数発撃ち込んでおこう」

「ちょっと待ってくださいアヤカ先生。なんだか様子が……」

「得意なのはバスケとかいう玉遊びだ。体が大きいからな……特に、ゴール下でのボール争いが得意なんだ」


 そう言って『絵に描いた蛙イマジン・トード』が抑えていた手を離すと、そこには先ほど撃ち込んだはずのベアリング弾が平面化されて黒子のように浮かんでおり、今もなお、青白く放電し続けていた。


「知ってるか? 『リバウンドを制する者はゲームを制する』という言葉を……!!」

「クソッ! 伏せてッ!!」


 咄嵯の判断でトオルはアヤカを抱え込むようにして床に伏すが、次の瞬間。

 自分が撃ち込んだベアリング弾をそっくりそのまま返却されてしまうのだった。

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