生きてるんだから
その日、珍しくリアの配信がなかった。
珍しくというか、初めてだった。
リアはデビューしてから、1回も朝昼晩の配信を休んだことがなかったのだ。
Twitterで休みの報告もなく、朝はタイムラインがざわざわしていた。
寝坊なのかと思ったけど、数時間経っても音沙汰はなく、昼の配信もなかった。
「病気か?」「何かあったのかな」「インターネットにつながらなくなった?」みたいな不安の声が多い。
僕も心配だけど、考えすぎもよくないので、今日は配信もTwitterもやらない、完全オフの日に設定したのではないかと結論付けることにした。
とはいうものの。
「リアの配信がないと調子狂うなぁ」
休みだったことにより、リアの配信が生活の一部としてサイクルに組み込まれていたことを改めて実感した。
朝の配信は憂鬱な登校のお供に、昼の配信は帰ってからの楽しみに、夜の配信は課題のお供に。
雑談配信だし、リアの声は落ち着くので、ラジオ感覚で聞くことができる。
リアの配信を聞いていると、「頑張って」と言ってくれてるみたいで、自然と力がわいてくる。
それがないものだから、なんとなくやる気がそがれてしまう。
「アーカイブでも見直すかなぁ……」
わざとらしく「はあ」と言いながら、充電の減ってないスマホを投げるように机の上に置いた。
家に帰ってからこんなに退屈を感じるのは久しぶりだ。
日々の楽しみをどれだけリア任せになっていたのか、ひしひしと感じる。
リアが1日配信をしないくらいで、こんな状態になるのはよくない。
「いった~い」
……ん?
何か声が聞こえたような気がするが、誰とも電話をしてないし、動画を見ているわけではないから、気のせいだろう。
「痛いって、スマホくんも言ってると思うな」
気のせいじゃ、ない?
声が、する……?
しかも、ものすごく聞き覚えのある、毎日聞いているような声が。
「……ん? 待てよ?」
いやいやいや、声がするはずないだろ。
なんだ、ついに幻聴まで聞こえるようになってしまったのか?
よくない。よくない。
もはや、依存だ。重度な依存はよくない。
「もしかして、スマホ“くん”じゃなくて、スマホ“ちゃん”の可能性もある?」
「そんなことどうでもいいだろ」
どうでもよすぎて、自分の幻聴についついツッコミをいれてしまう。
やってしまった。とうとう幻聴と会話をしてしまった。
「お、声聞こえてるじゃん。よかった~」
「は?」
「ふふん、驚くのも無理はない。だって、常識だとありえないことだし。その辺はわかってるつもり」
幻聴はなにやらおかしなことを言い出した。
いや、もともとちょっとずれた発言をしていたけど、これは現実だと言わんばかりの発言をしてくる。
一体、何が起こってるんだ……?
「その目で見ないとわからないよね。百聞は一見に如かずって言葉もあるんだし。ねえ、スマホの画面、見てみてよ」
いいや、これは幻聴だ。幻聴に決まってるんだ。
だって、ありえない。
こんな、夢みたいなことが起こるだなんて。信じられるか。
無視だ、無視。
反応しないで大人しく寝でもすれば、幻聴だって聞こえなくなるだろ。
ただ、その決意はすぐに消え去ることとなった。
「……むむ、聞こえないふりはひどいよ! さっき反応したのに! 聞こえてるのはわかってるんだからね、アンダーグラウンドくん」
「……!?」
リアルでは呼ばれない名前を呼ばれてしまい、焦りやら驚きやらで頭が真っ白になる。
「なんでその名前知ってるの!?」
だから言われた通りにスマホの画面を見て、そこに向かって思いっきり叫んでしまう。
「だって私、その名前しか知らないもん」
そこにあったのは見慣れたスマホのロック画面ではなく、
――――口を動かしながらにっこりと笑う、僕の推しがいた。
「……え?」
画像なんかじゃない。今は動画も再生してはない。
配信してるときと同じように、ころころと動作をするリアがいた。
幻聴にネット上での名前を呼ばれて、軽くパニックになっていた僕にさらなる意味がわからない現象が襲い掛かってくる。
さっきから、何が起きてるんだ……?
