第3話 狩人の女



 目が覚めた。

 朝からずっとベッドで休んでいるのに怠さと吐き気が収まらない。

 もうすぐ二時、いや、三時か。昼食時はとうに過ぎている。

 腹が減っているような何も食べたくないような、寒いような、暑いような……駄目だ。これは自律神経が完全にいかれている。

 先日、私は仕事に必要な資格を取るため、東京で試験を受けて来た。

 仕事と犬の世話の合間を縫っての試験勉強で疲れが溜まっていたことと、帰りの列車がイノシシの線路侵入で停車してしまい、長時間車内に閉じ込められたことで、完全に体調を崩してしまった。

 その後、たいしたことはないと舐めてかかり、通常通り数日間仕事をしたら週末にはこのざまだ。元々あまり身体は強くない。無理が利かないのだ。試験の出来も正直言って自信がない。これだけ苦労して落ちていたら本当にお笑い草だ。

 体調が悪いとネガティブな考えばかり頭に浮かぶ。そのせいか余計に怠さも増してくる。


 ああ、嫌だな。強くなりたいな。フィジカルもメンタルも。

 でもどっちか選べるならフィジカルでお願いします神様。


 思考が次第に散漫になり、うとうとしかけた瞬間に階下からジルとゴルが犬部屋から出せと爪でドアを引っ掻く音が聞こえて来た。

「ぐ……っ」

 寝られない。

 ジルとゴルは私が完全に寝入っている間は静かにしているのだが、私が目覚めた途端に暴れ出す。私が身動き一つしなくても。目が覚めているのに布団の中で往生際悪く二度寝しようとする飼い主を彼らは決して許さない。おそらく呼吸のリズムか何かで二階で寝そべる人間の睡眠と覚醒を完全に把握しているのだろう。凄い能力だ。犬は皆そうなのだろうか。

 仕方ない、居間に出してやるか。

 飼い主が体調不良でろくに対応出来ないため、休んでいる間は犬部屋の中に犬達を入れていたのだが、そろそろ限界のようだ。

 諦めてベッドの上でのそのそと身体を起こすと、立ち眩みで目の前が真っ暗になった。落ち着いて深呼吸を繰り返すうちに視界がはっきりする。なるべくゆっくりと立ち上がり階段を降りた。

「はいはいはい、ごめんね、待ってね」

 犬部屋のドアを開けると弾丸のようにジルとゴルが飛び出した。壁沿いに置かれたソファーベッドに突進して二匹で一緒に飛び乗る。二匹のワイマラナーの躰が壁を押し、ズシンと家全体が鳴った。

 これは絶対にいつか家が壊れるな。覚悟しておかねば。

 しばらく走り回ると満足したのかジル、続いてゴルがトイレで排尿した。満足そうに居間に戻り、犬ガムを齧り始めた。どうやら飼い主と一緒に居間に居たかっただけで、本格的に鬱屈していたわけではないようだ。

 この短時間の間に、もう立っているのが辛くなってきた。座りたい。出来れば寝そべりたい。気持ちが悪い。これでは散歩など無理だ。


 朝に運動させにジルとゴルを連れ出してくれた竹田さんに感謝だなあ。


 竹田さん、竹田美緒さんは鷲尾さんが紹介してくれたドッグトレーナーだ。

トレーニング全般や散歩の時の細かな注意点などを指導して貰っている。

飼い主が家を空ける場合などにはペットシッターやお預かりもして貰えるので、試験のために出張した時にもお世話になった。そして体調不良の時、つまり今も。

 今日も散歩に行ける体調ではなかったので竹田さんにジルとゴルの散歩をお願いした。急なお願いだったにも関わらず快く引き受けてくれた。竹田さんが居なかったらと思うとぞっとする。散歩に行けなければ犬はストレスを溜めてしまう。私もゆっくり休めない。共倒れになってしまう。

 ワイマラナーは大型犬だ。大の大人でも油断すれば引きずられるので、限られた人間にしか散歩は任せられない。もとより友人や離れて住む家族は当てにできない。プロに頼むとしてもジルとゴルに慣れている人が望ましい。ジルとゴルは竹田さんが大好きなので、竹田さんのワゴンのエンジン音を聞いただけで大喜びしていた。いつもの飼い主の散歩よりよほど嬉しそうだ。

 鷲尾さんにも感謝だ。

 こうなることが分かっていたかのように馴染みのトレーナーを見つけておくようアドバイスしてくれた。やはり経験者の言う事は素直に聞くものだ。

 とりあえず、こうして体調不良となってもゴルとジルに不自由させる事はないのだ。それだけで少し心が穏やかになる。

 ジルとゴルの横に私も寝そべり、ブランケットを被って目を閉じた。一緒に寝れば犬達も文句はあるまい。

 うとうとしながら竹田さんと初めて出会った時の事を思い出していた。


 竹田さんはオリーブ色に染めた髪の毛をベリーショートに刈り込んで、小さなピアスをたくさん付けた若い女性だ。色が白く、目元の彫りは深い。よく見ると眉毛も睫毛も髪の毛と同じ色で染めている。

 初めて出会った日は無地の白いTシャツとカーキ色のカーゴパンツを着ていた。無造作なのに格好良い。顔が小さくて、背が高く手足が長いせいか。紺色のフィット感のあるマスクも今日の格好に誂えたように馴染んでいる。


 モデルみたい……ていうか、すんごいお洒落な人だ!

