最終話
出会ってから二年半が過ぎた頃右腕が彫り終わる。巨大な石の塊であった右腕は粗削りではあったけど人間らしい腕に変わっていた。
様子を見に来てくれたアー君の師匠さんも注文は付けつつ努力を認めてくれる。
「お前にしちゃ上出来だが、石人形ちゃんの我慢強さがあってこそなのを忘れるなよ」
「それは痛感しています……」
「だが、未熟だったお前がここまでやれたんだ。堂々と胸を張れ!」
「はい!」
「良かったね、アー君」
私が祝福の言葉を贈ると、彼は照れくさそうに笑ってみせ、それを見た私もぱあっと明るい気分に包まれる。
師匠さんはお祝いにと、私の体に近い石で出来た左腕を用意してくれた。元からあったものを加工した右腕とは長さもデザインも違うので感覚のズレを覚えるけど、慣れてくれば気にならなくなるだろうとも思う。
両脚の作業から師匠さんも一緒に彫ってくれるようになり、作業は一気に進んでいくようになったものの、それでも完成するまでには長い時間を必要とした。
その間、私は色々なことを思い出している。おぼろげだったものが時が経つにつれはっきりと形作られていく。
私は小さな男の子と一緒に暮らしていた。その男の子が邪悪な魔導師に連れ去られそうになり、私はその子の代わりに連れて行かれる。暖かさを全く感じられない場所で私は徐々に硬い石に押し込められ何もかも失っていく。後に残ったのは主のこともろくに分からない石人形。
思い出すにつれて、私は私の気持ちが分からなくなってくる。私は一体誰なのだろう。石人形じゃない私はどうして石人形になっていたのだろう。
そして、どうして私はこんなにアー君のことが愛しいのだろう。一日が過ぎるたびにその思いはどんどん大きくなっていく。
彼のいつも変わらない真っ直ぐな眼差しに見つめられる度に私の心はざわめいた。
悩んだ末に私は決心する。アー君が私の全てを彫り終えたその時、アー君に私の気持ちを伝えようと。私は丁寧に彫られ、整えられていく体を眺めながら想いを胸に秘めた。
長い年月の果てにその日は訪れる。
体は万全に仕上がり、髪も彫り終わっている。残るは顔のパーツを調えるだけ。出会った時は年若い少年だったアー君もたくましく凛々しい青年に成長し、たどたどしかった彫刻の腕も見違えるほどに上達した。
何よりも待ち遠しく思っていたその日を、しかし私は朦朧とする意識の中で迎えた。二週間ほど前から意識が徐々に薄れてきていたのだ。
近隣の村には魔法に詳しい人も居らず、師匠さんの伝で領主様お抱えの魔導士に連絡を取ってもらっているのだけれど、何があるのか未だに音沙汰がない。
「アイ、あと一日待ってみても……」
「もういいよ……始めて、アー君」
私はふらつく意識を励ましながら仕上げを促す。いつまで持つか自分でも分からない。だからこそ私が私であるうちに全てを終えて欲しかった。
「分かったよアイ。直ぐに終わらせるからね」
「優しく……してね」
私は甘えるような声で彼に告げると、引き締めていた意識をふっと緩める。その瞬間、私は失われていた自分の全てを思い出した。
名も無い村の牧師に仕えていた私は、ある朝小さな男の子が家の前で倒れているのを見つける。私は牧師に引き取られたその子を弟のように可愛がり、アーネストと名付けられた男の子も私を姉のように慕ってくれた。
しかし、その小さな幸せはある夜に破られる。突如として現れた不気味な老魔導師が村人たちを次々に殺害し、残された私は懸命に男の子を守ろうとする。
「怖いよ……アイミお姉ちゃん……」
「アー君の命だけは! どうしてもというのなら私の命を奪って!」
私はアー君の震える声を背に勇気を振り絞って叫び、魔導師もそれを受け入れて私を魔力で封じたあと、アー君に手を出すことなくその場を立ち去った。
魔導師の屋敷に連れてこられた私は、
大切な男の子のことも忘れさせられて。
どくんどくんと大きな鼓動を感じ取る。私は……私は!
