第2話
それが分かって気が緩むのと同時に体中の力が抜け仰向けに倒れ込みそうになるが、後ろに少年がいることを思い出し強引にこらえる。
その結果かろうじて動いていた左足がへし折れてしまい、尻餅を付く格好のまま動けなくなってしまったがそれでも満足だった。自らの意志で守りたいものを守ったのだから。
あとは森の中で静かに消えていくのも良いかなと思っていると、背後から声が聞こえる。
「……た、助かったの。本当に?」
「うん……良かった……あなた」
「君は一体? どうして僕を?」
「守る……それ……役目」
「そんな、そんなになってまでどうして!」
震える声で少年が呟く。顔はとても悲しそうで、何かが目から流れている。
「そんな……顔……私……平気」
「……何言ってるんだ! そんなにボロボロなのに!」
体を震わせて叫ぶ彼を見ているうちに何かに突き動かされた私は、思ってもいない言葉を発していた。
「あの……それなら……お願い……聞いて……?」
「え、お願い? ……なに?」
「私……誰か……分からない……だから……私を……私に……して」
最後は小声になる。ちゃんと伝わるのか不安だったけど、言葉を聞いた彼は決然と私に告げる。
「分かった。そのお願い、きっと叶えてあげる」
「……ありがとう」
「嬉しい?」
「うれしい……? 嬉しい!」
冷え冷えとしたこころがほのかに暖かい気持ちになったのが分かる。
「君の名前は?」
「なまえ……?」
「僕が君を呼ぶために、君が君だと分かるように」
「名前……私……? 私……」
色々なことが一気にこころに浮かんできて、上手く口に出すことができなくて苦しくなる。すぐに彼もそれに気付いてくれた。
「大丈夫?」
「ううん……大丈夫」
「それじゃ僕が君の名前を決めて良いかな? 嬉しくなかったら言ってね」
「うん……」
了解の意を示すと、彼は真っ直ぐに私を見つめて言う。。
「君の名前はアイ。
「私……あい……アイ……嬉しい!」
「良かった……これからよろしくね、アイ」
私のこころは嬉しくて元気に弾む。体は動かせなくなったけど、その代わりに大切なものができた気がした。
ふと、私は気が付く。
「あなた……あなた……名前?」
「あ、ごめん。名乗るのを忘れてたよ」
少年は照れたように笑い、見てるだけで嬉しくなる。
「僕の名前はアーネスト。改めてよろしくね」
「あーね……あーね、す? アー……君?」
何ともないはずなのになぜか上手く声にできない。何かに押しとどめられているようでもどかしい。
「声にしにくいかな? それならアー君でも構わないよ。ちょっと照れるけど」
「ごめん……アー君……あの……」
「良いんだ。今日は名前を覚えてくれれば。疲れちゃったよね」
アー君はそう言いながら軽く脚を曲げたり伸ばしたりする。
「行く……アー君?」
「準備したいことがあるから。大丈夫、なるべく早くここに戻ってくるよ」
「アー君……早く……来て」
「うん、待っていて、アイ」
駆け足で去っていく彼の後ろ姿を見えなくなるまで見送っていた。
アー君が戻ってきたのはそれから七日後のこと。待つのには慣れているはずだけど、彼のことが気になって昼も夜も構わず体を揺すりながら来訪を待ちわびていた。
「アイ、お待たせ」
「アー君……待って……た!」
私の声は少しだけ熱を帯びている感じがする。これも嬉しいせいだろうか。そうだとしたら……少しだけ困る。
彼は沢山の荷物を背負ってきた。大半は食料であったが、それに混じり工具のようなものも見える。
「何……する……アー君?」
「うん、これからアイの体を彫っていこうと思うんだ」
「彫る……?」
体を眺め回す。右腕はひび割れ左腕は吹き飛び、左脚はへし折れ頭はえぐられ、無事なのは右脚と胴体だけ。そんな体を彫り刻んでどうするのだろう。
「勿論、こんなことをしても無駄かも知れないけど、ボロボロの体じゃ可哀想だから綺麗にしてあげたいんだ」
「そんな……の……良い……の……私」
声を詰まらせる。言いたいことを言ったはずなのに、本当は違うことを言いたかった、とこころが騒ぐ。
「ごめんね、勝手なこと言って。でも、僕はアイの話を聞いて思ったんだ。本当の君はそんな姿じゃないって。君は
「石人形……ない……別……私?」