 鷲尾さん、この人を猿とか栗鼠とか言ってたんか……いや、初対面でじろじろ見るの失礼だよね。


 見惚れそうになるが、振り切るようにお辞儀をした。

「はじめまして、外岡です。今日はよろしくお願いします」

「よろしくお願いします。竹田っす」

 そう言って竹田さんは笑顔で名刺をくれた。「月寝ドッグスクール 竹田美緒」とある。それに電話番号、ホームページとメールアドレスという簡素なものだ。

 今後のトレーニングの方針を決めるために話し合うことになり、家に上がって貰った。

 ジルとゴルの反応は、ちょっと見た事がないものだった。

 一目見た瞬間に完全に竹田さんを目上の存在だと認識しているのがはっきりと分かった。かといって怯えているわけでもない。ちぎれんばかりに尻尾を振って歓迎している。

「す、すごいですね!」

「いやははは、何千匹もの犬と関わってる人間は犬の方も分かるみたいなんすよ。凄くたくさんの犬の臭いが沁みついてるんで。それだけで凄味? みたいなのが出るらしいっすわ。トレーナーあるあるっす。普通っす」


 そ、そうなの? トレーナーさんってすごい。


 驚いたが、ドッグトレーナーと会うのは竹田さんが初めてなので彼女がそうだと言うのなら、そうだと納得するしかない。

 それから竹田さんは私から、今まで自分でどんな躾をしてきたのか軽く聞き、コマンドを入れて確かめた。

「なるほどなるほど、二人とも素直でいい子っすね! 変な癖もついてないし大丈夫っすよ。ただ、これから自我が出て来る時期なので、大型犬だから心配すもんね。私は一応警察犬の訓練も引き受けてるんで確認ですけど、職業犬にはしませんよね?」

「はい、その予定はないです」

「ドッグショーとかに出すなら別の訓練になりますけど、それも……」

「ないです」

「じゃあ、半年くらいかけて基本的な訓練をする感じになります」

 そこで竹田さんは黄褐色の目で私をちらりと見た。野生の狼のような鋭い眼差しだった。

「は、はい……?」

 なぜ見られているのか分からず固まっていると竹田さんは、はっと我に返ったようだ。

「あ、すんません! いつもだいたい『半年なんて長過ぎる』って言われるんで! 今は動画配信サイトで海外のドキュメンタリーとか見られるじゃないですか。『一週間でどんな猛犬でも躾けます』みたいなの信じてる飼い主さんも居たりして」

 そういうことか、私が文句を言うと思っていたのか。

「知ってるかもですけど、ああいうのマジやめた方がいいっすよ。犬と信頼関係出来てない人間が訓練入れるのは危ないです。少なくとも一か月以上は信頼関係作るのに使った方がいい。だから私は最初の6週間は遊んで可愛がるだけにしてます。犬に私を好きになってもらう期間ってことで」

 竹田さんはゴルとジルに両側から顔を舐められながら真剣な顔で言った。

 すでにだいぶ好かれているように見えるが、「信頼関係」というのはまた別なのかもしれない。

「だから時間がかかります」

「分かりました。よろしくお願いします」

 それから竹田さんはいくつか注意事項を挙げた。

 少なくとも自分がトレーニングをする間は飲酒はなるべく控えて欲しいこと。犬の急な体調不良に対応するのに車が運転出来ない時間があると困るから、だそうだ。以前それが原因で顧客とトラブルになり嫌な思いをしたらしい。元々同じ理由で飲酒は控えていると伝えると、竹田さんは嬉しそうに「助かります」と言って笑った。

 ノートを一冊作って欲しいこと。犬の変化やヒートの周期、排便、排尿の有無やアレルギーなど、何かあったらすぐにメモしておくように、と言われた。

「訓練日以外でも、犬の事で困ったことがあったら相談して下さい。電話でもいいですよ。夜中でも。不安な事ありますよね、一人で抱え込むと良くないんで」

 竹田さんはそう言うと犬の唾液塗れになったマスクを外し歯を見せて大きく笑った。


 うっわ、マジですんごい美人さんじゃん。


 白い歯が眩しい。ちょっと犬歯が目立つが歯並びがとても良い。全体的に小作りで整った顔をしている。


 美人はおいておくとしても、なんていい人なんだ。


 社交辞令かもしれないが、なりふり構っていられなくなる場合があるかもしれない。その時は申し訳ないが電話してしまおう。


 実際その後、私は何度も竹田さんに助けられることになった。

 その頃ジルは怖がって散歩に連れ出してもなかなか歩いてくれない事があった。

ゴルに対して強気で他の犬に対しても喧嘩腰なのはジルの方なのだが、怖がりの裏返しだったのかもしれない。

 私が相談すると竹田さんが一度散歩について来てくれる事になった。ジルのリードを私が、ゴルを竹田さんが引いて出掛けた。数人で散歩するとジルも安心するのか、楽しそうに歩いてくれた。

