Eve ―発条仕掛けのロンド―

青造花

序章

01.運命の歯車が廻りだす


「オスカーはあたしとデートに行くの!」

「何よあんた、邪魔しないで! 最初に約束したのは私だったんだから!」

「ねえオスカー、シャトロワ通りに新しい喫茶店ができたみたいなの。一緒に行きましょう?」

「あー……」


 オスカーは泣きぼくろのある頬を掻いた。

 モザイク模様の歩廊が伸びるアーケード街パサージュ、その広間ロタンダの中心。古色輝くうつくしい空間で三人の乙女に囲まれた青年の、灰色の瞳に甘い苦笑がにじむ。


「俺のために争わないでくれよ。誰かひとりを選ぶことはしねえって言っただろ?」


 襟足を伸ばした茶髪に切れ長の目、すらりとした長躯が魅惑的な彼は、巷で噂の遊び人だ。

 生業は航海士。大型の貨客船を海賊から護る、護衛船舶の副船長である。ひとところにとどまれない海の男らしくその気質は軽薄を地で行くが、恵まれた見目のために女の影が絶えない。

 特定の相手をつくらぬままで、彼は港ごとに大勢の恋人を持っていた。来る者拒まず愛するオスカーの、彼女になる条件はただひとつ――それは、彼のと約束すること。


「どうしたんだ。いつもは喧嘩なんてしねえのに」

「だってぇ……」

「オスカー、もうすぐまたこの島を発っちゃうんでしょう? 会えるうちにあなたを独占したいって、駄目とわかっていても思ってしまうのよ……」


 もじもじとうつむく三人は、全員がオスカーの可愛い恋人である。彼にとってはどの娘も愛おしく、気持ちに差はつけられない。


「嬉しいよ。俺も愛してるぜ。やりたいこと順番に叶えるから、デートなら四人で行こう。な?」


 オスカーは目の前にいた恋人の顎を掬ってキスをした。ずるいと悲鳴をあげた娘ふたりの腰を抱き、シャトロワ通りのほうへと歩きだす。

 瀟洒な歩廊には懐古的な店々が建ち並んでいた。純喫茶や古書店、画材屋、骨董品アンティークの蒐集店。宮殿につくられた迷路を思わせるきらびやかな商店街の、天井を覆うガラス屋根には雨粒が跳ねている。重く垂れこめた空模様――だがオスカーが歩けば湿った空気も華やいで、すれ違う乙女に婦人が、とろけた表情をして振り返った。


「オスカーだわ……」

「彼、好意のすべてに応えてくれるそうじゃない。一度くらい遊んでもらおうかしら……」


 悩ましげに囁きを交わす女たち。そのの手足も、ここ魔術と機械の国ゼハルギカでは見慣れたものだ。


 ゼハルギカ――この国は五つの島から成る。

 煤煙で汚染された東島、ガラスのアーケード街パサージュが華やかな西島、腐食化が進んでいる南島、永久凍土の北島、そして封鎖された中央島。蒸気を動力とする飛行船や機関車、外輪船で繋がれている島々は、七十年にわたる酸性雨で少しずつ溶けだしており、緩慢な死を迎えつつある。

 神の悪戯か、もしくは審判か。ある日を境に降りだした厄災の雨はやまず、いつしか地上は一変した。生花が死に絶え、食物も人工的なものしか出回らなくなり、劣悪な環境への順応を迫られた生き物は、機械化というかたちで進化したのである。


 オスカーは生身の四肢を保っているが、いまや、ゼハルギカにおいて非機械化の人間は少ない。彼にしなだれかかって歩く可愛い恋人たちもまた、金属と融合した冷たい身体の持ち主だ。


「そういえば聞いた? 西の海で最近、超巨大型のリュウグウノツカイが出たって」

「未発見の金属元素でできた幻の魚ってやつよね。機巧機関は捕獲したがってるそうだけど、私は興味ないわ。兎や蜥蜴のほうが可愛いもの」

「オスカーは何が好き? 忠誠心の強い犬かしら、それとも籠のなかでうつくしくさえずる小鳥?」

「そうだな、俺は……」


 そのとき、差しかかった十字路の角から飛び出してきた人影が、オスカーの胸にぶつかった。

 思わず立ちどまった彼の目の前で、小柄な人物がこてんと尻もちをつく。そよめく花のように舞った純白のクラシカルロリィタの裾と、陶器人形ビスクドールさながらの玉の肌と。やけに人目を惹きつける容姿の――頭からつま先までが完璧な愛らしさで構成された、高貴な白猫めいた少女だった。

