ゾンビたちの黄昏
大窟凱人
ゾンビたちの黄昏
長谷川蓮は夜のラジオから流れてきたニュースを耳にし、愕然とした。聞き間違いかと思ったが、ニュースキャスターの女はまったく同じ内容を繰り返し、それが間違いでないことが確定する。彼は心のどこかで、いつかこうなる時が来ることをわかっていたが、改めて宣言されてしまうと、恐怖の念がどっと押し寄せてきた。長谷川は居ても立っても居られず、頭を抱え、のたうち回った。
──彼は、ゾンビだった。
Dr.リチャード・ミラーと、共に戦い続けてきたコミュニティーの仲間たちにより、ゾンビウイルスのワクチンが開発され大量生産にも成功。人類は地球をゾンビの支配から取り戻した。ここに至るまでに十数年の時を要したが、人類は勝利した。
ワクチンを打っていれば噛まれてもゾンビ化することはない。人々は臆することなくゾンビ達を狩ることができるようになった。世界人口わずか3億人にまで数を減らしていた人類だったが、ゾンビの減少と反比例して増加していくことになる。
そこからさらに14年が経った。
ゾンビたちはゴキブリのようにしぶとく、まだまだ生き残っており、その数は数億ともいわれている。ゾンビ全盛期に比べればかなり少ないが、人間を見つけると襲い掛かってくるため、世界中の各地域のコミュニティーは本腰を入れてゾンビの完全殲滅へと踏み切った。
ラジオから流れてきたのは、そんな内容のニュースだった。長谷川はゾンビパンデミック時にゾンビ化した男なのだが、感染したにも関わらず、人間の意識があった。体はゾンビ。しかし、脳みそだけは無事だったのだ。30年以上、年も取らずにゾンビの姿のまま森や人目につかないところに隠れ続け、死んだ動物や人間の死体を時折拝借しながら生き延びてきた。
「ど、どうしよう。人間が俺を殺しに来る」
脳は無事、体は不死、食欲は無限に沸き上がり、生存欲求はゾンビになる前よりずいぶんと膨れ上がった。その分性欲と睡眠欲は消失したが、彼は死にたくなかった。不死身の体で永遠に生き続け、生を謳歌したかった。
ゾンビになる前の彼は、日本で非正規労働者として職を転々としており、正直なところ人類に未練などなかった。ゾンビウイルスによるパンデミックが起きた当時の年齢は47歳。独身。無能だと蔑まされ、辛い労働を強いられながら、酒とたばこに溺れて、孤独に虚しく死んでいくだけの人生より、ゾンビになっていろんな場所を旅して、景色を眺めて、腹が減ったら何か食い、のんびりと過ごせる時間は至上の幸福だった。
そのうえ、今いる山のねぐらは彼のお気に入りだった。まず、山小屋が彼がこの山に来る前からあり、雨風をしのげたことが大きい。彼はここを起点に生活環境を整えていった。山小屋の中には藁で出来たベッドと、これまでの旅で見つけてきた本が置いてある。読書も彼のゾンビ人生を充足させる大切なものだった。山小屋の外で焚火を囲い、木の椅子に座って読書を嗜む。至福の時間だ。問題が起こらない限りここに居続けたいと思っている。
やらなきゃやられる。奪われる。
長谷川は、自分の持っている武器を整理し始めた。
この体になってから得られた最大の恩恵といえば、やはり身体機能だ。腐食が進み多少は低下したが、極端に落ち込むことはなかった。ウイルスの影響で常に細胞は動いており、栄養を取り入れば再生も可能である。睡眠は必要なく、24時間動き続けられる。ただし栄養補給が欠かせない。
そして、これもウイルスの影響なのだろうが、聴覚がバツグンによくなった。おそらく、人間という獲物を狩り生命を維持するために進化したのだろう。数百メートル以内なら、音を正確に聞き分けられる。これが彼が生き延びてこれた理由の一つだった。近くで人間の足音や囁く声が聞こえたら、さっと逃げることが出来る。
