月見札の男

大隅 スミヲ

月見札の男

 その男が発見されたのは、雑居ビルの踊り場だった。

 スーツ姿ではあるが、どこかサラリーマンとは違う雰囲気を持った男であり、財布やスマートフォンなどの身元がわかるようなものは、何も身に着けてはいなかった。

 男を発見したのはビルの清掃員であり、清掃に訪れたところ、踊り場で頭から血を流して倒れている男を発見した。


 警視庁新宿中央署刑事課に連絡が入った時、高橋佐智子は朝食のサンドイッチを頬張っていた。


「高橋、現場に行くぞ」

 年齢が1つ上の先輩であり、相棒でもある富永巡査部長にうながされた佐智子は、慌ててサンドイッチを口の中に放り込むと、お茶で腹の中へと流し込んだ。


 現場に着くと、ちょうど現場検証を行っているところだった。

 規制線の黄色いテープを潜り、雑居ビルの階段を上っていく。


「おっと、それ以上は、まだ入らないでくれよ」

 ベテラン鑑識課員の田口が、階段を上ってきた佐智子たちにいう。ここから先はまだ現場検証が終わっていないようだ。


「なにか出ましたか、田口さん」

「いいや、何にも。財布も持っていなきゃ、スマホも持ってない。でも、物盗ものとりに襲われたわけでも無さそうなんだよな」

「うーん、謎ですね」

 佐智子はあごに手を当てながらいった。

じゃなくて、それを調べるのが俺たちの仕事だろうが」

 とぼけたことをいう佐智子に、隣に立っていた富永が透かさず突っ込んだ。



「面白いものがあったよ」

 現場検証を終えた田口がビニール袋に入った証拠品を見せてくれた。

「なんですか、これ?」

「え、知らないの。花札だよ、花札」

「花札……ですか」

「本当に知らないのか。花札っていうのは、カードゲームみたいなものだよ。『こいこい』とか知らない?」

「わからないです」

 佐智子の返答に田口は残念そうな顔をする。


「それで、その花札はどこにあったんですか、田口さん」

 花札のことを知らない佐智子は置いといて、話を先に進めるべく富永がいった。


「それがさ、被害者のポケットに入っていたんだよ。財布も携帯も持っていないのに、花札が一枚だけね」

 ビニール袋を小刻みに揺らしながら田口がいう。


 袋の中に入っている花札は『月見』と呼ばれる札だった。赤をバックに丸い月と丸い山のような草原が描かれている。


「なんでしょうねえ」

 あごに手を当てながら、佐智子がつぶやいた。

 この仕草は、なにか考え事をしている時の佐智子の癖だった。



 新宿中央署に戻ると、4階にある小会議室で捜査会議が開かれた。

 参加者は、佐智子と富永、そして刑事課強行犯捜査係長である織田智明警部補だった。織田は佐智子たちの直属の上司である。

 他の捜査係員たちは別の捜査に行っているため、この事件を担当できるのは3人だけだった。


「鑑識からの報告によれば、死因は頭部外傷とのことだ。階段から突き飛ばされて落ちたか、それとも自分で足を滑らせたか、まだどちらとも言えない」

 織田が鑑識からもらったメモを読み上げながらいう。


「ポケットに入っていた花札は、どうでしたか」

 富永が発言をする。


「こちらも被害者の指紋以外は検出されていない。この花札が何の意味を持っているのか、わからないな」

「では、まだ事件と事故の両面での捜査ということになりますね」

「ああ。目撃情報などがあればいいんだが」

「わかりました。現場周辺への聞き込み範囲を広げて、捜査を続けます」

 捜査会議はそれで終わった。


 会議室から出ていこうとすると、織田が佐智子のことを呼び止めた。


「高橋、花札を知らなかったそうだな」

「はい。初めて見ました」

「そうなのか。花札っていうのは、賭博なんかにも使われることがある。覚えておくといいぞ」

 織田係長によれば、花札の歴史は江戸時代までさかのぼるとのことだった。


 当時、花札は『武蔵野』という名で呼ばれていた。これは花札を刷るための木版が武蔵野と呼ばれるものであったためだとされているが、諸説あり、真偽のほどは定かではなかった。


「被害者が持っていた札。あれは『月見』っていう札なんだが、下の草原が武蔵野の野原を現しているそうだ。武蔵野っていうのは、昔の東京周辺を指すんだ。荒川より南、多摩川より北、東京都心に広がる地域を武蔵野台地って呼んだりもしている。ちょうど、この新宿も武蔵野の一部だな」

「織田さんって色々と詳しいんですね」

「まあ、たまたま最近読んでいる本に書いてあっただけだ」

 照れくさそうに織田はいうと、会議室を出て行った。



 被害者についての情報を集めていると、意外なところで被害者を知る人物がいた。

 それは佐智子たちの同僚である二川巡査部長だった。事件発生の日から連休を取っていたため事件のことは知らなかったのだが、出勤してきて捜査資料に目を通したところで驚きの声を上げた。