 ちょうど、そう、とてもオスカー好みの。


「失礼! お怪我はありませんか、お嬢さん」


 革手袋を嵌めた手を差しのべる。すると少女が、うつむけていた顔をゆっくりと持ちあげた。

 ふわふわの灰髪が揺れ、大輪の造花をあしらったボンネットから、青金石ラピスラズリの瞳が覗く。


「っ……!」


 オスカーは息を呑んだ。

 深い青のまなざしを向けられた瞬間、心臓が大きく脈打ったのだ。人が一目惚れをしたときに覚えるという、雷に打たれたような衝撃。初めての感覚に呼吸を忘れ、少女の可憐な美貌を凝視しているうちに、差しのべた手がするりと握られる。

 絡みあった指はオスカーと同じ非機械化のもの。やわらかな感触が革手袋を通して伝わってきた――はずなのに、血のかよった生き物とは違う肉感を気取けどったのはなぜなのか。

 ちいさな違和感を抱いたオスカーの視線がふと、あるものを捉える。少女の片手に握られた金属製のパゴダ傘、その照り輝く鈍色を。


(鋼鉄……?)


 それは時代遅れの遺物であった。やまない酸性雨に侵されたこの国においてはもう、価値がないとして淘汰された金属。生物の機械化素材や建築資材のすべてが、耐腐食性にすぐれた特殊合金で賄われるようになって久しいというのに。


「ねえ、ミスタ」


 胸騒ぎがする。海を渡る風のなかに、やがて来る嵐の匂いを感じたときのような。オスカーのそんな直感は、すぐさま的中することになる。


「助けて。わたし追われているの」

「は?」


 直後、にわかに周囲がざわついた。

 何事かと顔をあげたオスカーの目に、黒づくめの集団の姿が飛びこんでくる。

 上質な外套をまとった、特殊合金製の機械人形の群れ。人の輪郭シルエットに鴉の頭部、物々しい光沢を帯びる鋭いくちばしが特徴的な……。


「機巧機関……!?」


 この国の人間で彼らを知らぬ者はいない。

 ゼハルギカの中核を担う、魔術と機械技術の研究開発組織・機巧機関――そこで飼われている追従型の機械生命体だった。普段は各拠点に配備されている構成員であって、街中で見かけることはめったにない。彼らが市井に放たれるとすれば、国を挙げての大捕物があるときくらいだ。


「追われてるって、まさか」

「ええ、そう」

「何したんだよ!?」


 底光りする鴉の眼球が少女を捉えたかと思うと、それらは人波を縫って矢のように向かってきた。

 関わるべきではない、このまま少女を引き渡せと本能が警鐘を鳴らす。……当然だ。相手は一大組織で、たとえ少女にどんな事情があろうともうかつに手を貸せば国を敵に回しかねない。

 頭ではわかっている。わかって、いた。

 しかし女好きのさがと面倒見のよさが働いて、気づけばオスカーは少女を抱き起こしていた。助けを求められては捨ておけない。それが自分好みの女性ならなおさら。情に厚く最低な彼の背後から、三人の恋人たちの非難が飛んでくる。


「オスカー! 私たちとの約束は……!?」

「悪い、必ず埋め合わせする! ――おい逃げるぞお前! 話はそれからだ!」

「きゃ」


 腰を抱かれた勢いで、こてんと少女がまた転ぶ。

 オスカーは迫り来る鴉の群を前に舌打ちすると、このか弱く、ふわふわした愛らしい生き物を片腕で抱きあげた。よそゆきの、紳士的な態度が剥がれてしまっていることに気づける余裕もないまま、彼は踵を返して走りだす。

 アーケード街パサージュを駆け抜け、ガラス屋根の途絶えたその向こう。死の雨降りそそぐ街中へ。


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