親友殺し

海沈生物

第1話

 真夜中に人気のない道路の上で目を覚ますと、親友が異形にと食べられていた。


 その「異形」は二足歩行の生き物で、深海のような色の肌をしていた。肌には白いぶつぶつとした斑点があり、時折、その斑点からドロリとした液体のようなものが噴き出している。そして、最も特長的であるのが、五つの目の下にある「口」である。

 

 その口は、まるで「カバ」のように大きかった。その口の中にずらりと並ぶ歯は、まるで「サメ」のように鋭かった。特に前歯は「ビーバー」のように異常に発達していて、一度その歯で掴んだモノは決して逃げることができないだろう、と遠目から見ていても感じることができた。


 そんな醜悪な見た目の異形が、ただの「肉塊」と化した、私の大切な親友を食べていた。小学生来からずっと一緒に過ごしてきた親友を、その異形が喰らっていた。私の脳天はカンカンに熱くなっていた。仮に殺された彼女でなかったのなら、私は安全な位置まで逃げて、警察にこのことを通報していたことだろう。しかし、殺されたのは親友なのだ。私はもう、まともな思考をすることができなかった。「復讐」を果たそうとした。


 感情に身を任せ、私は自分の拳を一発、その異形の顔面に喰らわせた。しかし、喰らわれたのは私の拳の方だった。その異形は私の存在に気付いた素振りを見せると「カバ」のような口を大きく開けた。そして、「ビーバー」のように異常発達した「前歯」で、私の左手首のあたりごと手を


 千切れた手の痛みに、思わず「ガァッ……!」とうめき声をあげる。そんな私のうめき声をさかなにして、その異形は私の拳をもしゃもしゃと美味しそうに咀嚼そしゃくしていた。私は喰われた左手を右手で抑えながら、そんな異形を睨み付ける。すると、その異形は小首を傾げ、口を少し開けた。


「————どうかしたのか、人間?」


「えっ? あの、あ、貴方喋れたの?」


「当たり前だ。我は深海に潜みし"閻ケ貂帙▲縺"様の眷属だぞ? 人の言葉を話すことなど人間の首を捻るより容易いことだ。我はお前らのような、海の中で呼吸もできない下等種とは異なるのだからな」


 アハハとその異形は高笑いを浮かべる。その笑っている隙を狙って、まだ喰われてない方の右手でパンチを喰らわせようとした。しかし、その異形は私の行動を読んでいたらしい。スッと横に避けて交わすと、グイッと私の服の襟を掴んできた。思わず生身の心臓に触れた時のように、鼓動が近くに感じられる。


「下等種よ。お前は学習というものを知らないのか? 下等種のパンチなど、我にとっては蚊に刺されるのと同じだ。それとも自身の身の程を弁え、その右の拳までも我に捧げる……とでも言うのか? 下等種よ」


 人を小馬鹿にしたよう笑みを浮かべると、五つの目を「ギョロリ」と動かし、私の顔を見つめてくる。その目の圧につい及び腰になりかけた。しかし、咄嗟に殺された親友のことを思い出すと、私はなんとか異形に睨み返す。


「怒り心頭、といった感じだな。……しかし、下等種よ。一体お前はに対してそのような怒りを覚えているのか? 我が足元に落ちている、この人の子の死体を喰らっていることに対してか?」


「……っ! あぁ、そうだよ。貴方みたいなには分からないかもしれないけど、とても大切な……大切な親友だったのよ。それを、貴方が……その惨い歯で殺したの。私の大切なものを、破壊したのよ!」


 感情が昂り、脳天に血が溜まっていく。私は目の前の異形に唾を吐きかけると、彼はまさに「カンカン」といった感じで睨み付けてきた。


「お前は、足元にある”親友”とやらの死体より先に喰われたい願望でもあるのか? それとも、歪んだ性癖を持った下等種なのか?」


「そんな性癖なんて持っているわけないでしょ! 持っていたのは、その足元に転がっている私の"親友"の方。あの子はね、"人ではない者"にしか恋愛感情を持てない性的倒錯者だったのよ。近所に飼われている犬とか、野良でその辺を歩いている猫に対して性的興奮を抱く異常者だったのよ。……近所の犬と場面を飼い主に見つかって、警察に逮捕されたぐらい筋金入りの、ね」


