第二章

ーあの夏の日から四年以上になる。時の経つのは早い。しかし、エロ本も見れない私のおかげで大した進展はみられなかった。どうにもこういうことにだけ・・は免疫がなくて困る。そしてもう一つ。私が彼ら・・と出会ったのもちょうどその頃であった。そして今日もー戦争が始まる。

「おはようございます。陛下、紫音様。」

 私は中庭で朝食中の零星陛下と紫音様にあいさつをした。すると、

「ん?ああ、おはよう羽式。」

 ちゃっ、と手を上げるいつものあいさつの陛下。一国の皇帝ともあろうものが、こんな軽くて良いのだろうか、と疑問を持ちつつも既に慣れてしまっている。そしてその横にはー

「う?おはよー、羽式ー。」

 まだ眠たそうな紫音様。よほど眠いのか、うつらうつらと頭が揺れており、今にも朝食のケチャップのかかったスクランブルエッグに正面から突っ込みそうだった。

 ーと、言ってるそばからーガシッ。

 皿に突っ込みそうな紫音様を、反対側から陛下がおさえる。…フォークで。

「紫音。」

 その態勢のまま陛下が声をかける。

「ううぅ〜〜〜〜。」

 まだかなり眠いようだ。

「紫音、カオをつっこむぐらいなら俺にくれ。」

 陛下はいたって真剣な面持ちで言う。瞳を輝かせながら。

「…。」

 私は思わず頭を抱え込んだ。

「うえ?何?あっ卵が〜〜。ダメーーー返せーーーーーー‼︎」

 陛下にスクランブルエッグを横取りされそうになり、目が覚めたらしい。

「へへーーーんだ。もうもらっちゃったもんね〜〜。そりゃ〜〜〜。」

 ぱくっと息子から横取りした卵を頬張る零星陛下。まるで子供のようなやりとりである。

「あううぅ〜〜卵がああぁぁぁあ。」

「へへーーーん、勝ったぁーーーーー。」

 依然として頭を抱え込む私の横で低レベルな口論が続いている。

 ……。

 ………。

 …………………プチ。

「いーーーかげんにしろテメーらああぁ〜〜〜〜‼︎」

 中庭に降り注ぐナイフの雨。

 ズガガガガッ

「うお⁉︎」

「ゔわああぁぁあぁぁんん」

 素早く避ける親子。こいつら、なかなかやるな。

「おっ…落ち着け羽式!俺が悪かった‼︎」

 ピタリと手を止める。当然狙ってのことだが、朝食は無事である。

「本当ですね?反省しましたね?ふつうに食べてくれますね?」

 相手を威圧するかのようなオーラを発しながら陛下にせまる。

「うん。わかった。ごめん。だからオマエも落ち着け、紫音。」

「えぐうぅぅ〜うっうっ、ふう。」

 早っ。

 落ち着くまで一秒。子供の機嫌はまるで山の天気のように変わりやすいとは本当だ。そして悪ふざけがすぎたと思ったのか、陛下ももとの位置に座って普通に食べ始めた。周りのナイフを見なければ、何事もなかったかのようであった。

 ー季節は秋。中庭に立ち並ぶ木々も見事な赤や黄色に染め上げられ、なんとも言えない風情を漂わせていた。

 

 あの後はつつがなく食事も終わり、陛下は仕事へ、紫音様はお部屋へと戻っていく。そして、私達は紫音様のお部屋遊びにつきあわされる。

   今日は、兵隊コマゲーム(零星お手製)だった。

 陛下いわく、〝これで遊ばせれば自然と兵法が身につくだろう。〟だそうだ。

(疑わしい…。)

 兵法が身につくかどうかは別として、紫音様は楽しそうに遊んでいた。

「羽式は敵のをやるんだよ。」

 こういうのは礱磨の方が…、と思うのだが、今は軍の方へ行っているらしい。

 初めて会った時はたかがソフトクリームの代金で口げんかをした礱磨だが、今では大親友だ。あまり共通点のない二人だが、ただ一つ共通しているのは、

 ー二人とも恋愛ベタだということだ。私はともかく、やつには彼女どころか、親しい女性もいない。別に興味がないわけではないであろうが…。そんなことをぼんやりと考えていた。気がつくと、目の前では紫音様がすねていた。結構長い時間ぼーっとしていたらしい。