だが、今回はこれまでと違う。人間たちは力を取り戻しつつある。大量の武器を携え、連携し、大勢でゾンビを狩りに来るだろう。居場所を求めておろおろと彷徨っていた昔の人間とは違うはずだ。
この能力を駆使しながら、この山に罠を張る必要がある。
次の武器は、これまで各地を歩きながら手に入れた戦利品たち。ライフルに拳銃、ボウガン、手榴弾、通信機、釣り糸などの小物である。
ここは日本なのにこんなもん、よく見つけられたな。
おそらく自衛隊かヤクザか何かの持ち物だろう。あるところにはあるものだ。しかし、拳銃はあまり使えない。彼の体はある程度腐敗しており、衝撃を受けすぎるとちぎれてしまうからだ。また、指先もゾンビになる前と比べて弱い。体が欠損するのは避けたかった。今後の生活に支障が出てしまう。とすれば、手榴弾と釣り糸を使ったトラップを張り巡らせるのがベストだ。
最後にもう一つ、彼には切り札があった。どちらにせよ、準備を要する。
人間がいつ襲ってくるかはわからない。善は急げだ。
長谷川は立ち上がり、夜の闇を前進した。
戦いの火蓋が切って落とされたのは、それから一週間後の真昼だった。
山の向こうで爆発音が鳴り響いた。誰かが手榴弾の罠に引っかかった。青空を背景に、立ち昇る煙が見える。ここから2,3kmの地点だ。彼は耳を澄ましながら煙のある方向へ行った。
しばらくすると、人間の足音が聞こえてきた。数人……いや、十数人はいる。鹿や猪が間違って引っかかったわけではなさそうだった。
奴らを殺す。
とはいえ、作戦はいたってシンプルだった。事前に仕掛けた手榴弾を潜り抜けた奴らは、隠れた場所から残った手持ちの手榴弾を投げ込んで一網打尽にする。投げた後はまた逃げて隠れる。この繰り返しだ。残る手榴弾はあと三つしかないが、十数人程度ならきっといける。
長谷川はこの山に長い期間滞在しており、どこが隠れやすいのか熟知していた。それに、この時のためにいくつか隠れられる場所も増やしていた。
人間たちの足音のする方へと進み続けると、隊列を組んで進む小隊を発見した。タンクトップに赤いバンダナをつけた筋肉質なあの女が、リーダーのようだ。彼女たちは長谷川の存在にまったく気づいていないどころか、固まって身を寄り添いながら歩いている。
飛んで火にいる夏の虫とはこのことだった。
長谷川は手榴弾のピンを外し、彼女たちのいるど真ん中へ投げ込んだ。
隊列は落ちてきたそれに気づいて、一瞬身を固めたあと、リーダーの彼女が叫んだ。
「逃げっ──」
遅かった。爆発は隊列のはらわたを抉り、周辺は阿鼻叫喚の地獄と化した。絶命した者、手がちぎれて泣き叫んでいる者、足がない者、視力を失った者たちが蠢いていたが、このような光景はゾンビになってから毎日のように見慣れた光景であり、彼の胸は痛まなかった。
一個小隊は、ゾンビ狩りどころではなくなり、退却を余儀なくされた。
これに懲りたら、もうここへ来るんじゃないぞ。
長谷川は踵を返し、ねぐらへと帰ろうとしたが、彼女たちはもうすでに絶命していて運べない者は置いて帰ったため、その死肉を漁った。
元人間ながら、人間という生き物は恐ろしい。
その日の夜、長谷川がねぐらで休んでいたところ、もう次の部隊が送り込まれてきたのだ。今度はヘリも使い、聞こえるだけでも百名以上の足音が山のあちこちから聞こえる。そのため、うるさくて正確な位置が読めない。複数の小隊が一斉に集まり、山狩りをしている状態なのだろう。手榴弾の爆発音も聞こえてこない。あの女の小隊長からの情報を受けて、念入りに確認しながら進んでいるのだろうか。
