ピンクの報酬
この相談所で闇の王の就任式が執り行われた夜から丸10日後、10ルカの朝。
今日は相談所は定休日だが、店の掃除は毎朝することにしている。まだ寝ぼけた眼を擦って相談所の窓を開けている俺たちのところへ、ミラが駆け込んできた。
「イブキさん、アイラちゃん、おはよう!! すごいニュースだよ!!」
「なんですか、ミラさん?」
「ウチの旦那が朝の散歩で聞いてきた話だけどね。なんでも昨夜遅くフローラ様のところへ闇の谷のカラスが突然やってきて、フローラ様に一通手紙を渡しながらはっきり宣言したそうだよ。『今後闇の谷が周辺諸国に攻め込むことは決してありませんのでご安心ください』ってね。
びっくりするのはそれだけじゃないよ。闇の谷で新王が立ったそうだ。17歳の女の子だって! 信じられるかい!? でも、それが書かれた手紙にはしっかり闇の谷の
噂では、来月の頭から丸10日間、連続で祝日になるらしいよ。フローラ様の有り難いお取り計らいだね! こんなに嬉しい話はないじゃないか!? ほら、寝ぼけ顔を早く洗って、朝ご飯食べにおいで! こんなめでたい時にじっとしてられないからね、今日はうちも朝から大盤振る舞いだよ!!」
満面の笑みで一気にそう捲し立てると、ミラは軽やかなステップで道を戻っていった。戻りかけたところで別の家の奥さんに会い、再びこのビッグニュースを伝えている。あの様子じゃ、店まで戻るのにはまだ時間がかかりそうだ。
アイラが俺の横に来て、まだ信じられないように小さく呟く。
「本当に、やったんだね。イブキ」
「ああ、どうやらそうみたいだ」
「……とりあえず、ミラさんのところに朝ご飯食べにいく?」
「うん、そうだな」
まだ実感の湧かない思いで、俺たちはモソモソと洗面所へ向かったのだった。
ガルダの食堂で贅沢な朝食を食べ、満腹で帰宅したその日の午後。
白い正装の男が二人、俺たちの相談所を訪れた。
「イブキ様、アイラ様。私どもは、『花の館』の者でございます。
本日は、お二人を『花の館』へお招きするようにとのフローラ様のご意向を受け、お迎えにあがりました」
突然の花の館からの使者に、俺たちは目を白黒させて慌てた。
「え、待ってください、こんな急にですか……でっ、でもろくな服も用意してませんし……!」
「その必要はございません。普段のままでお越しくださいと、フローラ様より言付かっております」
「そ、そうですか……」
「では、お二人とも、こちらの魔法陣の中央へお進みください」
「ま、魔法陣……!? アイラ、やったことあるか?」
「魔法陣はまだない……」
「ご安心を。単なる転移作業ですので」
そんなこんなで、俺たちは半ば強引に花の館へと招かれたのだった。
「いらっしゃい、イブキさん、アイラちゃん」
スタッフに案内されるままに真っ白い扉を開けると、そこには白いテーブルとピンクのバラで囲まれたソファにゆったりと寛ぐフローラが微笑んでいた。こうして改めて見ると、やはり女神にふさわしい美しさだ。
「そちらのソファにおかけください。今日は、お二人にお渡しするものがあって、お呼びしましたの」
女神はすらりと立ち上がると、一層眩い微笑を浮かべてテーブルの上の真紅の箱に手を伸ばした。
それをしなやかな両手で捧げ、フローラは俺たちのすぐ目の前までやってくる。
そして、彼女の凛とした美しい声が室内に響いた。
「モリゾノ イブキ様、モリゾノ アイラ様。あなた方お二人は、この国の救世主です。心より、感謝申し上げます」
女神の優雅かつ恭しいお辞儀に、俺たちの緊張はマックスになった。文字通りガチガチである。
フローラは、俺たちの前で静かに箱を開けた。
中には、銀色に輝くカードが美しく納められていた。
「感謝のしるしに、このカードを差し上げます。アイラ様には銀のカードをご用意致しました。このカードの有効期間は無期限でございます。どうぞご利用くださいませ」
「あの、僕にですか……?」
アイラが恐る恐るフローラに尋ねる。
「ええ。これまで未成年の方にお渡しした前例はございませんが、この度の貴方様の功績はカードの授与にふさわしいと判断いたしました。貴方様ならば、カードの使い方を誤ることはないと信頼できますから」
「あ、ありがとうございます……
あの、でも、イブキには……イブキには、カードはないんですか?」
アイラの戸惑い気味な質問に、フローラは優しく微笑んだ。
そして、彼女は表情を固く改めて俺を見た。
「イブキ様。貴方様には、もはやこの国のカードは不要ですね?」
「——……」
「貴方様には、お約束通り今回の功績に相応しい報奨金をお渡しいたします。もちろん、あちらの世界の紙幣です。そして、今夜、元の世界へ貴方様をお送りする準備も既に整っております。ですので……」
「…………
え……
イブキ、それ、どういうこと……?」
アイラが、驚いた表情で俺を見上げる。
「……アイラちゃん。イブキさんは、この仕事を終えたら、元の世界に帰ることになっているのよ」
フローラの言葉を遮り、アイラは我を忘れたように叫んだ。
「い、イブキ……嘘でしょ?
