マイナンバー ~行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律

邑楽 じゅん

十二桁の乱数で生成される人生

「知ってる? 免許証の十二桁の最後の番号って、再発行した回数なんだってよ。だから一番後ろが『一』とか『二』になってる奴は紛失したことがあるんだよ」

「うそー、マジで!?」


 ここが比較的単価の安いチェーン居酒屋だからだろうか。

 学生や若いサラリーマン達のグループが多い。

 隣のテーブルでは女性に向けてマメ知識やトリビアを披露してドヤ顔してる茶髪の男が居る。コンパなのか同僚なのか、果ては友人やサークル仲間同士かは知らんが、大した事でも無い情報を披露して得意げになってやがる。


 俺は周囲の喧噪にややウンザリとしていた。

 どうせなら少し割高でも静かなバーで飲めばよかった。

 などと偉そうに言ってみるが、今の今まで無職だったから仕方あるまい。


 俺は偶然にも公務員試験に受かった。

 といっても会計年度任用職員。世間でいうところの契約社員だ。


 総務省の所管するマイナンバー管理部署に配属となった。



 勤務初日。

 契約書と共に、個人情報保護や守秘義務に関する誓約書にもサインをする。

 誓約書には一文だけ奇妙な文言があった。

『本業務で知り得た情報が基で生じた問題により、就業が困難な状況になったとしても、当省はその責を負わない』

 なんだろう、責任が大きいからメンタル病む奴も多いけど、自己責任だぜって意味なのか? よくわからんが俺には関係なかろうとサインをした。



 しかし、マイナンバー管理部に配属になったのは俺ひとりだけ。

 そこの課長というのが、細身で背丈の高い男。

 一重まぶたの細い目をさらに細めて、怪しい笑みを常に浮かべている。


「我々が取り扱うのは国家機密に等しい情報です。勤務外やSNSにおいて、くれぐれも口外なさらぬようにお願いします。あとは……」

 課長はさらに口角を上げて気味悪い笑顔になった。

「ご自分のマイナンバーの『意味』をお調べにならないことですね。そうやって退職していった方が多くいらっしゃるので」

 それは、機密情報に触れたことで免職処分を余儀なくされたという意味だろうか?

 いまいち課長の言う理由がわからなかったが、仕事は仕事だ。

 俺はさして気にもせず、そこも敢えて触れないようにした。


 

 最初に俺に与えられた業務は非常に簡単なものだ。

 各自治体に出生届が提出された新生児に与えられたマイナンバーを専用のパソコン端末に入力するだけ。番号は事前に課長から手渡される。それが全国の自治体に通達される仕組みだ。

 逆に全国の自治体からは、住人の死亡届出による戸籍、住民基本台帳からの抹消登録が送付されてくる。俺はマイナンバーで検索して出てきた個人の備考欄に『死亡』と入力するだけ。

 たまにテレビを賑わせるアイドルの子と思われる新生児に出くわしたり、つい先日訃報が流れたばかりの芸能人の情報に当たると「おぉっ!」と思う事もあるが、そこはそれ。事前に個人情報保護の誓約書も交わしてあるし、あくまで仕事だ。

 俺は淡々とこなすだけだ。


 課長はそんな俺の働きぶりを見て、デスクの後ろから声を掛けてきた。

「仕事熱心ですねぇ。大変よろしいですよ?」

 職務中の雑談だと思った俺は手を止めて振り返った。

「そうっすね。業務自体はラクだし、俺の性に合ってるかもしれないっす。でも一日に二千四百人くらい生まれる新生児にもすぐにマイナンバーが割り振られるんだから、いくら乱数とは言え、それを決める部署の人も大変っすよね」

 すると、突然に課長が俺の肩に手を置く。

「どうぞ、そういうことは気にされず、どんどんお仕事を進めてくださいね」

 いつもの怪しい笑顔だが、とても冷淡で氷のようだった。

 なぜか背筋に寒いものが走った俺は、黙ってパソコンに向き直った。



 しかし、こうして毎日八時半から五時十五分まで。

 日がな一日ずっとたくさんのマイナンバーと睨めっこしてると、俺の頭にはずっと数字がグルグルと回転している。

 業務中はあまり余計な事を考えないようにしていたが、ある日、どうにも疲れが溜まっていたのか、俺は作業スピードをわずかに落として入力作業をしていた。


 その時だ。

 何となく眺めていただけの数字の羅列にある法則を発見した。

 逮捕歴や刑罰・表彰だけでなく税金滞納といった個人情報がまるわかりだ。そこである番号だけがやたらとゼロか一かという桁があることに気づいた。

 まさか本当に免許証やマイナンバーカードの失効・再発行回数じゃないだろうな。


 しかし人によっては三とか四という数字もある。

 そんなに貴重品を何度も失くしたうっかり者なのか?


