夜明けのマーメイド
大隅 スミヲ
夜明けのマーメイド
その友人から佐智子に連絡があったのは、久しぶりのことだった。
山田美子。高校時代の同級生。彼女が4年ぶりに東京へ来ると連絡してきたのだ。美子は、仕事の都合で石川県に住んでいた。
待ち合わせ場所である東京駅につくと、すでに彼女の姿はあった。
「ごめーん、美子。待った?」
「久しぶりだね」
他愛もない会話を交わしながら、佐智子は予約した店へと美子を案内した。
食事を取りながら話していると、いまでも高校生なのではないかと錯覚してしまう。当時のことを昨日あった出来事のように話し、笑った。
「ねえ、佐智子。ひとつお願いがあるんだけど聞いてもらってもいいかな」
デザートで出てきたアイスを食べている時、美子が急に言い出した。
「なによ、急に改まってさ」
佐智子はちょっとだけ警戒をした。なにをお願いされるというのだろうか。
「わたし、新宿で行きたいお店があるんだよね」
「え?」
拍子抜けだった。なにをお願いされるのかと緊張していた自分が馬鹿だった。佐智子はそう思いながら、美子の話を聞いた。
「いいよ。新宿なんて庭みたいなものだから」
「本当。よかった。行ってみたいのは、ここのお店なんだけれども」
そういって美子がスマートフォンの画面を佐智子に見せる。
『そこは都会のオアシス。疲れ切った現代人に癒しを与える異空間』
そんな見出しの書かれた記事だった。
記事を読み、佐智子は美子の行きたい店がどんな店なのか理解した。
「なるほど。この佐智子さんにお任せあれ」
「さすがは佐智子。新宿で働いているって聞いたから、お願いしてみようとずっと思っていたのよ」
美子は佐智子の手を取り、握手をしながら手をぶんぶんと振ってみせた。
東京駅から新宿まではタクシーで移動した。
「東京ってすごいわ」
「え、石川もすごいでしょ、金沢とか」
「こんなにすごくないよ。レベルが違う」
美子はスマートフォンのカメラで街の夜景を撮っていた。
「あった、ここだ」
美子が指さした先には、ウォーターブルーのネオンが輝く看板が掲げられていた。
『マーメイド』
その店の名前だった。店舗は地下にあるようで薄暗い階段を降りていく。
扉を開けると、酒と化粧が混じりあった独特な匂いが鼻に飛び込んできた。
「いらっしゃいませー」
入口の扉が開いたことに気がついた店の人間が声をかけてくる。
目鼻立ちがはっきりとした、驚くほどの美人だった。
「おふたりですか? 好きな席にどうぞ」
そう言われて、佐智子たちはカウンターの席に腰をおろした。
店内には、佐智子たち以外に何組かの客がいた。比較的女性客が多いが、男性の客も数人いる。
ふたりはグラスワインを注文して、乾杯をした。
「え、そうなの。ふたりは同級生なの。もしかして、戌年。あれ、
だいぶアルコールも進み、カウンターの内側に立つ美人ことレイちゃんとも打ち解け、会話が盛り上がっていた。
そんな時だった。佐智子たちの盛り上がりに水を差すかのように、怒鳴り声が聞こえてきた。
「てめえナメてんじゃねえぞ」
ひとりの男性客が店の従業員を怒鳴りつけ、胸ぐらを掴み上げている。
胸ぐらを掴まれているのは、二十歳ぐらいの若い子で、顔には怯えが走っていた。
「誰が
「で、でも、触られたことは事実ですし」
胸ぐらを掴まれている若い子も引かずに言い返している。
これはマズいかもしれない。佐智子が席を立ち上がろうとした瞬間、カウンターの内側からレイちゃんが飛び出していた。
「
レイちゃんは佐智子も驚く速さで、若い子の胸ぐらを掴んでいた男性客に詰め寄ると、頭突きをするかのように男性客の額に自分の額をつけるようにして、にらみを利かせた。
それに怖気づいた男性客は、若い子から手を離すと、後ずさりしていく。
カウンターの内側では美人なお姉さんといった感じだったレイちゃんは、男の姿に戻っていた。
そう、ここは新宿二丁目。『マーメイド』は俗にいうところのゲイバーだった。レイちゃんは女装趣味のあるゲイであり、見た目は美人なお姉さんそのものだったが、怒った時の姿は男性が尻込みするほどの
「大変失礼しました」
暴れた客を店外に案内して戻ってきたレイちゃんは、キレイなお姉さんに戻っていた。
「手は出していませんよ、刑事さん」
レイちゃんはにっこりと笑って佐智子にいう。
佐智子はレイちゃんに刑事だということを話したつもりはなかった。
しかし、この界隈で働いていれば佐智子の顔ぐらいは知っているのだろう。新宿中央署の女刑事。佐智子はそれなりに管轄内では有名人なのだ。
「ああ、余計な仕事をしていたから、夜が明けちゃうわ」
レイちゃんはそう言ってアゴのあたりに手のひらを持って行った。
ジョリジョリといった音が聞こえる。
「夜明けのマーメイドの顔は、あまり見ちゃだめよ」
レイちゃんの言葉に、佐智子と美子は大笑いをした。
夜明けのマーメイド 大隅 スミヲ @smee
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