第2話(先発:上坂涼)

 一番星商店街。東京都の外れに位置した下町――天川町――を支えるスター商会のお膝元である。

 そんな商店街の中央で、テカテカしたおでこの脂を洗い立てのタオルで拭き取りながら、自身が営む豚丼屋の外観を眺める巨漢がいた。キラキラとした面持ちで見ているのは、入り口の壁一面に貼りまくられた一枚のポスター。


 まるで魚のウロコのようになったそれらは、巨漢の店だけではなく商店街の至るところに貼り付けられている。無論、巨漢のように魚のウロコのようにはなっていない。一般常識に則り、ふさわしい場所に適切な枚数が貼られている。


 ではなぜこの巨漢は異常なまでの枚数を貼っているのか。その答えはポスターの内容にあった。


『天川町に儚音みおんがやってくる! ローカルタウンツアー第四期 ~三日目~』


 この巨漢。北海道(ほっかいどう)ザンギは儚音みおんの大大大ファンなのである。

 

 儚音みおん絡みで消し炭にした豚肉は数知れず。彼女のことになると理性よりも感情が優先されてしまい、周りが見えなくなってしまう。ましてや自身が店を構えるホームに憧れの彼女がやってくるというのだから、自身の店先を魚のウロコのようにしてしまうのも致し方ない。


「うふふふふ。僕の店にも来てくれるかな。これだけ貼ってるんだからきっと来てくれるよね。このポスターアートで僕のみおんちゃんへの情熱は絶対伝わるはず。うん。ああそうだ、みおんちゃん用のオリジナルメニューの開発も頑張らなくっちゃ」


 ニコニコとウロコを見上げながら、額の脂をハンカチで拭き続けるザンギに後ろから声をかける女性が一人。


「こんにちは。ザンギさん。気合い入っていますね」


 小麦百パーセントがウリのパン屋オーナー。大重(おおしげ)菜都枝(なつえ)だった。

 菜都枝の言葉にザンギは力強くうなずく。


「も、もちろんですよ。なんてったってみおんちゃんが来てくれるんですから」


 二人は同い年であり、五年前の同時期に店を開業させていることから、妙な同朋意識が芽生えて仲の良い間柄となった。


 ザンギの方はみおんにお熱であり、菜都枝の方は餅で喉を詰まらせた祖母の復習で頭がいっぱいのため、恋愛関係に発展するようなことは一切なく、とても良好な関係を築いている。


 ただし菜都枝にとっては友人でも、ザンギにとっては仕事仲間の位置づけである。ザンギは自分に自信が無く、自己評価が著しく低いためか、自分なんかと友人になってくれる人などいないと考えているからだ。


「ですよね。必ず優勝してくださいね。私、応援してます」


 優勝というワードに違和感を覚え、ザンギはきょとんとした。


「ゆ、優勝?」

「はい」


 パン作りで鍛えられたしなやかな指先がポスターの下部に向けられる。それに習うようにザンギの視線も下部へ。


『一番星バトルロワイヤル! 優勝者には賞金十万円と、儚音みおんさんの直筆サイン色紙+サイン入り写真集+腕組みツーショット写真撮影!』


「ファ!? ファファファのファ!?」


 ザンギは腰を落として構える関取のようなポーズになった。今にも渾身の張り手を炸裂させそうな形相だ。


「儚音みおんさんの写真に目が行っちゃって、隅々の文字まで目が行かなかったんだねえ」

「くぁwせdrftgyふじこlp!!」


 興奮が絶頂に達してワケが分からなくなり、ネットスラングを連発するザンギを、菜都枝はその傍らで微笑ましく見守るのであった。




 シャッターを下ろして眠りにつく星々。日中に人々が踏みしだいたレンガ道を歩くのは、カラスと、野良猫と、現実逃避の亡者ばかり。

 そんな人通りがめっきりと減った商店街に一人の男の姿があった。夜の帳に生きる者だ。


「ふぃー。大量大量っと。へへへ」


 男の名は漆原(うるしばら)祝常(のりつね)。ホームレスになって今年で十年目を迎える。界隈では古株の存在で、ホームレス仲間たちからは祝(ノリ)さんと呼ばれている。


「バッさん今週苦しいって言ってたよなあ。とっておきの電子部品分けてやっか」

 

 祝常は大きな鉄輪が左右に付いた木製の荷台を引きずり、一番星商店街のレンガ道を悠々と進んでいく。荷台の上にはビン、カン、ペットボトル、自転車の部品、銅線などなど。種目別に分けられた袋がいくつも積み上がって山を作っている。