 違う。

 どこかが違う。

 そこで俺はある法則に気づいた。

 婚姻歴だ。

 その結論に至ったのは死亡者のマイナンバー抹消登録を行っていた時だ。

 生涯独身ならゼロ。

 結婚していたら、最期にカミさんがいても離婚してバツイチでも一。

 再婚した奴は二……。


『ほぇ~、こんなものまで数字の羅列で管理できるなんて、大したもんだな』

 俺は単純にその仕組みに阿呆のように感心していたが、ふとした疑問も頭をもたげる。

『待てよ。これって住民票コードを基に最初から付与される番号だろ? なんだって結婚した回数までぴったりと当たってるんだ?』


 俺は考え事に夢中になって、手が止まっていたのだろうか。

 またも唐突に課長が俺の肩を叩く。

「だいじょうぶですか? お仕事に熱心でしたので私もお願いし過ぎましたかね? ちょっとお疲れじゃないですか?」

「あ……いえ、だいじょうぶっすよ。やっぱ疲れ目かな?」

 俺はたどたどしい芝居で、背広のポケットから取り出した目薬を差した。

 課長は俺の肩を先程よりも妙に優しく叩くと、俺の机から離れていった。



 それから、住民票コードを基に生成された乱数と思われる数字の羅列は、恐ろしい程の個人情報の塊であることがわかった。

 先に述べた逮捕歴、刑罰・表彰、税金滞納――だけじゃなく奨学金や給付金の返済滞納、ローンの焦げ付きなどの信用情報、さらには生活保護受給資格の有無。

 全てがマイナンバーに記載されている。

 いや、厳密に言うと、その番号の通りの人生を『終えていく』といったところだ。


 まるっきり違和感しかない。

 それじゃ俺たち国民は、人生の最初から最後まで決まった運命を進んでいるだけなのか?

 それでも俺は仕事に集中することにした。

 とにかく目先の業務に邁進することで時間を経過させ、俺の気を紛らせていた。

 ただ、帰宅した後も俺は怖くて自分のマイナンバーカードを見ることすらできなかった。



 そしてある日。

 決定的な事がわかってしまった。


『あれ? この二桁、死んだ時の年齢と一緒じゃねぇの?』

 単なる偶然かと思ったが、死亡届が送付された国民のマイナンバーを入力していくと間違いなく死亡時の年齢と一緒だった。

『おいおい……どういうことだよ?』

 俺は新生児に付与されたマイナンバーの登録作業に移った。


 すると『その二桁』の数字も当然ながらある。

 高齢化社会の賜物か弊害か、七十、八十、九十番台の数字が多い。

 しかし中には二十台、三十台の者もいる。

 ごく稀に『〇三』といった若い番号があるが、この子は幼少期に死亡するのか一周回って百三歳まで生きるのか……端末の作業を保存した俺は、またも死亡登録の画面に移行した。

 やはりそうだ。

 百歳を超えて死んだ者は九十九を超えるとまたゼロゼロに戻る。



 俺は指先が震え出した。

 タイピングをする手が止まる。

 狭い執務室に鳴り響いていたカタカタという音がしなくなる。


 課長は笑みを浮かべつつも俺の方をじっと見ている。

 俺はポケットからハンカチを取り出して、目元や額をぬぐう振りをする。

 しかし机の下では止まらない掌の汗を何度も何度も拭いた。


 いったいどういうことだ。

 このマイナンバーというのは、どこまで国民を管理しているんだ。

 いや、俺を含めた全国民はどうやって『偶然や必然の積み重ね』だと思っていた自分の人生を管理させられているんだ。



 俺はパソコンのモニターで隠すように胸元に手を入れた。

 スーツの胸ポケットに入っている定期入れ。

 そこに一緒にしまっていた俺のマイナンバーカードをそっと取り出す。


 死亡した国民の年齢が記載されているであろうその『二桁』を見る。


 俺の番号は三十二。

 おい、待ってくれ。

 俺の年齢がいま三十二だぞ?

 俺は今年、死ぬってのか?


「どうされました? お仕事に集中できませんか?」

 いつの間にか俺の背後に回っていた課長の声がする。

 俺は怖くて振り返ることもできない。


「私もかねてより、政府や上層部には申し上げていたんですよ。他人のマイナンバーを知り得る業務の者は多数いる。ただし、その中には妙に知恵が働いて、妙に数字に強い者もいるって。こういうわかりやすい法則は安直でよろしくないと思うんですよね? あなたもそう思われません?」


「……どういうことっすか?」

 俺は緊張で張り付いてしまった舌や乾いた喉から、必死に声を絞り出した。


「我が日本国における国民管理政策の一環ですよ。遺伝的に優秀な出自、頭脳、肉体を持つ者を選別し、それを配合して次世代に世界と競合するに相応しい優秀な人物を育てる。その上でどうしても生じる『不要分子』は相応の処分を行う訳です。しかし安心してください。大半の彼らは『ごく普通』の人生を終えるだけですから。若者も老人も男も女も、右も左も関係ない。最後まで彼らの面倒を見てあげるのが政府、省庁の役目ですので」



 すると、なにか堅いものがゴリッと俺の後頭部に当たった。

 堅いくせにやたら冷たい。そして重い。

 金属製の何かであることはすぐにわかった。


「ですが、あなたのように『知ってしまった』人達が多く退職されました。気に病んで自らビルから飛び降りたり、睡眠薬やアルコールの過剰摂取が原因の人もいましたかね? でもそれは表向きの理由です。最初に誓約書を交わしたでしょう? あなたの就業が困難になっても当省はその責を負わないって」



 耳をつんざくような乾いた破裂音が鳴る。

 その瞬間、俺の目の前は真っ暗になった。

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