慌てて意識を覚醒させると、ちょうどアー君は最後の仕上げを終えたところのようだった。
「終わったよアイ。これで……」
「アー君! 私!」
作業がし易いようにと横たえた体を勢いよく起こしながら叫ぶ。突然のことにアー君は驚いて後ろに飛び退く。
体から何かが零れ落ちていく。石の体がひび割れ、裂け目から白い肌が顔を覗かせる。
視界に光が差し込む。眩しいほどの光が満ちていき、全てが光で満たされたその時、音もなく何かが砕け散り意識を失った。
私が目を開くとそこは部屋の中。窓からは光が差し込んでいる。
「おはよ、カワイコちゃん」
「……ベルベット?」
体の上にちょこんと乗っているベルベットは私を見てニヤリと笑う。
「私、どれくらい寝てたの?」
「さてね……あなたが元通りになってからなら半月位だけど、その前も含めるなら十年以上は経つんじゃないかしら?」
「元通り? その前って?」
「まだ寝ぼけてるの? 自分の手をよく見なさい」
「あ……!」
私の手は石ではなく白い肌をした人間の手、ベルベットが呼び出した魔法の鏡に映る私は石人形に変えられる前の姿だった。
「ベルベット、これ……」
「呪いが解けたのよ。あのいけ好かない魔導師先生があんたに施した呪いがね」
「呪い……」
「そう。記憶も戻ってるだろうし、いちいち説明はしないわよ」
退屈そうに欠伸をするベルベット。
「なぜあなたがここに?」
「あの子の師匠とあたしの主が知り合いだからさ。師匠さんの使いはちゃんと来ていたけど、何が起きているのかはすぐに分かったからね。だから焦らず準備を整えてからここに向かってたの」
ベルベットは喋り終わると床にひらりと舞い降りる。大体のことは飲み込めたけれど、気になることが一つあった。
「ねえベルベット」
「何かしら?」
「スカッシュって小悪魔のこと知ってる?」
「知らないわねえ。石頭に頭突きされて死ぬ思いをした馬鹿な悪魔なんて存在しないんじゃないの?」
目を逸らして白々しい台詞を吐くと、ベルベットは一目散に外へ駆け出す。
「あ、待ってベルベット」
私は慌てて起き上がり後を追おうとするが、駆け出そうとして足がついてこれずに転びそうになる。
「あっ……!」
「アイミ姉ちゃん!」
私の体はたくましい腕の中に包まれて事なきを得る。見上げた先にあったのは心配そうなアー君の顔。
「アー君……」
「目を覚ましたんだね。良かった。でも、無理はしないでね」
「ごめんね……ところでアー君、黒猫を見なかった?」
「ベルベットのこと? 少し前にそろそろ帰るからって挨拶に来たきりだけど」
アー君はそう言って首を傾げ、それを見た私の中でちょっとした悪戯心が芽生える。
「アー君……ベルベットに変なこと言ってないよね?」
「へ、変なこと?」
「私の裸を見た感想とか」
「えええ! な、何言ってるの姉ちゃん! 言ってないってそんなこと!」
私の言葉にまともに動揺するアー君。
「本当に?」
「本当だって! 姉ちゃんの肌が綺麗だったとか胸が僕好みだったとかそんなことは……」
「あ、やっぱり見てたんだ。そりゃ見るよね。憧れの姉ちゃんの裸が目の前にあったんだものね」
「ううう……ひどいよ姉ちゃん」
「ふふ、冗談よ」
世にも情けない表情のアー君を私は柔らかな微笑みで包みこむ。
「まあそれはそれとして……ねえ、アー君。どうして石人形だった私のお願いを怖がらずに聞いてくれたの?」
「……怖がるもんか。それに逃げちゃ駄目だって思ったんだ。あの時みたいに、誰も助けられないのはもう嫌だ、って」
アー君は石人形だった頃と変わらぬ真摯な顔で見つめてくれている。とても暖かい。彼も同じことを感じているのだろうか。
「私が石の中で寝てる間に立派になったんだね、アー君……アーネスト」
「アイミ姉ちゃん……アイ……アイミ……」
私はアーネストと見つめ合いながら、ずっと秘めていた言葉を心から解き放つ。
「アーネスト、愛してる」
「僕もアイミのことを愛してる」
「ありがとう……」
Imy~アイマイな石人形の私の意味~ 緋那真意 @firry
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