「やっほ、アンダーグラウンドくん」
僕の心情を知らないリアは何の含みもない、綺麗な笑顔を向けてくる。
可愛いが、今はそれどころじゃない。
「えっと、その……。なんで、ここに、いる、の……?」
リアは間違いなく
そこで、生きていた。
とってもとっても驚いている僕を見て、「驚いた?」といたずらが成功した子供のようににやりとする。
そりゃ驚きますとも。
驚くなんて言葉では足りなすぎる。
天地がひっくり返るという表現は大袈裟だと思っていたけど、こればっかりはこの表現がしっくりきてしまう。
「改めまして! 電子世界を生きる正真正銘ヴァーチャル美少女、リアだよ!」
いつも聞いている口上で、変わらない声音で、彼女はそう言った。
*
「えっと、本物、なの……?」
本物だろうと偽物だろうと「そうだよ」と言えてしまうこの質問をするのは、意味がないことはわかっていた。
だけど、無理だ。これ以上の質問を考えることは、今の僕にはできなかった。
大好きな推しが僕のスマホの画面にいて。
僕に向かって話しかけてきて。
正真正銘のヴァーチャルだった。
こんな事実をどう冷静に受け止めればいいのか、手段があるなら今すぐ教えてほしかった。
心臓がばくばくばくとうるさく鳴ってる。
全身がなんだか熱を帯びているようで、頭もまともに働いてない。
「本物だよ。いつも言ってたでしょ。“正真正銘のヴァーチャル”だって」
「でも、それは……」
「そういう設定だって思ってたんでしょ?」
僕がなんて言おうか考えていたことを、リアはあっさりと言ってのけた。
「私だってアンダーグラウンドくんの立場だったら、そう思うよ。だって、大体はそうでしょ。私が特殊なだけだもん」
自分だけが違うことを、リアは受け入れているようだった。
きっと彼女にもいろいろと抱えるものがあるのだろう。たぶん、それは僕には一生わからない悩みのような気がする。
「あの、ひとついい?」
「どうしたの?」
ただ、いろいろ聞く前に、言っておきたいことがあった。
「アンダーグラウンドって呼ぶの、やめてくれませんか……」
こう何回も何回も、ちょっとかっこつけて考えた名前を呼ばれるのは恥ずかしい。
「ダメなの?」
「できればやめてほしいです……」
声に出して読まれることを想定していない、字面だけの名前だ。
加えて、推しに繰り返し呼ばれることを覚悟なんてできているはずがない。
「じゃあ、本当の名前教えてよ。苗字じゃなくて、名前ね」
「は!?」
「アンダーグラウンドって呼ばれるの嫌なんでしょ」
「いやいやいやいや」
推しに本名呼ばれる覚悟なんて、それ以上にできてないんですが!?
「どっちがいいの?」
推しに本名を呼ばれるなんて、そんな贅沢許されていいはずがない。
だからといって、アンダーグラウンドと呼ばれるのも恥ずかしいからやめてほしい。
迷いに迷った末――
「……
「りく、と?」
「僕の名前、陸人って言います」
本名で呼ばれる選択をした。
呼ばれれ続ければなれるのだろうが、なれるまでが大変だ。
それに、少し、欲が出た。
ドキドキしている僕とは違って、リアは変わらない表情で、
「うん、知ってた」
と、さらりと言った。
「スマホの中に名前の情報あったし」
「じゃあ、なんで聞いたんですか!?」
「アンダーグラウンドくんの、えーと違うね、陸人くんの口から聞きたかったんだ」
僕が虜になった最高の笑顔で、最高のことを言うのだから、言葉につまる。
「じゃあ、私からもひとつお願い」
ただでさえ、現状うまく受け入れられてないことが多いのに、リアはさらにそれを重ねようとしてくる。
少し、手加減してください……。
「私と話すとき、敬語やめてほしいな。名前も呼び捨てでいいからね」
「無理です!!!!!」
食い気味に返事をすると、リアはむすっとした顔をする。
「どうして? コメントを打つときは、敬語じゃないよね?」
「コメントと会話は違います!」
コメントを打つときは、敬語にするとその分長くなるので、基本的に使わない。使わないだけで、敬語で話しかけるつもりだし、コメントの内容も他のと同じようなものを選んでいるだけだ。
「でも、陸人くんのお願い聞いたし、私のお願いも聞いてくれてもいいよね?」
「……それは」
「ね? お願い! 距離があるみたいでちょっと嫌なんだ」
上目遣いでこちらを見てくるリアを見て、断れる人はいるのだろうか?
