下弦の月の、上るころ

安倍川 きなこ

雪月花 序章

  …ひどい吹雪の夜だった。

 私はいつものように依頼に従って任務に行く途中だった。

 依頼ーー、それは暗殺。

 依頼人クライアントのコトは何も知らない。知る必要もなかった。私の役目はただ、殺すこと。

 それだけだ。

 物心ついた時にはもう、この仕事をしていた。何人殺ったのかも覚えていない。

 今まで数えきれないほどの人間を殺してきた私のカンだったというべきか。

 その日はー何かいつもとは違う、そんな予感がしてならなかった。

 




 今回の任地にたどり着いた。どうやらちょっとした山の上に建っているらしい。好都合だ。まわりには人の住む気配すらない。まあ、いずれにしろこの吹雪では関係ないのだが。

 ー今回の任務は奇妙な内容だった。依頼は、

 「研究に関わった人間すべてを消してほしい」

 とのことだった。さすがにわけがわからないので、

 「どういうことだ?」

 と聞き返した。

 別に何の研究だろうが興味はない。が、そんなコトを言われてもどういうことなのかさっぱりわからなかったのだ。すると依頼人は、

「ー…そうですね、あの屋敷では、とある研究がされています。私はそれが気に入らないんですよ。だから、その屋敷の主人、と、研究に関わった人間全てです。ーああ、できれば土曜日の夜に行くといいですよ。その日に限り、私の依頼は屋敷内の人間全員に変わりますから。」

 そう言うと依頼人は帰っていった。

 ーそして、今日は土曜日。時間は、ー夜。依頼人の証言から、この時間帯が一番殺りやすいと判断した結果だった。何といっても、心おきなく全員殺っていい、と言うのだから。一般人がいると何かと厄介だ。特に女はうるさいし、そのくせやたらチョロチョロするからかなり邪魔。それにひきかえ、全員が依頼対象だと大変助かる、というものだ。

 さて、まずはこの屋敷の主人から始末するとしよう。今、私は主人の部屋のバルコニーから丸々と太っていかにもな悪人ヅラの主人ブタを見ているところだ。窓のカギをゆっくりとはずして、

 そしてーーーーーーー。

 5秒後、そこにはすでに肉の塊と化した主人が転がっていた。見開かれたままの目から、一瞬の出来事であったことがうかがえる。私はその肉の塊が完全に息絶えていると確信し、その場を去った。屋敷内を見て回ったが、他に人間はいない。

「………。」

 私はしばらく考え込み、再び最初の部屋に戻ってきた。そして、また主人の死体を見て、ふと奇妙なことに気がついた。

 

 血がーーー床に吸い取られている⁉︎

 

 さきほどは気がつかなかったが、ナイフで刺したのに、これでは出血が少なすぎる。ということは、床に血が吸い取られている、もとい、床にしみ込んでいると考えるべきであろう。

 (ナイフで刺したのは正解だったな…。)

 もしもっと出血の少ない方法で、ー例えば首の骨を折るとか。ー殺していたなら気がつかなかったかもしれない。私は無様な死体を蹴飛ばし、その下の絨毯をめくった。

 予想通りそこには下につづく通路があった。

「何の研究かは知らんが、ごたいそうなコトだな。」

 私は今や蹴飛ばされ、うつむきになった太い死体に向かって吐き捨てるようにそう言って、地下へと向かった。

 

