第29話 結び手②

 ――はらくん。

 ――鈴原くん。


「鈴原くん!」

「へっ?」


 声を掛けられハッとした。

 目の前に同じ図書委員の清水さんが怪訝な顔をしている。

 僕は図書室に居た。

 放課後の図書室。

 図書委員の仕事だった。


「聞いてる? 私の話」


「……ごめん、聞いてなかった」


「さっきからボーっとして、大丈夫? 調子悪いの?」


「いや、大丈夫。ありがとう。それで、何だっけ?」


「私、用事あるから先帰るねって。先生には許可取ってるから」


「あ、うん。わかった。お疲れ」


「お疲れ様」


 清水さんが出ていく背中を見送り、独り図書室に残される。

 相変わらず放課後の図書室は利用者がいない。

 ただ、こういう静かな時間が僕は嫌いじゃない。


「今日はダメだな……」


 昼間したネガティブな妄想が頭から離れない。

 と言うか、先日からずっと手を繋ぐことに固執している。

 我ながら本当に気持ち悪いと思う。


 お墓参りで小鳥遊さんが僕の手を取った情景がきっかけだ。

 何だかあの時の場面が強く印象に残ってしまった。

 だからきっとそんなことを考えてしまうんだ。

 早く忘れないとダメなのに。


 誰かを好きになった時。

 その人の言動の意味はちょっとマイナスくらいでとらえた方がちょうど良いんだ。

 何故ならちょっと善意を向けられただけで勘違いしそうになるから。

 特に僕は人と長く関わってなさ過ぎる。

 だから、ちょっと人に善意を向けられると、すぐにほだされる。

 勘違いしてしまう。


「弱くなったな……」


 何となく、呟いてしまう。


 独りでいるのは平気だと思っていたのに。

 拒絶されるのが怖かった。

 他の誰かに拒絶されたとしても。

 小鳥遊さんだけには、拒絶されたくなかった。


 すると、不意に左手小指の赤い糸がゆらゆらと揺れた。

 少し引っ張られるような感覚だ。

 何だろうと思い、少し眺めていると、不意に図書室のドアが開く。


「鈴原、いる?」


 姿を見せたのは、小鳥遊さんだった。

 来ると思っていなかったので、心臓の鼓動が跳ね上がる。

 しかし小鳥遊さんは特に僕の様子に気づかず中に入ってきた。

 僕もなるべく平静を装う。


「どうしたの? 珍しいね」


「んー、居るかなぁって思って。顔見に来た」


「そう」


 暇つぶしなのかもしれない。

 でもそれが嬉しい。

 いや、でも本当に暇だから来たのだろう。

 決して、会いに来てくれただなんて思ってはいけない。


「鈴原、今日元気なかったよね。大丈夫?」


「別に、ちょっと考え事してただけだよ」


「なら良いんだけどさ……」


 そこで彼女は、パッと閃いたように表情を変えた。


「ねぇ、ちょっとカウンターの中入っていい?」


「別に良いよ」


「じゃあお邪魔します」


 小鳥遊さんはカウンターの中に入ってくると、僕の隣に座って「へへっ」と笑った。


「いつもとは位置が逆だね」


 その笑顔が、無性に輝いて見える。

 どうしてだろう。

 まともに見れなくて、僕はそっと視線を逸らした。


「カウンターの中ってこんな感じなんだ。いいね」


「そうかな」


「うん。放課後の図書室って落ち着く」


 小鳥遊さんはぐっと伸びをすると、不意にこちらを見た。


「鈴原はさ、夏休み何したい?」


「どうしたの、急に」


「昨日さ、LINEで話してたじゃん。鈴原は何かやりたいことないのかなって」


「どこか出かけたりとか、遊びに行ったりとか」


「どうだろう……」


 僕は少し考えた。


「正直、分からないんだ」


「分からない?」


「誰かとどこかに行ったりとかしないから。遊んだり出かけるって言っても、どこで何をすればいいのかが分からない」


「遊び方を知らないってこと?」


「たぶん……」


 我ながら話していて情けなくなる。

 でも、それは事実なのだから仕方がない。


 下手に取り繕って、話を合わせることくらいは出来たかもしれないけれど。

 小鳥遊さんに対してだけは、妙なごまかしはしたくなかった。

 出来ないことは出来ないと言っておきたいし、分からないことは分からないと伝えておきたい。


 どうしてか。


 たぶん僕は、彼女に理解されたいのだ。

 知ってほしいと、そう思っている。

 ただ、高校生にもなって「遊び方を知らない」なんて、呆れられただろうな。

 陰キャ男子が過ぎると、笑われてしまうかもしれない。


 小鳥遊さんは少し黙った後「じゃあさ」と不意に言葉を紡ぐ。


「夏休み、私とあ……遊んでみるって言うのは、ど、どう?」

「へっ?」


 予期せぬ提案に思わず間抜けな声が出る。

 小鳥遊さんは俯いたまま、顔を真っ赤にしていた。


「私、色々知ってるしさ。面白い場所。何か……一緒に行ったら、鈴原が何を好きなのかとか、分かるかも」


「でも、小鳥遊さん忙しいんじゃないの? 黒咲さんたちと遊んだり、モデルの撮影したり」


「そりゃあ、カオリたちとも遊ぶけど、毎日じゃないよ。撮影だって、月に数本とかその程度だし」


 彼女は「だからさ……」と言葉を続ける。


「どっか行ってみない? 二人で」


「小鳥遊さんと、二人?」


「うん。鈴原が嫌じゃなければ」


 嫌なはずがない。


「行く」


 僕は言った。


「僕も、小鳥遊さんと出かけたい。小鳥遊さんが、嫌じゃなければ」


 すると、彼女はパッと表情を明るくする。

 夕陽が差し込む図書室で笑う彼女は、何よりも美しく見えた。


「じゃあ決まり。行ってみたいイベントとか、リストアップしとく」


「僕も、興味ありそうなのないか探しとくよ」


「楽しみだね」


 そうして僕たちは、内緒話でもするかのように二人でクスクスと笑う。

 僕たちが笑うたび、赤い糸が美しく輝いていた。

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