第9話 かくあれかし

 小さな村は、その後ちょっとした騒ぎになったらしい。

 事が起きた三日後には、事後処理用の人員が教皇庁から派遣されてきたそうだ。

 村長のジジイと、ゴロツキ崩れの男たち、司祭と助祭、ジイさんと母さんの件も含めて、改めてきっちり調べ上げると、ユエが教えてくれた。

 あと、教会もこれから再建されると聞いて、オレはすごく安心した。


 ちなみにオレは、村に一軒だけある宿屋の一室に押し込められている。

 手当を受けて、ふかふかのベッドで一週間安静にしているよう厳命された。


 全身打撲に擦過傷、左腕の骨にはひび。ついでに疲労と軽い栄養不足。


 安堵からか熱も出し、意識を朦朧とさせながら、ユエの甲斐甲斐しい世話を受けて三日目、オレは宿の部屋の中で、贅沢にも暇を持て余し始めていた。


 ちなみにその間、黒い靄、ユーレイは一度も見てない。これはシンによる浄化のおかげだそうだ。魔術すげえな。


 オレはベッドの上で身体を起こし、ユエが適当に持ち込んだ本を片っ端から読んでいた。

 そろそろ飽きてきたし、少しも内容は頭に入ってこない。


「なあ、ユエ」


 ベッドの横でオレンジを剥いていたユエが、オレの言葉に顔を上げた。


「はい? あ、もしかしてオレンジよりリンゴが良かったですか? それともバナナ? メロン? ランブータン?」

「いや、それはなんでもいいけど……」


 オレは世話とかされなれてないから、果物を剥いてもらうのも何だかくすぐったくて、正直なところ、暇と同じくらい持て余している。

 でも、どうもユエがやりたいからやっている、ってことで、されるがままだ。


 ただ、考える時間がたくさんあったことは、まあ良かったと思う。

 この三日ずっと考え続けて、何度も脳内でイメトレを繰り返したそれを、声に出す。


「ジイさんの日記帳、あっただろ」


 なるだけ何でもない風に。ごく、自然に。


「日記?」


 ユエは首を傾げて、少し考える。


「ジジイに見せたやつ」


 ちょっとだけ焦れて、そう付け足す。


「……ああ」


 大事なもんだろ! と思うけど、そんな感じなのか。


 ちなみにシンは、椅子に座っているユエを挟んで右隣にあるベッドで、オレと同じように大人しく本を読んでいる。

 なんか色々使い果たしたとかで、安静仲間だ。

 ちょっとだけ切り傷やら擦り傷、細かい傷があっただけのユエはほぼ無傷だった。メガネは言葉通り、スペアを常備してたらしい。伊達メガネにスペアって必要なのか、っていうオレの細やかな疑問は口に出してない。


 剥きかけのオレンジを置いたユエが荷物を漁り、手帳を取り出した。

 あの時、村長のジジイに見せた、司祭の日記帳。


「これ?」

「見たい」


 開いていた本を閉じて、手のひらをユエに差し出す。

 構いませんけど、と言ったユエが、オレのその手に手帳をぽんと乗せた。


 もっと、渋られるかと思ってた。

 証拠の品だし。先に目を通しただろうユエが、オレが見ることを渋るような内容かも、とか。そりゃあもう、色々考えた。

 熱を出したのも、考え過ぎたせいなんじゃないかと疑ってるぐらい、考えた。悩んだ。


 そんなオレの数日に反して、手帳はあっさりとオレの手に入った。


 自分のことが書いてあるかもしれないという不安と、ほんの僅かな期待。

 どきどきしながら真新しそうな茶色の革の表紙をめくり、おそるおそる最初のページに目を通した。




〇月×日 快晴

小籠包を食べて舌を火傷した。

まさか汁があんなに熱いとは思わなかった。次は気をつける。

味はおいしかった。

えび入りが特においしい。


〇月×日 曇り時々晴れ

ピザを食べた。チーズがのびてあごを火傷した。

まさかとろけたチーズがあんなに熱いとは思わなかった。次は気をつける。

味はおいしかった。

パイナップルとベーコンの組み合わせに新時代の夜明けを見た気がする。




 ……うん?


 もう一度、見る。


 書かれている内容は、当たり前だが何度見ても変わらない。

 その後のページもぱらぱらめくると、丁度真ん中あたりに、ページごと何枚か破られた跡がある。

 それ以外は変わったことは特にない。ほとんど何も書かれていないか、たまに走り書きみたいなメモっぽいものがちょこっと書いてあるだけだ。


 最初のページに戻る。

 日記、ですらない気がする。


「……ナニコレ?」

「日記です。三日坊主にすらならなかった私の」


 日記のつもりだった。

 そしてやっぱりジイさんのじゃなかった。

 私、って誰だ、ユエか。つまりユエの日記帳(のつもり)ってことか。


「ジイさんのじゃなかったのかよ!?」

「そうは言ってません」

「言っ……」

「言いました?」


 おぼえてない。


「でも、証拠って言ってた! 証拠って!」

「私が知った顛末について、この手帳にメモったものをそのまま提出しました。審問官である私が書いた文書は証拠として採用されます。嘘は吐いてません」

「嘘じゃねーか!」

「嘘じゃありませんて」


 平行線を辿る言い合い。

 ユエは悪びれる様子もなく、ごく普通の調子で、普通にオレンジの皮剥きを再開した。


 ユエが剥いたオレンジを摘み、本から視線すら上げずにシンが口を開く。


「ユエはこういう奴だよ。あんまり信用しない方がいい。君みたいのはすぐ騙される」


 部屋の中は三人だけなので、シンは帽子をかぶっていない。

 それでも真っすぐに切り揃えられた前髪が、額と目を隠している。

 前見えてんのかな。前髪すげえ邪魔そうだけど。


「人聞きの悪いことを言わないでください。私は嘘は吐きませんよ。神聖なる神にお仕えする聖職者です」

「どの口が言ってんの」

「この口が言ってます」


 バカみたいにくだらない言い合いだ。

 ここ数日、よく見る光景である。


 手帳は、ジイさんのじゃなかった。

 無駄に悩んで考えたな、って思うと同時に、ほっとした。すごくほっとした。


 あの時、ユエが教えてくれたジイさんの本心。

 それが、本当かは分からない。証明することなんてできないし、オレじゃあユエみたいに、ユーレイに聞くことも出来ない。

 ただ、ユエの言葉を信じたい。

 それが揺らぐかもしれない日記帳の存在が、疎ましいと、ちょっと思ってた。


「そっか」


 オレはどうでもよくなって、手帳を放り出してユエが剥いたオレンジに手を延ばした。


 うん、うまい。

 甘くて、酸っぱくて、すごく、うまい。


 心底ほっとして、安堵して、そのせいか、オレンジの旨さが馬鹿みたいに沁みる。


 こうやって、一つの部屋でベッドを並べて、朝は「おはよう」夜は「おやすみ」。そうやって過ごした数日間。

 とりあえずオレは、こんな日が、ずっと続いたらいいな、なんて思ってる。




 その後色々あって、オレの首にも黒いストラがかけられる日が来るわけだけど、それはまあ、別の話。

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彷徨える黒き羊に憐れみを ヨシコ @yoshiko-s

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