家刀自と愛人の仁義

大姑(姑の母)は士族の娘だったそうだ。

現在の新潟県長岡市の一部、与板という小藩の武士だったらしい。

大姑『おのり様』は明治の生まれだから覚えていないと思うが、戊辰戦争では周囲が幕府勢力支持だった中、井伊家が代々藩主を務めて来た与板藩は、新政府軍方として孤立し、庄内、会津、上山という、奥羽越列藩同盟軍と戦う事になった。


その家に、上杉藩所領の末席に連なる長井の住民が嫁に来たのである。

まことにあいすみません。


だが、学生時代から「この子が〇〇ちゃんのお嫁さんになる」と予感していたという(部屋でジャンプやヤンサンを読んでいた田舎娘に、なぜ?) 大姑は、私をたいそう可愛がってくれた。

かつて「鬼姑」として息子たちのお嫁さんたちにたいそう厳しく当たったという『おのりさま』は、孫と孫嫁には機嫌よく接する、すっかり丸い『大婆ちゃん』になっていた。


とはいえ、気丈な『武家の娘』の片鱗は時々のぞく。

『おのりさま』が話して聞かせてくれる戦前の暮らしの話は大層面白く、また思い出すたびに貴重なものだと思う。


例えば、テレビのドラマを見ながら、浮気をしている旦那をめぐる正妻と愛人の修羅のやり取りのシーンなど。

妻の余裕を取り繕う態度に、肉体関係をほのめかし「女として勝っている」と示して威圧する、だが不安定な立場の愛人。

夜のご飯の後、お茶とミカンでくつろぎながら姑と大姑と、孫嫁の私が見ていると、大姑が「盗人猛々しいね」と吐きすてる。

姑はドラマに集中しているように見えるが、実は数年前に浮気が発覚した舅を思い出しているようだ。

そして新婚の私はというと、ほげーっと眺めながらも、塩せんべいも食べたいなとか思っていた。(デブるぞ)


大姑曰く

「昔はね、愛人なんて言わないよ。妾、めかけって言ったのよ。

奥様に相対するなんてありえないよ。

家に来るのなんて1年に一回、お目通りかなったらお伺いさせていただくってなもんよ。御用聞きと同格よ」


過激である。

聴けば与板藩士で明治になって上京し、商売で成功した父親(大姑の父親だから完全に江戸末期の人だよね) は当時の成功者の例に違わず幾多の愛人(と言わせてもらう)を持っていたそうである。

中には子をもうけた人もいて、その名を聴けばだれでも知っている某老舗に養子に出したりしたそうである。(おかげで大姑存命中はその商品が盆暮れに届いていた)


愛人たちは別の家に住み、商売上手な人には店を持たせ、小料理屋や料亭を営ませた。

仕事上の会合や接待を愛人の店で行なう事は合理的で、情報漏えいも防ぐことが出来る点から、当時ポピュラーだったと聞いた。


正妻と愛人たちの地位は、その愛人の家柄にもよるが、歴然とした差があったそうだ。

その時代を書いた小説にもその境遇の差は出てくるが、家族からじかに聞くとインパクトがある。

それも当然のようにさらりと、未完の筋を丁寧にとりながら。

孫嫁は耳ダンボ。目をキラキラさせて聞き入るばかりである。

もっと、もっと聞かせておのりさま。


「年に一回、暮れの大晦日に本家へのご挨拶が許されるのよ。でも、玄関なんか通らせないよ。勝手口。

しかも島田髷とか、奥さん方がする結髪なんかしない。身分が違うからね。降ろして先っちょを紙か紐で結んだまま。奥さんめいた格好なんてしないよ。

裸足に下駄をはいて、勝手口から入って、屋敷の中になんか入れないよ。たたきに正座して、家中から眺める奥様にご挨拶するのよ。

手土産は女中が受け取って、玄関に置いたまま。

ご主人さまが帰ったら、事を報告し、土産は使用人たちに与えるのさ」


現代人はどんびいてしまう厳しさである。

でも当時は社会一般そういう仕様だったのだなあ。


おのりさまが「今は10代でパパ活とかやる子もいるのよ」と耳にしたらどう思うだろうか。

やはり3尺差しで打ち据えられてしまいそうである。幼い日の旦那が叱られたように。


おのりさまのお話、けっこう面白いものがあるので少し続けてみようかな。

「銀ブラしていたら某作家と愛人のイチャイチャを見てむかついた話」とか。







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日日在片 南 伽耶子 @toronamasan

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