第30話(終幕) 夏の始まり Side - B

 私と隣の席の鈴原ソウタは、運命の赤い糸で結ばれているらしい。

 正直、運命を感じている。


 ずっと気になっていた人。

 でも、近づくことはないと思っていた。

 私たちは、タイプが全然違うから。

 相容れないと思っていたんだ。


 そんな彼と、私は手を繋いだ。

 まるで、夢を見ているみたいだった。


 起きているのに見てしまう夢。

 心がふわふわして、どこか現実味がない。


 その日は、多分私が彼にくっつきすぎた。

 当たり前に隣で歩けるのが嬉しくて、ついつい距離が近づいてしまったのだ。

 歩くたびに手が当たって、握ってくれないかな、なんてバカみたいなことを考えていた。


 限りなく夜に近い、夕暮れだった。

 私たちは街灯のついた街の中を歩いていたんだ。

 周囲には帰宅する会社員や、買い物帰りの主婦なんかがいた。


 不意に、私の手がぶつかった時。

 鈴原が、私の手を握ったんだ。


 心臓が止まるかと思った。


 嘘やろ。

 嘘でしょ。

 そんなことあるん……!?


 私の脳内はすぐに混乱に陥った。

 それも普通の混乱ではない。

 大混乱である。


「あー、えっと、何やっけ」


 話していた内容が一瞬で吹き飛ぶ。

 壊れたロボットみたいに私は「あー、あー」と繰り返していた。

 頭から湯気が出ていてもおかしくないくらいには、脳がぐつぐつする。


 何だ。

 何で鈴原は私の手を握ったん!?


 全然意図が分からない。

 だってずっと脈なんてないんじゃないかと思っていたから。

 私は彼が好きだったけれど、彼はいつも無表情で憮然としていて。

 何が響いているのかなんて、まるで分からなかったんだ。


 そんな相手が急に手を握ってきたのだから。

 混乱しないはずがないのである!