「……ふむ、実践するのは普通にキモいな。しかし、それならばその親友とやらもなのではないか? 我は少なくとも"人ではない者"だ。ついで上等種……ではなく、高貴な"閻ケ貂帙▲縺"様の眷属でもある。そのような我に喰われるというのは、異常者である"親友"とやらにとって、これ以上ないなのではないか?」


 それは。確かにそれは、否定しきれないことだった。仮に何らかの手段で彼女に今の状況についての感想を聞けば、十中八九、「最高!」という二文字が返ってくることだろう。私が黙っていると、異形はハハッと乾いた笑いを浮かべる。


「お前は薄々気付いているのではないか? お前が我を殺そうとしたのは、"親友"を我に喰われたからではない。親友の本望を叶えたのが"自分"ではなく"我"であることに対しての、からだ。お前は……その親友とやらのことが、殺してやりたい程にだったのではないか?」


「ち、ちが……」


「違うのなら、それでいい。下等種の思考など考えるに足らぬもの。我はそのようなものに興味なぞない」


「そ、そもそも親友は同性なんだよ? そんな恋愛感情なんて、ものは……」


「社会の常識に反してる、とでも言うのか? くだらん。そのような戯言、幾万の物語で繰り返された陳腐な問いだ。恋愛感情など、所詮は当事者の観測によるものでしかない。あると思えばあるし、ないと思えばない。その程度のものなのだ。本当に愛していると信じるのであれば、社会の常識など無視すれば良いではないか。お前の親友とやらと同じように」


 異形は私の襟から手を離すと、その場にポスンと落とした。落ちた衝撃でお尻が少し痛んだが、今の私にはそのような痛みなど、だった。

 私は既に内蔵の一部を喰われてしまっている親友に近付くと、まだ残っている手をギュッと掴んだ。


「ねぇ、食子たべられこちゃん。私ね……貴女のことが好きだったの。ずっと、小学生の頃から、ずっと好きだったの。でも貴女の恋心は、私じゃなくて、ずっと”人じゃない者”ばっかりに向いていた。その姿は私に理解しがたくて、異常で、意味が分からなかった。どうして、人間にその気持ちを向けられないのか。どうして、普通になってくれないのか。どうして、私にその感情を向けてくれないのか……って。でも、なんかよく分からない異形に言われて分かったの。貴女みたいな異常者を好きになった私も貴女と同じ、社会の常識から外れた、異常者だったんだって。……だから、ごめん」


 私はそっと、彼女の唇にキスをした。それは人じゃない者を好きな彼女にとっては、望まないことだろう。人である私からのキスなんて、本望ではないことなのだろう。でも、私は彼女を愛する異常者で、彼女はもう死んでいるのだ。ぐらい、私も自分の異常性を彼女にぶつけても良いだろう。そう、勝手なことを思った。


 キスを終えると、私は異形の方を見た。


「……殺すなら殺してください。どうせ、私はもう左手がないんです。いずれ死ぬ未来は変えられません。だったらいっそ、ここで彼女とように、私を殺してください」


「ふっ、やっと我に身を委ねる気になったか。下等種にしては、賢明な判断だろう。しかし、彼女と同じ……とは何か勘違いをしていないか?」


「勘違い? だって、私の親友を殺したのは貴方じゃ……」


「それはおかしい。我は人を喰う生き物であるが、襲っても来ていないような下等種を無駄に殺すような下賤なことはしない。お前のお友達は、我がここに来た時点で。だから喰ったんだが?」


「そ、そんなはずは……いや、だったら、どうして彼女はこんな道路の上で……?」


 この異形はわざわざ嘘をつくような奴ではない。嘘をつくメリットは少なくともない。ということは、彼女を殺したのは他の誰かになる。それは誰なのか? その時ふと、異形を殴った時のことを思い出す。あの時、私は彼女の死体に触れていなかったというのに、なぜか左手の拳が血で塗れていた。あれは……まさか。

 

 私は、私の親友を手にかけたのか。あれだけいつも、愛していた唯一無二の親友を。なぜ? どうして? 

 ゲシュタルト崩壊していく思考の中で、私は自分で自分が分からなくなる。一体何が真実で、何が嘘なのか。あの血は、違う。アレは、違う。私じゃない。私ではない、はず、だ。


「それじゃあ、もう食べるぞー」


 異形のその一言を最期に意識を喪失し、私は彼女と同じ「肉塊」に成れ果てる。

 真相は真夜中の闇と異形の大きな「口」の中に消えた。もはや、親友の死の真相を知る者は誰もいない。

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