 広い運動場に着いた時、竹田さんがトイレに行くために私にリードを預けた。立ち止まってさえいれば、ジルとゴルの二匹のリードを同時に持っても引きずられることはない。

 そう、確かに引きずられることはなかった。

 ほっとして気が緩んだその一瞬のことだった。ゴルとジルがじゃれ合ってジルの下あごがゴルの首輪に引っかかり、取れなくなった。ジルはパニックになり暴れ、首輪が捻じれた。そのせいでゴルの咽喉が締まってしまった。

 私とゴルとジルの悲鳴を聞きつけて竹田さんがすぐに戻って来た。

「どうしました!?」

「ジルの顎が、ゴルの首輪に」

「ああ、これは……外れませんか?!」

「外れない……ですっ、どうしよう!」

 私はもうすでに半泣きだ。鋏があれば外せるのか? でも取って来る間にゴルが窒息してしまうかもしれない。

「鋏を取って来ます。外岡さんはとにかくジルを宥めててください」

「はい!」

 ゴルの咽喉に負担がかからないように必死にジルを抑え込むが、ゴルの呼吸音がおかしくなってきた。ヒューヒュー音がする。

 本当に死んじゃうかも。

 全身の血が冷たくなる。こんな、こんな事になるなんて。

 じゃれ合って首のあたりを噛み合うことがあると知っていたから、家では首輪は外していたのに、どうして付けて来てしまったのか。いや、躾にはある程度チョーキングが必要だからだ。しかし、今日はジルを外に慣れさせるために来たのだから外せば良かった。ハーネスだけにしておけばこんな事には……

 後悔と恐怖で頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 その時、綺麗な長い指が私の手の上に置かれた。

「鋏持って来ました!」

 竹田さんだった。

 その後、竹田さんは素早く首輪を切って、ゴルを救出した。

 ジルもゴルもショックを受けていたが、しばらくすると立って歩き出し、また何事もなかったかのように、じゃれ合い始めたので、引き離した。

「良かった。繊細な子だとトラウマになって首に何か巻かれるのを嫌がるようになったりするんすけど、ゴル君は大丈夫みたい」

 竹田さんは切ってしまった首輪の代わりに手持ちのチェーンをゴルに付けてくれた。

「竹田さん! ありがとうございます! 竹田さんは命の恩人です!」

 私が泣きながら何度も頭を下げると竹田さんは面食らったようだ。

「い、いえ、今回の件は私の責任です。私が付いていながら、申し訳ありませんでした。私の方で気を付けるべきでした」

 逆に頭を下げられた。

「いえいえいえ! とんでもない」

 私が鈍臭かっただけだ。むしろ、同じことがいつ起きても不思議ではなかった。竹田さんが居る時で本当に良かった。

 しかし、竹田さんはどこから鋏を持って来たのだろう。

「ああ、これっすか? 借りて来ました」

 竹田さんは通りの向こうの消防署を指差した。

「近くに消防署があって助かりましたよ」

 消防署にはシートベルトや服を切るために、丈夫なよく切れる鋏が必ず常備されているらしい。確かに民家に突撃して事情を説明するよりはハードルが低い。

「その辺の民家と迷ったんすけど、消防署にして正解でした。顔見知りも居るんで」

 中学の時の同級生が消防士やってるんすよ、竹田さんは爽やかに笑う。

いちいち、かっこいい。颯爽と現れてゴルを助けてくれたせいか、いつもかっこいい竹田さんがさらにかっこよく見える。もう後光が差している。

 大事に至らなくて本当に良かった。竹田さんにはいくら感謝してもしきれない。

 家に帰り、元気に餌を食べ家の中でじゃれ合う二匹を眺めながらふと疑問に思った。


 あの時はパニックでそれどころじゃなかったけど、竹田さん、さすがに駿足過ぎじゃない?