 しばらくは全くの暗闇だったが、進んでいくとそのうちに向こうのほうにかすかな光が見えた。たどり着くと、どうやらドアからもれていた光だったらしい。

 部屋の中からは何やら怪しげな笑い声や話し声、そして複数の女がすすり泣くような声が聞こえた。

 こういう時、普通の人間なら関り合いになる前にとっとと帰ろうと思うのだろうか。

 しかし、私は普通だと言うにはあまりにも普通でない部分が多いように思われた。

 というわけで。

 私は中にいる奴らに気づかれないようにドアを開け、中に入って様子を伺った。

 柱の陰から見てみると、何やら白衣を着た奴らが5人ほど怪しい機械をいじっており、変なじじいがこちらに背を向けて立っている。

 その奥から例の女たちのすすり泣きのようなモノが聞こえてくるようだが、じじいのせいで見えない。

 とりあえず、手前の5人から仕留めることにした。




 ー三十秒後、じじいは私のほうをじっと見ながら口をぽかーんと開けて固まっていた。

 すでにかれこれ二十秒はそうしているだろう。

 私の周りには首がおかしな方向に向いた白衣の研究員が5人ほど転がっている。

 私はその中に二十秒ほど何をするでもなくじじいを見ながらつっ立っていることになる。

 しかしいつまでもそんな無駄な時間を過ごす程私もヒマではない。私はじじいを見たまま一歩一歩着実に歩み寄る。

「ヒッ…ヒィィィーーーー」

 じじいが情けない声で叫びながら手足をじたばたしている。すでに恐怖で腰を抜かしているらしく、立つこともままならないらしい。必死に奥に逃げようとしているようである。

「無様だな。」

 じじいの真後ろまで歩いてきた私は不敵な笑みでそう言った。

 じじいはすでに口もきけない状態らしく、こちらを見ながらただカクカクと意味不明な動作をくり返していた。

「もういいから死ね。」

 私は静かにそう言って、遊び飽きた人形を捨てるかのようにじじいの襟首をつかんで後ろに投げ捨てた。先立った人と仲良く転がったじじいの首には一本の針が刺さっていた。


 ー三十分後ー

 (どうしたものか。)

 私はまだ屋敷の地下研究所にいた。そして頭を悩ませていた。

 奴らの研究材料に。

 あたりに散乱した書類から、全員始末したことと、奴らの研究内容を知った。

 奴らの研究内容ーそれは、雪女を兵器に応用するための実験だったらしい。

 (それにしても困ったな。)

 

 

 ー三十分前ー

 地下に転がる死体が6つになった後、私は初めてすすり泣く声の正体を見た。

 十人程の少女が拘束されている。長さは様々だが、皆見事な銀の髪に、氷のようなコバルトブルーの瞳を持っていた。さきほどのじじいとのやりとりをしっかりと見られていたらしく、

 (そりゃそーだ。)

 彼女達は怯えきっていた。私が見ると、みんな下を向いてしまった。

   ーたった1人を除いて。

 ただ1人じっと私の目を見つめている。もちろん警戒はしてはいるが。年は十三〜十四くらいだろうか。髪は腰くらいまでの長い髪で、もう一人よく似た子と寄り添って1番奥にいる。

 (この女たちも研究に関わった人間……か?)

 考えていても仕方がないので、じっと見つめる彼女に聞いてみた。

「君たちは?」

「…………。」

 彼女は答えなかった。しばらく沈黙が続いた。目だけがあっている。彼女の美しいコバルトブルーの瞳は吸い込まれそうな程に澄みきっていた。

 どのくらいそうしていただろうか。私にはとても永い時間に感じられた。すると、彼女は突然私に目で合図をした。どうやら、彼女は散乱した書類をさしているようだ。

「これは…。」

 

 

 ー再び現在ー

 書類から、この十人の少女は実験に利用されていた雪女であることが判明した。

 

 (さて、どうしたものか。)

 私は慈善家ではないので、彼女らを助ける義務はない。オマケに、彼女たちも一応研究に関わった対象に充分なりうる。ただし雪女ということで、始末する対象であるかどうかは微妙なところだ。

 しかし、このまま彼女らを放っておくのも(暗殺者の私が言うのもなんだが)人としてどうだろう。悩みつつ彼女らの方を見ると、例の彼女はまたじっと私を見つめていた。ただ、先程と少し違うのは、あまり警戒の視線ではない、ということくらいか。私が見ると、彼女は少し微笑んでみせた。私は何故か彼女の笑顔に妙にドキリとして、思わず視線をそらしてしまった。

 結局、悩んだ末に彼女たちを救出することにした。自分でも何故かよくわからない。でも何故か助けなければいけないという気になっていた。それに現場に長居するのも仕事上好ましくない。

 ということで、とりあえず全員の手枷やら何やらをはずしてやった。誘導には手間取るかと思ったが、例の彼女が私についてくると、あとの少女たちもすんなりついて来た。

 外に出ると、だいぶ夜は更けていた。吹雪も、やんでいた。

 

 外に出た後、やはり彼女らは私を警戒しているらしく、少し離れた場所にいた。

 人間に散々利用されたのだから無理もないだろう。

 どうやら彼女らはもといた所へ帰るつもりらしいので、とりあえず私は帰ることにした。

 夜が明けてしまうと厄介だからだ。彼女たちも北へ向かって歩きはじめていた。私は彼女たちに背を向けるかたちでその場を去る。

 最後に振り返ると、例の彼女と目が合った。彼女は私が振り向いたことに少し驚いたあと、満面の笑顔で私に向かって手を振ってくれた。

 私は小さく手を振り返し、そのままもう振り返ることはせずに、家路についた。


 ー数日後ー

 新聞やテレビは連日とある事件で賑わっていた。何気なくニュースをつけてみる。

「ーー氏は、屋敷に仕える人々の証言から、土曜日の夜から日曜の朝にかけて殺害されたものとみられており、犯人はいまだにー」

「犯人ねェ…。」

 私はテレビに向かってつぶやいた。犯人…。私である。見つかるはずもないが。

 仕事1件をこなせば、一年間どんなに遊び暮らしてもまだおつりがくる。しかも今までそんなに遊び暮らしたことはないので、おそらくこのままいけば一生金の心配はないだろう。

