エピローグ

 あの屋敷の事件から半年が経った。

 

 私は制服を着て、短くした髪の毛を整え、お守りの髪留めを鞄に付けた。

 

 あれから、私の罪悪感が見せていたお母さんの幻も、お母さんの幽霊も、一度も姿を見る事はなかった。

 

 お父さんは仕事が忙しくて、今朝は早くに着替えを取りに来て、二言三言会話をするとまた慌ただしく出て行った。

 

 寂しくないわけじゃない。でも、私はお母さんと約束したように、幸せになれるよう毎日を精一杯生きている。それが、私を支え続けてくれたお父さんへの恩返しになるとも思っているから。

 

 学校に着くと、春生君が難しい顔をして携帯とにらめっこしていた。

 

「おはよう。何見てるの?」

 

「あっ」

 

 ふざけて画面を覗き込むと、春生君は焦ったように携帯を伏せた。ちょっとだけ見えた画面は、あの屋敷で起きた事件の記事が並んでいた。あいつの裁判についてとか、あいつの母親が自分の夫の暴力を告発した事とか。

 

「……えっと、ごめん。最近ようやく愛希さんへの詮索が落ち着いたようで、よかったと思って……」

 

「本当だよ~。どこにいても付け回してくるんだもん」

 

 あの事件の後、私を取り巻く環境は大きく変わった。マスコミの追求とか、私が退学処分になるかどうかとか、色々なことが一気に押し寄せてきて大変だったけど、今はようやく落ち着いている。


 良かったことと言えば、私はまだ何とか高校に通えている事と、細井君とはファーストネームで呼び合える程度には仲良くなれたことだと思う。

 

「色々な事が起こりすぎて何度か折れかけたけど、春生君が友達でいてくれてよかった。けっこう、気持ち的にも救われてるところあるんだよ。……ねえ、前から聞こうと思ってたんだけど、あの時どうして私を助けてくれたの? あの時はそんなに仲がいい訳でもなかったのに」

 

 そう聞くと、春生君は照れくさそう笑った。


「別に。他にやることもなくて暇だったし。人から頼りにされる機会とか、あんまりなかったし………でもやっぱり、霊感を頼られるのは、悪い気がしなかったから、かな。今までの人生、霊感があるせいで挙動不審になって、キモイって言われることの方が多かったからさ」

 

「キモイなんて思わないよ! ヒーローみたいでかっこよかった!」

 

 思わずそう声が出てしまった。ハッとして春生君の顔を見ると、顔がみるみる赤くなっていく。なんだか私まで照れくさくなって、顔や耳が熱くなった。


「と、というか、あの時俺が夏歩さんの意図をちゃんと理解できればよかったんだよな~」

 

「でも、あのあと助けに来てくれたじゃん」

 

「あれは、半分爺ちゃんが助けてくれたようなもんだよ。そうじゃなきゃ、犠牲者の幽霊が自分に取り憑いてるかどうかも、わからなかったんだよ。……あ、でも最近は前より霊視の精度が上がったよ」

 

 春生君は、あの事件の後自分の霊感と向き合うことに決めたらしい。将来そういう仕事をするかどうかは分からないけど、ある程度の力は持っていたいんだと教えてくれた。

 

「そうそう、今週末、また花を供えに行けたらと思うんだけど。どうかな?」

 

「もちろん。……あの幽霊さん達、まだあの屋敷から離れられないの?」

 

「いや、家族の元に帰ったよ。でも……なんていうか、あんな事件知っちゃったらさ。あの人達に、もう何もしてあげられないっていうのが……なんか、寂しくて。花なんて贈った所で、なんの意味もないのかもしれないけど……」

 

「……でも、私もそうしたいよ」

 

 一度あの屋敷に囚われた身として、彼女たちの無念は計り知れないと思っている。

 

 春生君が寂しそうな顔をするのは、今回の件で、幽霊に対する気持ちが変わったからなんじゃないかと思う。あの幽霊は儀式の後、春生君を頼って取り憑いた。それが彼の考えをどう変えたのか、少なくとも、幽霊が見える彼にとって、誰にも気付かれず彷徨い続ける幽霊は、特別な意味のある存在になったんだろう。

 

 だから彼女たちの悲しみを、自分の事のように感じているのかもしれない。きっと春生君は、自分の中の感情に、決着を付けようと模索している最中なんだ。

 

「きっと、花を贈るのは全く無駄なことじゃないよ。私も一緒に、綺麗な花を探すから」

 

「そう言ってくれると、嬉しいよ」


 春生君はそう言って微笑んだ。

 

 何てことない日常が戻って来たのに、事件の傷はまだ色濃く残っている。


 私が花を贈るのは、あの犠牲者達への追悼の意を込めて。それから、私自身が辛くても前へ進み続けるために。


 突然降りかかる辛い出来事、それは中々乗り越えられるものじゃない。私はそれを乗り越えるために、数えきれない後悔をして、誰かに支えられ、その度に成長して未来へ進む。

 

 悲しみという試練が、繰り返し押し寄せる大きな波のように、未来に進もうとするたび、何度も何度も押し寄せようとも、私は前に進む事を諦めない。例え、それがすぐに乗り越えられるようなものでなくても、未来へ進む道は自分で閉ざさない限り開かれていると信じたいから。そしていつか、私自身も誰かを支えてあげられるように、強く生きていきたいから。

 

 ねえ、お母さん。私はこれから先、何度も苦難にぶち当たって、時には過去の後悔に髪を引かれて、何度も足を止めてしまうかもしれないけど。それでも、私はきっと歩き続けるよ。そして、自分自身が幸せだと感じられる生き方を、いつかきっと見つけるから。


 だから安心して見守っていてね。お母さん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

首のない母 木の傘 @nihatiroku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画

同じコレクションの次の小説