「もう、羽式キライッ。」

 …嫌われた。でも、平和な毎日だ。もうここ四年間、大きな事件はない。

 ー私が起こしたあの事件を境に。

 すねてそっぽを向いている紫音様を前に困り果てていると、少し開いた部屋の扉のすき間から、ひょこりと栗色の頭が顔を出した。

「しおーん。…あれ?」

 御機嫌よく入ってきたその人物は、ほっぺたをふくらましてすねている紫音様を見てそう言った。そしてぷにぷにとふくれたほっぺをつついては、〝あはははは〟などと笑っている。そして紫音様も楽しそうだ。本当にすぐキゲンの直る人だ。もう三人でトランプをやろう、というのだから。

 しかし、そんな平和も長くは続かなかった。平和を壊したのは…陛下だった。

「羽式〜。会議やるぞぉ〜〜。」

 

 

     ー三十分後

 私は会議室にいた。ナ・カムーラ朝と同盟を結ぶか否かの議題だ。私は結んだ方が良いと思うが。他の国と仲良くしておいて損、ということはない。他の官僚たちは、あーでもない、こーでもない、と議論している。すると、陛下はおもむろに立ち上がり、

「はいはい、静かに静かに〜〜〜〜。」

 ……これは国会なんだろうか。

 ぷにょ。

(…ぷにょ?)

 後ろから変な音が聞こえた。おそるおそる後ろを向くと、見覚えのあるものが床に倒れていた。

「痛…。」

 むくりと起き上がった|それは、涙目で鼻をこすりながらのたまった。そして、私の隣の陛下もそれを見ていた。二人の視線に気づいた|それは苦笑している。

「えへへ…。」

 突然陛下は何かをひらめいたようにポン、と手を打って、

「よし、ここは紫音に決めさせよう。そうしよう。」

 と言う。

 臣下一同の反応。

「ええええぇぇぇぇええええッッッ」

 当然である。しかし、これで済まないのがウチの陛下である。

「うッ…うッ…。紫音、世の中はせちがらいもんだなぁ…。すまんなぁ、紫音。父ちゃんのせいで、オマエまでこんな目に…‼︎くぅッ!」

「父ちゃん、父ちゃ〜〜〜〜ん。」

(何をやっているのか、この父子は…。)と思っていたのに。官僚の一人はおもむろに立ち上がり、

「うッうッ。陛下‼︎私達が悪うございました‼︎どうぞ、この件は紫音様がお決め下さい‼︎」

 こんなことを大泣きしながら言うのである。しかも、それに続き、全員が涙を流し口々にそのようなことを言う。

「みんなァッ‼︎」

「陛下〜〜〜〜〜‼︎」

 ひしっ。

 馬鹿だ。前々から思ってはいたが、コイツらはかなりの阿呆だ。こんな奴らがこの大国を動かしているとは、そら恐ろしい。それから、私もその一員である。私は虚無感にとらわれた気がした。

 ー結局、紫音様は同盟を結ぶことに決めた。

 

 

     ー一週間後ー

 なんとか無事に同盟が結ばれ、お祭り好き(というか派手好き)の陛下がこんな大事を放っておくわけがなく、

「祝宴だーーーーーーー‼︎」

 とはりきっている。紫音様も。そこへ一人の少年がやってきた。紫音様にはおおよそ期待できない落ちつきと気品が漂っている。

「おめでとうございます、父上。」

 栗色の髪の少年。そう、第一皇子の、すめらぎ様。この人はどこかのだれかさんと違ってもの静かな人だ。少し病弱なところもあいまってのことだろうが、まったく紫音様もこの人の百分の一でもこんなふうにふるまえればいいのに。しかし、紫音様はそんな私の思惑もつゆ知らず、とびはねまわっている。

