鎮魂歌
城での酷い暮らしの中、たった一人頼ることのできる存在だった七つ上の兄上は、私が九歳の時城を去っていってしまった。
そんな兄上の背中を柱の影からただ黙って見送るしかできなかった無力な私も今ではこの帝国の皇帝ー。どうして私はあの時あの背中に向かって言えなかったのだろう。
『行かないで、兄上。』と。
城中の誰もが寝静まるあの日の夜明け前、兄上は突如私の部屋に現れた。そうして、私にこう告げた。
「零星、オレはもうここには帰ってこないよ。外へ出て、皆と同じように自由に生きるんだ。オマエには悪いが、もうオレはここにいる事に耐えられない。オマエは母上から将来を望まれる身だ。オレなんかとは違う。オレは、外へ出て、暗殺者にでもなる。だから、さよなら。零星。」
そうして、呼び止める間もなく行ってしまった。私は突然そんなことを言われ、正確に状況を把握できなかった。思わず後をついていったが、城を出ていく兄上を、結局最後は柱の影から見送っていただけだった。
そんな兄上は、あの日から十七年以上が経った今、崩れかけた教会跡で、この秋の終わりの夜の闇にまぎれてたたずんでいる。あの日と変わらない背中で。
「兄上。」
十七年もたった今さらながらになぜか急に呼び出され、私はこの教会跡へとやってきた。
振り返った兄上は、あの日と変わらない笑顔をたたえていた。
「よォ、零星。ああ、もう零星陛下、だっけか。」
と、茶化したように言う。でも兄弟二人だけのこの場所で、そんなことは関係なかった。
「そんなコトはどーだっていい。何だって何年も連絡すらよこさなかった月影兄が急に…どーいう風の吹き回し…。」
なぜ何年も連絡をくれなかったのか、問いつめようとした私の言葉はそこで遮られた。
「月影なんて呼ばれたの十数年ぶりだよ。あっはっは。そんな名前だったなあ、オレ。ずっと村上の方使ってたから、すっかり忘れてたわ。」
まただ。月影兄は、全然変わっていなかった。何かあっても、絶対話してくれない。うまくはぐらかしてしまう。そうやって、一人で抱え込んでいく。
「村上…?」
月影兄の口ぶりから、偽名を使っているらしいことがわかった。
「そ。今のオレの名前は村上 秋扇だから。」
村上…秋扇。秋扇というのは確か…。
月影兄には、昔から精神的に自虐的なところがあった。平気で自分を蔑める。私から見れば兄さんは、自由で、大らかで、素敵な人間だったのに。それを思うと、自然と表情も曇ってしまう。
「兄さんは、何でそうやって自分を蔑むんだよ。」
「……何が?」
「わかってやってるくせに、白々しい。秋扇だなんて…。」
私がそういうと、兄さんはフッと笑って言った。
「あはははは。バレた?」
と。やはりわかってて…。
「バレた?じゃない!秋扇って…。」
「そ。価値のないもの。役立たず。」
そう、秋扇という言葉には、そう言った意味合いが込められている。ついに私は言わずにはいられなくなった。
「兄さんはいつもそうだよ。一人で強がって、肝心なコトは何一つ言わないでかわしていく。」
そんな兄さんを見ている私だっていつもどれほどの悲痛な思いがしていたか。まるで胸がしめつけられるようだった。もう、そんな兄さんを見るのは耐えられなかった。
ところで、さっきから私は少し気がかりなことがあった。兄さんの顔色が悪い気がする。それが本当に兄さんの体調が悪いのか、月の光のせいなのか、判断できずにいたが…。
「じゃ、今から肝心なコト教えてやるよ。オレはな、もう死に時なんだ。実際ココにいるのだけでもかなりつらい。だからオマエに会っておこうと思ったんだ。」
「なっ…!?」
死…死に時!?今まで普通に笑っていたじゃないか!でも…やっぱり顔色が悪いと思ったのは…気のせいではなかったのだ。