また、どくんと響く。何かが石で出来た体から勢い良く飛び出してしまいそうだった。
「五年前から彫刻家の師匠に弟子入りしているんだ。まだ作品の一つも作れていないけど」
「作れて……ない……出来る?」
「あはは、師匠にも言われたよ『彫るのは十年早い』って」
アー君は苦笑いしながら持ってきた道具を整理している。
「正直、僕自身もそう思う。彫ると言っても、何から始めればいいかも分からない。だけど僕は君を変えたい。アイが自分のことをアイだと思えるようにしてあげたいんだ。アイのお願いとは違うかも知れないけど……」
「良い……アー君……信じる」
言葉を遮るように私は言う。少し身を乗り出しながら言ったのでアー君はびっくりしている。
「そ、そう? ならいいけど、急に動かれるとちょっと怖いかも」
「あ……その……ごめん」
私は、かあっとこころが熱くなるのを感じながらすぐにアー君に謝り、右手を顔にかざす。
「あ、ごめん。恥ずかしがらせるつもりはなかったんだけど」
「はずかしい……恥ずかしい」
恥ずかしいと言ってるのも何だか恥ずかしい。
「もしかして怒った?」
「ううん……おこって……ない」
「じゃあ、始めていい?」
「いい……よ」
私は頭をこくりと動かし、彼の言う通り起こしていた体をゆっくりと寝かせる。手に
「右腕からいくよ。割れそうなら早めに始めたほうが良い、って師匠が言ってたんだ」
「そう……なの?」
「うん。……少しずつ彫っていくからね」
彼は腕に鏨をあてる。彼の息遣いが聞こえて何だか落ち着かない。自分の体を削られるのは嫌な感じもするけれど、アー君にならされても構わないという声もどこかから聞こえる。
ばらついてた吸う音と吐く音がゆっくりと整ってきて、ぴったり揃ったと感じたその瞬間、キンッ、と鋭い音が響き、腕から何かが
「どう? 痛くない?」
「平気」
「ありがとう。少し不安だったけど、うまく行きそうだよ」
アー君は緊張していた顔をほころばせ、見ているとこころが安らいだ。
作業は日が暮れるまで続き、終わったときには私の右腕は今までよりほのかに軽く感じられる。
作業を終えたアー君はこの間より疲れていたけど、遅い食事を取りながら色々と話しかけてきてくれる。
「アー君……独り……だった?」
「うん。僕は捨て子であちこちを転々としていたんだ。師匠に弟子入りするまでは色々な人のお世話になったよ」
「寂しい……?」
「勿論寂しさもあるけど、みんな思い出に残ってるからそこまで寂しくないかな」
そう言ってアー君は笑っていたけど、私のこころのどこかが悲しみを覚えていた。
アー君が眠りについたあと、私は危険がないか周囲に気を配りつつこころの中に浮かんでくるものに意識を寄せる。
子供の声。恐ろしいもの。私は何かを叫び、崩れ落ちる。冷たい場所に連れられて、どこかに閉じ込められて、それから……。
「アイ? どうしたのアイ?」
アー君の声が聞こえてきて我に返る。いつの間にか夜は明け、傍らには心配そうな彼の顔。
「アー君?」
「起きてから呼びかけても全然反応してくれないから、どうしたのかと心配していたんだ」
「ごめんね。私、ぼうっとして」
「構わないよ。元気に話せるみたいだし」
「うん、ありがとう……あれ?」
「何かあったの、アイ?」
「ううん、何でもない」
とっさに誤魔化したけど、自分に違和感を覚えていた。人間の言葉は上手く話せなかったはずなのに、妙に滑らかに喋れるようになっている。
違う。元々上手く話せていたはず。私が元に戻っただけ。そんな声がする。
元の私って何? 最初から
頭が混乱する。何が何だか分からなくて自然に体が震えてしまう。
アー君はそんな私の様子を心配そうに見ている。
「アイ、大丈夫? やっぱり昨日のが辛かったのかな。今日は少し休んでも……」
「駄目。続けて、アー君」
私は混乱しながらもはっきりと答える。分からないけれど、もしこれが昨日のことがきっかけで起きたことなら、続けてほしいと思う。私の中の何かを良く知るために。
アー君はなおも心配そうな顔をしていたが、私が促すように体を寝かせると頷いて作業に移った。
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