2023年1月26日、京都に大雪が降った。
「たいへん椿くん! 京都にすごい雪が積もってる!」
朝起きてまず向日葵がそう言った。布団の中でツイッターを見ているらしい。向日葵は寝起きにインスタとツイッターの通知を見るのが習慣で、今日もスマホを握ってもぞもぞしながらSNSを巡回しているらしかった。
向日葵がツイッターでフォローしているのは主に中学、高校、大学の友人たちだ。そして大学時代に知り合って関西に就職した人々が関西のローカルニュースを流しているのだそうである。
今日も向日葵はツイッターで京都情報を入手している。去年も同じようなことがあったような気がする。京都の雪は文字どおり冬の風物詩なのだ。
彼女は「見て」と言いながら椿に自分のスマホを持たせた。椿は眉間にしわを寄せた。
「この世の地獄やん」
四条通の路面が真っ白になっている写真が目に入った。こうなってしまっては何もかも終わりだ。
京都は雪に強い街ではない。確かに毎年降ってはいるが、積もるのは基本的に山だけだ。街中がこんなに白くなると交通事情が途端に悪くなる。まずJRが止まる。阪急も止まる。市バスは一時間以上遅れる。タクシーは来ない。雪道を走るのは嵐電ばかりだ。
雪など降ってもいいことはない。何が冬はつとめてか。香炉峰の雪は他人事だから美しいのだ。
しかし静岡県民は地元で雪が積もるのを見たことがないのだと言う。ローカルニュースの天気予報に現れる雪だるまに大喜びだ。
今日は十年に一度の大寒波らしい。向日葵は布団に入った時明日は寝て起きたら雪かもしれないと期待していた。祖母の花代は十年に一度もの高頻度で降るものかと言っていたが、はたして積もっただろうか。
向日葵がカーテンを開けた。薄いガラス窓越しに冷気を感じた。
「ああ」
落胆した声だった。
「雪……ない……」
安堵した椿はほっと胸を撫で下ろしながら「残念やったなあ」と言った。
「何が十年に一度の大寒波だ。雪が降らない寒波なんて寒いだけじゃー。つまんにゃあー」
「そんなもんやろ」
布団の中でツイッターの画面をスクロールする。ものの見事に雪の話題一色だ。降っていないのは静岡だけではないかと思うほどの雪模様だ。
雪の金閣寺にカメラを持った人々が殺到している、という情報が入ってきた。あるある、と思いながらツイートを見つめる。
なつかしい。椿も雪が降った日に向日葵がどうしても行きたいと言うので金閣寺に連れていったことがある。京都に住んでいると用事がないので、小学校の遠足以来の金閣寺だった。
あの時の金閣寺は金色の壁に白い雪が映えていた。あまりきらびやかすぎるのも品がないと思っていたが、雪をのせたジャパニーズゴールデンテンプルに喜んでいる外国人観光客を見ると、そうやろ、と言いたくなる。椿は近所に住んでいながら銀閣寺も自主的に行ったことはないから、比較のしようがない。
なつかしい記憶だ。
冬の金閣寺、春の平野神社、夏の大徳寺、秋の北野天満宮――向日葵とめぐった京都のすみっこは美しいものばかりだった。世界はこんなにも綺麗なのかと目が覚める思いだった。口では日本が世界に誇れる麗しの古都だと言いながら内心では地方都市に転落した滅びに向かっている都だと思っていたのだ。
文学部の棟の裏にはイチョウが植えられていて、秋は潰れた銀杏がにおった。それを向日葵が、踏んじゃった、臭い、臭いと笑いながら歩くのを見ているのが好きだった。入学した当初はひなびた大学に通わねばならないと思っていたので苦痛だったが、結局あの四年間が人生で一番充実した時間になった。
その四年間の思い出だけが自分を現世につなぎ止めているのだと思って生きてきたけれど。
冬の狩野川、春の興国寺城、夏の大瀬崎、秋の香貫山――向日葵とめぐる沼津の景色も美しい。
向日葵が大きく伸びをした。
「今日も一日がんばるかあ」
椿は「うん」と頷いた。
太平洋は今日も晴れ Season2 ~君と過ごす僕の2年目~ 日崎アユム/丹羽夏子 @shahexorshid
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