第3話
セネイト教授は望み通りの結果、すなわち決定的な心霊写真を収めることはついぞ無かった。これまで幾世紀にも渡り、科学者が挑戦してきた霊魂の証明をいかに歴史の遺るかの地であろうとも無理難題に変わりなく、学術的価値は別にしても、違和感に気が付いただけでも個人的には儲けものだと言える。
急な坂道になるにつれて、日陰であることが増していき、まさに魔境へと向かってゆくかのように感じたのも無理はない。
いよいよ帰途のうちに暗くなり、街灯の少ない宿周りには灯籠のようなものが間隔をあけて灯されていた。それが仮に
セネイト教授は時差ボケだと言って、夕食もとらずに先に独り自室へと戻っていった。私はすぐ隣の部屋で、部屋のサイズの問題で資料の多くがこちらに置いておくこととなっていた。室内もあまり明るくないが、博物館での業務も普段少なからずあるので、薄暗い場所というのはさほど気にならない。
煮魚をつつきつつ、テーブルの向かい側に広げた書籍から試みに覗くなどして、娯楽の無い田舎の宿での夜を過ごしていた。
確かその時だったか、ふとかの文言が目に入った。今となってはどの書籍だったかも覚えていないが、不確かな書籍は当然、排除してあるのだから、あくまでも専門書であっただろうことは断言できる。
それは三代室町将軍足利
『およそ南方御一流、今においては断絶さるべしと云々』
旧南朝の皇胤を出家させて断絶させるという旨だが、あの時目に入ったのは、思えばこの後に視た、そして直感的に理解した後南朝を支えた名状しがたいかの者の事を指していたのではとすら思える。どの史学雑誌もこんな仮説を査読以前に受け入れることは無いだろう。しかし、あの冒涜的な存在が、今もこの南朝史跡にいるとすれば、それは北朝上皇の院宣と将軍の命であったにせよ、あくまで南朝を存続させるに至った根源的力としてうなづけるのである。
それはセネイト教授の絶叫により始まった。
彼は勿論、寝てはいなかったのだ。彼の知性が告げる危機感に孤高にも対峙し、そして深夜のその叫びとは、まさに賢人の常識が破壊された瞬間なのであった。
彼は敷布団に滅茶苦茶にくるまって、強制的に現実から逃れようとしているようだった。
その異様さは女将の方が気絶しそうになるほどで、彼の名誉の為にも、持病の発作だと嘘をつき、ひとまず水と気付け薬を用意するよう言って、人を遠ざけることにした。
彼の周りには今まさにプリントアウトされたであろう写真が散らばっていた。道中見たように、彼を介抱しつつ目をやったがそこには何も無いように思われたが、この惨状は確かに何かが映されたことを意味していた。
「それは、それは…………『異形の王権』だ!」
気付け薬を飲ませるは一苦労だったが、ようやくうめき声の他に言葉らしいものを聞くに至ったが、あれは妄言だったのだろうか。
異形の王権とは、一般に歴史学において後醍醐天皇の特異性を指す言葉である。
その後、彼は時折英語で独り言をつぶやき、ついには一枚の写真をこちらへ放り投げて、不貞寝のように黙ってしまった。
その写真は一見、他の雑然とした森林でしかないようだった。
私が気づかないのを察した彼は、『拡大鏡を遣え』と今度は怒鳴るように言い、枕元から使い古されたアンティーク調のものを手渡してきた。
それが、私が初めて古きものを視た瞬間となった。
かの旧支配者は、姿こそ映しはしなかったが、霧と影とが微妙に下手な加工のようにブレており、結果としてシルエットを我々に示すこととなったのだ。
『太平記』にあった武将たちの化身などではなく、名状しがたい、原始宗教における自然と猛獣との混同したような冒涜的な幾何学を彷彿とさせるものだった。これが偶然の産物とは一度たりとも思わなかったが、一方でその時、全体像が明瞭に撮られずに済み良かったと思う。この備忘録も、本当を言えば人類に多大なショックを与えかねないのだから、遺すべきではない。
だが、私も彼のように半狂乱となったのではないかという自問に答える最後の手段として、手記を遺す決心を下したのだ。然らば、これを読んだ者は、好奇心では絶対に踏み入ってはならない。『天下』という語が当初は京都のみを意味していたのが、徳川の時代には全土という意味となったように、かの旧支配者の天下は、南朝史跡に不可視境界線を敷き、あくまでも南山の苔に埋もれてもらわねば、再び異形の王権が世界を動乱に陥れるだろうから。
私は見た、史跡のある個所に梵字で掘られた『イア・イア・クトゥルフー・フタグン』という文言を。そ倒幕の祈祷を行った後醍醐天皇は、朝敵討伐の祈りを、旧支配者に託したのだ。その場所は絶対に書かないと決めている。
なぜならば、私はその場所で、セネイト教授こそ見なかった、古きものの姿を!!!
ああ、この場所を早く去らねば。終電を逃した今、この手記は遺書となるかもしれない。私はまもなく狂うだろう!セネイト教授は哀れだが、幸いだ。彼はこれ以上の苦痛を知覚できないのだから。
翌日から独りで作業することとなった私は、共同研究という名目をだましだまし遂行してきたが、これ以上は無理だ。私が目撃したのと同時に、あの地球上のいかなる生物とも一致しない嫌悪させる目玉に私が映ったのが確かなのだから。
あの眼はいつも私をつけている。後南朝に与する他に命は無いのか。
ああ、太平の世は続かない!今一度、異形の支配者がこの世に君臨するまでは!それは文明を冒涜する、最悪の平和である!
窓を叩く音がする。
異形の山脈にて 綾波 宗水 @Ayanami4869
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