 その背後から、淡い水色の長い髪の人影がものすごい勢いでー

「紫音様ァ〜〜〜〜〜〜♡」

 どぐぅッ

 飛びついた、というより、体当たりの方が近い。

「ぐっはあぁぁぁぁああッ‼︎」

 衝撃で倒れ込む紫音様。あわれなり。しかもその様子を見た|その人は、

「きゃーッ紫音様がお倒れにーーッ‼︎だれか、だれか〜〜〜〜。」

 思いっきり背中から飛び乗って押しツブしておきながら、何くわぬ顔でそんなことを言っている。かなりの強者だ。

「オマエのせーだよ。早くどけよ、こうがい‼︎」

 そう、このお方は第四皇子の笄様。皇妃になるのがユメだそうだ。見た目は美しい皇女であるため、初めて見た人はたいていダマされる。

「あぁん。ツレないですのね、紫音様ったら。でもそれってやっぱり愛のウ・ラ・ガ・エ・シ♡ですのねッ♡キャッ」

 ツン、と紫音様のハナをつつきながら平然とのたまっている。紫音様は憔悴しきってもう何か言う気も起こらないらしい。フラフラとその場を立ち去ろうとしたが、着物のすそを捕まえられていた。

「あん、お待ちになって紫音様。わたくし、先程から実はあかつきお兄さまを探しているのですけど、お見かけ致しませんでしたこと?」

 ようやくまともな質問である。しかしその答えはまともではなかった。

「ん?ああ。暁兄さんならまた街に行ってんじゃないのか?」

 暁様は第二皇子である。性格的には陛下や紫音様に似たところがあり、ほとんど城にいない。街へ遊びに行って。

「んもう。暁お兄さまったら。」

 と言いながら、笄様はいやがる紫音様をひきずってどこかへ行ってしまった。しばらく後に遠くから悲鳴のようなものが聞こえたような気もしなくはないが、ま、幻聴であろう。

 そんなこんなでいろいろあったが、楽しい一日となった。ちなみに、あの後紫音様がゲッソリとしてボロボロで帰ってきたのは言うまでもない。

 

 こうして私はあの頃とは違い、楽しく平和な毎日を過ごしていた。今日のような休日は、あのカフェに行くのが習慣になっていた。

 しかも決まって昼三時。雪華の仕事が終わる時間だ。この日も彼女と一緒に店を出て、たあいもない話をしながらショッピングに行ったりして、幸せに一日を過ごした。四年前までは考えもしなかった幸せ。やっと手に入れた心の平穏だった。

 ーこんな日がいつまでも続けばいいと思っていたのに。

 

 

  平和は長く続かない、とはこのことか。

 

 

 事件は唐突に起こる。予告つきの事件なんて、盗みか、よっぽど奇特なテロぐらいだ。午前の務めを終えようかというころ、陛下の元へ急ぎの使いがやってきた。報告内容を聞かされた時は、身も凍る思いがした。

  ー広場通りのカフェに盗賊の一団が入ってー

 その後は聞こえなかった。続きを聞くより前に無意識に部屋を飛び出していた。

「羽式……‼︎」

 呼び止める陛下の声も、聞こえてはいたけれど、耳の奥までは届いていなかった。

 街灯を跳び人家の屋根を跳び、とにかく全速力だった。着いてみると、いつものカフェの前には人だかりができている。人の波をかきわけ、店の正面に出た。いつものカフェは見る影もなかった。衛兵たちはやじ馬たちの収拾に追われているらしい。捜索隊の中に見知った顔を見つけ、私は〝立入禁止〟のロープを越える。

「あっ、ちょっと…‼︎」

 すぐさま衛兵につかまる。自分の身分を話すと、あわてて通してくれた。そして、捜索隊の一人が私に気付く。

「!、羽式…。」

 礱磨だ。礱磨は雪華のことを知っている。だから今までの状況をこちらが頼む前に教えてくれた。死者十五名、重軽傷者十六名、そして、行方不明…一名。その行方不明者こそが、雪華だった。店は焼け落ちているため、まだ中にいる可能性もあるという。鎮火はされたものの、天井などが崩れ落ちたりしているのだ。それを聞いて私はじっとしていられるはずもなく、焼け落ちた店内へ入っていった。

