第6話(抑え:菅部 享天楽)

「へえー、妹さんだったんですね。みおんちゃんて」


 菜都枝は缶コーヒーを一口飲んでそう言った。


 川は日の光に照らされてキラキラと輝きながら穏やかに流れていく。菜都枝と祝常はそれを川べりで腰を下ろして眺めていた。


 菜都枝は祝常から美音の話を聞き出していた。初めは祝常は嫌がっていたが、普段からの接客で培ったコミュニケーション能力で上手く距離を縮めていた。


「ああ、そうだ。昔は一緒にキャッチボール何かもしてたな。つか、よく俺と分かったな。それに、高架線の下にいるってことも」

「場所に関しては商店街じゃそれなりに有名ですからね。それと、私、昔から野球観戦が好きでよく見ていたんです。漆原選手はもう大活躍だったじゃないですか。日本シリーズのハードバンクイーグルス戦なんかダブルアウトに抑えて勝ったじゃないですか」

「懐かしいねえ」

「漆原選手は――」

「なあ、大重さんよ」


 菜都枝の言葉を遮るように祝常は言った。メロンパンにかじりついて言葉を続ける。


「俺はもう選手じゃねえんだ」

「すみません……」


 菜都枝はしゅんと身を縮めた。


 祝常は菜都枝から貰った缶コーヒーを一気に飲み干すと「ごちそうさん、ありがとな。美味かった」とだけ言って立ち上がった。そのまま去ろうとする祝常を菜都枝が呼び止めた。



「私、一番星バトルロワイヤルに参加するんです。私の従業員として一緒に出場しませんか? 熱愛報道は誤報、写真に写っているのはお兄さん、しかもパン屋で頑張って働いている、ということにすればいいじゃないですか」


「行かねえよ」


 祝常は大きな溜息をついて振り返った。


「そう上手くいくわけがねえだろ。確かにホームレスとお付き合いしてるってより、パン屋の妹って方が世間体はいい。だがな、それ以前に俺には前科がある。今度は犯罪者の妹だって非難される」


「いくら何でもそんなことは」


「あるんだよ。そういうネタは世の中にウケるんだ。面白けりゃあ他人を不幸にするのも厭わない、記者はそういうもんだ」


 祝常はそう言うと菜都枝に背中を向けて再び歩き出した。菜都枝はぼうっと立ち尽くしたまま小さくなっていく祝常の姿を眺めていた。




  西日が差し、一番星商店街を赤く染める。少し肌寒い風が吹き抜け、空き缶がカラン、コロンと虚しい音を響かせながら転がっていく。


 菜都枝はそれを目で追いながら、ザンギの店を目指していた。とぼとぼとゆっくり数歩歩いて溜息を一つ。数歩歩いてまた溜息。ずっとその調子である。そうやっていつもの倍近くの時間をかけてようやくザンギの店に辿り着いた。


「え?」


 ザンギの店には明かりがついていなかった。暖簾も店に引っ込んだままである。勿論扉の奥からは仕込みの音は聞こえない。そしてなにより菜都枝が驚いたのが、店の壁にポスターが一枚も貼られていないことだった。


 そっと戸を引いてみる。暗い店内を目を凝らして見回す。


 ザンギは一番入り口から遠い四人掛けのテーブル席に座っていた。そのテーブルには丁寧に剥がされたポスターが重ねられている。


「ザンギさん! どうしましたか?」


 菜都枝はそのテーブルに両手をついてザンギに声をかける。


「僕のせいでみおんちゃんが大変な目に遭った。僕にみおんちゃんを応援する資格なんてないよ」

「そんなことないですよ! それに、あの例の男性、恋人じゃないんですよ。お兄さんなんですって!」


 菜都枝は必死に笑顔で話しかける。が、それとは対照にがくんと首を折ったまま、首を横に振った。


「もう、バトルロワイヤルに参加しない」

「そ、そんな……」

「僕には参加する資格なんかないよ!!」


 ザンギは両の拳を勢いよく振り下ろした。びっくりした菜都枝は声も上げることも出来ずに硬直した。テーブルがやけにガタガタ揺れる。菜都枝が徐にザンギの拳に視線を移した。ザンギの拳は震えていた。


 菜都枝はザンギが改めてみおんのことが大好きなんだと実感した。それと同時にこれはザンギが断腸の思いで決断したんだと分かった。彼の胸の内を想像すると、菜都枝は心が痛んだ。これ以上説得するのは野暮だと思った。