 春の訪れを感じさせる心地の良い涼やかな風が、重労働の末にまとわりついた首筋のべたつきを癒やすかのように祝常を撫でる。


 あまりの気持ちの良さにふと気を抜いて、空を仰いだ。

 宙には女性がにこりと微笑んだかのような三日月が浮かんでいた。


「良い夜だなあ。……なにもかもどうでもよくなんな」


 冬を越えて夜も過ごしやすくなったこともあり、久しぶりに銭湯でも行こうかと祝常が思案した時。ふいに本屋の窓ガラスに貼られた一枚のポスターが目に入った。


『天川町に儚音みおんがやってくる! ローカルタウンツアー第四期 ~三日目~』


「んー? んんー?」

 ポスターをねめつけ、首をひねる。

「おいおいこりゃあ」

 祝常が気になったのは賞金でも、儚音みおんという名前でも無かった。

「こいつ、俺の妹に似てね?」




 いかにも私は地味な女性ですとアピールせんばかりの見た目をした女性が、喉を盛大に鳴らしてビールを飲み干し、グラスをテーブルへ強めに叩きつけた。


「ぷはー!」


 そんな彼女の行為を対面の席からケラケラと笑ってのけるもう一人の女性。こちらは地味な女性とは打って変わり、ごてごてのギャルコーデに身を固め、長い金髪をゆるく巻いた女性だった。


 東京都内の小洒落た居酒屋の一室で、ほどよく頬を赤らめた二人の女性が酒を飲み交わしている。


「みっちゃんウケるー! もはや変装の意味ナクネ? がっつり地が出ちゃってんのよな」


 けぷりと口から空気を吐き出し、不服そうに口元を拭う地味な見た目の女性。

 吹っ切れたのか顔にかけていた黒縁伊達眼鏡を外し、さらにはブラウンのカーディガンの下に着ている白シャツのボタンも二つほど上から外してしまう。


「あのさぁ。変装する意味ないって。マジで」

「あ、やっぱ?」

「やっぱ? じゃないよ。だって普段が変装してるみたいなもんじゃん」


 ぶうと口を尖らせる地味な女性は、儚音みおんという芸名でアイドル声優をやっていた。

 本名、漆原美音。正真正銘、祝常の妹である。


「だよねぇー。けどま、コンプラ厳しい世の中なんで。会社命令ってヤツ? わかるっしょ?」

「わかるけどさあ。どーせ分からないって。まだまだ知名度も低いし」


 やれやれと額に手を乗せて頭を振るギャル。おまけに、わざとらしく大きなため息を吐く。


「みっちゃんお前さー、自分の立場分かってる? お前みたいな高さまで来れる人間がどれくらいいると思う?」

「まーた始まった。もういいってそれ。キャラと見た目が発言とちぐはぐなんだよユーちゃんは」

「それはお前もだろ」


 キッとにらみ合う美音とユーちゃん。それからほんの少しして、同時に吹き出す。


「あはは! もーほんとあほらし!」

「まー、みっちゃんの言うとおり、悔しいけど知名度はまだまだだかんな。多少はハメはずしても、パパラれないだろうけどさ。マネージャーとしては複雑だわー」


 美音と同じようにゴクゴクとビールを飲み干し、グラスを机にことりと置くユーちゃん。再び美音を見つめるその瞳に、真面目な気配が備わっていることに気付き、美音はわずかに居住まいを正した。


「みっちゃんさー。公私混同しすぎじゃね?」


 来た。と美音は思った。いつかは言われると分かっていることだった。だからこちらも予め用意している言葉を返すだけのこと。


「そんなことないよ。だってちゃんとクオリティは担保してるもん。企画を通じて目指そうとしているゴールへのアプローチだって正しいじゃん」

「それはわーってるって。そうじゃなくてさあー。これはあたしなりの心配」

「心配?」


 美音は思いもしなかった言葉に少し戸惑う。


「そ。夢ってのはさ、物事をシンプルに考えているヤツほど掴めるもんだと思うんだよね。逆にムズカシーことばっか考えてっとさ、押しつぶされちゃうんだよ。いろんなもんに」

 

 ねぎまが刺さっていた串の先端がひょいと美音に向けられる。


「貫けるものには限りがあんの。分かる?」


 彼女の温情が美音の心に染み渡っていく。ユーちゃんの言っていることはとても正しい。そのこと自体も一から百まで分かっているつもりだ。


 しかしその上で美音は不敵に笑う。


「分かってるよ。要するに、シンプルにムズカシーこと考えれば良いってことじゃん」


 ――なぜなら。


 美音はあの情熱的で、お節介で、ドが付くほどの自信家の妹だからだ。

 消息不明の兄を見つけ出す。その最大の目的を諦めるつもりは無い。これっぽっちも。

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