 いつもは雪華が仕事を終える頃、私はついに焼け落ちた店の中から雪華を見つけた。店の隅にうずくまった格好でいる雪華は、服はボロボロで髪の色は銀に変わり、周りの空気は冷たかった。そしていつも美しく輝いていたはずのあのコバルトブルーの瞳は…何も見ていなかった。

「雪華……?」

 声をかけても、少しも反応がない。仕方なく外へ運び出そうと思って彼女に触れた瞬間、ビクッと身を強ばらせ、反射的に力を使ったらしい。次の瞬間、私の身体には氷の針が突き刺さり、それを赤いものが伝っていた。

「何があった…?雪…華……。」

 ポタッポタッと血のしたたる音ばかりが耳に響く。そして彼女の瞳がそれを見ている。そして、ようやく私に目を移した。

「羽式…さん……?」

 どうやら正気を取り戻したようだ。そして、彼女は気を失った。

 その後、彼女は病院に運び込まれた。私も傷を負ったため、病院行きにされた。夜、彼女は目を覚ましたが、精神的にかなりのショック状態にあるらしい。それでも、窓の外を眺めながら、ぽつりぽつりと事情を語りはじめた。

「いきなり…変な人達が入ってきて…店を荒らしはじめたの……。男の人はみんな殴られたりとか…刺されたりとかして……店の中が…真っ赤に染まって…。怖くて、動けなかった…女の人は、みんな……。」

 そこで言葉が途切れる。固く組まれた両手が震えている。

「みんな…襲われて……。」

 声も震えていた。身体が小刻みに震えていた。

「私…怖かった…でも、やだって思って…その後は……気づいたら、羽式さんが目の前にいて……。」

 消え入りそうだった。私はどう言っていいのかわからず、ずっと側にいることしかできなかった。息苦しい空気の中、時計の音だけが静寂を支配し、たったの数分が何時間にも引きのばされた気がした。

「ごめんなさい…羽式さんのこと傷つけて……。」

「雪……」

 相当思いつめている様子の雪華をなだめようと声をかけようとした。しかし、それは遮られてしまった。

「ごめんなさい…。今夜はもう、一人にしてもらえますか…。」

 私は黙って彼女の言葉に従うしかなかった。

 

 

 ー翌日、私はいつものように出勤した。しかし何をしていてもうわの空で、一日中ぼーっとしていた。ただ、カフェを襲撃したという盗賊に対する怒りでいっぱいだった。

 彼女を守れなかった自分、傷ついた昨夜の彼女、焼けくずれた店…。いろいろ悲惨な光景ばかりが広がる。彼女を発見した時のあの虚ろな瞳。目に焼きついて離れない。夢だと虚像だと思いたかった。でも、あの時おびえた彼女が私に刻んだ傷はしっかりと残っていた。考えれば考えるほどに気が狂いそうだった。きっと今の私が彼女に何を言っても聞こえはしないのだろう。

「羽式。」

 不意に背後から声をかける人物。振り向くとそこには四年来の親友ー礱磨がいた。

「彼女、どうだった?」

 礱磨は心配そうだった。私は黙って首を横に振る。

「そうか…。お前もずいぶん顔色悪いぞ?彼女が心配だとか、自分のこととか、考えずにいられないのはよくわかるつもりだ。だけどな、それだけじゃ問題は解決しないぞ。」

 彼は私をなだめるように言った。私はまだいい。彼の言葉を素直に受け入れることができるのだから。彼女には、なだめの言葉さえも苦痛に感じるのだろう。

 礱磨はそのまま何も言わずに去っていった。

 結局その一日はぼーっとして過ごして終わってしまった。そして私は帰り際にある情報を聞いてしまった。中庭で世間話に花を咲かせる女官たちの側を通りかかった時に。

 

  ーねぇねぇ聞いた?あのカフェ事件のこと!