認識が甘かったようだ。彼らは、この星の支配者。弱肉強食という自我を持たぬ生命の愚かな営みを超えた場所にいる。
その同胞が殺されたのだ。怒り狂うのも無理はない。手榴弾を投げ込まれたことにより、頭脳の高いゾンビか、敵対する人間の勢力がいると報告を受けたのだろう。
ちっ、全員殺しておくべきだった。とんだ間抜けだ。
だが、悔やんでいても仕方ない。
この方法は危険だからやりたくなかったのだが……。
長谷川は、通信機を取り出してマイクに口を当て、叫んだ。
奇声が森に響く。耳を澄ますと、足音は数秒停止した後、長谷川のいる場所へと方向転換をはじめた。
ゾンビが獲物を見つけた時に発する声に、共通する音がある。長谷川は長い間ゾンビの中で生活し、自身もほぼゾンビとなったせいか、彼らを一定方向へ誘導することが出来るようになっていた。常に餌を求めているだけのゾンビにとっての言語はほぼ「獲物だ!」という単純な指示しか出せないが、いざという時には役に立つ。長谷川はこの一週間のうちに、付近の山々に通信機と無線で繋がったスピーカーをいくつも設置し、その近辺に生き残っているゾンビをかき集めていた。その数、ざっと数千体。集めるのは容易かった。一声かければ一度に大勢のゾンビが集ってくる。その大量のゾンビを、通信機を使って呼び寄せた。
あとは時間との勝負だ。ゾンビ達が集まってきたら混乱に乗じて逃げる。とはいえ、フル装備を備えている軍隊とどこまでゾンビの群れがやり合えるのかは未知数だ。それまで少しでも奴らの数を減らせればいいのだが。
彼は事前に掘っていた穴に潜り、枯葉でカモフラージュされた木の板をその上に被せて隠れた。
30分後。相変わらず足音がうるさくて、どこから来るのかまったく予測がつかない。長谷川は仕方なく隠れ穴から外の様子を見た。
ねぐらに、5人組の小隊がやってきていた。
彼らは人が住んでいたような形跡を見つけ、いぶかし気にあれこれ触っていた。彼らの中の一人が、木で作った椅子を蹴り、踏みつぶした。そして、焚火のスペースも蹴り飛ばされる。あそこで焼くの肉の味はまた格別だったのに。ちくしょう。荒らすんじゃない。ちくしょう。
しばらく見ていると、2人が山小屋の中にも侵入していった。彼らは物色を終えると中から出てきて、大切な本を手に持って何やら仲間たちで笑い合っている。
その後、彼らは山小屋に火を放った。
大事な大事な小屋が、囂々と燃えていく。真っ赤な炎の明かりが、長谷川の顔を照らした。
ゾンビの群れがここに到着するまで耐え忍ぶのが無難だった。だが……。
許さない。最低でも一人は殺してやる。
彼はボウガンを手に取った。ライフルよりは音が小さいし、この隠れ穴からねぐらまで20mは離れている。
危険だけど、やってやる。反動で怪我をするかもしれないが、木の板でガードするから多分大丈夫だ。
長谷川は矢を装填し、スコープから狙いを定めた。山小屋の炎が標的を照らし、味方してくれている。十分に的を絞り、彼は矢を放った。
──っ!
反動に衝撃が伝わる。スコープでもう一度標的の様子を見る。標的は、矢を首に打ち込まれ、その場に倒れ込んでいた。仲間たちが駆け寄り、辺りをキョロキョロと見回している。
やった。ざまあみろ。
どうやら、位置もバレていないようだった。あとはゾンビの群れの到着を待とう。危険な仕返しだった。
長谷川は、隠れ穴の蓋を閉じようとした。
だが、誰かの手がそれを阻んだ。
「みつけたぜ。クソ野郎」
タンクトップ姿で、赤いバンダナをつけた彼女は、そう言って木の蓋を片手でぶん投げた。
こいつは、あの時の女リーダーか!? どうやって? 俺が行動を起こすのを注意深く探ってたっていうのか?