そう思うと、ただ無性に悲しくて、涙がこみ上げてきた。うつむいてごまかしていたけど、それでも耐えられなくて、ついに私は兄さんに背を向けた。
涙が止まらない。
十七年前と変わらない調子の兄上。十七年前と変わらず黙って泣いているだけの私。
あの時の兄上は知らなかっただろう。柱の影から出てゆく兄上を見ていた私が泣いていたのを。
「そういうラストだけ言いに来るトコも、…変わってないっ…。」
あふれ出る涙のせいで声も震えていた。どうしてもっと早く会いに来てくれなかったのか。それを思うと私はただ兄さんを責めることしかできなかった。
「……そうかもな。」
そう言うと兄上はおもむろに立ち上がった。そして静かに私に告げる。
「なあ、オレの葬式、頼んでいいか。参列者は、オマエだけで充分だよ。墓も別にどこでもいい。っつか、むしろなくっても…いいからさ。」
私は兄さんに背を向けたまま小さく頷いた。そう告げる兄さんの声も先程までとはうってかわって苦しそうだった。本当に別れの時は近づいているのだと、改めて実感させられた気がした。そう思った時だった。
背後で、音がした。
嫌な予感がして振りむいた私の視線の高さに、月影兄の姿はなかった。
その視線を落とすと、月影兄が倒れていた。
「月影兄ッ…!」
自分が涙でぐしゃぐしゃのヒドい顔なのも忘れて、私は兄さんの側に駆けよっていた。
そんな私を見て、月影兄はふっと笑ったが、その表情はどこか少し寂しげだった。
「兄さんッ!兄さんッ⁉︎」
その後は、いくら呼んでも反応しない。まだ脈はある。月影兄の目は虚ろで、少なくとも私を見てはいなかった。
しかし、急にはっとしたように正気を取り戻したようだった。
そして、もう一度私を見る。
「零星。」
「何……?」
月影兄は、自分の持っていた小太刀をはずすと、それを差し出して、
『…これを、アイツに……渡して……くれ。』
それだけ言うと、兄上は目を閉じ、二度と私を見てはくれなかった。
「兄上ッ!!」
もういくら身体を揺り動かしてみても、返事は返ってはこなかった。
息を引き取った兄上の表情は、安らかに微笑んでいた。
「兄上………ッ!!」
十七年前と、何も変わっていなかった。また、私は兄上を止めることはできなかった。
ただ一つ、十七年前と変わっていたことは、今度は、本当の本当に永遠の別れであるということ。二度と兄さんに会うことはない。
そう思うと、余計に悲しくて、結局私は一晩そこで泣き明かしていた。
三日月と、満点の星の下で。
ー翌日ー
私は、兄上の遺言どおり、他の誰にも知らせることなく葬式を行い、そして城の庭の片隅に、兄上を葬った。
『月影、ここに眠る』
手製の粗末な墓石だが、兄上ならこれで許してくれるだろう。
「兄上……。」
兄上の最期の顔を見る限りでは、きっと幸せだったに違いない。でも、結局兄上は私に一度も本音を言ってはくれなかった。
「兄上…。僕は、兄上にとってよき弟でしたか…?」
答えが返ってくるはずもない相手だとわかってはいるけれど、一度私は貴方に聞いておきたかった。
しかし、当然返答はない。私は花を供えると、その場を後にした。
(大丈夫。オマエはよくできた弟だよ。)
誰もいなくなったその墓の木陰には、ザワザワと木の葉を揺らす秋風の中、そうつぶやく男の姿があった。
部屋に帰ると、ふと机の上に置いてある兄上に最後に渡されたものが目に入った。
『アイツに渡してくれ。』
兄上は確かにそう言った。でも…。
(アイツって誰だよ……。)
この十七年間、兄さんがどこでどんな風に生活してたかも全然知らないのに、アイツと言われても、実際困る話だった。
そして、そのまま多忙な日々の中、その小太刀は部屋の隅に置かれたまま、その存在を忘れられていった…。
ー四年後ー
毎日賑やかな日々が続いていた。と、いうのも、末の息子紫音がいつも城を抜け出すからである。今日もつい先程、将軍補佐官で紫音の護衛を任せてある