  ーえ?何々?

  ーあのカフェを襲った盗賊団、なんとか月夜とかいう所だっけ?まぁとにかくそういう名前らしいよ〜、なんか、近々軍が討伐に出るって〜〜。

  ーへー、じゃ、アジトとかもつかんでるんだ〜。

  ーなんか、前から変な動きがあるとかで、リストアップされてたらしいよ〜。

  ーへぇ〜。でもさー、そんなのよくわかったよねぇ〜。

  ーあぁ、それはねー。ゴニョゴニョゴニョ、らしいよ〜。

  ーえええぇぇぇぇえええ⁉︎

 

 ……なんとか月夜。聞いたことがある。会議で確か一度取り上げられていたが、その時は、まあ様子を見るかと言って終わったー

 そう、確かー海月夜だったか。奴らが彼女をあんな風にした?ぼーっと家に帰る道を歩きながら考えていると、帰るころにはたった一つの感情が私を支配していた。

 

 ー許せない。

 

 やっと手に入れた目に映る小さな幸福を一瞬にして全て奪い去られた。…全員殺してやる。

 

 

 その夜、私は奴らのアジトの前にいた。そもそもなぜ奴らのアジトが政府にバレたか?私が知っていたからだ。おもむろにドアに近づいていく。そしてドアを蹴破った。小さなアジト。メンバーはそんなに多くないのだ。十五名程だ。長机を囲んでいた奴らは一斉にこちらを見る。そして一番私に近い男が立ち上がり近寄ってくる。

「ンだ?コラァ。何か用かよ?」

 いかにもなチンピラの感じである。

「…あのカフェを襲ったのはお前らか?」

 私は静かに、しかし怒りをこめて問いただす。

「あぁン?知らねーよ、あんな広場通りのチンケなカフェなんてよ。」

 

 ダンッ

 

 私はそいつの胸ぐらをつかんで壁に押しつけた。

「なぜ広場通りのカフェだと知ってる?ニュースには犯人が捕まるまでのらないのがこの帝国くにの常識だよなぁ?」

 男はしまったというような顔をした。

「ヒッ…ヒィッ……」

 グシャッ

 次の瞬間、男はこと切れていた。

「うッうわああぁぁぁッ‼︎」

 他の男たちは怯えて逃げ出そうともがいている。

「逃がしゃぁしねぇよ。全員仲良くあの世に逝きな!」

 いつもなら一瞬でカタがつく相手だが、そんな楽な死に方をしてもらっては困る。

  一人ずつ殺してやる。

 

 

 ー今日は美しい三日月だった。青白い光が街をほとんど白と黒だけの世界に塗りあげる。昼間とは全く違う世界。住み慣れた現実。儚く淡い平和のようにもろくくずれやすいものとは違い、時が止まったような静寂が支配する世界。そう、あの日の二人きりの病室のように。

 家に帰りついてみると、玄関の所に誰かがいた。

「羽式…さん?」

 雪華だった。見たところ、病院を抜け出してきたらしい。

「羽式さん…私は…‼︎」

 彼女の表情を見て、私は今の自分の状況に気づいた。血に濡れた黒い服。街灯に照らされて、ごまかしようもなかった。

「羽式さん、また…?」

 悲しそうな彼女。

「羽式さん、私…あの日初めて人を…殺してしまったんです。もちろん自分の身を守るためだったけど…でも、でも私耐えられないよ…!」

 彼女の頬を涙が伝う。そして言葉を続ける。

「私、そんなに平然としていられる羽式さんがわからない。あの仕事、やめたんじゃなかったの…?」

 ボロボロと大粒の涙を流す彼女。私に彼女の一言一言が突き刺さる。

「ごめんなさい、羽式さん…。私、あなたにしばらく会えそうにない…。」

 それだけ言うと、きびすを返して彼女は秋の夜に消えていった。

 

