妖かしライブハウスは武蔵野にあり
高峠美那
第一話
歌が…、聞こえる。
ただ優しくて…、穏やかな歌声。
あぁ…暖かい。
麦の穂をゆらす風が、
さあ、武蔵野の木々達よ…。川よ…、大地よ。目を覚まして、共に歌おう。
* * *
「申し訳ございません。本日は貸切でございます」
朝から繰り返している台詞にうんざりしていたが、そんな事など、萩原が表に出すわけがない。
トン、トン、ピィーヒュルル…。
ちょうど表通りを山車がゆっくりと通っていた。
神社の祭り『むさしのばやし』の山車。大太鼓と小太鼓の調子の良いリズムに、高い音を鳴らす
澄んだ笛の音は祭り気分を盛り上げ、お面をつけた陽気な踊りは楽しさを誘っている。
「あぁ。今日は『おとりさま』でしたね? 観光でございますか?」
萩原が女達に尋ねた。心が踊る賑やかな音色に、自然と笑みが浮かぶ。
女達が夢心地で見つめるので、萩原は微笑を深くして返事を待った。
…祭りは良いものです。わたしとて、稲荷の祭りしか楽しめないなどと、無粋な事は言いませんよ。
女達は互いの肘を突いていたが、クイっと挑むよう見上げた。
「あの! 今日ここで『
はぁ。やっぱり…。
萩原は首を振った。
「いいえ。そのような噂が、流れているようですが…。ネット情報というのは嘘も多く困ったものです。うちは見ての通り、ライブハウスと言っても、食事とアルコールの提供が主の小さなライブカフェでして」
萩原が朝から対応している客の目当て、『
彼等のビデオは、武蔵野を背景に撮られている物が多く、ファンにとって武蔵野は聖地なのだそうだ。
プライベートは一切公開しておらず年齢も不明。
そして一番の特長は…、見事なモフモフの狐の尻尾を付けて歌う姿。尻尾の色は茶色や黄色。橙、白など皆違うのだが、ボーカルの尻尾は銀色。
風がなびけば柔らかく揺れ、月の下で歌えば光に反射して美しく煌めき、水を浴びれば銀の雫が武蔵野の大地に降り注ぐ。
そんな彼らが老舗のライブハウスで歌うと噂されればこの騒ぎは仕方がない。
確かに、うちは歴史だけは、ありますがね…。
「この人格好いいしぃ、もう、ここでご飯食べようよ」と、小声で言い出した女達に、萩原はもう一度頭を下げた。店の扉を少し開け中の様子を見せる。
「申し上げにくいのですが…、今夜は、このような貸切でして…」
店内を興味津々で覗き込んでいた二人が、違和感に気づいた。
「あっ…。もしかして…そういう日なの?」
…そういう日。若干、頬を赤らめた女達に、萩原は美貌を崩して微笑んだ。
「お察し頂き、ありがとうございます」
「えーと、むしろ興味あるかも…」
「お客様のような素敵な女性にご来店頂けるのはありがたいのですが、明日以後の通常営業時間にご来店下さいますと…」
「遅くなってすまない」
長身の男が萩原の営業モードに水をさした。長い手足に、彫りの深い顔。黒髪を後ろになでつけ、鋭い目を気にしてなのか、細いフレームのメガネをかけていた。
萩原とはタイプは違えど、風格あるかなりの美形。
「これは
萩原は鷹人と呼んだ男にも、愛想よく笑顔を向けた。
「奥で…、お待ちでございますよ」
やっと来たか…、との内心はここでも見せず、にこやかな笑顔を貼り付けたまま鷹人を招く。
ピアノの弾き語りがゆったりと流れる店内はテーブル席と、カウンター席、共に八割方が埋まっている。
扉が大きく開いたことで外の喧騒が店内に入ったのだろう。客の視線が一斉に出入口に向けられた。
きっちりとタキシードを着込んだ男がピアノを奏でている。
テーブル席では若いウェイターからグラスを受け取り、親しげに顔を近づけて会話を交わす男達。
カウンターには蝶ネクタイがよく似合うバーテンダー。
そう、店にいるのが全て男。それもモデルか、芸能人のような顔ぶれが揃っている。
そんな中、一際目立つ青年がカウンター席に座っていた。
癖のある白銀の髪に、星を集めたかのような金色の瞳。
「鷹人!」
青年が椅子を蹴るように、鷹人の胸にとびこんだ。
「…っ! おい」
一瞬、驚いたように硬直した鷹人に、銀髪の青年は有無を言わせず、鷹人の唇を塞ぐ。
濃厚な熱いキスは店内の温度を一気に上昇させた。
待ち焦がれた愛おしい男…とばかりに、青年の腕が鷹人の首に絡まる。
「ふ―――ん…」
青年の鼻から漏れた息が店内に響いた。長いまつ毛を震わせながら、幾度も角度をかえては、キスを繰り返す青年に煽られ、宙に浮いていた鷹人の腕が、青年の腰をグイと引く。
少しでも離れる事など許さない…と、隙間なく密着させた身体に、余裕をなくした鷹人は、爪痕が残る程強く抱きしめている事に気づかない。
そんな鷹人に、青年はふわりと金の瞳を覗かせると可笑しそうに目尻を下げた。男の独占欲を誘うようしなだれる。
動物を思わせるしなやかな身体。背も高く女性的では決してない青年の全体重を、鷹人は軽々と支える。熱くなる身体に、自らも
どちらが、より相手を欲しがっているのだろうか…。
…いつの間にかピアノの音色が止まり、静まりかえっていた店内に、ぴちゃり…と、濡れた音だけが響く。
唇を離した青年は、満足気に口角を上げていた。
はっ…と、鷹人達の情熱的なキスに魅入らされていた店内が、息を吹き返したようにざわつく。
「ま、また来ますっ」
萩原でさえ存在を忘れていた女達が足早に消えて行く。軽く頭を下げた萩原は扉を締めると内側から鍵をかけた。
バタン。…カチ。
「で? 今の茶番劇はなんです?