 だからあの夜以来、私は毎日だらだらと何をするでもなく家にいる。

(そろそろ腹が減ってきたな…。)

 ちょうど時刻はお昼どきである。ところが、冷蔵庫を開けるとー。…何もなかった。私はかなり落胆した。

「仕方ない、買い物にでも行くか…。」

 気は乗らないが、近くの市場に行くことにした。はっきり言って面倒くさかった。ぶらぶらと歩いて適当に食べ物を見つつ、ぼーーーっとしていた。結局買ったのは果物2、3個とハムなどの肉類、それからチョコレートくらいだった。チョコレートはカロリー補給には最適だ。

 家に帰ってからも果物を少々かじっただけだった。ここ数日間かなりの時間をただぼーーーーっと過ごしていた。

 いつの間にか眠りに落ちたらしく、気が付けば夜だった。何をする気もなく残りの果物を食べた後、何気なく外に出た。ドアを開けると、外は真っ白で、あまりの寒さにマフラーを取りに戻ったほどだ。昼間は晴れていたのに、私が寝ている間によもやこんなことになっていようとは。しかし散歩には出た。昼間はにぎわっていた市場の通りも、夜となってはさすがに静まりかえっている。雪の夜は特に静かだ。私は通りを歩きながらふと広場の方に目をやった。

 ー長い銀の髪に コバルトブルーの瞳ー

 彼女だった。彼女は私を見ていた。私は彼女に吸い寄せられるかのように、ゆっくりと彼女の方へ歩いていた。意識したつもりはなかったのに。

 彼女はやはり笑顔だった。噴水に腰かけてこちらを見ている。私が彼女の近くまで行くと、彼女は立ち上がり、私の所へ来た。そして、私を見上げて、初めて口を開いた。

「あの時はみんなを助けてくれてありがとう。」

 すき透るような綺麗な声だ。

「みんなで北へ行ったんじゃなかったのか?」

 私は驚きながら聞き返した。彼女はだまってうなずき、続けた。

「でも、私たちあなたにお礼を言ってなかったし、私、もっと広い世界が見たいから。」

 彼女はにっこりと微笑んだ。またあの笑顔。私はなぜかいつもドキドキしてしまう。

「広い世界…って、この街に住むのか?」

 私はドキドキをはぐらかすように質問をくり出した。

「うん、そのつもり。だってせっかくお知り合いができたし。」

 どうやら私のことらしい。それにしてもまだお互いに名前も知らないのに、彼女の中ではすでに知り合いらしい。ならば、と私は名前の話を切り出した。

「そんなこと言っても、お互いに名前を知らない。」

 彼女はクスッと笑って言った。

「ウフフ、そうね。変なの。」

 ようやく自分が言っていたことのおかしさに気づいたらしい。とりあえず名乗ることにした。

「私の名は羽式だ。村上羽式。由来は…特に聞いたことはないな。」

 最後の方は何となく口ごもってしまった。自分の名を名乗るということがあまりないので、何となく気恥ずかしかったのだ。彼女はうれしそうにそれを聞いているようだった。

「いい名前じゃない。かっこいいよ。私はせつかっていうの。雪の華ってかいて雪華。私けっこう気に入ってるのよ、自分の名前!」

 嬉しそうに語る彼女。私はその横顔を見ながらぴったりだと思っていた。美しい銀の髪。雪の結晶のようなコバルトブルーの瞳。雪解け水のような綺麗な声。そんなことを考えていると彼女はまた私を見ている。どうやら私の感想を待っているようだ。

「綺麗な名前だな。ぴったりだよ。」

 自分からこんな言葉が出るとは思いもしなかった。我ながらクサい、と思っていたが、彼女はますますうれしそうだった。

「本当に⁉︎ありがとう!あ、もう遅いね。そろそろ帰らなくちゃ!じゃあ。」

 そう言って彼女は通りへと姿を消した。その後ろ姿は、雪に溶け込むかのように静かに消えていった。

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