第9話 虜囚は鎌倉へ
安徳帝と建礼門院の入水によって、平家の滅亡は決定的なものとなった。
総大将としてそれらを見届けた知盛もまた、鎧の上に鎧を着込んだ姿で、静かに壇ノ浦に身を投げたのである。
おれは瞑目して船内に戻る。そして横たわる清宗の枕元に座った。
痩せ衰えた清宗は、おれの顔を見てすべてを察したようだ。
「父上、遅れてはなりません。共に海中の楽土へ参りましょう」
「ああ。ああ」
しかし、おれは清宗の手をとって涙をこぼすばかりだった。
「こんなお前を、なんで冷たい海の中へ連れて行けよう。かと言って一人残すのも心残り。どうすればいいのだ」
やがて外が騒がしくなった。すぐに下品な顔つきのいかにも坂東武者といった男たちが姿を現した。
「遅かったか」
おれはため息をつく。
その連中はおれの顔を見て歓声をあげた。
「平宗盛か。これは思わぬ拾い物だ」
刃の切っ先がおれの喉元に擬せられる。
「この餓鬼も連れて行こう。今にも死にそうだが、それでも褒賞は貰えるだろうぜ」
男たちは清宗の手を掴み、乱暴に引き起こそうとする。
「止めぬか、下郎ども!」
思わずおれは突き付けられた刃を忘れ叫んだ。
「何っ、この腐れ貴族が」
だが反撃は思わぬ処から来た。
清宗を引き起こそうとした男に向かい、ネコが飛び掛かったのだ。
「うわっ、痛え」
顔や手を傷だらけにして、男は後ずさった。
「こ、この畜生が」
男は刀を抜き、ネコに向けて振りかぶった。清宗もろともネコを斬ろうとする。
「止めろと言うに!」
おれは目の前の男の手首を掴み、前蹴りを入れた。崩れ落ちたその男の刀を奪ったおれは、船内の源氏武者を次々に切捨てていった。
かつて平家随一の勇将と呼ばれた魂がおれの中に蘇った。
「まさか。あの腰抜け大臣が……」
最後の男は信じられない物を見る目付きのまま、首と胴が離れて飛んでいった。
「父上。それ以上の殺生は」
おれは、はっと我に返った。
「そうだな。清子のところへ行くことが出来なくなるな」
もう手遅れかもしれない。しかし目の前で清宗を殺させることなど、出来よう筈がない。今のおれに後悔など微塵もなかった。
おれは微かな笑みを清宗に向けた。
「すまぬが、母の所へは、お前一人で行っておくれ」
ぎゅっと清宗を抱きしめた。
おれは、清盛入道の待つ地獄へ行く事になるだろう。
「平宗盛どの。もはやこれまで」
大勢の武士を引き連れ乗り込んで来た男が、穏やかな声でそう告げた。
背は低く、出っ歯で風采は上がらないが、どこか、不思議と颯爽とした雰囲気を持っている。
「そなたが源氏の大将か」
「源頼朝の弟、九郎義経でござる。卿の安全はこの義経が保証いたします。どうぞ降伏を」
おれは黙って頭を下げた。
☆
捕縛されたおれたちは鎌倉へ送られる事になった。監視と護衛の任に就いたのは九郎義経である。
「ご心配なく。兄は人の情の分かる良い人ですから」
出っ歯を煌めかせ、何の屈託もなく義経は言う。
「そ、そうか」
あまりにも、風評に聞く頼朝像と違うような気がする。おれは他人事ながら、この義経の行く末が心配になった。
「なので、誠心誠意、忠誠を誓われれば必ず赦免されますよ」
「そういうものかな……」
仮にも平家の総帥だったのだけれど。
義経の態度はともかくとして、おれと清宗はあくまでも罪人として扱われている。寒夜にも暖かい布団など望みようもない。
苦しそうに呻く清宗に、おれは着物の片袖を掛けてやる事しか出来なかった。
「ああ。父上」
気付いて微笑む清宗に、おれは背を向けて涙を拭った。
「では、我らはここで交代いたします」
鎌倉を目前にした辺りで、義経は挨拶にやって来た。
「そうか。世話になったな、義経どの」
「……はあ」
義経の不本意な様子を見るまでもなく、これは源氏内部で何事かが起こっているのだろうと想像できた。
だが、それに付け入る事が不可能な事は、おれにもよく分かっていた。
「兄上によろしくお伝えください」
逆に、涙目になった義経に伝言を頼まれてしまった。悄然と去る義経の背中を見ながら、おれは首筋に冷たいものを感じた。
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