 現場から消防署は近いとは言え、田舎の距離感だ。頑張って走っても消防署で事情を説明して鋏を借りて帰って来たら、私の足なら絶対に往復で十分以上はかかる。けれど彼女はせいぜい二分程度で戻って来た。

 切羽詰まった時、時間は長く感じるものだ。実際にはもっと短かった可能性もある。


 しかも、息も切らさずに。人間じゃねえ。


 ドッグトレーナーになるには体力も必要なのだろう。


 竹田さんが凄いのは体力だけではなかった。

「あ、ここ、すっごい! もう新鮮なオシッコだらけ」

 別の日に一緒に散歩していた時に竹田さんが公園の芝生の一角を指差して言った。

「え?」

「外岡さん、ここ連れて来たら簡単にオシッコしますよ、絶対。あ、ここも、ここも、あ、ここにも、トイプーのオシッコ、ピジョンフリーゼのオシッコ、アラスカンマラミュートの雌に、芝犬がいっぱい、ラブラドール、シュナウザー雄のオシッコ、あはは! やば、私もオシッコしたくなってきたかも。散歩中ってトイレ行きたくなるんすよね」

 いい笑顔でオシッコを連呼している。

 そうこうしているうちにジルもゴルも排尿を始めた。

「ほらね!」

「すごい、なんで分かるんですか?」

 コンクリートの壁の沁みなど、目に見えるものならいざ知らず、ここは芝生があるだけだ。素人目には犬の排尿の痕など、まったく分からない。見分け方のコツでもあるのだろうか。ドッグトレーナーになるとこういう技も身に着くのか。

「臭いで」

「臭いで?!」

 嘘だろう。雨上がりだし、私には何の臭いもしないのだが。

「私、鼻がいいんすよ。犬とたくさん接してるうちに分かるようになって」

 そういうものなのだろうか。


 というか犬の種類まで言い当てるのおかしくないか? 適当かな? いや、適当とか決めつけるの失礼だけど、絶対おかしいだろ。ありえないだろ。

 この人、実は犬なのでは?


 私はちょっと本気で竹田さんが実は犬が化けた人間なのではと思い始めた。


 竹田さんは人間離れした能力をトレーニングにも活かしているのか、トレーニングも非常に順調だった。しかし、それでもやはり反抗期の時は苦労した。と言っても、竹田さんが居る時ではなく、主に私一人で世話をしている時の話だ。

 若い犬は急に他の犬や通行人と遊びたがってリードを引く事があるので、ある程度広い場所に連れて行って散歩する方が楽だ。週末は山の上の広いキャンプ場を備えたレジャー施設に車でジルとゴルを連れて行くのが恒例行事だった。

 その日もジルとゴルの散歩を終え、さて車に乗せて帰ろうか、と駐車場まで連れ帰って来たはいいのだが、ゴルが車に乗ってくれなくなってしまった。

 勢いを付けてもダメ、トリーツで釣ってもダメ、何をやっても頑なに公園の広場の方を向いて動かない。


 嘘でしょ、家から山に向かう時は私を引っ張る勢いで車に飛び乗るくせに!

 

 おそらく、キャンプ場で車に乗ると楽しい散歩が終わってしまうと学習してしまったのだろう。


 そっかあ……お散歩楽しかったんだね。

連れて来たかいがあった。飼い主も嬉しい。良かったね。

 それはそれとして車に乗ってくれないと困る!


もうすぐ閉園時間だ。従業員の男性が以前「時間になったらゲート閉めて僕ら帰っちゃうから気を付けてね」と言っていた気がする。


 あと十分もないじゃん! 今日はここに泊まるしかないの? 野宿? いやキャンプ?


 困り果てた私は藁にもすがる思いで竹田さんに電話した。

「休日に本当に本当に申し訳ございません」

「いや、いいっすよ。うーん、でも困ったな。今から私が現場に行っても閉園時間過ぎちゃうか」

 竹田さんは何やら思案している。

「よし、やってみよ!」

「え? 何を?」

「これ試して駄目だったら、管理棟に電話して事情話してゲート閉めるの待って貰いましょう。んで、私が迎えに行くまでその場で待っててください。たしかウェブサイトに番号載ってたはず」