そう思って政務に専念して午前中を過ごした。お昼時になっても二人は戻ってこなかったが、そろそろ紫音もお腹がすく頃だからもうじき帰ってくるだろう。
そしてー
お昼時もだいぶ過ぎた頃、二人は帰って来た。客人を一人つれて。上下黒い服で、髪も黒いので、第一印象は『黒い人物』だった。
私は政務を終えたばかりだったので、玉座に座っていた。礱磨が二人を入り口で待たせておいて、こちらへすごい形相で向かってくるもんだから、紫音が何かやらかしたのかと少し心配になったが、どうやらそうではないらしい。
「紫音が何かやったのか?」
と聞くと、
「いいえ、別に。」
と言ったからだ。どうやらただ単に機嫌が悪いらしい。
「あの人は、紫音様を助けて下さった人です。えっと…羽式さんですっ名前はっ。」
どうやらその羽式さんとケンカでもした様だ。あからさまに態度が悪い。
「で、何をモメたんだ?その羽式さんと。」
「実はですね…。」
「なんだ、そんなコトか。」
私はその事の発端がソフトクリーム代だと聞いて、ケラケラと笑った。そして、紫音を助けてもらった経緯も聞いて、だいたいの事もわかったので、後は私に任せるように言って、軍の方に戻らせた。
そして私はその黒い彼の所へ行き、まずは紫音を助けてくれたことのお礼を言った。
「紫音を助けて下さったそうで。感謝致します。」
きちんと頭を下げてお礼を言った。いくら皇帝の地位についているとはいえ、子の前では一般の父親と変わらないと思っているからだ。その様子に相手は戸惑っているようだが。
「いえ…。」
とだけ言って、少し困惑していた。
「お名前は羽式さんとおっしゃるそうで。」
「あ…。はい。村上…羽式です。」
ーーーー村上⁉︎
『今のオレの名前は、村上 秋扇だから。』
いや、まさか。しかし、礱磨から聞いた事の過程から言って、並の人間ではない。おそらくは、暗殺稼業と言った所であろう。
その職業と村上という姓。その二つから月影兄と何らかの関係があるのではないかと思わずにはいられなかった。
しかし、そのことに関しては、全く予測の域を出ないし、結局どうやって話を切り出してよいかわからず、聞き出すこともできなかった。
そして、とりあえず職業のことくらいは聞いておこうかと、紫音のことのお礼の話を切り出した時に聞いてみた。だって何もいらない、とか言うし。
「う〜〜〜〜ん、あ、職業は今何をやっているんだい?」
この質問は我ながらうまいと思った。何か職業があれば、その職業に関する何かをプレゼントしてあげられるし、仕事も判明する。なんだか自分が計算高い男な気がしたが、私はそうしてまででも月影兄の手がかりをつかみたかったのだ。
「え…。」
相手は回答に詰まった。しかし、話を聞くと、自分は暗殺者、いや、元暗殺者だと語ってくれた。しかし、月影兄が私に言ったとおり暗殺者になったかどうかはわからない。
最後まで兄上について聞き出すことはできなかった。でも、何も今話すことはないだろうと判断し、いつか折を見て話すことにした。なぜなら、彼には明日からこの城で勤務してもらうから。
紫音がいたく気に入った様子だったので、失業者なら働いてもらおう、という魂胆だった。この
「残念だが私はこれから会議が入っているので、失礼‼︎」
私は勝手に明日から羽式を雇って強引によろしくして去っていった。唖然とする羽式を尻目に会議へGO‼︎
羽式が兄さんへの何らかの手がかりかもしれないと思った私は、なんだかハイテンションになっていた。
ー会議室
「よーし。会議はじめるぞー。いいかー?」
「OKで〜〜す。」
官僚一同は口をそろえて言った。
