異食症  作:麦茶

 僕のことを知って下さい。

 最初に食べたのは野良猫でした。学校に行く道の途中で、車か何かに轢かれた猫で、内臓をむき出しにして死んでいました。薄赤い血が腸に絡みついて、からだを少し汚しているのが、痛々しくも旨そうでした。それが最初です。抱き上げると、両手に猫の重みと熱が伝わって、いっそう良いものに見えました。

 食らいつくと、甘みがあって、自分の食欲は間違っていなかったと思いました。確かに旨かった。内臓のほのかな苦みと、筋肉の奥深い旨味がいっしょになって、これ以上のご馳走は無いとも思いました。心臓の滑らかな舌触りや、血液ではちきれそうな身の歯ごたえは、ヘミングウェイの漁師が食ったシイラにも勝るでしょう。

 そのあと、毛皮を洗って、学校のロッカーに隠しました。見せてはいけないと思っていました。逸脱の自覚はありました。ごめんなさい。埋めてやればよかった。食べたことは、葬式にはならなかった気がします。悲しんであげられなかったから。

 次は、チョークだったかな。教室の机を食べたかったんですが、硬くてだめでした。特に教卓は旨そうだった。でもだめだったから、黒板の周りを探して、噛めそうなのがチョークだったんです。猫の時ほどの感動はありませんでした。ポクリと折れる食感は良かった。煙たい味で、クラッカーにするには癖がありすぎたんです。

 チョークは、数が足りなくなると、気づく人も多いので、たくさんは食べませんでした。味も微妙だったし。

 あとは湿った土、鉛筆、トイレットペーパー、革靴、家の内外にあったものを主に食べました。シェービングフォームは、口当たりは良かったけど一番不味かった。一番旨かったのは、やっぱり犬猫でした。肉だからかもしれません。こんなことまで書く必要があるのかな。もし試食する時には参考にしてください。これは冗談。

 どうしてこういったものを食べたくなってしまうのでしょう。医者にはストレスが原因だと言われましたが、そのストレスの方の原因が分からない。僕は両親ともにまともな家庭で育ったと思うし、兄弟がいないから喧嘩もしなかった。持病もない。朝は起きるし、夜は寝るし、ご飯も三食食べるし、健康な学生だったと思います。勉強もそれなりにできていた。暴力を受けることもありませんでした。暴力の対象になるほど関心を持たれていなかったので。

 過度に優秀でも馬鹿でもない、僕は普通の学生でした。でも普通じゃ食べないものを食べてしまう。悲観的になってはいません。悲劇の主人公だと思い込むにしては、この行為に対して嫌悪感を抱きすぎています。不愉快な行ないをしていると思う。普通の食べ物を味わって楽しむこともできるのに、食べ物ではないものを口にして、無駄にした。食べてお腹を壊して、全部出してしまうことが多々ありました。

 しかしその場の食欲を堪えることができなかったんです。旨そうだなと思うと、食べてしまう。自分の手も、旨そうに見えていました。父さんや母さんは気づいていたかもしれないけど、僕の指は半年前よりずっと荒れています。皮を嚙みちぎって食べてしまうからです。血が出ることもあります。無味だし、お腹は壊すし、指は痛いし、でもやめられない。爪も、髪の毛も、皮脂も、膝小僧も、とても旨そうに見えます。口にせずにはいられない。このまま自分を全部食べてしまって、消えてしまってもいいと思います。それだけのことをしています。罰を受けるべきだ。

 あとは、北斗七星がとても旨そうだと思っています。北斗七星は水平線にかかる時、海から水を汲むんです。澄んだきれいな水です。海水ではない、甘露のような水だ。貧しい少女はそれを飲んで空腹を耐えた。僕の異食症も、この水を飲んだら耐えられるようになるでしょうか。

 書き続けると知らないうちに気取ってしまいます。こんなに悲観的に考えているわけじゃありません。北斗七星を旨そうだと思って、調べてみたら、そういう話があるらしいと知りました。それでいっそう食べたくなった。それだけです。

 もういいですか。書くのをやめます。さんざん書きました。もう死んだ人間の言葉ですから、どうか話半分に読んでください。さよなら。


 書き終えた。鉛筆を置いた。口に持っていきそうになって、やめた。もうやめるんだ。異食症は数か月で治ることが多い。しかしもう一年だ。食べること自体が嫌になってきた。食べ物以外を食べることは、それの本来の目的を冒涜している。鉛筆には書くという目的が、猫には猫自身の目的があるし、僕の指は食われてボロボロになること以外の目的がある。遺書には、僕が死んだあとを丸く収めるという目的がある。

 手紙を封筒に入れ、封をした。表には両親の名前を書こうと思う。他に読んでくれそうな人がいない。ボールペンを手に取った。真っ白な封筒だ。郵便番号を書くための赤枠が、封筒の目的を教えてくれる。急に食欲がわいた。封筒を口に含んだ。かさつく紙の食感に、インクと糊がアクセントを加える。両親に気持ちを伝えるための手紙が、腹に収まっていく。

 飲み込んでしまった。胃が引き絞られている。便所に向かおう。それから、罪悪感に苛まれよう。ごめんなさい。やめられない。ひとは食べるために生きている。

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2022年度・九州大学文藝部・新入生号 九大文芸部 @kyudai-bungei

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