カルテ.07『気の病』

「そっちは赤タグだ、赤タグを最優先で運べッ!! 緑は保留で黄色は待機だ! 派手医者が通った場所以外は通るなッ!!」

「そっちの男性は肺に損傷がある、急いで搬送しろ。……っと、こっちの女子マネも腹腔内ふくくうないの出血を塞いだから搬送していいよ。ん? 心停止してるな。トオル、そこのアドレナリン取ってくれ」

「は、はいっ!!」


 先に突入したアヤカによって、トリアージと呼ばれる傷病者の振り分け作業が行われたこともあってレスキュー隊の搬送作業はつつがなく行われていき、搬送が間に合わないような傷病者に対しては、アヤカの迅速な処置によって死亡者はおろか、本来なら選手生命を絶たれてもおかしくない重症も、追加治療の必要はあれど、宣言通り後遺症なく治療されていく。

 それは、『極彩色の流星リッチリー・カラーズ・ミーティア』による体内からの外科治療というアドバンテージも関与しているのだろうが、それを一人で二十を超える傷病者たちに対し、少ない医療備品で行ったのは紛れもないアヤカ自身の高い医療技術と知識あってこそのものであった。


「よーし、よくかんばりましたねぇ~。あとは病院でゆっくり治しましょうねぇ~」

「お疲れ様です。これで全員ですか?」

「そうだ──ん? いや、ちょっと待ってくれ……クリストフ! そこの彼はまだ搬送しないでくれ」


 そう言って、アヤカは担架に乗せられ、クリストフによって搬送される途中だった顧問と思われる男性の元へ駆け寄ると、手のひらを聴診器レベルにまで感度を高め、心音を測る。


「やはり、やけに息切れが激しいと思った……心音が減弱している」

「心臓発作か?」

「違うが問題がある……心タンポナーデだな。トオル、心膜穿刺しんまくせんしを行うからエコーを持ってきてくれ」

「了解で──」

「……──め、ろ」

「──す?」


 アヤカからの指示を受け、トオルがエコーを取りに行こうとしたその時、激しく息を切らして苦しそうにしていた部顧問の口から弱々しい声が漏れるのが聞こえる。

 なんと言ったのかその場に居た誰も聞き取れず、再び耳を傾けると、部顧問は胸に置いていたアヤカの手を明確な敵意を込めて跳ね除け、罵声を上げる。


「や、めろ……!! 俺に、触れるんじゃ……ないッ!!」

「おいおい、落ち着くんだアンタ。この人はアンタを治そうとだな……」

「なにが治すだ! その女は……感染者じゃあないかッ!! 俺まで化け物にするつもりか!?」

「──トオルッ!!」


 アヤカが怒鳴る。

 罵声を上げた部顧問に対してではなく、トオルに向かって。

 握り拳を部顧問の顔面に向けて振り降ろし切る寸前であったトオルに向かって。


「流石な僕の患者につまらない傷を増やすつもりか? トオルでもそれは許さないよ」

「──……しかし、先生……」

「アヤカ先生と呼べ。冷静になれよ……トオルがなんで除隊処分を食らったのか、もう忘れちゃったのかい?」

「……すいませんアヤカ先生。取り乱してしまって……」

「いいよ。流石な僕も、そこまで怒ってくれるトオルのそういう所を気に入っているからね」


 アヤカに宥められ、トオルは握っていた拳を緩め、申し訳なさそうに後ろへと下がる。その様子を見て、クリストフはトオルの意外な一面に驚きながらも、気を取り直して治療を拒絶している部顧問を説得しようとする。


「えぇ~っと、確かにこの医者先生は禍空かくう病に感染はしたが、今はちゃんと治ってるし、見た目と体のつくりが人間離れしているのは後遺症みたいなもんで接触の危険性はない……だよな?」

「うん、そうだよ」

「な、なんだお前らは……化け物を庇うのかッ!?」

「おいおい……あんたがどんなガセネタに騙されてようが知ったことじゃねぇけどなぁ、目の前の医者の言う事は信じたらどうだ?」

「なんだと? 馬鹿にして……うぐッ!?」


 興奮した様子で反論しようとする部顧問であったが、症状が悪化したのか、胸を抑え、更に息苦しそうに悶え始める。


「あ~あ、言わんこっちゃない。禍空病になる前に心不全になって死ぬっての……トオル、時間が無いからエコーはやっぱりいい」

「エコー無しで!? 無茶ですよ!」

「一人一人の主義や思想は違えど、剣状突起の位置は変わらないものさ、人間ってのは」


 そう言いながら、アヤカは部顧問の口と鼻を覆うように手を当て、『極彩色の流星R・C・M』で粒子化した肉体を体内へと侵入させ、剣状突起を目指していく。


「はい、見つけた。これで終~わ~りっ……と、そら楽になっただろう?」

「うっ……あぁ……」

「さっ、もう搬送しちゃっていいよクリストフ。お疲れ様」

「早いな……お疲れさん。ほれ、行くぞ」

「…………」


 部顧問は何かを言いたげであったが、治療された手前バツが悪いのか何も言えず、せめてもの気晴らしとばかりにアヤカをきっと睨みつけたまま車へと搬送されていく。

 アヤカは知ったことではないという風に──実際知ったことではないのだろうが──ポケットから出したリンゴ味の飴玉を鼻歌交じりに舐めており、隣に立っていたトオルの方がむしろ不機嫌に毒され、悔しさに顔をしかめていた。


「なんだよトオル、まだ怒ってるのか?」

「だ、だってあの人、何にも知らないくせに……アヤカ先生を化け物だなんて……」

「何にも知らないから怖いのさ。特に禍空かくう病は流石な僕にしてみても未知な部分が多い病だからね。それに怒るというのなら、流石に僕よりトモコ・タナカの為に怒ってやりなよ」

「トモコちゃん、ですか?」

「ああ。刑法三十九条一項……だっけ? 制御能力がなく、心神喪失扱いとなって感染している間の被害は無罪になる……が、被害そのものを無かったことには出来ない。被害を受けた人たちは恐怖や憎悪といった感情をトモコ・タナカに向けてしまうかもしれないし、そのトモコ・タナカ自身も必要のない罪悪感を背負ってしまうかもしれない……問題の禍空かくう病を治したあとも、禍空かくう病のせいで気を病んでしまうというのは、医者として見過ごせない問題だ」

「…………」

「流石な僕と言えど、心の傷を治してやることは出来ない……。禍空かくう病を治す以外に出来る事と言えば、禍空かくう病による被害による死亡者や後遺症を持つものをゼロにして、来週には忘れるようなトラブルにしてやることだけ……全く、歯がゆいものだよ」


 アヤカはそう言って、片手で側頭部を鷲掴みにするようにして頭を抱えながら、車へと戻っていく。


「……十分過ぎますよ、アヤカ先生」


 トオルはそんなアヤカの背中が背丈以上に大きく思え、思わず尊敬の念を込めて小さく呟くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る