「今日の議題、一ー。今日一人採用しちゃったー。いずれ国政にも参加してくれるだろう、っつーかしてもらう人物なのでみんな仲良くするようにー。明日認証式やるから準備よろしくー。しばらくは紫音の護衛を任せるから会いたい奴はそちらへ行くようにー。それから黒の着物(制服)一着ー。以上質問は?」
「はい。」
「はい、何?」
「式は午前中でよろしいですか。」
「うん、OK。他にー。」
「はい。なんで着物、黒なんですか?」
「第一印象。」
「はぁ、そうですか。」
「うん、そう。他にー。」
「はい‼︎そんなにダークな人物なんですか⁉︎」
「いや、別にそういうわけじゃないよ。ただ、服が黒かった。」
「なーんだ、よかったー。」
「はい、他にー。」
「…………………。」
「じゃ、次ー。」
…………………………数時間後、滞りなく会議は終了した。
ー翌日ー
「じゃ、今日からがんばってくれたまえ。」
ワァーーッ パチパチパチ……。
そう言って渡したのは、制服の黒い着物。
「これは…?」
「あ、それ一応制服。ヒトによって色は違う…ってみんな着てくれないんだけど。」
「なんで黒いんですか?」
「え?だって、昨日黒ずくめだったし。」
それだけ⁉︎と言いたそうな羽式に、うん、それだけ♡と言わんばかりの笑顔で返してやった。ここはほほえみ返しだ。それから簡潔に仕事の説明をしてやったが、なんだかげっそりして帰って行った。大丈夫かな。
その日の午後から、城の中はより一層賑やかになった。城の中は毎日鬼ごっこ大会のようだった。そんな微笑ましい光景を見つつも、羽式にいつ話を切り出したものかと迷っているうちに、あっという間に四年間が過ぎ去っていった。
ー四年後ー
いつもの一日で終わると思っていた。
しかし、その日は無事に終わってはくれなかった。
(もうそろそろ昼時だなー…。)
お腹もすいたのでそんな事を考えながら、午後の政務について羽式たちと打ち合わせをしていると、ものすごい慌てぶりで急ぎの使いがやってきた。
「失礼しますっ陛下‼︎」
その使いは息も切れていてどれだけ急いで来たかがうかがえた。
「何だ?」
「それが、広場通りのカフェに、盗賊の一団が入ってー」
そこまで言うと、隣で聞いていた羽式が持っていた書類も取り落とし、周りの人間が驚く中、なりふり構わず部屋を飛び出して行った。
「羽式……‼︎」
呼び止めたがそれでも羽式は行ってしまった。知り合いでもいるのだろうか。羽式のこんなに取り乱した様子は初めて見る。私はとりあえず使いの元へと戻った。
「……報告の続きを聞こう。」
「はっ。その一団はカフェに押し入った後、数人は逃げましたが、二人捕らえました。そのー、カフェは直後に火が入り全焼。現在生存者の確保と死傷者の身元確認を急いでいます。なお、現場には礱磨様が向かわれました。」
「…………。わかった、ありがとう。」
「はっ。では、失礼します。」
さて、どうしたものか。礱磨が行ったのなら、羽式の方も心配はなさそうだ。
とりあえずー…。
「ギャアアァァァァァッ‼︎」
私は今、地下牢にいた。捕らえられた二人のうちの一人から情報を聞き出すために来ているのだが、コイツがなかなかしぶとい。
「まーだ吐く気になんねェのか?あ?」
「…………。」
「ふーん。ま、いいけどさぁ。そーゆーイジッぱりは長生きできねェぜェ?ここじゃ。」
ドスッ
「ぐあああぁぁぁッ」
わざと急所は外して細いナイフを深々と突き立てる。悪いが、私を怒らせてもらっては命の保証はしかねる。さきほどからだいぶイラついている。
「さっさと吐いてくんねーか。所属団名とか、目的とか。悪ィけどよ、オレはもともと気の長い方じゃねーんだ。ことこーゆーコトに関しては。早く言わねェと次は心臓テメーの見てる前でえぐり出しちまうぞ。」
そう言って脅してみたーもちろん本気だがーが、言う気配もないので、私はとうとうしびれを切らした。そしてナイフを構えた瞬間ー