「分かりました。何だか、私の方もごめんなさい」


 菜都枝は身を引いてザンギの店を後にした。空は茜色から藍色へ移り変わろうとしていた。




 一番星バトルロワイヤル当日。十二時ごろ。


 商店街のすぐ傍にある広場では一番星バトルロワイヤルの準備が行なわれていた。奥にはステージが設置されており、それを取り巻くように各商店街のお店のブースが立ち並ぶ。


 イベントの流れはこうだ。まず、お店の代表が一人ずつステージに上がり、みおんに出品物をアピールする。それが終わると順位発表、の前に美音のライブが始まる。それが終わって順位発表がある。順位は工芸部門と飲食部門とで分かれており、それぞれで美音が3位まで発表する。


 イベントには自由に参加できる。出品物のアピールを見ても良し、ライブを聞いても良し、買い物を楽しんでも良し。やりたいことをやれば良い。


 菜都枝のブースは一番隅にある。菜都枝は年配の女性従業員とともにせっせとパンを並べていく。人気の塩クロワッサン、子どもが大好きメロンパン、そして――


「ミニ米粉ロール、米粉ミニテリヤキバーガー、ミニ米粉タマゴサンドっと」




 話は昨日の夜に遡る。


 菜都枝は店に戻った後、厨房でイベントに出品するパンを作っていた。ひたすら捏ねて発酵させ、焼く。そして、試食。どのパンも自信を持って美味しいと言えるのだが、いまいちぱっとしない。


 菜都枝は溜息をついて社長室に入り、椅子に腰を下ろした。そこから穴だらけになった餅の写真が見えた。


『パパ……おいしそう』

『ごめんな……』



 あの時見せた客の顔が頭から離れない。客にあんな悲しそうな、辛そうな顔をされたのは初めてだった。


 一番星バトルロワイヤルには多くの来場者が来るだろう。その中には勿論あのような客が一定数いるだろう。そう言った人達の悲しむ顔をまた拝むことになるのだろうか……。


 でも本来このイベントに参加したのは自分の生き様を貫き通すためのはずだ。餅、米に勝ち、自分のパンを一位にする、これが参加理由ではなかったか?


 もはや、何故自分が参加しているのか全く分からなくなった。菜都枝はデスクの上に置かれたバターナイフを手に取り、壁に投げた。バターナイフはきれいな放物線を描き、パンの写真に直撃した。


「ちょっと試すだけ、試すだけ……」


 と自身に言い聞かせながら、立ち上がる。


 自転車を走らせ一番近くのスーパーへ向かう。米粉をあるだけ買ってきた。試作の準備に取り掛かる。


 初めは米粉と小麦粉を混ぜて作ろうかと考えていたが、それだと結局小麦アレルギーの人は食べられないので、米粉100パーセントでロールパンを作ることにした。出来上がったものを試食する。


「お、これは……」


 小麦よりもっちりとしている。バターの味や香りはしないが、代わりに米の味と香りがほんのりとする。にもかかわらず、不快感は全くない。あの忌々しき米だというのに。菜都枝は何だか懐かしい気分になり、多幸感に包まれた。そして、その正体にすぐ気がついた。


「そうか、私、ほんとは米が好きだったんだな」


 小学生の時食べたお餅の味を今漸く思い出した。元日に家族みんなで笑いながら食べた雑煮。その幸せをすっかり忘れてしまっていたのだ。


「いや、いやいや。お餅はおばあちゃんを奪ったんだよ? 認めるわけにはいかないでしょ!!」


 作っておいて何言ってんだこいつ、と自分でも思ったが、米粉のパンが思ったより良い、いやむしろ美味しいんじゃないかというほどの出来栄えに我ながら困惑していた。今の菜都枝には米文化の衰退ではなく、この幸せを来場客に、そしてみおんちゃんに届けたいという想いが強くなっていた。


 しかし、小麦アレルギーの人が食べられるパンを作るには問題がある。徹底的に小麦の混入を防ぐために店の厨房が使うことができないのである。厨房が使えないのはかなり厳しい。それなら小麦と米粉を混ぜれば良いという話になるのだが、それではかつての目標も今掲げようとしている新たな目標も達成できない中途半端な状態となってしまう。


「明日トースター買って家で焼く……しかない……よね?」


 菜都枝は家では殆ど料理をしないタイプの人間だった。仕事がある時は厨房でパンを作って三食を済ませ、休みの日は外食をする。菜都枝の台所はピカピカだった。


 明日の早朝に通常のパンを作り、八時四十分に店を出て九時にオープンする電気屋に駆けこみ、一番大きいトースターを買う。帰宅して米粉パンを作る……。


「明日は忙しくなるなあ」


 言葉とは反対に菜都枝は笑顔だった。



 苦労に苦労を重ねて米粉パンを作ったものの、出来栄えに百パーセント納得したわけではない。ただ、喜んでくれる人がいるならと今回、限定品としてブースに並べることにした。みおんに出品するパンについては未だに決まっておらず、いくつか種類を増やして持ってき、人気な物を出品しようと決断した。


