Epilogue
長い
錆びた昇降機が、
どれくらい歩いただろう。静かだった。地下水の
「タカナミ、あそこに、何かある……」
イソラが、ふと足を止めた。螺旋階段の上方、大きく走った亀裂の縁に、それはあった。
ハイドの心臓を掲げ、照らしてみる。青白い光に、あえかな色彩が浮かび上がる。
艶やかな薄紅と、鮮やかな緑。イソラの手に包めるくらいの、小さく、可憐な。
「……花、か……?」
タカナミが茫然と呟く。イソラは、きょとんと首を傾げる。
「はな……?」
「いや、俺も、聞き
そういうものがあるのだという、単語だけなら、知っていた。だが、実物を見たことはなかった。花なんて、公社の人間でも滅多に目にすることはできない。薬どころか食用にもならない鑑賞用の植物など、公社の管理する野菜工場の特別区画で、ごく一部の富裕層向けに栽培されるのみだ。間違っても、こんな場所に咲いているはずがない。
「……風……?」
ふわりと、頬に暖かい空気の流れを感じた。思わず頬に手を
よく見ると、花も、僅かに、揺れている。
「どうして……ここは、もうずっと昔に給電が停止されて……送風機なんて、動いていないのに」
ふたり、食い入るように、上を見つめる。
「地上が……近いのか……」
行こう。タカナミがイソラの手を取った。頷いて、イソラもその手を握り返した。
光はまだ見えなかった。行く先は闇に覆われたままだった。それでも、イソラは想像する。その蓋の向こうに広がる空を、タカナミが教えてくれた空を、想像する。
地上に辿り着いたとき、空は、どんな色をしているだろう。刻々と表情を変えるという空は、どんな面持ちで、自分たちを迎えるだろう。
たとえ、毒に汚染された、死の大地でも。
ハイドが
あるいは、清浄化された、無人の原野でも。
結び合ったタカナミの手に、そっと力を込めて、イソラは、空の色を想像する。
タカナミの瞳の色だったら良いなと思う。どこまでも透き通った、青。それを、自分の瞳いっぱいに、映せたなら……きっと、私は、微笑むだろう。微笑むことが、できるだろう。タカナミに宛てて。きっと。やっと。この心の、全てを使って。
私の名前は、
それは、空を
ここで生きている、心の名前だ。
匣ノ街 ソラノリル @frosty_wing
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