「…言うッ‼︎言うよ‼︎だからカンベンしてくれ‼︎」
ー男はついに観念した。最初から素直に言っておけば良いものを。
「……所属団名は?」
「うっ…海月夜だッ…‼︎」
「何の目的であそこを襲撃した?」
「あそこの店にデッカイ金庫があるんだ。あそこは一週間ごとに売り上げを銀行に持っていくんだ。そして今日が一週間目だったってわけさ。あの店の売り上げ、けっこーな額なんだぜ。それが狙いだったんだよ。」
「ふぅーーーん。わかった。ところで、ウソ言ったコトがあったら、今のウチに訂正しておけよ?後でバレたら………タダじゃおかねぇぞ。」
私は今までより犯人の男にスゴ味をきかせて言ったが、男は首を横に振った。どうやらウソを言う余裕はなかったようだ。私は牢番に〝その男を手当てしてやれ〟と言い残して、地下牢を去った。
夕方頃、現場から礱磨が戻ってきた。
「陛下、只今戻りました。」
「ああ、お疲れ様。どんな様子だ?」
「はい。死傷者三十二名、行方不明者ありません。」
「そうか。羽式、そっちに行かなかったか?」
「来ました。その…最後の行方不明者だったのが、羽式の…彼女で…どうやら彼女の捜索中に怪我を負ったらしく、今病院で手当てを受けています。」
「………。そうか。」
だから羽式はあんなに取り乱していたのか。私はようやく納得した。その後、礱磨にきちんと休むようにと言って下がらせ、残りの政務を片付け、その日は終わっていった。
次の日、羽式はちゃんと出勤してきたが、やはり仕事はあまり手につかない様子だった、いつもの羽式ならやらないようなケアレスミスが目立つ。会議中もほとんど上の空で内容なんか全然聞いちゃいなかった。
結局羽式は一日中ぼーっとしていた。まあ昨日あんな事件があったのでは無理もないだろう。例の彼女も精神的ショックが大きいに違いない。
普段の会議の後、私は羽式抜きで緊急会議を開いた。話の内容はもちろん、昨日の件についてだ。私は昨日犯人から聞き出した内容を官僚たちにも伝え、残党の掃討についての軍の派遣について採択を取った。
ー結果は、賛成多数により、軍を派遣することになった。
羽式を呼ばなかったのは、彼の精神的ダメージ等々を考慮してのことだった。あれだけショックを受けているのだから、わざわざ事件のことに触れさせるのもよくないと思ったのだ。そして、近々決行することに決まり、そのまま緊急会議は終わった。
ー翌日
昨日よりもさらに憔悴し切った様子で羽式は出勤してきた。しかし当然そんな様子でまともに仕事ができるわけがない。人の話を聞いていなかったり、全然違う書類を持ってきたり、と注意力散漫だった。紫音も〝羽式が遊んでくれない〟と言ってむくれていた。その日は私は事件のことがあってだろう、と思っていた。
その夜、私は軍の一部に召集をかけ、あの一件を引き起こした盗賊団のアジトへ向かわせた。これで奴らを捕らえ、事件は解決の方向へ向かうと思っていた。ところが、礱磨からの連絡は予想とは違っていた。
『陛下、奴らは全員…殺されてます。おそらくは、昨日のうちに殺されたものではないかと思われますが…』
全滅。礱磨の話では、現場は凄惨な光景だったという。そしてー
『手口が、その…並の人間ではムリなんです。おそらくは、暗殺者…。』
きっとその時の私と礱磨は、同じことを考えていたのではないかと思う。
まさか…。
その翌日も、羽式は相変わらずぼーっとしていたが、あまりにも疲れ果てた様子で、よくよく考えてみれば尋常ではない。しかし、私と礱磨はあえて何も聞かなかった。なぜなら、これは羽式自身の問題だから。
さらに翌日、朝食が終わった後紫音が私の部屋へやってきた。
「ん?なんだ紫音。どうかしたのか?」
そう言うと、紫音は少し遠慮がちに言う。