「あ、そっか」

 焦っていてこんな単純な事すら思いつかなかった。竹田さん、さすが冷静だ。

「でもその前に……、外岡さん、スマホをスピーカーして下さい」

「私のスマホってことですよね?」

「そうです。やり方分かります?」

「は、はい」

 一体何をする気だろう。スピーカーにしたので耳からスマホを離した。竹田さんの声は良く通るので屋外でもはっきり聞こえる。

「その前に確認っすね。ジルちゃんはバリケンに入ってますか? 万が一ですけど怯えて暴れて遁走されたら困るんで」

 怯えるような事をするのか? というか出来るのか? 竹田さんはこの場に居ないのに。

「ジルは車の中のバリケンに入ってます。バリケンの扉にロックも掛かってます」

「ならよし、それじゃ、ゴル君の後ろに立って下さい。ゴル君を車の中に追い立てるような位置がいいっすね。車の扉開いてますよね?」

「開いてます」

「おっけ、じゃあ、いきますよ。ゴル君にスマホのスピーカー向けて」

「はい」

「……」

 無音だった。少なくとも私の耳には何も聞こえなかった。

しかし反応は劇的だった。ゴルは耳をそばだて、すぐに車に飛び乗った。車の扉を閉める。

「え!? す、凄い!」

「どうでした?」

「成功です! 本当にありがとうございました。無事帰れそうです」

「へえ、電話でも案外行けるもんすね」

「今の、なんなんですか?」

「犬語というか……あ、トレーナーはみんなやる技です。普通のやつっす。ネットの犬の躾の記事にも、叱る時は唸れとか吠えろとか書いてあるし! あはは!」

 いや、そういった類の声が何も聞こえなかったから尋ねているのだが。

 珍しく少し慌てたような、取り繕うような声の竹田さんにますます疑念が募る。だが、窮地を救って貰ったのに、問い詰めるのは申し訳ない。何より時間もない。

「なるほど、本当にありがとうございました。いつもご迷惑おかけして申し訳ありません」

「い、いえいえ! いつでもどうぞ! お安い御用です」

 竹田さんは笑って電話を切った。


 やっぱり……やっぱりこの人、犬なのでは?


 竹田さんの犬っぽい部分は他にもたくさんあった。

 トレーニング期間中は月謝を払っていて、その間はペットシッターや相談は無料になるのだが、竹田さんはフットワーク軽く様子を見に来てくれたり、トレーニング日でない日にも散歩に付き合ってくれたりするので、その都度私は一回分の謝礼をお渡しする事にしていた。

 竹田さんはゴルの命の恩人でもあることだし、謝礼金に加えて菓子折りなどを添える事もあった。

 竹田さんは事務所を兼ねた自宅でペット用品店を営んでいる。

 トレーニング後に謝礼金を渡しても、竹田さんは遠慮して受け取ってくれない事が多いので、後日お店に謝礼を届けに行くことになる。たいてい竹田さんはトレーニングのために不在で、店番をしている竹田さんのお母さんに渡すのが通例であった。

 店には二匹のウルフドッグと一緒に笑っている竹田さんの写真が飾られている。竹田さんが高校生の頃に引き取ったのだと竹田さんのお母さんに聞いた。

「狼犬って好事家がよく手を出すんだけど、ブリーダーは酷い人も多くてね、手に負えないからってうちの娘に押し付けたようなもんなのよ」

 うちの娘、昔から犬の扱いだけは上手くてねえ。

 竹田さんのお母さんは呆れたように、それでも誇らしげに笑っていた。

 だが、その日はちょうど私が居る間に竹田さんがトレーニングを終えて店に帰って来た。

「この間はありがとうございました。少ないですが」

「いらないって言ってるのに……」

 竹田さんが溜息を吐いた。謝礼を差し出してもあまり嬉しくなさそうだ。仕方ないので、お金の入った封筒は竹田さんのお母さんに渡した。

「あと、知り合いからお肉を頂きまして、私一人だと食べきれないので、もしよかったら」

「え、お肉?! いいんすか!?」


 なんだ、その反応の違いは。


 竹田さんの顔がぱあっと明るくなった。

「うわわわわ、こんなにたくさん、和牛だ! やったあ! いい肉だ! お母さん、いいお肉!」

 包みを開けて匂いを嗅いでいる。何のって、生肉の、だ。涎を垂らさんばかりの勢いで。


 お金よりお肉なの? そういうことなの?


「それと、これはうちで作った焼き芋なんですけど」

 これは正直言って差し上げるのは少し失礼かもしれないとも思った。だが、ご近所から箱でサツマイモを大量に貰ってしまって困っていた。うちの犬達が焼き芋が好物だと世間話の時に喋ってしまったのが良くなった。ありがたいのだが、貰い物が重なるとうちでは消費しきれない。田舎あるあるというやつだ。

「助けると思って貰って頂けると嬉しいのですが」

「焼き芋!」

「ひっ!」


 うわ、びっくりした。


 竹田さんが店のカウンターをひらりと飛び越えて私の隣に来た。

 運動神経が良過ぎるし、近いし。

「外岡さんから、いい臭いすると思ってたんすよ。焼き芋食べて来たのかなあ、いいなあって。くれるんすか! 嬉しい! 私焼き芋大好きなんすよ。あ、シルクスイート! これ美味しいですよね」


 だから、何なんだ、その現金との反応の違いは。


 そして当たり前のように匂いだけで芋の銘柄まで当てて来る。本当に鼻がいいのだ。うちの犬と同じか、それ以上に竹田さんも焼き芋が好きらしい。


 近所の住設工務店で古人見さんと由美さんに一度、うちの犬達を担当してくれているトレーナーについて話してみた事がある。

「へえ、竹田さんとこのお嬢さんがジルちゃんとゴルちゃんをね」

 さすが古人見さんだ。顔が広い。知人らしい。

「そう言えば、竹田さんの奥さんが愚痴ってましたよ。娘が商売っ気なくて、困ってるって。仕事したらちゃんとお金取って欲しいって」

 そうだったのか。迷惑がられているのではないかと思ったが、謝礼を竹田さんのお母さんに渡したのは正解だったようだ。

「娘さん、猟銃の免許だかを持ってて、その辺の山の管理とかも、人から頼まれてしてるらしいんですけど、『イノシシやらキジやら獲って来なくていいから、ちゃんとお金貰って来てくれたらいいのに!』って、文句言ってましたね」