 少し歩くと、すぐに同じ学校の生徒が向こう側からやってきて。

 どちらともなしに、手を放す。

 心臓のドキドキが止まらず、オーバーヒートした蒸気機関みたいになっている。

 起こったことが信じられず、空に浮いたような心地で歩いていると。


「小鳥遊さん、家、着いたよ」


 鈴原の声で、ハッと現実に帰った。

 いつの間にか、私の家のマンションの前まで来ていた。


「じゃあ、また、学校で」


 鈴原は帰ろうとしている。

 何も言わずに。


 今の手繋ぎは何なんだとか、色々言いたいことがあるのに。

 上手く言葉を述べることが出来ない。

 何か言わないと、本当にこのままなぁなぁで終わっちゃう。


 私はそっと、自分の手を見つめる。

 鈴原の手の感触には、どこか覚えがあった。


 お墓参りの時は気付かなかったけど。

 今は違う。

 私は、確かめなければならない。


「鈴原」


 どうにかして、それだけを言った。

 彼が私の方を振り返る。


「手、出して」


「どうして」


「ええから」


 鈴原が差し出した手に、自分の指を絡ませる。


 彼の手をギュッと握り締めると、一呼吸置いた後、鈴原も私の手を確かに握ってくれた。

 重なった手に、そっと力が込められる。


 そこで、ハッとした。

 間違いない。


 ずっと疑問に思っていた。

 いつか、私が風邪を引いたあの日。

 私の手に残っていた、あの優しい感触が何なのかを。



 あれはきっと、鈴原の手の感触だったんだ。



 私はずっと不安だった。

 鈴原は、私のこと、女子としてよく思ってくれているのかどうかって。

 今もそれは変わらなくて、本当のところはどうなのかはわからないけど。

 彼は私の手を握ってくれている。


 それだけだった。

 それだったけど……。

 それで充分だった。



「ど、どうしたの」


「何でもない。ちょっと確かめただけ」


「さよなら」と告げ、その場を逃げるように去る。

 そこで、大切なことを言い忘れていたと気づいて、足を止めた。

 振り返ると、鈴原はまだそこに立ってくれている。

 そんな彼に、私は告げた。


「また明日ね」


 私の言葉を聞いて、鈴原は少し黙った後。


「また明日……」


 と、笑みを浮かべた。

 当たり前のことかもしれない。

 でも、今はそのあたり前が、何だか嬉しい。


 家に帰ると、相変わらず両親は仕事で、家には誰もいなかった

 今日はサトコ叔母さんも居ないから一人だ。


 でも一人でよかったかもしれない。

 こんなみっともない姿を人に見せるわけにはいかないからだ。


「あぁー! 手ぇ握ってもーたっ!」


 枕に顔を埋めながらゴロゴロと転がる。

 先ほどまでの興奮が冷めやらない。

 足をバタバタとばたつかせた。


 鈴原と重ねた手の感触がまだ残っている。

 ジンジンと、まるで熱を帯びたような感触に包まれている気がした。


「鈴原の手、結構しっかりしてたな……」


 普段華奢に見えても。

 背は高くなくても。

 ちゃんと男の子なのだと、実感してしまう。


 鈴原は、私の手を確かに握りしめてくれた。

 それが、気持ちに応えてもらったような合図に思えてしまう。


「いつか、ホンマにちゃんと繋ぎたいな」


 恋人として。

 大切な人として。

 もう一度、鈴原と手をつなぎたいと、強く思った。


 ◯


 次の日。


「おっはよーミナミ」


 昇降口で靴を履き替えていると、カオリが声を掛けてきた。

 私もいつもの調子で「おはよ」と返事する。


「何か今日めっちゃ暑くない?」


「梅雨明けたって」


「えぇー、最悪じゃーん」


 カオリは顔をしかめた。

 大仰な彼女の様子に、自然と笑みがこぼれ出る。

 そのまま二人して、教室に入った。


「あっ……」


 教室では、既に鈴原が席に座っていた。

 この間の事があったので、少しだけ気まずい。


「……おはよう」


「おはよう」


 私が言うと、いつも通りの真顔で鈴原は返事をしてくる。

 何だか少しだけ照れくさい。

 私がモジモジしていると、隣に居たカオリが私たちの顔を交互に見た。


「えっ……どうしたのこの雰囲気ぃ? 怖いんだけど?」


「なんでもない……」


「もしかしてミナミ、鈴原君とヤッたの?」


「なんもないから!!」」


 思わず叫ぶと、「怖い怖い」と言いながらカオリは自分の席に去って行った。

 こんな空気にしたまま置いていかないで欲しい。


 私が黙って席に着くと、鈴原が「小鳥遊さん」と声をかけてきた。

 彼から話しかけられるのは、正直かなり珍しい。


「梅雨、明けたって」


 窓からは、夏の気配を帯びた風が入り込んでくる。


「もうすぐ、夏が始まるね」


「うん」


 私が言うと、鈴原が笑みを浮かべて返事した。

 普段仏頂面の彼がときおり見せる笑みは、破壊力が強い。

 その笑みを、私は吸い込まれるように見つめてしまう。


 一瞬だけ。

 彼の小指から、キラリと伸びる赤い糸のようなものが見えた気がした。

 太陽の光に反射したそれは、私の指へと伸びている。


 赤い糸は、本当にあるのかもしれない。


 空は青く、雲は分厚くなっていた。

 太陽は明るく、風は夏の匂いを運んでくる。

 瑞々しく生い茂った草木は、風に揺れ、時々ざわめく。


 私たちの関係は、まだまだここからだ。

 でも、今年の夏は、何かが変わる。

 変わってくれる。


 そんな予感がしていた。




 ――第一幕 了

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隣の席の塩対応ギャルと運命の赤い糸で結ばれていたんだが @koma-saka

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