「ううん。ボクはどうもしてないけど、羽式がとってもどうかしてるの。それでね、羽式、しばらくお休みあげた方がいいんじゃないかな〜、と思って。」
あいかわらずコイツには参る。私も少しそう思っていたところだったのだ。
「私もそれを考えていたところだ。明日から長期休暇にしようと思う。」
私は素直にそう言った。すると紫音はうれしそうに、
「ありがと〜父上〜〜。」
と言ってくれた。我が子とはいいもんだ。
そして翌日、計画は実行に移された。
ビシィッ
相も変わらずぼぉーっと歩いていた羽式の額に真正面から勅令の紙を貼ってやった。こちらから見ると半ばキョンシーのようでちょっとこわい。
「……?」
さすがにいくらぼーっとしていても気がついたらしく、ぺろりと紙をはがして読む。
「陛下、これは……?」
羽式が不安気に私を見て言った。きっといつもよりだいぶぼーっとしていて失敗ばかりしていると自分でも自覚していたのだろう。しかし、この男は肝心なことを自覚していないようだ。だから私はため息まじりに言った。
「羽式、お前は今大切な人生の岐路に立っている。違うか?」
羽式は戸惑いを隠せなかった。でもまだイマイチわかっていないような表情だ。私はさらに言葉を続ける。
「このまま陽の当たらない世界に戻るのか、こうしてここでみんなと楽しく暮らすのか。」
すると、羽式の表情が曇る。やはりずっとそれを無意識的にでも悩んでいたのだろう。
「羽式、私はお前がどちらを選択しても文句は言わん。だが、今この状態で仕事をさせていてもお前の混乱を招くだけだろう。それに、お前の抱える問題はそれだけではないだろうしな。だからお前に長期休暇をやる。復帰はいつでもいい。だから、今までの自分に全部ケジメをつけてこい‼︎」
私は今まで羽式に見せたことのないくらい強い口調で言った。それは、羽式にきちんと問題を解決して、〝帰ってこいよ〟という私のメッセージでもあった。黙ってうなずいて帰ってゆく羽式に私は最後にこう言った。
「どうしようも無くなったら私の所に来い。その時は、少しくらいは協力してやる。」
そうして羽式の背中を見送っていた。すると、今まで私の背に隠れていた紫音がひょいと私の頭の横から顔を出す。
「…これでよかったのか?紫音。」
「うん、ありがと〜父上。羽式、早く帰ってくるといーね。」
「ああ…そうだな。……。実はさみしーんだろ?」
私は紫音をヒジでつついてからかってやる。しかし、返ってきたのは予想外に素直な答えだった。
「うー、ちょっとね。でも父上もいるし、みんながいるから平気。」
「そか。」
私は紫音のこういう素直な言葉がうれしくてたまらない。父上もいるし、か。私にとっては父親なんてどうでもいい存在だったから、子供に必要とされるのは、……とても嬉しい。
翌日からは、羽式がいなくて官僚たちもさみしがっていた。しかし一番さみしがっているのは女官たちだったりする。
「えー⁉︎羽式様長期休暇⁉︎あーん、残念、いつも廊下ですれ違うの楽しみなのにぃ〜〜〜。陛下とはめったにすれ違わないしぃ〜〜〜〜〜。」
…こんな調子だ。
そして、羽式がいなくなって一番沈んでいるのは、女官でも紫音でも礱磨でもない。この私だったりする。
〝復帰はいつでもいい〟とか、〝どっちを選んでも文句は言わん〟とか言っておきつつ、本当は帰ってきてほしいのだ。
ー出ていったきり帰ってこないのは、もう兄上だけでたくさんだよ……。
一人になるといつも今は亡き兄のことを思う。
「兄上…。」
一人の夜は、特に。だから、耐えられない。
一人の夜は、あの日の事を鮮明に思い起こさせる。否が応でも。
ー兄上が私の目の前で息を引き取った、あの日。
『月影なんて呼ばれたの、十数年ぶりだよ。』
ーやめろ。
『……そうかもな。』
ーやめてくれ。
『今はもう、零星陛下、だっけか。』
「やめろぉォォォッ‼︎」