元の世界に帰るなんて……そんなの、嘘だよね!?
だってイブキ、僕の名前も、『モリゾノ』にしてくれたじゃないか……それって、ずっと一緒にいられるっていう意味じゃなかったの!?」
アイラが魔法学校に入る際、俺はアイラを養子にする手続きをとっていた。アイラの血縁者は彼を愛していない。アイラのためには、その方法が一番いいと思ったからだ。
「ねえ、アイラちゃん。これは最初から決まってたことなのよ、だから」
「——いいや。
これだけは、あなたに決められることじゃない。……そうだよな、女神様?」
フローラを見つめ返し、俺はもうずっと以前から決めていた言葉を口にした。
「俺は、元の世界にはもう帰らない。
なにしろ、こっちに大事な家族もできたしな。……あんたなら、そんなことくらいもうとっくに気付いてるんじゃないのか?
俺はもう向こうには帰らない。だから、あっちの紙幣の報奨金もいらない。別にゴールドカードもいらない。こっちの世界でアイラと相談所続けられるなら、それで充分だ」
「……ほんと? イブキ」
アイラが、涙をいっぱいに溜めた瞳で俺を見つめる。
「本当だ。こっちにいる方が、俺はずーっと幸せだ」
「……イブキ。
ありがとう、イブキ。よかった。嬉しい」
アイラは、ほっとしたように一瞬くしゃっと顔を歪め、まだ喋り始めたばかりの子供のように辿々しく言葉を並べた。
そして、ふっと表情を変えると、今度はなんとなく軽蔑したような目でフローラを見た。
「イブキにカードがないなら、僕もいらない。さっきのカード、返すよ」
フローラは、やれやれといった顔で俺たちを見る。
「困った人たちですね……でも、そういう展開になるだろうことは想像していましたので、貴方にもカードをご用意してありますの。こちらです」
フローラがテーブルの小さな引き出しから取り出した純白の箱の中には、可愛らしいコーラルピンクに輝くカードが入っていた。よく見ると、フローラのサインが刻まれている。
「これは、『花のカード』です。金のカードよりワンランク上ですのよ。貴方のためだけにお作りした特注カードですわ」
フローラは、ふふ、と小さく首を傾げて美しく微笑んだ。
*
花の館から帰宅し、ガルダの宿の食堂でたっぷり夕食をとると、アイラは店の二階のリビングのソファにどさっと横になるなりぐっすり熟睡してしまった。
「あーあ、アイラ、ここで寝るなって。ベッドに運ぶぞ」
その身体をお姫様抱っこで持ち上げようとすると、思った以上に重い。
「あー、随分重たくなったなあ……アイラももうすぐ12歳だもんな。そのうちこんな抱っこなんかできなくなるな」
「ん、イブキ……僕が、守るから」
「わかったわかった。今日は疲れたんだからぐっすり寝ろ。
……おやすみ、アイラ」
ベッドに下ろしたアイラのまだ華奢な肩を、俺は力一杯抱き締めた。
静かになった部屋で、俺は今日フローラから受け取った白い箱を再び開けた。
美しいコーラルピンクの、女神のサイン入りのカード。
「特注とか、まじで必要ないんだけどな……」
そんな独り言を言いつつカードを持ち上げると、その下に何やら書かれた小さな紙が折り畳まれて入っていた。
広げて中を読み、唖然とする。
『——ところで、私も貴方の相談所にカウンセリングにお伺いしても良くって? 可愛い魔法使いの彼が眠った後にお邪魔いたします。思った以上に手強いライバルに育ちそうだけど、負ける気はさらさらございません。 フローラ』
「——はあ?
あの女、何言ってんだ? やっぱりかなりイカれた女神だな……救世主への贈り物にこんなふざけた手紙を入れるな!! あー疲れた、もー寝よ寝よ!!!」
アイラに見つからないようそのメモを机の奥に突っ込み、俺はぐしゃぐしゃとやけくそに髪をかき乱した。面倒な話をこれ以上増やすな!!
——俺たちの「仕事の悩み相談所」のここから先のドタバタ話は、またいつか、機会があれば。
〈了〉
仕事の悩み相談所in異世界!? aoiaoi @aoiaoi
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