井の頭公園に河童がいるってさ

碧月 葉

井の頭公園に河童がいるってさ

 宝石のような緑の卵。


 なんの鳥の卵だろう?

 こんな所に転がったままじゃヒナが死んじゃう。

 ぼくは落ちていた小さな卵をそっとハンカチでくるんだ。



「ねえ、シゲちゃん。これってなんの卵かな」


 シゲちゃんこと、高橋茂さんは2軒隣に住んでいるおじいちゃん。

 「自然生物同好会」のメンバーで、この前学校の授業にも「ザリガニ取りの名人」としてボランティアで来てくれた。

 もの知りで草花のことも、虫のことも何でも知っていんだ。


「お、ハルト。また面白いもん見つけてきたな」

 

 ウズラのものよりひと回り大きい、ぴかぴかした緑色の卵をシゲちゃんはニコニコしながら受け取った。


「どれどれ、うーむ。ムクドリかと思ったが違うなぁ。コイツは困ったぞ」


 困ったと言いながら、目を輝かせるシゲちゃんは家の奥から分厚い図鑑を何冊も持ってきた。

 

「うぉぉ、凄いぞハルト。その卵の正体、まるで分からん。こうなったら助っ人を呼ぼう」


 しばらく図鑑とにらめっこをしていたシゲちゃんは嬉しそうに誰かに電話をかけた。


 間もなく、自転車に乗って助っ人のミエちゃんが到着した。

 ミエちゃんこと木村三枝さんも「自然生物同好会」に入っているおばあちゃん。

 元小学校の先生で、この辺りの鳥について本を出したこともある鳥博士らしい。


 ミエちゃんは、ルーペを使ってじっくりと卵を観察した。


「シゲさん、これ鳥じゃないわ」

「やっぱりそうか」


 2人が頷きあった。


「え、じゃあトカゲとかヘビなの」


 ぼくは、トカゲは嫌いじゃないけれどヘビならばびっくりしちゃうな。

 

「なんとなく、少し亀に似ている気がするんだが……」


 シゲちゃんはミエちゃんの方をチラッと見た。

 ミエちゃんは若草色のカーディガンのまくって腕組みをした。


かえしてみましょうか」


 ニッと笑うミエちゃんに、ぼくとシゲちゃんは目を輝かせて頷いた。


 翌日


 秘密基地みたいになってきたシゲちゃんの家に、ぼくとミエちゃん、そして新たに亀歴60年というゲンちゃんこと大西源九郎さんが集まった。

 ゲンちゃんはキリッとした顔のクサガメを連れてきた。

 ぼくは卵からこんな亀が出てきたらカッコいいなと思った。


「さあて、ハル坊、面白いじゃないか。この卵どこで見つけたんだ?」


 亀みたいにずんぐりしたゲンちゃんは、懐中電灯で卵を照らして透かして観察していた。


「井の頭公園だよ。池の近くに落ちていたんだ」

「なるほどな、あそこにはニホンイシガメ、ニホンスッポン、クサガメなど日本の固有種も色々いるんだ。もちろん外国産の亀もいるが…… なるほど雰囲気は確かに亀に似てるな」

「やっぱり亀なの?」

「うーむ…… まだ分からないが、有精卵のような感じはする。ひとまず様子をみてみよう」


 ゲンちゃんによると、卵には赤ちゃんが入っている可能性があるらしい。

 亀の卵だとしたら、気温や湿度が大事だというので、ぼくたちは土や苔を集めたり霧吹きを準備したりして卵の環境を整えた。



 まだかな、まだかな。

 ぼくは、毎日のようにシゲちゃんの家に通って卵を観察した。

 ミエちゃんやゲンちゃんもよく来ていて、ぼくは一緒に将棋やオセロをしたり宿題を見てもらったりして過ごした。



 ひと月位たった頃、シゲちゃんからの知らせを受けて4人全員が集まった。


 コトコトっと卵が揺れた。

 パリパリと硬い殻が割れていく。

 あ、水かきのついた小さな前足が出てきた。


「ヘビじゃない! 良かった亀だ‼︎」


 ぼくは喜んで声をあげた。


「いや、まって何か変よ」


 ミエちゃんが、冷静な声で言った。


「ん、ん、なんじゃこりゃ」

「これは…… たまげたな」


 シゲちゃんもゲンちゃんも、目がドングリみたいになっていた。

 卵から出できた生き物は、緑っぽくて、水かきのついた手足で、背中に甲羅を背負っている。

 でも、亀じゃない。

 人間みたいな顔だけれど、黄色いクチバシがあって頭の上には皿みたいなものがのっていた。


「カッパだよね?」


 ぼくが見渡すと、みんな首を縦に振った。

 その子は踏ん張って2本足で立ち上がると、つぶらな瞳でぼくをじっと見つめる。


「かあちゃん……お腹空いた」


 河童がしゃべった⁉︎


「え、えっと」


 ぼくは慌ててゲンちゃんを見た。


「わわわ、み、ミルク買ってこなくっちゃ!」

「待てゲンちゃん、卵から産まれてるんだから哺乳類じゃないんじゃ……」

「お、おう。そうだった。……いや、シゲちゃんよ、カモノハシの例もあるから一概には……」

くちばし、水かき、毛…… 確かに。河童はカモノハシ科という事も……」


 おじいちゃん2人は腕を組んで首を傾げた。


「待ってて、えっと………… もしもし、マリちゃん。ちょっと相談があるんだけれど……」


 一方ミエちゃんは、スマホを取り出し誰かに電話をかけている。


「良かった。すぐ来てくれるって」

「一体誰に応援を頼んだんだい?」

「民話のかたりべをやってる、小川真梨子さん。彼女、伝承とか妖怪とか詳しいのよ」


 20分後


 粉ミルクやらベビーバスやら、小さい体にたくさん荷物を抱えたマリちゃんがやってきた。


「これで合ってるか正直分からないんだけど、女性の河童の伝説っておっぱいがあることが多いのよ。だからお乳が出るんじゃないかって思うの」


 マリちゃんは粉ミルクを薄く溶いてスポイトで河童の赤ちゃんの口の中に1滴2滴ずつ垂らした。



「顔にも体にも発疹は無いようよ」

「皮膚の色も変わりないわ。お腹も痛そうにしていないし…… いけそうね」

 

