第8話(抑え:菅部 享天楽)
広場に続々と来場客が集まり、イベントは盛り上がりを見せていた。それに合わせて各々のブースでも客の呼び込みは激しさを増していく。
菜都枝は持ち前の明るさとコミュニケーション能力を駆使して客に売り込んだ。初めは小麦を使ったパンが売れていたが、暫く経つと怒濤のように米粉ロールが売れた。普通のパンには出せないもっちりとした食感が客にウケたのである。あまりの売れっぷりに菜都枝は途中でブースを離れ、パンを焼きに行った。そして、嬉しかったのが、昨日来店してくれた親子が来てくれた事だった。
「パパ、美味しい」
「そうか、良かった。どんどん食べるんだぞ」
男性は男の子の頭を撫でた。
隣でブースを構えるザンギも負けていなかった。じゅわあっと鶏肉を揚げる音と醤油の香ばしい香りが客の食欲を掻き立てる。気になってブースを覗くと、そこには揚げたてのザンギがある。それと豚肉と共にアツアツのご飯へ盛り付けるのだ。これを見てザンギ丼に手を伸ばさない者がいないわけがない。気づけばザンギのブースには長蛇の列ができていた。
祝常はひたすら菜都枝のフォローしていた。注文を聞いたり、商品を渡したりお釣りを渡したりした。内心、不安があった祝常だが、白い目で見られるようなことはなかった。むしろ、一部の野球ファンからは人気があった。
「そ、その。僕のせいでご迷惑をおかけしてすみませんでした!!!」
美音と抱き合っていたホームレスと知ったザンギは祝常に頭を下げた。祝常は「気にすんなよ」と許してくれた。
「そろそろ時間だな」
祝常は広場にある時計台に目をやった。時刻は午後一時二十分を指していた。
同時刻、ステージ裏でみおんが出番を待っていた。
イベントの予定だとあと十分でみおんがステージへ登壇する。美音は深く深呼吸をした。
昨夜、ユーちゃんにこっぴどく怒られた。イベントを中止にする流れにもなったが、その後のことが色々と面倒だということになり、そのまま続行することになった。
『とにかく、明日は何事もなく終わらせること、わーった?』
目を腫らして泣いた後、ユーちゃんは優しくそう声をかけた。何が何でもイベントを無事に終える、そのことだけに集中する。
先程確認したSNSの情報によると、恋愛報道は誤報だとなっている。だから別に炎上することはない。しかし、緊張が解けない。もしかしたら、アンチがいるかもしれないと思うと足がすくんだ。自信家のみおんはどんなステージも緊張することなくこなしてきた。常に自分の持つ力を最大限に発揮してきた。そんな彼女が首筋に妙な汗をかき、足が震え動悸がする。
「儚音 みおんさーん。スタンバイお願いしまーす」
イベントスタッフに声をかけられ美音はびくっと肩を上げた。「はーい」とひきつった顔で返事をしてスタンバイをする。
一時半になった。司会の女性に名前を呼ばれる。みおんはステージに登壇する。
「みんな~、こんにちはぁ~。儚音 みおんです♪」
いつものように自己紹介をする。
パラパラと拍手が起こる。少し安心したものの、緊張は未だに解けなかった。暫くキョロキョロと辺りを見回した。すると、ひと際大きな拍手が左奥側で鳴り響いた。驚いてそちらの方を見る。そこには大きな拍手をする巨漢の男と
「お兄……ちゃん?」
美音はマイクから口を離して言った。祝常はただ美音を見つめていた。
美音は兄が見に来てくれたことが心底嬉しかった。それと同時に無様な姿は絶対に見せたくないと強く思った。
そう思うと美音は自信を取り戻した。明るく、元気に、堂々と。いつの間にか、いつもの自信家の彼女に戻っていた。いつもの調子でステージをこなす。各店の出品を代表と話をしながら紹介したり、試食したりした。
「わあ! もしかしてザンギですか?」
「そうそう、みおんちゃんが喜んでくれるように今日のために作ったんだ」
