第3話(中継ぎ:ねこねる)

「フム、それぞれの店の強みを中央広場に持ち寄って、みおんちゃんが順位を決めるでござるか。みおんちゃんは大の肉好き! これは僕にかなり有利なルールなのでは……! 優勝キタコレ!」

「ござるって」


 ふふっと菜都枝は声を漏らす。口元に手を当てて笑う菜都枝の仕草は魅力的なものであったが、ザンギの視界に広がるのはみおんのポスターだけだった。


「みおんちゃん仕様の新メニューを考えないと!」

「……やっぱりザンギさんは豚丼で勝負ですか?」


 今度はカクカクと効果音がつきそうな作り笑顔を浮かべながら、菜都枝はザンギから視線を逸らせて聞いた。ザンギは一枚のポスターを片手に取り、空いたほうの手で「もちろん」と親指を立てた。


「一番星商店街の一番星……いや、みおんちゃんの一番星に僕はなるッ!」


 匂いを嗅ぐようにポスターをくしゃっと顔に押さえつけながら、ザンギは天を仰ぐ。


 ――みおんはね、ザンギが大好き!


 聞こえる。暗闇に閉ざされたザンギの視界を照らしたみおんの声。それはかわいくて、やさしくて、あたたかくて。その声に震えたのはザンギの心。


 ――僕も、みおんちゃんが大好きだよ!


 押さえつけたポスターの隙間から、フフフフと重低音な笑い声が漏れ聞こえる。また自分の世界に入ったなと察した菜都枝は、口角を無理矢理上げて「がんばってくださいね」と心の中で呟いた。


「さて、私もどんなパンを出品するか考えないと!」


 わざと聞こえるように大きな声を出して、菜都枝は帰り支度を始める。ポスターから顔を離したザンギはやっと菜都枝を見てにっこり笑った。


「大重さんもファイトです!」


 額から流れる汗がきらりと光った。




「はあ」


 ザンギの豚丼屋からの帰り道。菜都枝は奇抜なコートハンガーのように俯き歩く。


 さっきまでの店でのやりとりを思い返して、短い帰路の中でもう何度目か分からないため息を繰り返している。


「ザンギさんは、目標に向かってまっすぐ進んでる。それなのに私は……」


 菜都枝は迷っていた。一番星バトルロワイヤルには菜都枝も参加するつもりだ。なぜなら菜都枝もみおんの隠れファン……というわけではもちろんなく、自身の生き様を貫き通すためだった。




 それは寒い冬の朝のこと。


 小学生だった菜都枝は家族揃っての暖かい正月を過ごしていた。年の始めの最初の朝ごはんは、おばあちゃんが作ってくれたお雑煮。もちもちカリカリに焼いた餅も好きだったが、菜都枝はお雑煮に入っているベトベトした餅のほうが好きだった。


 子供ながらに幸せだなあなどと思いながら餅を頬張っていると、向かいに座っていたおばあちゃんが突然うめき声をあげた。喉に餅を詰まらせたのだ。


 それから何が何やら分からないうちにおばあちゃんのお葬式。


 幼い菜都枝は、大好きなおばあちゃんとの突然の別れに頭が追いついていなかった。何かに当たることでしか気持ちの整理がつかなかった。


 おばあちゃんを奪った餅が許せない。


 それは長い年月をかけて菜都枝の心を蝕み、今や米すらも憎く思うようになっていた。




 一番星商店街には、おにぎり屋や寿司屋など、米を扱うお店がたくさんある。当然餅屋だって存在している。打倒餅、打倒米を掲げる菜都枝には、それらを勝たせるわけにはいかないのだ。なんとしても自分のパンを一番にする。


「私は、どうしたら……」


 ザンギはこの商店街で唯一の同期で、仲のいい友達だ。しかし彼の店は豚丼屋。それは菜都枝にとって必ず超えねばならない相手だった。


 でも、勝ってほしい。


 いつも全力で推しに一生懸命なザンギの横顔が、好きだから。




 祝常はボロボロになって色褪せた写真を一枚眺めながら、昔のことを思い出していた。


「お兄ちゃん、キャッチボールしよ!」

「またかよ」


 妹の美音は、周りからも少し心配されるほどのブラコンだった。小さい頃はいつも兄の祝常に付きまとい、キャッチボールをせがんだ。鬱陶しそうにため息を吐きながらも、祝常は美音に付き合った。


 美音が好んだアイドルごっこやおえかきなどはやりたくないと断っていたが、キャッチボールなら祝常の土俵だ。断る理由も思いつかないので付き合っていたら、美音はいつの間にかそればかりねだるようになった。


 しかしそれも美音が中学に上がるまでのことだった。女子中学生となった美音はそのルックスや明るい性格でたくさんの友達ができ、祝常と遊ぶ時間などないほど忙しく過ごした。


 意外なことにそれに寂しさを覚えたのは祝常のほうだった。その頃にはプロ野球選手として球団に所属していた祝常は、浮いた時間を埋めるように稼いだお金を夜の店に費やした。


 そしてある時、祝常の人生が大きく変わった事件が起きる。


 夜のお店通いを週刊誌にすっぱ抜かれ、多くの祝常のファンは彼に失望する結果となってしまった。すっかりファンを失ってしまった祝常は、そのままベンチ入りを宣告されてしまう。


 納得がいかなかった祝常は、バット一本片手に出版社に乗り込み、編集長と記事を書いた記者をボコボコにしてしまう。今度はベンチどころか塀の中へ入れとの宣告を受けてしまった。保釈金を支払いすぐに釈放されたが、荒れに荒れた祝常が野球業界に戻れるわけもなく、あっという間に貯金を使い果たしホームレスとなった。


 それから十年。


 祝常は首にタオルを巻き、ほんのりと湯気を放ちながら高架線の下でぼんやりとしていた。ツルツルになった顎をさすりながら写真を眺め、考える。


 あのポスターに載っていたアイドルだか声優だかは、何度目を凝らして見直しても妹に似ていた。『みおん』という名前も妹と同じだ。


「あいつが、来んのか。この商店街に……この街に」


 祝常にとって一番星商店街はいわば”職場”だ。ここに住み着いて随分と長くなり、慣れもあって生活は安定していた。


「……見つかるわけにはいかねぇ」


 祝常は被っていたキャップのつばをつまみ、グイッと鼻先まで下げた。


 野球をやっていた時と同じくらい今の生活に誇りを持っている。


 そのはずなのに。


 なぜか、今の姿を妹には見られたくないと思った。




「いよいよ、来週」


 みおんは一枚の写真をじっと見ながら呟いた。小さい頃に兄妹で撮った写真。写っているのは、体の大きさに似合わないぶかぶかのグローブを片手に満面の笑顔のみおん。そして仏頂面でそっぽを向いている祝常。


 写真を持つ手に力を込める。しわがつかないように優しく、でも想いをギュッと込めて。


「絶対、見つけてみせるんだから」

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