「さて、どれが一番人気かな?」


 ポップを飾りながら菜都枝はそう言った。


 菜都枝はふと隣のブースを一瞥した。そのブースにはガスコンロとボンベが設置されている。


 本来ここにはザンギが来る予定だった。ここで美音の歌を口ずさみながら、ご機嫌で中華鍋を振っているはずだった。菜都枝は顔をパンパンと叩いて気合いを入れる。


「いらっしゃいませー、今日は限定の米粉のパンをご用意いたしました。いらっしゃ――」


 ってなに米粉を贔屓してるんだ? これはあまりにもフェアじゃないのでは? でも、美味しかったのは……いやいや、そんなことは一旦なしで! 反応見て決めるって決めたじゃん!


 菜都枝は頭をぶんぶん振って声を上げて再び宣伝を開始する。すると、カランと隣のブースから金属音がした。菜都枝ははっとして誰もいないはずのブースに目を向けた。


「ザンギさん!?」


 菜都枝は驚きのあまりに両手で口を押さえてしまった。一方のザンギはというとさも当然のように点火棒でガスコンロに火をつけていた。ぼおっと火が点くとザンギは菜都枝の方を向いた。



 昨日、菜都枝がザンギの店を出て一時間程が経った頃。


 日も完全に落ちてしまい、店内は真っ暗闇となった。ザンギは重い腰を上げ、壁を伝いながら、電気を探した。


 パチッと部屋に明かりが差す。気晴らしでもしようと音楽をかけた。


 店内に軽快でポップな音楽が流れる。前奏がおよそ二十秒くらい流れて可愛らしい歌声が響いた。


 そうだ、僕はこの歌で元気をもらったんだ。こうして店に立ち、自立出来ているのはみおんちゃんのお陰ではないか?


「Home! Home! Home in♪」


 それなのに今の僕と来たらなんだ? メニューが決まらないと逃げて、みおんちゃんが困っているのに逃げて挙句の果てには応援しないだと!?!?


 困っている時に全力で手を差し伸べるのがファンの役目ではないか!? そうだ、みおんちゃんが笑顔になる物を作ろう。それなら――


「ザンギ丼一択だ!」


  ザンギは早速試作を始めた。冷蔵庫から鶏肉を取り出し、一口大に、と思ったが、みおんちゃんの口は恐らく小さい。ザンギは小さめに鶏肉を切り分ける。たれは豚丼でも使う秘伝のたれに、と思ったが、ニンニクが使われていることを思い出した。アイドルは臭いを気にするだろうから、ニンニクを抜いて作り直そうとザンギは考えた。それから、もういっそのこと何個もたれを作って美味しいものを探そうかと考えた。何種類もの調合を作成し、ジップロックに入れて肉を漬け込む。ザンギが思い浮かべるのは美音の笑顔であった。


 ザンギは中華鍋を取り出しザンギ丼の支度に取り掛かったのだった。



「心配かけましたな、大重さん」

「全くですよ。でも参加してくれて良かったです」


 菜都枝は笑顔で言った。ザンギは腹を揺らして笑った。


「ははは。正直、まだ完全に立ち直ったわけじゃないんだよね。でも僕はみおんちゃんのファンだから、全力で応援しますぞ!」


 ザンギは菜都枝に親指を立てた。「お互い優勝を目指して頑張りましょう」と菜都枝は言った。


 広場には来場客がちらほらと集まり始めていた。人々は入り口で配られるパンフレットを見ながら、わいわいがやがやと楽しんで、行く店を決めていた。


 菜都枝は声を上げて宣伝をする。ザンギは声を出したりはしないが、鶏肉の揚がる音と香ばしい香りで客を引き付ける。


「大重さん、大重さん」


 菜都枝が接客をしていると、餅屋のにいちゃんがやってきた。


「あら、どうかしましたか?」

「仕事中すみません。ちょっと来てもらえませんか?」

「あ……はい」


 菜都枝は年配の女性従業員に店番を任せ餅屋のにいちゃんについていった。着いた場所は餅屋。小さな旅籠のようなレトロな雰囲気のお洒落な外観が特徴的である。店の名前が書かれた提灯に明かりは灯っていないが、何故か店内は電気が点いている。


 餅屋のにいちゃんは戸を開けて菜都枝を店に通した。菜都枝は店に入るや否や一驚した。


 そこには髪を短く切った祝常が立っていた。

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