少なくとも、僕には無理だ。あざとい。
「わかりました」
「あれ?」
「……わかった」
声を出している自分でもわかるほど、声が震えていた。
かっこ悪いなぁと思ったけれど、それでもリアが満足そうに笑ってくれたくれたので、なんだか救われた気がした。
「……ところで、リアは何者なの?」
それでもいたたまれないので、気になっていたことを質問したが、うまい言葉が見つからず、慌ててることを誤魔化せなかった。
リアにも意図がうまく伝わらなかったみたいで、首をかしげている。
「AIだったり、誰かが操作してたりってわけじゃないんだよね……?」
説明を付け加えると、僕が言わんとしたことが伝わったみたいで、
「私もよくわからないんだよね」
と、衝撃的な答えが返ってきた。
「わからないの!?」
「うん。私が何者なのか、私が一番知りたい」
どうやら冗談の類ではないらしく、真剣な声音でリアは言う。
「AI、ではないと思うんだよね。感情があるし、人の心の在り方も理解できる。それに、情報を分析したり処理したりできるわけじゃない」
「でも、さっき僕のスマホの情報を勝手に見ることはできたよね?」
「あれは、陸人くんがスマホを通して見れる情報を、同じように見れるだけ。それより細かい情報はわからないよ」
「じゃあ、僕のスマホにいるのはどうして?」
「陸人くんたちが移動するのと同じ。私は
生きている。
その言葉にリアの全てが詰まっているような気がした。
リアが“何か”はわからないけど、彼女が生きていることを、僕らの住んでいる世界とは別の世界で生きていること、それがわかった気がした。
「どうやって生まれたかもわからない。気がついたら、
諦めたような、寂しそうな、そんな僕の胸まで締め付けられるような笑顔を、リアは浮かべた。
そんな顔を、僕は今まで一度も見たことがなかった。
「……ひとり、なの?」
「うん。ひとり、だよ。私しかいない」
電子世界を“生きている”のは、彼女だけ。
「まあ、世界は広いから、どこかにいるのかもしれないけど、私は会ったことはないよ。仲間がいたら、夢が広がるんだけどね~」
冗談めかして言ったが、そんな彼女に僕はなんて言葉をかけていいのか、わからなかった。
だから、弱々しい声で、「そうだね」と相槌を打つことしかできなかった。
「あはは、なんかしんみりしちゃったね! ごめんごめん!」
上手く反応できなかったばっかりに、リアに気をつかわせてしまった。
それがとても申し訳なくて、悔しくて。そんな僕ができることは、ただひとつだった。
「リアの話、聞けてよかった」
僕の嘘偽りない言葉を伝えること。
「本当?」
その言葉が意外だったのか、こう言ってはなんだけど少し、まぬけな声だった。
「本当。好きな人の話を聞けて、嬉しくないわけない」
青で美しく輝く彼女の瞳を、しっかりと見つめる。
「本当に電子世界で生きてることにも驚いたけど、それ以上にリアが感じてること、聞けてよかった」
そりゃあ、笑顔でいる
悲しいことがあったり、苦しいことがあったり、悩みがあったり。
そうやって、生きている。もちろん、リアだって。
「リア、ずっと笑顔だし、愚痴も言わないし。嫌なことだって、たくさんあるはずなのに、それでも笑ってるから」
僕が想像する以上に、嫌なことがたくさんあるはずだ。
リアにとっての嫌なことが何か、全部わかるわけではないけれど、たくさんの人の注目が集まっているということは、その分ひどい言葉が投げられるのは事実だ。
「ちゃんと吐き出せてるのかなって、たまに心配だったんだ。ただのファンのおせっかいだけどね」
勿論、それを口に出すことはなかったし、リアにだってそういう話をできる相手はいるだろうとは思っていた。
ただ、そうではないのかもしれないと、話してみて気がついてしまった。
ひとりで生きているリアは、どこでその不満を吐き出しているのだろうか。
「笑顔でいてほしいよ。けど、ずっと笑顔でいる必要もないと思う。嫌なら嫌だというべきだし、つらいならつらいと言うべきだとも思う」
何かを隠して笑うよりも、心からの笑顔を見せてほしい。
それはファンとしての、正直な気持ちだ。
なんだか偉そうなことを言ってしまったかもしれない。
言いたいことを言い切った後で、とてつもない羞恥心が湧き上がってくる。
肝心のリアは茫然とした表情を浮かべているだけで、言葉はひとつも発していない。
やば、これ完全に引いてる……。
「なんて、ひとりのファンとしての戯言ですけどね!」
あははははと乾いた笑いを全力でする。
そんなことをしても取り返せないことはわかってるけど!