 ちょっと経ったあと、おばあちゃん2人は頷き合った。

 どうやら河童もミルクで大丈夫らしい。

 ぼくも手のひらで優しく抱っこしてミルクをあげてみた。

 小さな河童は美味しそうにミルクを飲んでいる。

 さっき「かあちゃん」って呼ばれたからだろうか。ぼくはなんだか本当に河童のお母さんになったような気がしてきた。

 

 ぼくたちが河童の世話をしている間、おじいちゃんたちは、ベビーバスを改造して水辺あり陸地とふかふかのベッドありの河童ハウスを作りあげていた。

 水で泳いだりベッドでゴロゴロしたり、赤ちゃん河童はその場所が気に入ったみたい。

 ご機嫌な河童を見て安心したぼくらはこの子に名前を付けることにした。

 『川太郎』とか『カッペイ』とか、たくさん候補が出たけれど最後にはぼくが提案した『ヒスイ』に決まった。

 

「ねえ、みんな。ヒスイのこと、他の人には秘密にした方がいいと思うんだけど…… どうかな」

「ハルト…… 俺は賛成だ」

「ああ、大発見だけれど、変に騒がれたらこの子がかわいそうだ」

「良いと思うわ。このメンバーは最強だもの、私たちでしっかりヒスイ育てましょう」

「妖怪を見せ物のようにしたい人はいつの時代もいるものよ。良い判断ね。さすが『かあちゃん』」


 良かった。みんなの笑顔が優しい。

 こうしてシゲちゃん家は、本当に秘密基地になった。

 

 河童の子は人間の赤ちゃんよりも成長がとても早い。おしゃべりするしよく動く。

 でも寂しがりだから、抱っこしたり、絵本を読んだり、歌を歌ったりいっぱい一緒にいてあげなくちゃ。

 ハルトかあちゃん、シゲかあちゃん、ゲンかあちゃん、ミエかあちゃんにマリかあちゃん。

 ぼくら5人のかあちゃんは協力してヒスイの世話をした。



 紅葉が綺麗だった公園の葉っぱもだいぶ落ちてきた。ヒスイの世話は順調だったけれど、ぼくには悩みがあった。

 

「ねえゲンちゃん、河童も冬眠するのかなぁ」

「冬眠ってやつは、けっこう体力を使うんだ。小亀なんかは下手に冬眠させると二度と目覚めなかった……なんてこともある。さて河童はどうだろうな」


 どこにも答えが無くて、みんなで頭を悩ませた。

 冬をどう越すかの他に、ぼくにはもうひとつ気がかりがあった。


「ぼくね、ずっとヒスイといたい。一緒に大きくなりたい。でも、時々考えるんだ。本当のお父さんとお母さんは心配したりしていないかな? って」


 ぼくは楽しいけれど、もし家族がヒスイのことを今も探していたらと思うとどうにも胸がズキズキしていたんだ。


「ハルト。分かった。そうだよな。じゃあ河童に手紙を書いてみようか」


 ぼくはシゲちゃんたちと相談して『卵を探していませんか?』というメッセージを葉っぱに書いて公園の池へ浮かべた。

 数日間は何もなくて、残念なようなほっとしたような気持ちでいたある日、思いがけない所に返事があった。


 学校から帰ると、ぼくの部屋の机の上に葉っぱがのっていたんだ。


『カラス天狗に頼んで手紙を届けました。今まで卵を守って育ててくれてありがとう。明日の夜、井の頭公園で待っています』



 次の日は星が綺麗な夜だった。

 ぼくらはヒスイを両親の元にかえした。


「元気でな」

「かあちゃんたちも元気でね」


 ヒスイは最後の最後まで元気に手を振って、池の中に入ってやがて見えなくなった。

 見えなくなったあとぼくは泣いた。

 みんなの目にも涙があった。

 ヒスイのお父さんは卵を探しているうちに一度人間に見つかって危ない目に遭ったんだって。

 危険だからもう人前には二度と出ないと決めたらしい。

 だから、ヒスイとはもう二度と会えない。

 

 


「井の頭公園に河童がいるってさ」


 ある日クラスメイトが言った。

 

「そんなのいる訳ないじゃん。きっと亀だよ。ねぇ知っている? あそこにはニホンイシガメとかニホンスッポンとかクサガメとかたくさんの種類がいるんだよ」

「マジで! スッポンなんていたの?」

「うん、今度見に行ってみる?」

「行くいく。それにしてもすげーなハルト、亀博士じゃん」

「えへへ」


 河童のことは、ぼくとシゲちゃん、ミエちゃん、ゲンちゃん、マリちゃん5人の秘密だ。

 ヒスイ、元気にしてるかな。

 大きくなったかな。

 

 


次の年の秋


『お誕生日おめでとう』


 ぼくはメッセージを書いた笹の葉を、そっと池に浮かべた。


そしたら次の日


『ハルトかあちゃん。ありがとう』


 ヒスイの手のひらのような可愛い紅葉の手紙が机の上にのっていた。

 ぼくは葉っぱの手紙をハンカチに包んでカバンに入れると、シゲちゃんの家へ向かった。


 

 

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井の頭公園に河童がいるってさ 碧月 葉 @momobeko

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