 何やってんだよ、俺は…。奴らを皆殺しにしたって、彼女が喜ぶワケないのに。怒りにまかせて人を殺して…。これじゃあ殺人快楽者と変わらない。幸せを奪い去られた?俺が言っていい言葉か?今まで数えきれないほどのヒトの人生を台無しにしてきた俺が。はっ、何様のつもりだよ、俺は。この帝国くにで一番バカだったのは俺だ。

 …どうしようもない嫌悪感に苛まれながら後に残ったのは、耐えがたい喪失感と罪悪感そして後悔だけだった。

 

 それでも夜は明ける。結局一睡もできないまま朝を迎え、フラフラと出勤。こんな状態でも体は自然に出勤しているのだから、人間とは恐ろしい。しかし心ここにあらず。こんな状態で二、三日が過ぎていった。

 そしてある日ー

 ビシッ

「……?」

 陛下に真正面から額に何かのフダを貼られた。

 はがして見てみると、こう書かれている。

 

 『勅令。  村上 羽式

      右の者を長期休暇とする。

                  零星』

 …要は長期休暇を取れ!と言っているのである。

「陛下。これは…?」

 ここ最近、あんまりぼーっとしているので、もしかしてクビ?と思った。そんな私に陛下はため息まじりに言う。

「羽式、お前は今大切な人生の岐路に立っている。違うか?」

 ……大切な…人生の岐路…?

「このまま陽の当たらない世界に戻るのか、こうしてここでみんなと楽しく暮らすのか。」

 確かに、いつかはきっぱりとどちらかの道を選択しなければならないことはわかっていた。そして、今がその時だということも。そして、それは彼女との関係も左右する。

「羽式、私はオマエがどちらを選択しても文句は言わん。だが、今この状態で仕事をさせていてもオマエの混乱を招くだけだろう。それに、オマエの抱える問題はそれだけではないだろうしな。だからオマエに長期休暇をやる。復帰はいつでもいい。だから、今までの自分に全部ケジメをつけて来い‼︎」

 いつになく真剣で強い口調。それでいて、優しい。私は黙ってうなずき、陛下に背を向けた。その背中に陛下は最後の一言をつけ加える。

「どうしようもなくなったら私の所に来い。その時は、少しくらいは協力してやる。」

 陛下の言葉が嬉しくて、それでいてこんなに情けない自分がもどかしくて、涙が出そうだった。でもそれも、家に帰るまではガマンしよう。

 陛下はずっとその場に立って私の背中を見送っていた。この時ほど、陛下の広さを痛感したことはなかった。

「……これでよかったのか?紫音。」

「うん、ありがとー父上。羽式、早く帰ってくるといーね。」

「ああ…、そうだな。実はさみしーんだろ?」

「うー、ちょっとね。でも父上もいるしみんながいるから平気。」

「そか。」

 

 

 

 家に帰りつくと、そのまま倒れ込む。目からあふれ出るものはしばらく止まらなかった。

 ー闇に帰るか、このままかー

 答えはもう決まっている。私はもうこの生活を壊したくはない。もう人の温かさに触れることを知ったから。

「雪華…。」

 雪華。私に初めてヒトの温かさを教えてくれた女性ヒト。あの最後の日に彼女が見せた涙を、私は拭ってあげることができるだろうか。

 そんなことを考えるうちに、いつの間にか夢を見ていたらしい。あの幸せな頃の夢だった。

「いい夢見たな…。」

 ここのところロクに眠っていなかった私にとっては、久々の安眠だったのかもしれない。これも陛下のおかげか。まどろんでいる間にずいぶん時が経っていて、日も暮れていた。明日、雪華のいる病院に行ってみよう。そう思って、眠りについた。

 

 

    ー翌日ー

「…え?」

 私は病院にいた。

「だから。退院しましたよ。昨日の朝。」

 一足遅かった。思えば、私は彼女の家を知らない。これでは八方ふさがりである。途方に暮れながら、無意識にいつもの広場にたどり着いていた。いつもと変わらない噴水。この街で初めて彼女に会った冬の夜と重なる。

 ーこの街に住むのか?

 ーうん、もっと広い世界が見たいから!