 竹田さんらしい。

 そう言えば、猟銃については前に竹田さんにも聞いた事がある。すごいですね、と言ったら「銃は試験大変すけど、罠猟の免許なら外岡さんならすぐにでも取れますよ! ねえ、取りましょうよ! 一緒に山行きましょう」と言われた事がある。取らないし、行かないが。

「確か釣りもするよね」

 由美さんが横から言った。

「知り合いが、いつも来る綺麗なお嬢さんが大物ばかり釣り上げて凄いんだって言ってたわ。毎回一番でっかいヒラメを釣り上げるって」

「ああ、三島さん? あの人釣り好きだもんね」

 古人見さんが頷いた。共通の知り合いなのか。

「話しかけたいって言ってたけど、止めといた」

「おじさんが若い女の子に話しかけるのはちょっとねえ……」

「まあ、それで怖がったりするような子じゃないのは知ってるけど、やめといた方が無難だよね」

「そういえば、女性の猟仲間、釣り仲間欲しいって言ってた」

「外岡さん、誘われなかった?」

「誘われました」

 由美さんも竹田さんの事は知っているようだ。世間は狭い。

「しかし、由美さんも竹田さんを良くご存知なんですね」

「ああ、まあ近所だからね。あと仕事の関係で」

 言葉を濁した。由美さんはあまりその件には触れたくないらしいが、古人見さんが引きついだ。

「山の管理とか、頼まれて一緒にやったりするんでしょ?」

「まあ、そんな感じ」

「竹田さんのお嬢さんはシーカヤックなんかもやるし、確か船舶免許も持ってるって聞いたよ」

「へえ、海も山も、凄い!」

 アウトドア系は何でも得意なのだろう。確かにそんな感じはする。基本的に外が好きそうなのだ。外に出るだけで少し元気になる、とでも言えばいいのか。

 広い場所に出ると、しっぽ振って駆け出しそうな気配すらある。


 ……いや、それ、犬じゃん?


 竹田さんが猟銃を手に野山を駆けている。一人だ。猟犬も連れていない。

いや、猟犬は竹田さんなのか。

 竹田さんは猟銃を置いて四つん這いになり、何か大きな獣に飛び掛かる。喉笛に噛みついて離れない。やがて大きな獣は力尽きて斃れる。

 竹田さん楽しそうだなあ。生き生きしてる。やっぱりお外が好きなんだね。

 でも犬は群れる生き物だから、本当は誰かと一緒に狩りがしたいのかな。

 竹田さんは凄く元気だし、たぶん同じように元気な人がいいだろうな。

 私は体力ないし無理だよ、竹田さん。

 罠猟免許は取らないよ。試験はもううんざりだよ。

 やだな、試験落ちてたらどうしよ。職場になんて言おう。


 いつの間にかしっかりと眠っていたようだ。変な夢を見てしまった。

 外はもう暗かった。ひと眠りしたが依然として身体は怠いままだ。ジルは私の腹に顎を乗せ、ゴルは私の腿に尻を寄せて寝ている。

 ふと見ると、スマホが震えている。そういえば、眠る前にアラームをセットしていたのだった。夕方は竹田さんが犬を迎えに来てくれる予定なので、寝過ごすとまずい。この振動で目が覚めたのか。

 スマホを確認すると竹田さんからメッセージが届いている。体調不良への労いと、夕方の散歩の時間の確認だ。予定通りの時間で構わないと伝え、それに加えて、二匹とも今日はまだ排便していないようなので、出来れば散歩中に排便させて欲しい、と送った。

 すぐに返信があった。排便は任せて欲しいとのこと、それから差し入れを持って来てくれるそうだ。食事を作る気力がないので非常にありがたい。

いくら犬っぽいとは言っても竹田さんは人間の女性だ。

しかも優しくて超が付くほど有能な。


犬かもしれない、だなんて。


 先程見た夢を思い出して一人で笑う。失礼極まりない妄想をしてしまった。

 ほどなくして竹田さんの乗るワゴン車のエンジン音が聞こえて来た。ジルとゴルが大好きな竹田さんの気配を感じ、飛び起きて走り出す。玄関を開ける事になるので、ひとまずジルとゴルを犬部屋に入れなければならない。この後散歩に行ける事が分かっているのか、ジルもゴルも自分から犬部屋に入った。

 チャイムが鳴った。

「はーい」

「あ、起きられるくらいになったんすね! 良かった! じゃ、合鍵返した方がいいかな」

 マスクをした作務衣姿の竹田さんが玄関先に立っていた。相変わらず爽やかで格好良い。こんなにジャージや作務衣を格好良く着こなす人は他に居ない。

「ご心配おかけしました」

 朝は本当に体調が悪くて、自力で玄関を開けるのも辛い可能性を考慮し、合いカギを預けておいたのだった。しかも竹田さんの方から気を遣って言い出してくれた。鍵を手渡されながら頭を下げる。

