第8話 屋島を脱出する
「古来より『兵力の分散は、これを忌む』という」
おれは清宗に兵書を読んで聞かせているところだった。
清宗の膝の横ではネコが丸くなっている。こいつは最近、片時も離れず清宗について回っているのである。
しかも、おれの話を聞きながら退屈そうに大きな欠伸をしている。なんて生意気なネコだ。
「つまりは、軍の集中的な運用をせよと云う事だな」
そこで清宗は怪訝そうな顔になった。
「ですが父上。それは今と逆の状況ではありませんか」
「うむ」
たしかに、それについては一言の反論もできない。
まず、九州で蜂起した緒方らを鎮圧するために、知盛を長門(現在の山口県)へ送っている。長門で兵を集めた知盛は緒方惟義を撃破し、再び西国を平家のものとする事に成功した。
そして知盛にはもう一つ目的を与えていた。平家は長門に新たな御所を設け、そこに帝を擁していると偽り、周囲に喧伝させたのだ。
頼朝の弟、範頼率いる鎌倉軍はそれに乗せられ、瀬戸内沿いを西へ向かっているというから、こちらは成功したと言っていいだろう。
屋島に残ったおれは更に兵を分かち、教経に水軍を与えている。摂津に集まって屋島を狙う源氏方を牽制するためだ。
これを兵力の分散と言われれば、その通りであると答える他はない。
「もう少し兵数があれば、戦略的な行動だと言い張れるのだがな……」
やはり行き当たりばったりの感が強いのは否めない。
対する源氏方には少ない兵力を効果的に用い、大きな戦果をあげた男がいる。源頼朝の弟、九郎義経である。
「あの男を放っておくのは危険だ」
一の谷の敗北は義経の奇襲に端を発していると言っていい。おれは内通者を使い源義経の孤立化を図り源氏軍の軍監である梶原景時との間に亀裂を生じさせた。
しかし、こちらが手を回す前から義経は源氏方では相当に不人気のようだから、これが我らの策によるものか、判然としかねる所はあるのだが。
☆
それは後に屋島合戦と呼ばれる。
平家が屋島に設けた仮御所の背後に、源義経の一軍が現れたのだ。
「たかが百騎ほどではないか。さっさと叩き潰せ」
陛下や女院らを船に移しながら、叔父の時忠が喚いている。その横を武装した教経が兵を率い、迎撃に向かった。
源氏の兵は遠くから矢を射掛けては、何度も御所へ突入する構えを見せている。教経はそのたびに跳ね返しながら、ふと眉をひそめた。
「こいつら本気で攻める気があるのか」
教経の疑念は、おれの下に届いた早舟からの知らせにより現実のものとなった。おれは急ぎ、教経に向け伝令を走らせた。
「教経どの、撤収下さい。早く船に!」
「何だと」
「源氏の大船団がこちらに向かっております。このままでは陛下共々包囲されます。早く脱出をっ!」
「おのれ。こいつらは囮か」
教経は吐き捨てると渚へ向かった。
間一髪、平家の船団は源氏方の水軍から逃れることができた。しかし瀬戸内の水軍も大方が源氏についた今となっては、我らが向かう先は知盛が待つ長門しかない。
「たかが百騎に怯えて逃げ出したとか言われるのだろうな」
誰に言うともなくおれは呟いた。しかしあのまま屋島に残っていれば、包囲されたおれたちは皆捕らえられ、三種の神器も奪われただろう。
「まあ、すべて、おれが悪名を被れば済むことだ……」
☆
船上で清宗が病に倒れた。
熱を発し、起き上がるのもままならない。しかも船の上には薬など有ろう筈も無い。
おれは、日に日に衰弱していく清経を見守る事しか出来なかった。
床に臥す清経の横には、いつもネコが寄り添っている。清経が弱々しくその頭を撫でてやると、嬉しそうに小さく鳴いた。その間だけは清宗も少し元気を取り戻すように見えた。
「ネコよ。おまえはずっと清宗についていてやってくれ」
おれは目を細めるネコの頭に手を伸ばす。
しゃー!
途端にネコは目を剥いておれを威嚇した。
「おのれ」
やはり、このネコは生意気だ。
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