薔薇の棺

ハヤシダノリカズ

薔薇の棺

「しかし、なんと言うんですかね。やりきれないと言ったらいいんですかね。まだまだお母さんに甘えたい年頃だろうに、気丈というか健気というか。園田家のお子さんたちは偉いですねぇ。まだまだ心の傷も癒えていないでしょうに、『おじさん! お仕事してくださって、ありがとう。よろしくお願いします』なんてニコッと笑いながら、缶コーヒーをくれましたよ。ご主人はご主人で、あんなに若くて綺麗な奥さまを亡くされて一年って言ってましたっけ。仕事も忙しいでしょうに、お子さんの世話に手を抜いている様子もない。忙しくしている方が気も紛れるってものかも知れませんが、お父さんも立派なら、お子さんたちもシッカリ育つってもんなんですかねぇ。良家ってのはスゴイもんですねぇ」

 背中を丸めて雑草をむしりながら、作業着の男は近くで同様の作業をしている男に言った。

「いつも言っているが……。多弁は雄弁足りえないのだよ、田辺くん。我々はその奥さまが大事になさっていたこの薔薇園の手入れを頼まれた。粛々と作業を遂行し、その結果で喜んでもらう。それ以外の事は些末事だ。お喋りはほどほどに、な」

「へいへい。分かってますよ、根来ねごろさん。しかし、根来さんトコロの屋号は、”根来ナンでもてん”でしたっけ? 薔薇園の草むしりってのは根来探偵事務所の仕事の範疇なんですかい?」

「私には、亡くなった奥さんとちょっとした交流があったからな。ずっと自分一人で大切に管理していたこの薔薇園を、見ず知らずの庭師に触られる事に抵抗があったらしい。せめて、二、三年は根来さんにと、病床でそう言っていたそうだ」

「へー。そういうご縁ですかい」

 梅雨が近づく蒸し暑さの中、二つの作業着が薔薇園の地面で何やらボソボソと話しながら、もぞもぞと動いている。似たような作業着だが、一つは下町風情で、一つは紳士の風格が漂っている。


「いてっ!いてーなぁ、チクショウ」

 薔薇の棘で顔中浅いひっかき傷だらけになりながらも、田辺は目についた雑草を全てむしり取っている。ただし、黙って作業を続ける事は苦手なようだが。

「美しい薔薇には棘があるっちゃあ、よく聞く話ですけども。オレが今まで出会った女はこんなに刺して来ませんでしたよ」

「薔薇には自分から近づいてこそ、その棘で肌を傷つけられるのさ。田辺くんは女性のその棘の部分にまで踏み込んで来なかったのかも知れないな」

「バカにしちゃあ、いけませんや。このオレにだってねぇ! わわわっ」

 そう言いながら振り返ろうとして、田辺は体勢を崩し、地面にどさっと倒れ込んだ。

「いてててて。ん?なんだこれ」

 倒れ込んだ田辺は手の先の土の下に土でもない石でもない固い感触を覚えた。そして、その土を掘り返すと、高級焼き菓子が入っていたであろう鉄の箱が出て来た。田辺は躊躇なくその蓋を開け、中に入っていた紙を広げてまじまじとそこに目を走らせる。


「わーーー!根来さん、根来さん!とんでもない事が書いてありまさぁ!」

 そう言いながら、田辺は掘り起こしたそれらを持って根来の下へ走り寄る。そして、事の顛末を伝えながら中の紙を根来に差し出す。

「ったく、オマエは……。勝手に中を見るとはな」

 田辺をそう窘めつつも、田辺が中を知った以上、自分が知らぬ訳にもいくまいと、根来は田辺から受け取った紙に目を落とす。


『拝啓 根来利一様

 この手紙を根来さまが最初に見つけて下さることを祈って、私は今、ペンを握っています。私の命はもう長くありません。しかし、三十歳にもならずにあの世へ旅立つ私には、この秘密が重すぎるのです。誠に不躾ではありますが、根来様にはこの秘密の共有者となって頂きたいのです。この重みの半分でも根来様に持って頂けたなら私は少しだけ楽に旅立てるでしょう。

 愛する優子、隆俊、真理恵の三人は間違いなく私の子ではありますが、夫の子ではありません。夫は自分の子だと信じていますが、そうではないのです』

 そこまで読んで、根来は田辺と顔を見合わせる。

「マジかよ……」

 根来はボソリと呟いた。


 ---


「『おかあさんの大切な薔薇園をキレイにしてくれてありがとう』って、あんなに小さい女の子が……」

 軽トラックの助手席で涙ぐんでそう言っているのは田辺だ。

「あぁ。そうだな」

 二人は薔薇園の草むしりという依頼を終え、借りていた軽トラックを返す為に、根来が懇意にしている工務店へと向かっている。

「ですけど、よかったんですかい? 亡くなった、えーっと、れ、玲子さんのあの手紙。持って帰ってきちまって」

「まさか、そのまま、『こんなものが出てきました』と園田さんに渡してくる訳にもいくまい」

「ですけど、将来、DNA鑑定なんてされたら……」

「親子関係を疑うDNA鑑定なんてものは、それをやると決めた時点でその親子関係は破綻しているだろうさ」


「事件なんて起こらなかった。何もなかった。それでいいのさ」

 そう言って、根来は袖に付いていた一つの棘を指で弾いた。

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