8話


「おーい! 誰かそこにいるのか?」

 

 門の外から声が聞こえた。気が付けば、サイレンの音がすぐ近くで響いている。

 

「その声は爺ちゃん! 早く助けてよ!」

 

「春生か! 待ってろ。今おまわりさんに開けてもらうからな」

 

 ほどなくして門が開けられ、制服を着た警察官たちが大勢なだれ込んできた。

 

「愛希!」

 

「お父さん!?」

 

 警察官の中には、お父さんの姿があった。青ざめた顔をして、私を見るなり強く抱きしめる。力が強すぎて少し痛いけど、生きてまたお父さんに合えたことが嬉しくて涙が溢れた。

 

「通報を聞いて心臓が止まるかと思った。無事か? 酷いことされてないか?

 

「大丈夫。みんなが助けてくれたから」

 

 そう答えると、お父さんはようやく力を緩めてくれた。

 

「何てことに巻き込まれてるんだ、全く……もし手遅れになったらと思うと、怖くてしょうがなかったんだぞ」

 

 涙混じりの声でそう言われると、酷い心配をさせてしまったんだと申し訳なくなった。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい、お父さん」

 

 あんな男に騙されて、たくさんの人に迷惑をかけて、お父さんをこんなに心配させてしまった。なんだか自分が情けなくなって、酷く悲しい気持ちでいっぱいだった。涙が止まらない。

 

「そうだ、彼にお礼を言わないと」

 

 お父さんは、細井君の方を向いた。

 

「彼の通報と状況報告がなければ、こうしてこの屋敷に乗り込むことは難しかっただろう」

 

 細井君の方を見ると、彼は気まずそうにポケットから携帯を取り出した。通話中と表示された画面、通話時間から考えると、彼がここにきてから今に至るまで、ずっと警察に状況が伝えられていたことを示していた。

 

「ごめん、言うタイミングが掴めなくて。爺ちゃんと相談して、こうするのが一番だってことになったんだ。あいつの犯行現場を抑えれば、確実だろうって」

 

 屋敷の中へ警官達が入っていった。あの地下で亡くなった人たちも、これでようやく自分の家に帰れるだろう。

 

 庭の真ん中で伸びている犯人を囲んだ警官達は、その状況の不可解さに首を傾げていた。

 

「死んでる? いや、気絶してるだけか」

 

「それにしても、二階のシャッターがどうやったらこいつの上に落ちるんだ?」

 

「結構な距離だよな?」

 

 シャッターを持ち上げ、あの男を引きずり出した警官達は不思議そうに2階の窓を眺めた。

 

「通報の電話、幽霊だとかなんとか言ってたけど、これもポルターガイストだったりしてな」

 

「犠牲者の霊に復讐されたとか?」

 

 冗談交じりに若い警官達はそういって笑った。ただ、目上の警官は何かに気付いたように、

 

「おい」

 

 と2人を窘めた。

 

 若い警官達は恐怖から思わず息を呑んだ。シャッターの周りを4人の幽霊が囲んでいたことにようやく気が付いたらしい。彼女たちは、男に手錠がかけられ、パトカーで連行される様をじっと見ていた。パトカーが見えなくなるまで見送って、フッと笑い、姿を消した。

 

 その光景に、私と細井君は自然と顔を見合わせた。

 

「もし河瀬さんがよければ、今度花を持ってこよう」

 

「それ、全く同じこと考えてたよ」

 

 それから、私と細井君は、警察の事情聴取を受けることになった。私とは違うパトカーに向かう細井君、その背中に、精一杯、

 

「助けてくれてありがとう!」

 

 と言葉を投げると、細井君は振り返って少し笑った。

 

 警察署についてから、私は、あの男との出会いと、あの屋敷であったこと全部を話した。お母さんの幽霊と、あの屋敷で亡くなった人たちの幽霊が助けてくれた事、細井君が助けに来てくれた事、とても信じられない内容だったと思うけど、全てを打ち明けた。


 刑事さんはメモをとりながら、


「普通は怒るところなのかもしれないけど、あれを見た後だからなぁ……」

 

 そう困ったように苦笑いした。

 

 私の証言が、あの男の罪を立証するのにどれだけ役立ったかはわからない。きっとお母さんの幽霊が助けてくれたなんて、誰も信じてくれないかもしれない。だけど、細井君がつないでいた電話と、あの屋敷に囚われていた犠牲者の遺体、使われた凶器は隠しようがない証拠になるはずだ。

 

 警察署を出ると、もう深夜になっていた。

 お父さんの運転する車に乗って、私たちは帰路についた。なんて話しかけていいか、わからなかった。ただ、申し訳なくて、情けなくて、俯いてしまっていた。お父さんは怖いくらい静かで、それが余計に私の不安を煽った。


 しばらくして、気まずい沈黙を破ったのはお父さんだった。

 

「夏歩さんが、愛希ちゃんを護ってくれたのか」

 

「うん……」

 

「話はできたか?」

 

「うん。お母さんが私に伝えたかったことも、私がお母さんに伝えたかったことも、全部話せた」

 

「そうか……」

 

 お父さんは、ため息とも、苦笑ともとれるため息を吐いた。

 

「あのね、私、お父さんにも恨まれているような気がしてた。ずっと、私のせいでお母さんが死んじゃったと思ってたから……」

 

「愛希ちゃん……」

 

 赤信号で停車する車。お父さんは、視線を私に向けた。

 

「でもね、今日やっと、お父さんが今まで私にかけてくれた言葉の意味がわかったよ。……一緒にいてくれてありがとう。たくさん心配してくれて、本当にありがとう。でも、もう大丈夫。私、お父さんの娘でよかったよ」

 

 お父さんは軽く笑って、私の頭をポンポンと軽く叩いた。

 

 信号が青に変わり、車は再び直進を始めた。目の前の横断歩道を横切ろうとしたとき、

 

「止まって!」

 

 突然の制止に驚き、父がブレーキをかける。

 

「青だぞ?」

 

 怪訝そうな顔をするお父さん。だけど、信号無視をしたトラックが、猛スピードで目の前を走り去っていくのを目の当たりにしたら、その顔は酷く驚いた表情に変わった。

 

「おいおいおい! 危うく大事故じゃないか! よく気付いたな」

 

「だって、向こうの信号は赤になったのに、猛スピードで走って来てたから。もしかして、赤信号に気付いてないのかもって……」

 

 お父さんは、少し思案するような顔をした。

 

「昔から愛希ちゃんは、周りを観察するのが得意だった。それなのに、お母さんの事故の日から、車に轢かれそうになったり、ベランダから落ちかけたり、どうしてそんな危険な目に合うのか、不思議でしょうがなかった。でも、今なんとなくわかった気がする。精神科の先生が、愛希ちゃんから目を放さない様に強く警告してた理由もな」


 そう言いながら、もう一度左右を確認して、お父さんは車を発進させた。


「…………次に何が起こるか予想して、わざと危険に首を突っ込んでいたんだな」


 お父さんにそう言われて、私は以前にも何回かお母さんの幽霊を見たことを思い出した。でも、それは本物のお母さんじゃなくて、私が罪悪感から生み出した幻だった。心の底で死ぬことを望んでいた私は、無意識にお母さんの幻を作り出して、お母さんと一緒の所へ行くことを夢見ていたんだろう。


「……でも――」


「ああ、でも、さっきので確信した。本当に、もう大丈夫なんだって」


 私はお父さんに心からの笑顔を向けた。

 

「うん、もう大丈夫。お母さんの分まで幸せに生きるって、約束したから」


 お父さんは、またフッと笑ってくれた。

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