私は一人、部屋で頭を抱え震えていた。そう、まるで昔のように。
あの日、私はついに親だけでなく兄弟も喪った。しかも、最愛の兄を。
そう思うと、恐かった。急に孤独になった気がした。
「どうして兄さんはいつも、僕を置いていってしまうんだよ。」
こんな夜は涙が止まらなかった。
ー二週間後
羽式は無事に帰ってきた。うれしい報せを持って。
「あの…。彼女と結婚が決まりまして……。」
かなり真っ赤になっている。
「私の前で赤くなってどーする。ホ●かオマエは。」
そう言ってからかったら、ナイフが飛んできた。
どうやら羽式は、私たちと楽しくすごす暮らしを選んでくれたらしい。そして、今までの自分に決別し、新たな存在としてのこれからを選んだ。
「ちゃんと全部ケジメをつけてきたらしいな。」
「……おかげさまで。」
お互いにフッと笑った。私は羽式が帰ってきてくれたのがうれしくてたまらなかった。すごく安心した。
その夜、私はまた一人、部屋で考えごとをしていた。兄上のこと、そして羽式のこと…。
〝アイツに渡してくれ。〟
あの兄上の最期の言葉を、私はアイツというのが誰なのかわからないまま果たせていない。そして、いつか折を見て話そうと思っていたが、羽式にも何も聞いていなかった。
「ー…ケジメをつけろ、か。」
羽式はすべてケジメをつけた。それなら、私は?
私はまだ、あの六年前の夜から一歩も踏み出せないままだ。
ーどうやら、私にも時が来たらしい。
次の日、私は午前の政務を片付けた後、羽式を部屋に呼んだ。
「何かご用ですか?陛下。」
羽式が来た時、私は窓の外を見て立っていた。やはり、話を聞こうと思っても、いざとなるとためらってしまう。しかし、もうこのままでいるのは嫌だった。
ー昨日、前に進もうと決めたからー
私は覚悟を決め、羽式と向き合った。
「羽式……、お前は、その……」
次の言葉がなかなか出てくれない。いつもと違う私の様子に、羽式は不思議そうな顔をしていた。一方、私の心臓は飛び出しそうにばくばくしている。
「…村上秋扇と関わりがあったのか?」
ついに言った。しかしこの質問は、羽式の反応を見れば答えを聞くまでもなかった。羽式の顔には驚きが全面に表れていた。
「どう……して、陛下が………」
羽式は明らかに動揺している。
「知っているのか、か?」
羽式はゆっくりとうなずいた。
「月影…兄。」
「え?……え⁉︎」
羽式は〝月影〟の名にも反応した。しかし、私と兄弟だということは知らなかったらしい。そして私が次の質問をする前に、羽式がつかみかかってきた。
「陛下ッ、師匠は、師匠はッ…。」
「………落ち着けよ、羽式。」
どうにか羽式をなだめて、私は羽式に告げた。
「月影兄は、旅に出たんだよ…。」
「知ってますよ、手紙があったから……。」
羽式は……泣いていた。と思う。下を向いていた。あの日の私を思い出す。羽式は私の知らない月影兄の話をしてくれた。そして、やっと答えがわかった。
月影兄の言う〝アイツ〟が誰なのか。
それはきっと月影兄が一番大切に思っていた人。
十四年間育ててきたー息子。
そして思った。
ーああ、兄上は、幸せだったんだ、と。
「羽式。」
「……なんですか。」
羽式は平静を取り戻していた。でも目からあふれ出るものは止められなかったらしい。しかし、それは私も同じだった。
「お前のパパからプレゼントだ。」
そう言って私は、兄上から最期に託された小太刀を渡した。
その名は〝名刀 月影〟。
そして夜、私は兄上の墓の前にいた。
「これで…良かったんだよな。」
見上げた夜空には下弦の月と満天の星が輝いていた。
下弦の月の、上るころ 安倍川 きなこ @Kinacco75
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