「本当にすみません」

「無理しないで下さいね。こういう時のために私らが居るんで」

 優しい。竹田さんはかなり、いやとても身体が丈夫なタイプだろうと思われるが、ひ弱な私の都合もちゃんと考えてくれる。

 以前、「私、風邪ひいたことないんすよ」と言っていた気がする。とんでもない健康優良児だ。羨ましい。

「二匹ともウンチさせて運動させて、いつも通りな感じですね」

「はい、それでお願いします」

「あ、そうそう! ウンチで思い出した。カレー持って来たんだった! 先に渡しとこ」


 今、竹田さんは、もしかしてウンチからシームレスにカレーを連想した?

 しかも、それを私に渡そうとしてる?


 固まる私を他所に竹田さんはワゴン車から保存容器を持って来た。

「イノシシ肉のカレーです! ちゃんと血抜きしたから美味いですよ」

 にこにこしている。私が大喜びすると少しも疑っていない顔だ。


 そうだよね、イノシシのお肉だもんね。犬だったら大喜びだよね。

 でも、私、今体調悪くて食欲ないんだよなあ!

 しかもカレーか! 重い! 胃が受け付けないかも!


 前言撤回、やはり竹田さんはひ弱な人間の事情は分からないらしい。仕方ないことだが。

 どうやって断ろうかと思案する間もなく、保存容器を持たされる。竹田さんは笑顔で続けた。

「私、土地……いや地域から頼まれた仕事もしてまして、今日はイノシシの駆除をしてきたんすよ。ほら、外岡さん、試験の日に線路にイノシシ出たせいで、電車で足止め食らったって言ってたじゃないっすか」

 言いながら竹田さんは口をもごもごさせた。何かが歯の間に引っかかっているのだろうか。慣用句ではなく、物理的に。

「今年はドングリも少なくて山の力が変に余ってるみたいで、風猪が出ちゃって、山から下りて電車にぶつかったり、海蛇かじったり」

 

 山の力って何?

 風猪って最近どこかで聞いた、というか読んだような……


 聞き間違いだろうか。竹田さんは相変わらず口をモゴモゴさせているし。ついに竹田さんは口に指を突っ込んだ。本当に何か引っかかっているのか。

 今気が付いたが、今日の竹田さんはいつもと少し違う。

 なんだかいつも以上にキラキラしている。

 キラキラを通り越してギラギラしている。

 黄褐色の瞳が夕闇の中で光っているように見える。

 思いっきりエンジンを噴かせた後で、まだエンジンの回転数が下がり切っていないような、いつもは人間に擬態するために抑えている力が溢れだしてしまっていような、なんと表現すればいいのか分からないが、変に凄味がある。

「外岡さんはそのせいで体調悪くなったようなもんっしょ? これはもう絶対かたき討ちして外岡さんに食べさせないといけないなって。銃じゃダメなデカい奴が出て来て久々に滾ったっすよ!」

 勢いも凄い。口を挟む事も出来ない。

「え、銃じゃダメって……どういう?」

「ほらこっち! 来てください!」

 竹田さんは手招きしながら私に背を向けてワゴン車に向かった。

「イノシシ肉だけ渡されても外岡さんは困りますよね? だから、先に肉の処理だけして、急いでカレー作ってたから、駆除の証拠の首はまだ先方に届けてなくて、これから届けに行くとこなんですよ。首見ます? 結構レアですよ」

「え?」

 好奇心のせいで身体の怠さも一瞬忘れた。吸い寄せられるように竹田さんの後ろからワゴン車の助手席を覗いた。

「わ!」

 段ボールの敷かれた助手席に、ビニール袋に入った巨大なイノシシの首が無造作に置かれていた。頭だけで、うちの犬達よりも重そうだ。


 イノシシ……なのか?


 大き過ぎる。

 インドア派な私はイノシシ自体見る機会はあまりないが、それでも大き過ぎる気がする。

 それに全体的に緑色をしている。もっと茶色とか黒とか、獣っぽい色を想像していたので面食らった。長く生きているイノシシは苔むしてこんな風な色になるのだろうか。そんな話は聞いたこともないが。ところどころシダ植物が生えているし、小さな花も咲いている。ただし目は黒褐色で、首には赤黒い血がこびりつき、この生き物が植物ではなく獣だと物語っている。

