秋扇

「フンフンフーーン♪」

 赤や黄のじゅうたんに彩られる秋の森の中を、鼻歌まじりに散策する一人の男の姿があった。

「おっ、やっぱ栗がいっぱい落ちてんじゃん♪」

 そう言うとぴたりと足を止め、拾ってはどこから出したのか、布製の袋に入れていく。

 どうやら狙いは最初からこれだったらしい。

 しばらく拾っているうちに、男はどんどん奥へと入って来ていることに気がついた。

「あっ…やっべー、道わかんねーかも。」

 そんな不安を口にしていると、どこからともなく、なにやら声が聞こえてくる。

「ん?猫か何かか?」

 あたりをキョロキョロと見回してみるが、

 そんなものは見当たらなかった。

 と、不意に視界に何か白いものが映る。

 どうやら声の発生源はアレのようだ。

 木の陰に隠れているそれを見て、

 男はぎょっとした。   

「なっ…!」

 そこにいたのは赤ん坊だった。

 猫かと思った声は、赤ん坊の鳴き声だったのである。

 あたりには他に人はいない。

 ということは…

「捨て子?」

 それ以外考えられない。

 まさか自分の子供を忘れて帰る親はいないだろう。

 とはいうものの、この男には育児経験もなければ、頼れる人もいない。

 かといって、放って帰るのも後味が悪い。

 結局もう一度あたりを確認して、誰もいそうにないので、この赤ん坊を拾って帰ることにした。

 そこで、さて帰るか、と言った時、

 男は重要な問題を思い出した。

「そういえば、帰り道について悩んでいる所だった。」

 ま、いっか。と、男は適当に歩き始めた。

 しかしそれでもきちんと出口へ戻れるのは不思議でたまらないところだ。

 かくして、男は栗の入った布の袋と、思わぬ拾いものを持って森を出た。 

 しかし、全く育児についての知識のないこの男は、一体この赤ん坊をどうするべきかと考えながら歩いていたが、どうやら赤ん坊がぐったりしてきたので、大慌てで病院へ駆け込んだ。

(ーどうして身に覚えもないのにこのオレが産婦人科に行かなきゃならんのだ)

 と、半泣きだったが、男はがんばった。

「はい、次の方ー」

「はい」

 やっと順番である。

 初めて足を踏み入れた産婦人科で、男はたくさんの妊婦さんに囲まれいろいろ聞かれた。

「あら〜、可愛いお子さんですわねェ〜。」

「ハ…ハハハ…どうも。」

「えらいですねー、パパがお子さんの面倒みるなんて。」

「い…いやいやそんな。」(オレはパパぢゃねェーッ)


 そんなこんなで質問の集中砲火をあびていたので、ようやく順番が回ってきて男はほっとした。

「はい。どうしました?」

 中に入ると、当然最初にこの質問が来る。

(どうしたって言われても…。)

「いや、ウチの子が具合悪いみたいなんですが、その、よく分からなくて…。」

 ウッ…ウチの子⁉︎自分でも口からついて出ただけで、よもや自分がそんなコトを言う日が来るとは夢にも思っていなかった。

 医者はしばらくウ〜〜〜ンとうなって赤ん坊の様子を見て、周りにいた看護師さん2、3人に何か指示をした。

 そしてその間、医者は

「あなた、あの子どうしたんですか?まさか奥さんがご自宅で出産なさったとか?」

 と言う。

 仕方ないので、正直に事情を説明してみた。医者は当然驚いたが、

「いやぁ、あなたに発見されてよかったよかった。」

 と最後に言った。

 医者はなんなら孤児院に…という話もしたが、きっとこの赤ん坊と出会ったのも何かの縁だろうと思って育てる決意をした。

 医者の話によると、この子は今日産まれたばかりであろうと言われた。例えそうでなくても、オレはこのこの誕生日は今日だと決めた。どうやら泣きわめいて体力を消耗してぐったりしていたらしい。大事に至らなくてよかった。帰りがけに医者にすすめられた本を買い、ベビー用品も一通り買う。家路につく頃にはすさまじい量の荷物になっていた。家に帰りついたオレは、玄関先で力尽きた。

 そんなオレの苦労も知らず、赤ん坊は気持ちよさそうに眠っていた。見ているとなんだかかわいくて心が和む。そうそう、ちなみにこの赤ん坊は男の子だ。

 さて、荷物を片づけて、本を読もうか、とソファに腰を下ろしたその時、仕事を思い出した。もうすぐ夕方六時だ。

 今日は、夕方六時に市場のはずれの小さな時計台の下で人と約束がある。赤ん坊はまだぐっすり眠っているので、さっさと仕事を済ませてくることにした。

 