「この男、知っています」

「え」

 その場にいた全員が二川に注目をした。


「金村信也っていう、イカサマ師です。渋谷署生活安全課時代に何度か引っ張ったことがあります」

 二川によれば、金村信也は闇カジノなどでイカサマをして相手から金を巻き上げるイカサマ師だそうだ。数年前までは渋谷を拠点にしていたが、イカサマがバレて暴力団から狙われているという噂があった。おそらく渋谷に居られなくなり、新宿へと拠点を変えたのだろうとのことだった。


「そうなると、なぜ死んだかですね。やっぱり誰かに殺された?」

 現場検証では、金村が倒れていた場所付近に残されていた足跡は金村のもの以外は存在していなかったという結果が出ていた。


 金村はどうしてあのビルにいたのか。

 佐智子たちはその疑問を解決するべく、再び現場へと赴いた。

 現場百篇。かつて、佐智子に捜査のイロハを教えてくれた先輩刑事が口癖のようにいっていた言葉だった。



 イカサマ師の金村が倒れていたのは、ビルの三階にある踊り場だった。

 このビルに入っているテナントは、イベント企画会社や会計事務所などであり、金村が出入りするような場所はひとつもなかった。


 では、なぜ金村はこのビルにいたのだろうか。

 佐智子は一番上の階である四階の踊り場に立って、辺りを見回してみた。

 枯れてしまった観葉植物、段ボール箱などが踊り場には置かれており、関係者以外立ち入り禁止という札が貼られている。特になにか琴線に引っかかるようなものはない。


 ふと、道を挟んで向かい側のビルが気になった。

 そのビルの中に、昼間であるにも関わらず、カーテンの閉められた部屋があることを発見したのだ。しかも、カーテンの隙間からは室内の明かりが漏れている。一体、なにをやっている場所なのだろうか。佐智子は興味をそそられた。


 しばらく様子を見ていると、数十分おきに人の出入りがあることがわかった。出入りしているのはいずれも男性であり、年齢層はバラバラであった。


「富永さん、どう思います?」

「怪しいことは確かだな。ちょっと二川さんに聞いてみるか」

 富永はそう言って、二川に電話を掛けた。

 元生活安全課の二川であれば、こういった怪しいビルの一室がなにかわかるのではないか。そう思ったからだ。


 二川から回答はすぐに出た。

 見ていないから決定的なことは言えないが、おそらく違法賭博場だろうとのことだった。昼間でもカーテンを閉めている部屋、出入りしている人間と出入りに掛かる時間、そういったものを総合して考えると賭博場が開かれている可能性が高いのだという。

 そこが賭博場だとしても、佐智子たちに捜査をする権限はなかった。佐智子たちは刑事課強行犯捜査係であり、違法賭博の捜査をする権限を持っているわけではないのだ。

「生活安全課に連絡を入れておく」

 二川はそう言って、電話を切った。


 何となくではあるが、佐智子はこのビルで金村が何をしたかったのかがわかってきたような気がした。


 金村はこのビルから向かいにある賭博場を偵察していたのだろう。出入りしている客層などを調べ、自分のカモに出来る人間がいるかなどを調べていたに違いない。


 ビルの三階と四階を繋ぐ階段は、天井にある蛍光灯が切れていた。きっと、この場所は真っ暗だったに違いない。


 端に寄せられている段ボール箱のひとつが、妙な形に凹んでいるのを佐智子は見つけた。おそらく、金村はこの段ボール箱に足を取られたのだろう。あとで鑑識に調べてもらえば金村の靴に段ボールの繊維か何かがついているはずだ。



 新宿中央署の会議室に置かれたホワイトボードから金村の写真が外されたのは、その日の夕方のことだった。事件ではなく、事故死だと断定されたのだ。


 佐智子の予想通り、段ボールからは金村の靴型と同じ跡が検出され、金村の靴にも段ボールの素材と同じものが付いていた。


 また、金村の持っていた花札だが、金村は常にあの花札を持ち歩いていたことがわかった。周囲にはお守りなのだと話していたそうだ。


 身分のわかるものなどを身に着けていなかった理由は、もしも偵察していることがバレた場合に、自分の身元が割れることを恐れたためだろうと予想された。

 そのお陰で、こちらは余計な捜査をしなければならなくなったわけだったが。


 少し離れたところにある金村の知り合いがやっているという店に、金村は財布とスマートフォンを預けていたことがわかった。「ちょっと出掛けてくる」と告げて一時間ほどどこかへ行って帰ってくるということが何度かあったそうだが、その日、金村は帰ってくることはなかった。

 知り合いは、金村の身に何かあったのではないかと不安になっていたそうだが、金村が叩けばホコリの出てくる人間だということをわかっていたため、警察への通報をためらっていたそうだ。


「行く末は空もひとつの武蔵野に 草の原よりいづる月影」

「なんだそれ?」

 佐智子のつぶやきに、富永が反応した。


「知らないんですか。月とススキを歌った和歌ですよ。ほら、あの花札」

 佐智子がそういって指したのは、金村が持っていた月見の花札だった。

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月見札の男 大隅 スミヲ @smee

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