 こんな住宅街にあってはならないものが今ここにある、それだけは分かった。

「大きい……ですね」

「でしょう! ものすごい滋養強壮があるらしいんで、食欲なくても絶対に一口は食べて下さいね……ああもう、クソッ」

 急に竹田さんが悪態を吐いたので横を見ると、竹田さんがマスクをずらすところだった。歯の間に引っかかったものが、なかなか取れずにしびれを切らしたようだ。

「……っ!」

「やっと取れた。すんません、歯磨きする時間なくて」

「いえ……そんな」

 そんな事はどうでもいい。

 一瞬見えた竹田さんの端正な顔の下半分はうっすら血で汚れていた。何かを食い破ったあとの獣のように、歯の間が血で赤かった。犬歯が白く光っていた。

 竹田さんが歯の間から指で取り除いたものは緑色だった。今目の前にいるイノシシの毛の色にそっくりの何かが竹田さんの歯に挟まっていたという事になる。

 あまりの衝撃に唖然としている間に、竹田さんはジルとゴルを手際よくワゴン車に乗せた。

「それじゃ、一時間くらいしたら、お返しにあがりますね。あ、犬が居ないうちにカレー食っちゃって下さい! 犬居るとゆっくり食えないっしょ? あと、玉ねぎとニンニク入ってるから犬にはあげないで下さいね……って外岡さんは入ってなくても、そんな事しないか。それじゃあ!」

 竹田さんは何事もなかったかのように爽やかに笑って去って行った。

 妙に現実的な気遣いが、今は最高に場違いだ。しかし、確かにその通りだ。体調が悪い時は犬が万が一にも人間の食べ物に手を出さないように気を遣いながら食事するのは負担になる。

 ぼうっとしたまま保存容器を持って家に入った。


 なんだったんだ、あれは。


 扉を閉めて、家の明かりを付けると違和感が一気に押し寄せて来た。


 銃じゃダメなバカでかいイノシシ? じゃあ、竹田さんはどうやってイノシシを仕留めたの?

 口元の血は何?


 体調の悪さも手伝って考えがまとめられない。

 妙な夢を見たせいで、それに引きずられて幻を見たのだろうか。写真撮らせて貰えば良かった。いや、そんな恐ろしい。

 思わず首を振った。

 それにしてもこのカレーはいい香りだ。得体のしれない巨大なイノシシの肉である事は頭では分かっているのだが。


 ていうか、本当に急いで作ってくれたんだろうな。私のために。


 結局、私は竹田さんに言われた通りカレーを食べた。

 ずっと食欲がなかったのに、私は今このカレーをいい香りだと思ったのだ。これを逃したらいつまた食欲が出るか分からない。食べられる時に食べなければ回復出来ない。

 カレーは本当に美味しかった。

 よく煮込まれた肉は柔らかい。肉はほんのりピンク色をしていて、イノシシが牡丹と言われるのも納得だ。肉以外の具は玉ねぎと人参と牛蒡という謎の組み合わせだが、イノシシ肉の味にはよく合っていた。

 ちょうど一人分、推し麦入りの白米もちゃんとつけてくれていた。とことん親切だ。

 さっきまで、起きているのも辛いくらいに怠かったのに、いつの間にか怠さが消えている。滋養強壮があるというのは本当らしい。単純にタイミングの問題だったのかもしれないが。

 食べ終えて、ほっと一息入れていると竹田さんが犬を連れて帰って来た。

 竹田さんからは、もうギラギラした感じは消えている。

 丁寧にお礼を言って謝礼を渡した。例によって全然嬉しそうではない。イノシシ肉のカレーが美味しかったと伝えた時の方がよっぽど嬉しそうだった。

「すごく美味しかったです。ご馳走様でした」

「美味しいっすよねえ! あれが食べたくて山に入るようなもんっすよ。竹田さんも今度一緒に行きましょう」

「いやいや、ははは、私なんか……」


 絶対無理です、諦めて下さい。


「まあまあ、そう言わずに! 気が向いたらいつでも声かけて下さい。あ、イノシシ肉、たくさんあるからまた持って来ますね!」

「え」

 それは嬉しいような、困るような。

 竹田さんは、私の返事を聞く前に、用事があると言ってそそくさと帰って行った。あの巨大なイノシシの首を届けに行くのだろう。どこへだ。市役所か? そんなわけないか。

 帰って来たジルとゴルはいつも通りだった。

 そういえば、あの巨大なイノシシの首のある車内に居たはずだが、興奮していないのか。竹田さんなら、その辺もなんとかしてしまいそうではある。なんせ、電話で犬にコマンドが出せる人なのだ。


 竹田さんは、おそらく犬ではない。

 犬っぽいが犬ではない。

 犬よりもっとずっと強くて得体の知れない恐ろしい何かだ。

 

 だが、私は明日からも犬に何かあれば竹田さんに頼るだろう。竹田さんが持って来てくれるのなら得体のしれないイノシシ肉入りのカレーも食べるだろう。

 自然にそう考えている自分に少し驚いた。


 翌日には私の体調はすっかりもとに戻っていた。

 ありがたい事に試験にも受かっていた。


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月寝市の女達 八鼓火/七川 琴 @Hachikobi

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