第10話 愚者の肖像
鎌倉に到着すると、おれと清宗は別々の屋敷に幽閉された。
「清宗、身体をいとえよ」
それはあまりにもせわしく、衰弱し切った息子との別れ際だというのに、そう呼び掛けるがやっとだった。
去り行く清宗の籠を見送るおれは、ネコがもの言いたげにこちらを見ているのに気付いた。ネコは清宗の籠を追いながら、何度もこちらを振り返っているのだ。
「そうか。お前もおれとの別れが寂しいか」
ネコは、しゃーと牙を剥いた。
「おや」
どうやら違ったらしい。
ならば、仕方ない。おれもネコに頼みたいことがある。
「おい、ネコ。ずっと清宗と一緒に居てやってくれ。わたしからのお願いだ」
もう一度振り返ったネコは小さく、にゃ、と鳴いた。
おれはネコに向かい、手を合わせた。
☆
左右に源氏の武将が居並ぶ中、おれは板敷の間に座らされている。
正面は源頼朝である。
(なんと大きな顔だ)
噂には聞いていたが、想像以上に大きい。ちょっと遠近感が狂ってしまいそうだ。おれは何度も目をこする。
「なんだ、宗盛どの。目がどうかなされたか」
少し怒りを含んだ声で頼朝が言った。やはりその大きな顔を気にしているらしい。
「いえ。鎌倉殿の威厳に目が眩んだところです」
「ほうほう。聞いたか、景時。平家の総帥、宗盛どのは、わたしの威厳に目が瞑れたと言っておる。しっかりと記録に残しておけよ」
頼朝は嬉しそうに、くくっと笑う。
「……はっ」
横に控える梶原景時は、無表情のまま一礼すると、手にした筆を走らせた。
武辺者ばかりの鎌倉にあって、この梶原景時は文武両道に秀でた男だと京にも伝わっている。
「のう、宗盛どの。わが源氏の前に、平家が脆くも滅んだのは、いかなる理由があるのかのう」
頼朝は目を細めた。
「殿。それは……」
横から景時が制する。敗軍の将に対し、あまりにも礼を失すると思ったのだろう。
「よい。この男は、息子可愛さに、自害すらできぬ腰抜けよ。どうじゃ、誰が平家を滅ぼしたのだ」
おれは、清宗を別の館に隔離した頼朝の魂胆に気付いた。確かにいま清宗の命は、この大きな顔の男の手に握られているのだった。
「木曾義仲、そして源九郎義経」
おれは頼朝の目を見返した。
「彼らの武勇によって平家は滅びました。それはつまり、鎌倉に居ながらにして、その者どもを操った頼朝どのに、その功は帰せられるのでしょう」
ふん、と頼朝は嗤った。
「それは嫌味にも聞こえるのう」
頼朝は立ち上がった。
「宗盛。そのような無礼を申すとどうなるか、無能なそなたにも想像がつくのではないか。清宗と云ったか、あの者と平穏に暮らしたいのではないか。んん?」
扇子を取り出すと、おれの肩をぽんぽんと叩く。
「ひれ伏せ、宗盛」
下品な笑みを顔中に浮かべ、頼朝はおれの肩を押さえつけた。
おれは、すうっと息を吐くと、両手を前に突き深々と頭をさげた。
「かっかっか、これは傑作じゃ。しっかり記録しておけ。平宗盛は土下座して命乞いをしたとな。後世までの語り草にしてやろうぞ」
得意げな頼朝を見た景時は、その無表情に一瞬だけ嫌悪感をにじませ、筆を執った。
おれは気配を感じ、ふと庭先に目をやった。
「ネコか」
あのネコが庭から縁側に上がってきた。おれを見て、声を出さず啼いた。
「ああ!」
おれはそれだけで全てを悟った。
「清宗は、すでにか」
片時も清宗の傍を離れなかったこのネコがこうしてやって来たのは、そういう事なのだろう。
頼朝が片頬に笑みを貼りつけたまま、おれを見下ろしている。
肩に置かれた手が、無性に汚らしいものに思えた。
「この手を離せ」
おれは低く言った。
「はあ?」
頼朝はまだ気づいていないようだ。もはや、おれを繋ぐ
「……!?」
おれは頼朝が身に着けている短刀を奪うと、鞘から刀身を抜き去り、そのまま一閃した。
頼朝の烏帽子が宙を舞う。
どさり、と音をたて頼朝はその場にへたり込んだ。
「ひ、ひえええええっ!」
やや遅れて、ニワトリが絞め殺される時のような声が頼朝の喉から発せられる。
おれは短刀を鞘に収めた。おれが振るった刃は頼朝の烏帽子の紐を斬り飛ばした他には頼朝の皮膚に傷ひとつ付けていない。
「これが平家の戦だ、頼朝」
短刀を頼朝の前に放る。頼朝は悲鳴をあげて後ずさった。
これでもう思い残す事はない。
「おのれ!」
あわてて駆け寄る源氏の武将たち。
何本もの刃を受け、おれは床に崩れ落ちた。
遠ざかる意識の中、おれは頬をざらりとしたものが這うのを感じた。やっと薄目を開けたおれは、ネコが頬を舐めているのを知った。
「なんだ。おれが死ぬのを悲しんでくれているのか」
微かな声でおれは言う。
生意気な奴だと思っていたが、可愛い所もあるのだな。
「しゃーっ!」
ネコはまた牙を剥いた。どうも違うらしかった。
ふ、おれは笑う。
「やはりネコという生き物は分からぬ……」
☆
こうしておれは生涯を終える。
この場で見せた源頼朝の無様な姿も世に伝わる事はないだろうから、おれはただひたすら、無能な平家の総帥として語り伝えられていくのだろう。
だがそれも仕方ないことだ。
歴史を語り継ぐ事が出来るのは、生き残ったものだけなのだから。
勝者は常に、敗者を愚か者として記す。それは真実の歴史を歪めてでも、である。それは、それ以外に自らの愚かさを糊塗する方法を知らないからだ。
もはや、勝者も敗者も同じ愚者ではないか。宗盛は消えゆく意識の中で頼朝を哀れんだ。あの男もいずれ愚者の仲間入りをすることだろう。
歴史はこれからも、愚者の肖像を描き続けていくに違いない。
真実など、そこには微塵もないとしても。
おわり
愚者の肖像 杉浦ヒナタ @gallia-3
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