第9話 輪廻
昭太郎は、妻を二人とも失ってしまった。
美代子の四十九日が明け、居間のソファーで放心状態で座っていた昭太郎の横に、息子、松吉が座った。
そして、こう言った。
「父さん、あの薬、俺にくれないか?」
「……? 何の薬だ?」
「ボクの母さんを殺した、あの薬だよ」
昭太郎は急にソファーから立ち上がると、松吉の顔をまじまじと見た。
「何のことだ? 母さんは、ホームから落ちて死んだんだ。事故死だ。薬は関係ない……」
松吉は、にやりと笑うと、父の正面に立ち、目を見据えてこう言った。
「鈴音の父さんが副部長なのはどうして?」
「そ、それは……仕事ができるからだ。だから、俺が副部長に推薦したんだ……」
「ふ~ん、そんなに仕事、できる人だったかな?」
松吉は父に背中を向けると、暖炉の上に置いてある葉巻を口にくわえ、マッチで火をつけた。
煙を吐きながら、松吉は言った。
「あの薬を持ち出したことを口止めするために、副部長にしてあげたんでしょ?」
昭太郎は観念した。
副部長は、娘の婿となった松吉に全てを話してしまっていたのだ。
「まあいいよ、ボクは鈴音と結婚出来て、それなりに幸せだった。鈴音のお腹にはボクの子がいる。ボクのようなボンクラでもパパになれそうだし、出世ルートにも乗れそうだし、父さん、さまさまだよ」
松吉は再びソファーに座り、重厚なガラスの灰皿に葉巻の灰を落とした。
昭太郎は言葉を失い、息子が言うことを血の気の引いた顔で聞いていた。
「母さんは、父さんが浮気していることを知っていた。あの日、母さんは浮気相手に会って問い詰めるつもりだったんだ。父さんは、そのことを分かっていたんでしょ?」
何も知らないと思っていた息子は、すべてを知っていた。
「父さんは、母さんの食事に薬を混ぜた。睡眠薬だね」
図星だった。
「普通の薬ではない。幻覚が見えたり、夢遊病のように立ち歩いたりする副作用がある薬だ。母さんは、それで駅で眠ってしまい、夢遊病のように立ち歩いてホームから落ちたんだ。父さんは、母さんを殺したんだ! 幼馴染と結婚するために!」
「ちがう! そんなつもりはなかった」
昭太郎は諦観し、息子にすべてを明かした。
「確かにあの日、母さんが美代子に会いに行くだろうことは見当がついていた。薬を飲んで寝坊すれば、汽車には乗らないだろう、そう思っていただけだ。まさか、ホームから落ちるなんて……」
「今となっては、なんとでも言えるよね、父さん。でもね、ボクは父さんを『ユルサナイ』なんて思ってはいないよ。だってね、亜寿未に出会わせてくれたんだから」
「亜寿未は、お前の姉だろ! 変な気を起こすな!」
「父さんがしたことは黙っていてあげる。だからね、あの薬、ボクにもくれないかな?」
「……お前、まさか……」
「さすがはボクの父さん、察しが早いね。ボクはやっぱり父さんの子だ。ねぇ、父さん……」
昭太郎は、運命を呪った。
しかし、その種はすべて自分が蒔いたものであった。
「それでね、父さん。亜寿未も俺の子を宿しているんだ」
昭太郎は息を呑んだ。
自分の犯した罪を、今、息子がそっくりなぞろうとしている。
「ボク、鈴音を殺して、亜寿未と一緒になるよ」
< 終 >
心変わりの代償 神楽堂 @haiho_
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