「ああ? 人間かと思ったら、ゾンビか? でもまあ、こそこそと隠れて爆弾なげたり、ボウガンぶっ放したりしてるってことは、てめえ、頭は人間だろ? よくもうちの部隊をめちゃくちゃにしてくれたな。可愛い部下たちの死体も食い荒らしたみたいじゃねえか。クソ外道がよ」
ど、どうにかして逃げないと。
「テンパってやがんな。ゾンビだったら速攻で襲い掛かって来る。てか目で分かる。感情もあるし、やっぱ人間だ。こんな野郎がいるとはな。少し驚いたぜ。今すぐぶち殺してやりたいところだが、連れて帰んねえとダメそうだなこりゃ」
仕方ない、手の一本犠牲にしてでも、この銃で……
「おっと動くなよ。変な真似したら殺す」
長谷川は従った。ライフルを構える彼女の目には、冷たい復讐の炎が宿っていた。
くそ。ダメだ。
「おーい! みんな、犯人を見つけたぜ。運ぶの手伝え」
彼女は大声で仲間を呼んだ。
「観念しろよ、クソゾンビ」
──その時だった。山小屋の方から叫び声が聞こえた。
「なっ!?」
彼女は長谷川から視線をそらし、うしろを向いた。山小屋の方では、無数のゾンビ達が山小屋を荒らしていた隊員たちに襲い掛かっていた。
長谷川が呼んだゾンビの群れが間に合ったようだった。
その隙に、彼は銃を取り出し赤いバンダナの彼女に向けて撃った。
「ガッ」
銃弾は彼女の肩をかすめただけだったが、彼女はライフルを落として後ろに倒れた。
チャンスだ。手も大丈夫。いける。
長谷川は荷物を抱えて、隠れ穴から飛び出した。
「逃がすかよボケが」
彼女は、ライフルを持ち立ち上げようとしていた。だが、ゾンビが彼女に飛びつく。
「ぐっ! 邪魔すんじゃねぇ!!」
長谷川は構わず逃げる。背後から怒声が轟く。
「てめえ、ぜってー見つけ出して殺す!!!!」
彼は、振り返らなかった。
山は大混乱だった。数千のゾンビが山に集い、雪崩のようにゾンビ狩りたちを襲った。飢えたゾンビたちは人の肉の味を覚えた熊より狂暴だ。銃声や叫び声がひっきりなしに聞こえ、さらには山小屋を燃やした火が発端となり山火事になった。
長谷川は音の少ない方向を選び、安全に山から下りることに成功した。
振り返ると、数年間お世話になった山が、赤く燃えていた。
人間も、ゾンビも、木々も焼けて灰になっていく。煙が夜空に昇っていった。
あの赤いバンダナの女は生き残っただろうか。
いや、そんなことよりとにかく、ここから離れるのが先決だ。彼は歩みを進めた。
これから、どうしようか。
彼は歩きながら、思考を巡らせた。
また、別の良い場所を探すか。でもまた見つかったら? 繰り返しだ。いずれ破綻する。
それに、人間たちもどんどん銃火器や装備を充実させてきている。ヘリまであるなんて予想外だ。あんなたくさんの人員をゾンビ狩りに当てられるなんて……
長谷川には、自分が殺される未来しか見えなかった。
──やらなきゃ、やられる。
今が最後のチャンスかもしれない。これ以上人間が強くなれば、俺は確実に死ぬ。
それなら……こっちから仕掛けてやる。
まだ生き残っているゾンビをかき集める。もしかすると、俺みたいに半分ゾンビで意識は残っている奴もいるかもしれない。人類が完全に力を取り戻す前に、叩き潰す。
それ以外に、生き延びる方法はない。
やってやるさ。俺の聴覚は進化した。このゾンビウイルスにはまだまだ伸びしろがある。
この星の支配者は、この俺だ。
ゾンビたちの黄昏 大窟凱人 @okutsukaito
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