「え~ホントに!? すごく嬉しいです!!」
みおんの笑顔にザンギは完全に舞い上がっていた。そのまま空にでも飛んでしまいそうである。
「んん~! おーいしい! 外はカリッとしてて中はジューシー。鶏肉がとっても柔らかい。味付けが濃い目だからご飯と相性がバツグン! も~私幸せ!」
みおんは左手を頬に添えて味の感想を述べた。
「これ、米粉で作られてるんですか?」
「そうですね。米粉100%ですので小麦アレルギーの方でも食べられるんですよ」
「すごいですね! 米粉のパン、初めてなのでとても楽しみです」
みおんは米粉ロールを一口大にちぎって口に放る。
「美味しい。米粉ということだけあってお米の良い香りがします。 食感も外はサクッと中はモチっとしてて。まるでおもちみたいです」
「そうでしょう? まるで雑煮のお餅のようですよね」
「ぞ、雑煮?……そう、そうですねええ」
菜都枝の言っていることは良く分からなかったが、とりあえず話を合わせた。
みおんは飲食部門を紹介し終え、工芸部門の紹介を始める。出品物の感想を代表に明るく話す。
「はい、これで出品物の紹介が全て終了致しました。では結果発表の前に儚音 みおんさんによるライブを行ないます。では、儚音 みおんさん! お願い致します」
司会がそう勢いよく言うとみおんは「はい」と明るく返事をしてライブの準備にとりかかった。
「それでは聞いてください。『HOME IN』!」
小汚い厨房でザンギが中華鍋にとくとくと油を注ぐ。強火で油を温める。先を湿らせた菜箸を突っ込み泡の様子をみる。細かい泡がポコポコと出てきたので、冷蔵庫から漬け込んだ鶏肉を衣につけて揚げていく。
「にいちゃん、お会計」
「はいよ」
ザンギはレジに向かい、ささっと会計を済ます。そのレジの傍らには写真立てが飾ってある。そこにはみおんと二人で写った写真が収められていた。ザンギは一番星バトルロワイヤルで見事一位に輝いたのである。ザンギが作ったザンギ丼というネーミングがウケたというのと、一晩中試行錯誤してつくったザンギがみおんに刺さったのと、そしてなにより豚肉が美味しかったのが優勝の要因である。
ちなみに菜都枝の米粉ロールは三位までに入ることは出来なかった。しかし、来場客からの人気は凄まじく、今日限定だなんてもったいないという声が多数上がった。
「米粉ロール、改良して普通のメニューに入れちゃおっかな。『喉に詰まらないお餅』って宣伝文句で」
菜都枝はイベントの後、そう言って笑っていた。その菜都枝はというと今日も元気にパン屋を営んでいた。その社長室にバターナイフによって磔にされた餅の写真は撤去されていた。
「ただいまアンパンが焼きたてとなっています。いらっしゃいませ」
菜都枝は笑顔でそう言うと売り場にアンパンを並べた。客の一人がそのアンパンを持って会計に向かう。レジに立っていたのは祝常であった。
あの後、正式にパン屋の社員となった。初め、祝常は社員になるのを断っていた。バッさんをはじめとする、ともに過ごしてきた仲間達に申し訳なく感じたのだ。しかし「やればいいじゃん」とバッさんが祝常の背中を押して就労した。
「はい、120円ですね」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「え、あ。おま」
客は顔を上げた。その顔はまぎれもなく漆原 美音であった。
「なんでこんな所にいるんだよ」
「ええ。だって、時間があったらキャッチボールしたいなあって」
「できるわけないだろ。今仕事中だぞ?」
「行って大丈夫ですよ」
アンパンを並べ終わった菜都枝が祝常の方を見て言った。
「行ってあげてください」
祝常と美音は顔を見合わせた。
「仕方ねえな」
祝常はニイッと笑った。
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