あの子の猫舌

鵜川 龍史

あの子の猫舌

「あのアイドルの味覚、最悪らしいぜ」

「そんなことないよ!」

「なんだよ、サトル。お前、ミヨヨ推しか」

「推しとか、そういうことじゃなくて。勝手に決めつけるのはよくないって」

 舌の話は尽きない。気持ちは分かる。僕たち高校生は、未知なものに惹かれ、想像を掻き立てられる。それが未知なままであれば、想像はどこまでも自由だ。ところが、こと舌の話となると、そういうわけにはいかない。

「ヨウヘイ、俺は正解が知りたい」

「僕も」

「ちょっとまって。今、探してるところ……っと、あった。味覚調整〈あじャスト〉するよ」

 そして、僕の舌は田邊ミヨーの舌になった。Bランチの皿の片隅に残っていた付け合わせのスパゲッティを口に入れる。

「うーん、酸味と苦味に鈍感かな。でも、味覚障害っていうほどじゃなくて……いや、待てよ」言いながら、今度は乾いたサラダを口に運ぶ。「甘味がすっごく鮮明! 彼女、セミベジタリアンじゃない?」

「なんで分かったの?」サトルが訝しげに尋ねる。「プロフィールには書いてないのに」

「そういう舌、してるよ」

 言い合っていた二人が、僕の口元をまじまじと見つめる。

「今、お前の舌はミヨヨと同じなのか?」リョウの鼻息が荒い。

「え、リョウも?」サトルの眼の奥が光る。

「どうやら、早い者勝ちみたいだな」

「ちょっと待って。僕の舌を奪っても、ミヨヨの味がするわけじゃないから!」

 三人でじゃれ合っているうちに、人はまばらになっていた。ちょっと離れたテーブルに、一人で座っているのは椿原さんだ。さっきまで友達に囲まれていたのに、今は一人きり。とっくに冷めているはずのうどんを、ふーふー冷ましながら啜っている。

「ヨウヘイはバッキー推しか」僕の視線に気づいたリョウが、首に腕を回して声をひそめる。「バッキーの味覚もハックしちゃえよ」

「ミヨヨの舌はハックじゃなくて公式! 家アカなんだから、そんなことしないよ」

「分かってるって。静陽軒の一人息子の舌には、それだけ期待がかかってるんだよな」

 〈あじャスト〉は、味覚のチューニングができるサービスだ。ローンチされるや否や、高校生の間で一気に広まった。代わり映えしない毎日の食事を、手軽に味変できる。目的別にテンプレートが公開されており、それを微調整して使うのが一般的だ。

 というのはフリー版の話。サブスク版になると触覚、痛覚に温覚、冷覚もいじれる上に、有名人の味覚を再現したチャンネルも利用できる。僕は、父親がコックをやっているせいで、ファミリープランに入らされている。

「いいことばっかりじゃないよ。こないだの土日は、アインシュタインをやらされた」

「あの、舌出してる写真の? なんで?」

「食事の優先順位がすごく低い人だったらしくてさ。どうにかあの舌を唸らせたいって」

「で、どうだったの? 唸らされた?」

「全然ダメ。って、親父の料理がダメなわけじゃなくて、アインシュタインの舌がポンコツでさ。感度が鈍いっていうより、味覚が全部混ざってる感じ。何を食べても同じ味」

「じゃあ、お父さんの負け?」

「それが、紅茶だけスゴイ分解能でさ。農園ごとの茶葉の違いまでくっきり。だから、紅茶を使ったフルコースは堪能できたよ」

「最高じゃん!」

「いやいや。あのぼやけた味は、僕自身の味覚まで狂っちゃいそうだったよ。その点、ミヨヨの舌はいいね。野菜の本当のおいしさを教えてもらった気が」

「あつっ」

 僕の話を遮って響いたのは、椿原さんの声。冷めているはずのうどんに、未だ悪戦苦闘している。

「猫舌ならテンプレに入ってるよ」サトルが思い出したように言う。

「バッキーのあれは、猫舌なのか」リョウが首をかしげる。

「どうかな。あそこまでじゃなかったような」

 猫舌は味覚ではなく、温覚や痛覚に依存する。サトルには悪いが、フリー版の〈あじャスト〉では再現できない。猫舌テンプレは、味覚をピーキーにチューンして生まれた強いアタック感を、それと錯覚させているだけだ。

「決めつけはよくない、って言ってただろ」

「なら、答え合わせな。ラーメン買ってくる」

 リョウはそう言い残すと、片付け始めている厨房に声を掛けに行った。

「できるの?」

 サトルの問いかけに無言でうなずく。無言になったのは、調整を既に始めていたからだ。温覚を最大値にして、痛覚との連動性を高める。ダメ押しに、猫舌テンプレを参考にして、酸味と塩味の立ち上がりアタック減衰ディケイを調整する。

「ほら。冷めてるぞ」リョウが差し出したのは素ラーメン。トッピングや薬味の代わりに入れられた氷は、既に小さくなっている。

 椿原さんの箸がうどんを引き上げるのを見ながら、僕は箸を割った。唇が前に突き出され、息がうどんを揺らす。思わず唾を飲み込んだのは僕だ。同じく麺を引き上げる。うどんがゆっくりと椿原さんの唇に近づき、僕の麺も唇に触れるか触れないかのところで揺れる。そして、うどんはそっと差し出された舌に導かれて口の中へ。僕の麺もまた――。

「あつっ」

「あっつっっ!」

 想像以上の熱さに出た声は、学食中に響き渡った。同じタイミングで声が漏れていたはずの椿原さんは、こっちを見て笑っている。

「納得いかない」

 リョウはどんぶりをつかむと、冷めたラーメンを一気飲みした。僕は椿原さんが最後のうどんを啜るのを、頬杖をついて見守った。

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あの子の猫舌 鵜川 龍史 @julie_hanekawa

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