 彼女の見た広い世界は、鮮やかに彩られた世界であっただろうか?それとも…。

 

 どうしようもないまま一週間が過ぎた。その間に私は広場に何度となく足を運んでいた。雪華といっしょに行ったところはほとんど行った。もしかしたら、彼女は里に帰ってしまったのでは、とこの一週間考えていたが、その里の場所も知っているわけではなかった。

 その日も、いろいろな場所を回っているうちに、すっかり日が暮れた。最後に広場へ行ってみるか、と足を向けた。そして目をみはった。他の誰もいない広場の噴水に誰かが座っている。

 ー銀の髪の、少女が。

 しかし、それは雪華ではなかった。雪華よりももっと髪の毛が長い。ひざくらいまであるだろうか。私の視線に気付いたらしく、その少女は顔を上げ、私を見て、にっこりと微笑む。その笑顔は、どこか彼女を思わせた。

「こんにちは。羽式さん?」

 一瞬ギクリとする。

「え?え?」

 こちらが名乗ってもいないのに、なぜこの少女は私の名を知っているのか。

「ああ。ごめんなさい。でも、私はあなたと一度だけ会っていますよ。私は、深雪みゆきと申します。見てわかると思いますけど、雪女です。」

 一度…。

「もしかして、雪華の隣にいた…。」

 ずっと、雪華に寄り添っていたあのコ。

「まあ。覚えていらっしゃったんですか。私は、雪華の妹です。」

 雪華の妹…ということは、雪華の居場所を知っているのだろうか。

「姉からいろいろと話を聞いてます。羽式さん、あなたについても。」

 そして互いに黙る。彼女は目をつぶったままだが、じっと見つめられているような気がする。やがて彼女は、一度うなずくと、

「もう夜も遅いことですし、今日はこれで。」

 と言って立ち上がった。そして去り際に、

「ああ、明日からはちゃんと家にいて下さい。」

 と言った。まるで全てを見透かしているかのようだ。

 そして、少女に言われたままに、私は何日かをただ家でゴロゴロと過ごしていた。探しに出たい気持ちもあったが、雪華の妹が言うのだから、言われた通りにしていよう。

 しかし、数日間経つとさすがに食料が切れた。もう夕方に近い頃、市場に出た。そして、帰り際に、あのカフェ跡へといってみた。あの日から変わらず黒焦げた場所。私はその前に立って、しばらく思いを巡らせていた。もう秋も終わる頃になっていた。吹く風も冷たく感じる。再び広場を通る頃には、もうたっぷりと日が暮れていた。

 そして、突然は起こる。

 暗く落ちる夜の闇の中にきらめく銀の髪。噴水を見つめながら立ちつくすコバルトブルーの瞳の横顔。

    間違いなく雪華だった。

 私は持っている荷物も取り落とし、その場にただつっ立っていた。荷物を落とした音に気づいた彼女は驚いてこちらを見る。

「……雪華。」

 その彼女の名を思わず呼んだ。彼女の答えは笑顔だった。そして駆けよってくる彼女をしっかりと抱きとめた。そして言った。

「…ごめん。」

 驚いたように顔を上げる彼女。そして言葉をつづけようとした私を静かに首を横に振って遮った。

「私も…。ごめんね。ひどいこと言って。だから、これでおあいこ。」

 互いに笑顔だった。

 そして、二人で家に向かう。こうして陛下の言う問題は解決された。ちなみに、雪華が私のことを許してくれた背景に、彼女の妹、深雪の協力があったことは言うまでもない。後々聞いた話では、彼女の妹は目が見えないが、それに代わる能力があり、読心能力もあるそうだ。

