第29話 結び手③

 帰り道を小鳥遊さんと二人で歩く。

 図書委員の仕事ですっかり遅くなってしまった。

 夕陽が沈みかけており、空にはちょうど宵の色彩が混ざり始めている。

 星も輝き始めていた。


「でさ、その時カオリがめっちゃ顔しかめてたの」


「黒咲さん、普段笑顔なイメージあるから意外だね」


「でしょ?」


 小鳥遊さんとの話は尽きない。

 別れるのが何となく名残惜しくて。

 僕らは二人でゆっくり歩いた。


「あ、ごめん」


 不意に、小鳥遊さんと手がぶつかる。

 今日はよく手がぶつかる気がした。

 無意識に距離が近づいてしまっているのかもしれない。

 そう思って、少し距離を取って歩くことにする。


「何やってるの、そんなとこ居たら話しづらいじゃん。もうちょっとこっち寄りなよ」


 距離を取ると、即座に引き戻される。

 どうやら逃げることは許されないらしい。

 まぁ、逃げる理由はないのだけれど。


「あ、鈴原見て」


「どうしたの」


「前見てたアンティークショップ、今日はやってるみたいだよ」


 小鳥遊さんが前方を指さす。

 そこには、以前雨宿りしたアンティークショップがあった。

 ショーウィンドウから明かりが漏れており、ドアには『OPEN』の文字が記されている。


「ちょっと寄ろっか」


「いいよ」


 二人でアンティークショップへはいる。

 ドアを開くと、チリンチリンとキレイな鈴の音がした。


 決して広くはない店だ。

 小物がたくさん置かれ、独特な雰囲気が出ている。

 しかし、汚いとか、そう言った印象はなかった。

 店内には隅々まで掃除が行き届いて見えた。


 老人がレジカウンターのところに座っている。

 恐らく彼が店主だろう。


 老眼鏡をかけ、本に目を通していた彼は、一瞬だけチラリとこちらを一瞥いちべつすると、また本に目を落とす。

 冷やかしなのはわかっているのに、嫌な顔一つ見せない。


「いいなぁ、いつかこんな素敵な家に住んでみたい」


「小鳥遊さんの家も十分綺麗だと思うけど」


「あの家は別。何か整頓されすぎて機械的じゃん」


「機械的……」


 家に使う形容詞ではない気がした。


「私さ、いつか一人暮らしするのが夢なんだ」


「へぇ……」


「もし私が一人暮らししたらさ、遊びに来てよ」


「いいの?」


「鈴原だったらいいよ」


 それはどういう意味なんだろう。

 彼女の言葉の意味を、深く考えてしまう。


 すると小鳥遊さんが猫の人形に目を留めた。

 ぬいぐるみではない。

 しっかりした造りの人形だ。

 ウェイターの恰好をした猫がプリンの上に座っている。


「これカワイイ。こう言うの家に置きたいな」


「何の材質なんだろう」


「粘土じゃよ」


 カウンターにいる老人が、いつの間にか僕たちのそばに立っていた。

 少し驚いたものの、不快感はない。


「石粉粘土と言う、粉状の石を粘土加工したものを使ってるんじゃ」


「紙粘土とは違うんですか?」


「紙粘土よりも丈夫じゃよ」


「へぇ……」


 値段を見る。

 800円。

 買えない額ではない。


「あの、これ下さい」


「鈴原、買うの?」


「うん」


 僕は小鳥遊さんを見る。


「小鳥遊さんに上げるよ」


 すると彼女は驚いたように目を丸くした。


「え、でも悪いよ」


「この前のお墓参りの件もあるし。お礼がしたいんだ」


 すると彼女はすこし黙った後。

 嬉しそうに口元を緩めた。


「じゃあ、もらおうかな」


 ニヤけている。

 隠そうとしているけれど、丸わかりだ。

 その顔が、少し嬉しい。


 緩衝材の入った小さな箱に人形を入れ、そのまま紙袋に入れて渡される。

 その仕草からも、老人が商品を大切にしているのが分かった。


「またおいで」


 去り際、そう言われたので、僕らは「また来ます」と返した。


 ◯


 店を出て、何となく二人で歩いた。

 小鳥遊さんを家まで送る形になる。


「嬉しいな、あの人形。部屋に飾るよ」


「うん」


「おばあちゃんになるまで眺めるから」


「さすがに大げさすぎない?」


「いいじゃん、大切な思い出なんだし」


 すると、小鳥遊さんと不意に手がぶつかる。


「あ、ごめん」


 これで五度目だ。

 今日は何だか、よく手がぶつかる。

 そう考えて、さっきも同じことを考えたなと何となく思った。


「鈴原はさ――」


 どうしてそうしようと思ったのか分からない。

 でも次に手がぶつかった時。


 僕は、不意に彼女の手を握った。


 時が、止まったような錯覚を受ける。


「あー、えっと、何やっけ」


 小鳥遊さんの目がグルグルしている。

 予期せぬことが起こって、脳がオーバーヒートしたように見えた。


 嫌がられるかと思った。

 でも意外にも、彼女はそれを受け入れた。


「明日、晴れるといいな」


「そうやね」


「梅雨の時にみた雨、キレイだったね」


「うん」


「写真撮ってたら映えただろうなぁ」


「ええと思う」


 会話が入ってこない。

 自分が何を口にしているか分からなかった。

 手に汗をかいてしまっていないか心配になる。


 心臓が高鳴っていた。

 周りの音が耳に入らない。

 小鳥遊さんの声と、自分の鼓動ばかりが聞こえる。

 聞こえてしまわないだろうか。


 永遠に歩き続けられる気がした。

 さっきまで見ている世界と、今目にしているのは果たした同じなのだろうか。

 分からなくなる。


 不意に、前の方から僕たちと同じ学校の生徒の姿が見えて。

 僕らはとっさに手を離した。


「あー、あー、えーっと、何だっけ」


 心なしか、小鳥遊さんの声が空っぽに聞こえた。

 心ここにあらずと言う感じだ。

 でもそれは、僕も同じだった。


「小鳥遊さん、家、着いたよ」


「あ、本当だ……。ありがとね、送ってくれて」


「また、学校で」


 もう終わりなのか。

 そう思った時――


「鈴原」


 声を掛けられた。


「手、出して」


「どうして」


「ええから」


 訳が分からず、言われるがままハイタッチのようなポーズで手を差し出す。

 すると。


 彼女はその手に、そっと自分の手を絡めた。

 指の間に異物が入り込む感触。

 くすぐったいような、むず痒いような。

慣れない感覚に一瞬体が震える。


 小鳥遊さんの顔は真っ赤だった。

 たぶん僕の顔も、真っ赤だ。


 僕らはしばし、お互いの目を見つめ合った。


「ど、どうしたの」


 ようやく、その言葉だけを口から紡ぐ。

 すると小鳥遊さんはハッとしたように表情を変えた。

 慌てて手を放す。


「何でもない。ちょっと確かめただけ」


 確かめた。

 何を確かめたんだろう。

 不思議に思っていると、彼女は踵を返して歩き出す。


「じゃ、さよなら」


「うん……さよなら」


 すると、歩いていた彼女が途中でピタリと足を止め、こちらを振り返る。


「また明日ね」


「また明日……」


 そこからどうやって帰ったのかは覚えていない。

 気が付けば、僕は電車に座って揺られていた。


 何だか不思議な夢を見ていたような気もしたし、現実味がなかった。

 電車に乗りながら、僕は彼女と繋いでいた左手を眺める。

 そこから伸びた赤い糸は、今までにないくらい強く輝いていた。

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