そう言って誤魔化しても、リアは何も言わない。
この際、「気持ち悪い」とか正直な感想でいいので、何か言ってほしい。
無言が一番心臓に悪い。
「リ、リア……?」
沈黙に耐えられず、恐る恐る彼女の名前を呼ぶ。
それでもリアはすぐには反応をせず、しばらく経ってから、
「……ずるいな」
と、どう解釈すればいいのかわからない、そんな言葉をもらした。
リアに引かれてはいなかったことに安心したが、その言葉の意味がわからないため、油断することはできない。
心臓のばくばくという音が耳を支配していて、上手くリアの声を拾えるかわからない。
でも、絶対に聞き逃してはいけなかったので、これでもかというほどに声を聞くことに集中する。
「なんで、言ってほしかった言葉、わかるの……」
聞こえたのは奇跡だと思うほど、小さな声だった。
「え?」
予想外の言葉だった。
「生きてていいって、言われてるみたいだ……」
手をぎゅっと握り締めながら、彼女は目を閉じた。
自分が生きていることを、全身で感じていた。
「当たり前だよ!?」
嬉しそうにしているところ申し訳ないけれど、当たり前のことすぎる。
むしろ、生きていてくれないと僕が困る。
誰だって、推しが死ねばいいなんて思うわけがない。
「生きてていいに決まってる。だって、生きてるんでしょ、リアだって」
「……うん。生きてる、よ」
「難しく考えなくていいと僕は思う。いいじゃん、生きてるんだから。生きてたって」
皆が皆、惰性で生きているとは言わないけれど、自分の使命なんてものをわかっていて、それを実行するために生きている人なんていないんじゃないか。
少なくとも、僕は見たことがない。
我ながらいいことを言ったんじゃないか。
さっきのちょっと気持ち悪い熱弁よりはだいぶマシな気がする。
そう思ってたのに、リアが「ふははっ」と声を出して笑った。
なんだと!?
こっちの方がダメなのだ!?
「なにそれっ! めちゃくちゃじゃんっ! おかしっ!」
リアはしばらくの間笑っていた。
その間、僕は推しの笑い声が存分に聞けて嬉しいのが半分、恥ずかしいからいい加減笑うのやめてくれないかと思うのが半分で、とても複雑な心境だった。
「笑いすぎ」
「だって、おかしいんだもん」
「そんなに笑われると、ちょっと傷つく」
「なんで?」
「なんでって……」
「私、その考え方、好きだよ?」
は?
「陸人くんの、単純だけど、その通りだよなって思えるような考え方、好きだよ」
え?
お気に召したなら何よりですけど、だったらどうしてそんなに笑うんですか?
僕、わかりません……。
「そうだよね、生きてるんだもん。生きてちゃダメって、理不尽すぎるよね。私、考えすぎてたみたい。おかしっ!」
どうやら単純な僕の考えに加えて、自分が悩みすぎてたこともおかしかったようだ。
笑いは落ち着いたらしく、少し息を整えてから、リアは口を開く。
「わかんなくなっちゃったんだよね。私、生きてるのかなって。なんで
「同じ立場だったら、僕も迷うと思う」
だって、世界にひとりなのだ。
同じ人がいなくて、自分がやらなければいけないこともわからない。
見失って、当然だ。
「でも、いいんだよね。好きに生きて」
「いいに決まってる。最高じゃん、やりたいことに文句言ってくるひといないなんて」
「あはは。それもそうだね!」
リアの中で何かが吹っ切れたみたいで、浮かべる笑顔がますます素敵になった。
おいおい、これ以上最高になってどうするんだ。
「ねえ、聞いてもいい?」
「ん?」
「リアのしたいことって、何?」
「勿論、決まってるでしょ!」
答えはわかっていたけれど、リアの口から聞きたかった。
「私が生きているってことを知ってもらえて、誰かと話ができる、配信をこれからも続けたい」
そう言ってもらえるのは、ファンとしてとても嬉しい。
「ありがとう」
「なんで陸人くんがお礼を言うの? こちらこそだよ」
変なのとそうこぼしてから、
「ありがとう」
僕の推しは僕に向かって笑ってくれた。
*
「みんな、おっはよう~! 電子世界を生きる正真正銘ヴァーチャル美少女、リアが本日も楽しくお届けしちゃうよ!」
次の日、リアは何事もなかったかのように、朝の配信を始めた。
「昨日は何も言わずに休んでごめんね! 次からは休むときは休むって言うね」
申し訳なさそうに言う彼女に対し、「元気そうでよかった!」「たまには休みたいよね~」「連絡してくれるの助かる!」とコメントが次々と流れる。
きっかけや理由はなんであれ、配信を見ている多くの人はリアのことが好きだ。
言葉にすると大袈裟に聞こえるかもしれないけど、リアに生きていてほしいのだ。
幸せに、楽しく、生きていてほしい。
耳元からリアの声が聞こえる。
スマホの画面ではリアが楽しそうに笑っている。
「頑張れ」
僕たちのいる世界じゃない、電子世界で生きているリアへ。
今日もエールを送る。
そして僕も、エールをもらう。
そうやって、日々は過ぎていき、僕らは生きていく。
電子世界を生きている君へ 聖願心理 @sinri4949
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