 さて、私にはあと一つ問題があった。おそらく一生涯の中で一番勇気がいる瞬間。食事を終えたところで改まって言う。

「雪華。」

 お茶を飲んでいた彼女が〝ん?〟と返事を返す。

「ちょっと散歩に出ないか?」

 彼女の頭上には「?」があったが、〝うん、いいよ。〟と返事が返ってくる。

「どこに行くの?」

 寒いせいか、彼女の髪は銀に変わり、夜の闇の中で煌めいて、映えて見えた。

「ついてのお楽しみ。」

 この答えに終始彼女は不思議そうな顔をしていた。行く先は、広場の噴水だ。目的地に着くと、彼女は、

「ここなの?」

 と言った。私は何も言わずうなずいただけだった。覚悟を決めなくてはいけない。陛下にも言われたことだ。

   ー全部ケジメをつけて来い、と。

「ここは、全てが始まった場所だから。」

 二人の出会った冬のおとずれを思わせる冷たい風の吹く中、私は今相当の勇気をふりしぼってここにいる。

「…そうだね。」 

 彼女はそう言ってやさしく微笑む。

「だから、二人の新しい人生の門出にはいいかな、と思って。」

 彼女はきょとんとして、私を見る。

「え?え?」

 顔も真っ赤だ。…お互いに。

「結婚してほしいんだ。」

 ついに言ってしまった。しかもなんてひねりのない言葉。

 ストレートで言ってしまったので今更ながらとても気恥ずかしい。しかも彼女は驚いて目をぱちくりさせていた。返事が返ってくるまでのこの時間がまた長い。

「……うん。」

「‼︎」

 暖かい冬の到来だった。

 

 

 

    ー二月ー

「おめでと〜〜〜羽式〜〜〜〜〜。」

 てってって。ぷにょ。

「…痛。」

 そんな紫音様には目が離せない。

 そう。今日は私達の結婚式だ。

「花嫁様の準備が整いましたことよ〜〜♡」

 笄様…。本当はアナタは……。

「キャーッ♡紫音様〜〜〜〜♡笄も将来あんなステキなドレスで紫音様の横に立ちたいですわぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♡♡♡」

 そういう笄様は、今日はとてもフリフリのドレスをお召しだ。

「ボクはイヤだ。」

「んもう♡相変わらずツレないですわぁ〜〜〜〜♡♡」

 そんな紫音様に笄様はダイビングアタックをかけられ、紫音様からギャーーーッという悲鳴が聞こえてきたが、そんなものは聞こえなかったことにしておこう。

 そこへウェディングドレス姿の雪華が来た。真っ白なドレスは雪華にとてもよく似合う。少し頬を赤らめていた。今日はなぜか零星陛下もいる。

(国政はどうした…。)

 という私の心の声を無視し、

「よっ羽式、このイロ男め〜〜。」

 と、ヒジでつつかれる。

 そしてさらに恐ろしいことを言う。笑顔で。

「ああ、国政は心配するな。今日はめでたいから休みだ。」

 何イイイイィィィィィ⁉︎

 そして、実は誓いのキ…キス…で危うく気絶しそうになった(免疫なさすぎ。)とは誰にも言えないが、つつがなく式は終了した。

 

 

    ー場は城に移りー

「さてと。」

 零星陛下がニヤリとする。イヤな予感が…‼︎

「祝宴だぁ〜〜〜〜〜‼︎」

 …やっぱりィーーー⁉︎

「紫音様〜〜〜〜〜ァ♡」

「ギャーーーーッ‼︎笄、ヤメロ‼︎」

「ヤローども、裸オドリだぁーー‼︎」

「ちょっ…‼︎陛下やめて下さいそんな下品なコトは‼︎」

「よいではないかよいではないか。アーーッハッハッハッハ」

 完全に酔ってる。

「オマエもやれ〜羽式〜〜〜〜‼︎」

「ちょっ…陛下‼︎やめて下さいやめてやめろっつってん…」

 スッ。

 ギラリと光る一本のナイフ。

「……酔いが覚めました?陛下。」

「う…うん。なんとか。」

 そして夜は更けていく。

 帰り際、彼女も上機嫌だった。

「楽しい人達だね、みんな。」

「楽しすぎて困ることもあるケド。」

 二人の歩く道は白銀の雪で美しく淡く輝いていた。

 そして二人の歩いた道には、仲良く二人分の足跡が並んでいた。

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