電子世界を生きている君へ

聖願心理

正真正銘のヴァーチャルな少女

「みんな、おっはよう~! 電子世界を生きる正真正銘ヴァーチャル美少女、リアが本日も楽しくお届けしちゃうよ!」


 両耳につけた無線のイヤホンから、聞きなれた声が聞こえてくる。

 少し色あせた無難なケースにいれたスマホの画面で動くのは、ふたつのお団子が目立つアニメのキャラクターみたいな少女だ。


 彼女はVtuberのリア。

 僕の推し。

 ころころ変わる表情と可愛らしい声といつも楽しそうにしている姿が、心に残り、いつしか完全に囚われてしまった。


「みんなは学校とか会社とかに向かってるのかな? 今日もファイト!」


 彼女の配信は、朝昼晩の3回。

 雑談配信がメインで、ゲームはあまりしない。


 リアの問いかけにコメント欄が、「そうだよ」「通勤中」「今、電車の中~」などと肯定のコメントで埋まる。

 僕も「そうだよ」と同じようなコメントを打つ。


「みんな朝から大変だね。そう言えば、満員電車ってどんな感じなの? 私、ヴァーチャルな存在だから、乗ったことないんだよね」


 興味津々でリアは聞いてくるけれど、説明するほどいいものじゃない。

 満員電車とまでは言えないが、席が埋まっていて座れない電車に、朝から乗っているだけでも疲れるのだ。人がぎゅうぎゅうに詰まった満員電車なんて想像もしたくない。


 それは誰もが思うもので、「いいものじゃないよ」「興味津々で聞いてくることじゃない」「乗らなくていいなら乗りたくない」などと言ったコメントが流れていく。

 だよなぁと共感していると、流れていくコメントの中に、「本当は乗ったことあるんじゃないの」というものが目に入った。

 遅くはないコメントの流れの中で、どうしてこういった見たくないコメントに限って見えてしまうのだろう。


 こういった発言を見えるところでするのはあまりよくないことで、控えるのが暗黙の了解だ。

 わざわざ言うほどのことでもないし、楽しんでいることに水を差す意味もない。


 ただ、リアに限っては、こういう発言が多い。

 それは彼女の存在に理由がある。


 ――――Vtuber・リアは、本当に“ヴァーチャル”なのではないか。


 そう考えている人もいるからだ。

 彼女はすぎた。多くの人の興味を引くほどに。


 まるで、本当に電子世界を生きているようだった。

 ラグや稼働範囲の制限がなく本当の体のように不自由なく動くアニメ調の体、編集のできる動画ではなくリアルタイムの生放送で、コメントと会話をしながら雑談をこなす実在性。


 僕らとは違う世界で生きていて、僕らの世界には存在しないのかもしれない。


 そう錯覚するのは仕方がないことかもしれない。

 僕だって、そう感じる瞬間があるし、そうであってほしいとどこかでは思っている。


 故に多くの人を引き付けているが、僕にはその意味がわかるような、わからないような、複雑な思いも持っている。

 リアを知るきっかけは、確かに「本物のヴァーチャルかもしれないVtuberがいる」といったことだったけれど、ここまで彼女のことが好きになったのは、彼女自身に魅力を感じたからだ。


 楽しそうに話す彼女が。

 頑張れとエールを送ってくれる彼女が。

 失敗して照れくさそうに笑う彼女が。


 とても、素敵だったから。


「ヴァーチャルかヴァーチャルじゃないかなんて、どっちでもいいじゃないか」


 誰にも聞こえないような小声でつぶやいて、僕は電車を降りた。







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