萩原はカウンターに座った彼等に、武蔵野産の生のホップを使用した地ビールを提供すると、銀髪の青年へ問う。
最初に仕掛けたのがこの男なのだから、詰問は許されますよね?
伏見は出された地ビールを、鷹人の持つ瓶に軽く当て『チン!』と鳴らしてから口をつけた。
喉が潤うと、これ見よがしに赤い舌を見せて、ゆっくりと瓶を離す。
「いや、朝から萩原、大変そうだなって、思って」
「…だれのせいですか?」
「うーん。まあ、俺? でも今日ここで歌う事は仲間内は知ってた訳だし」
「では、身内がばらしたと?」
「いや、それはないだろう?」
「…そうですね」
「だから…まあ、普通のお客サマには、とっとと、帰ってほしいんじゃないかなー、てな?」
「…なるほど。目の前で見せた
「そうだけど? あれ? おまえにキスすればよかったか?」
ニヤリと笑った伏見が目を細める。金の瞳は、明かりを落としたカウンター席ではクリスタルのように煌めいていた。
「…ええ。次はお願いしますよ」
萩原は、あえてにっこり笑い返す。
まったく…、この程度の偽りは、日常ですから…。
「おい、まて! 俺以外の男にキスしたら、萩原相手でも喉に爪を刺すぞ…」
格好悪く嫉妬する鷹人の
「ふふ…。物騒だな。どうした? 鷹人?」
「…なあ。おまえ達、
「…さあ?」
頬に触れられていた伏見の手を、鷹人は強引に掴んで、彼の身体を膝にのせた。
「大事にする…」
鷹人の光る黒い瞳が、伏見を捕らえて逃さない。
「ふーん」
ふわり…と、伏見は柔らかく笑うだけ。
…まったく。妖孤の
やれやれ…と、萩原は肩を落とす。
「さあ、伏見様。皆様がお待ちかねですよ」
狐の耳と、銀色の尾を出した伏見は滑るように鷹人の膝から降りる。
尻尾だけは、男の温もりを求めるよう太ももを、ふわっ…と、撫で上げた。
「今夜は、新曲のお披露目なんだ」
座ったままの鷹人に彼の顔が近づくと、耳に愛撫するよう柔らかな感触が押し当てられた。
ゾクリ…と、熱を持った鷹人の身体が震える。
そんな反応も愉しむよう、甘い声が耳元で囁やく。
「今夜は、あんたを感じながら歌うから…」
ムーンフォックスの正体は、正真正銘、妖孤のバンド。
人気のダンスミュージックも良いが、やはりなんと言ってもボーカル伏見の美声を聞かせたバラードは、甘く吐息のように耳に響き女達から絶大な人気を誇っていた。
あぁ、でも、この歌声は…、妖かしの言葉も含まないのに、この地の風景がこぼれてくる。
春は至る所で桜が咲き乱れ、夏は澄んだ川の水で水浴びをする。秋は麦の穂の金の絨毯で駆け回り、冬は雪解けを暖かくして待つ…。
懐かしい。
さあ、今は彼の歌声に耳を傾け、優しく…甘い夢を見ようか…。
「あっ。伏見様。ライブはこのまま生配信しますので、耳はしまって、髪と目は黒に化けて下さいね」
おわり
妖かしライブハウスは武蔵野にあり 高峠美那 @98seimei
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