 午後六時ー

 小さな時計台の下にいると、マントを目深にかぶった人物がこちらに近づいてくる。

 オレはと言えば、顔がバレないように変装している。あちらには、黒い服を目印にしてくれと言ってあるので、おそらくあのマントをかぶった奴が今回の依頼者だろう。

 なぜ変装しているか?オレの職業が暗殺者だからだ。予想通り、マントの奴が話しかけてきた。

「村上…秋扇しゅうせんさんですね?」

 間違いない。オレの名前だ。

「ああ。」

 その後少し話をして、すぐさまその場を去る。

 今回の依頼も、いつも通りの生臭い争いの一端。

「くだらねぇの…。」

 オレは帰り際、一人そんなコトをつぶやいていた。

 家に帰ると、まだ赤ん坊は眠っている。

(よく寝るなぁ〜…。)

 この子にも、なまえをつけてやらなくてはならない。とりあえず、このスキに本を読んでおこう。

 一時間ほどして、本も一通り読んだところで、タイミングよく赤ん坊は起きた。おなかがすいているのか、起きるなり泣きわめく。

「あー、わかったよ。わかったから。」

 当然、行って聞く相手ではない。

 結局、泣きやんだのはミルクをつくっておむつを替えて、と度重なる奮闘の末だった。育児とは大変だ。

「つっ…疲れるッ…!」

 今からこんな様子で、この先どうなることかと先行き不安になってきた。ふと赤ん坊を見ると、相手も自分を見ている。

 じーーーーーーっ……。

 数分間見つめ合っていたが、いつまでたっても決着はつきそうにないので、オレは赤ん坊の名前を考えることにした。

「ゔぅ〜〜む。」

 他人ヒトの名前なんて考えたこともないオレには、全然思いつかない。

 チッ…チッ…チッ…

 考え込んでいると、時計の音だけがやけにうるさく頭の中に響きわたる。

「あっっ。」

 突然ある閃きとともにオレはポン、と手を打って赤ん坊と目をあわせる。

羽式はしき!羽式にしよう。」

 あまり意味はないのだが、なんとなくカッコよさそうだから、羽式。高い高いをしてやりながら、

「羽式だぞ、羽式。気に入ったか?ん?」

 そう言ってやるときゃらきゃらと笑っていた。

 こうしてこの赤ん坊は『羽式』と言う名でこのオレに育てられることになった。オレももう十九歳だったりする。この国の成人は十七歳。そろそろパパになるのも悪くないだろうと思った。

 それからは毎日が戦争のようだった。ある意味、仕事よりもハードだったが、その分楽しかった。そして、子供の成長は早いもんだ、と思った。

 さて、オレは羽式が3歳になるころから羽式にダーツを握らせていた。そして少し離れた所に的を置いては一緒に遊んでいた。

 ーナイフ投げを習得させるために。

 物心つかないうちから繰り返しやって覚えたことというのは、そうそうは忘れない。身に染み付くのである。

 オレは羽式を将来オレと同じ職業につかせるべくそうやって訓練した。親として言えば、こんな職業にはついてほしくはないのだが…。そうやって考えたこともあった。オレが守ってやればいいと。でもそれではいつまで守ってやれるかわからない。職業柄、いつこの人生に終わりが来てもおかしくない。そうしたら羽式は一人で生きていかなくてはならないのだ。

 自分の身を守れて、かつ生活費に困らない職業。そしてオレが教えてやれる職業。といえばこれしかなかった。

 そんな訓練の成果もあってか、羽式は6歳を迎える頃には立派に一人で仕事ができるようになっていた。5歳の時、初めて仕事に連れて行ってやった時は、その悲惨な光景に相当ショックを受けたようだったが、(5歳の子供なんだから当然だけど)もうすぐ6歳になる頃に一つやらせた仕事で「殺らなければ殺られる」と言うことを悟ったようだった。正直、やはり自分の子を幼いころからこんな世界に突っ込ませるのには胸が痛かった。

 だからこそ誕生日なんかは、二人だけだけど、どこよりも盛大に祝い、季節のうつろいを羽式に自覚させるようにいろいろとやってみたが、やはり羽式の年を重ねるごとに進行してゆく感情の薄らぎを止めることはできなかった。

 羽式は、花の美しさも月の光のやわらかさも、冬の朝のはりつめた空気すらも忘れて行ってしまった。

 そんな羽式を黙って見ているしかないオレはもはや親失格だった。

「羽式…。しばらく仕事を休んだらどうだ?」

 ある日、オレはとうとう羽式を見ていられなくなって言った。

「……どうして?」

 羽式は気付いていない。自分の感情がどんどんなくなっていることに。

「お前はもう充分すぎるほどに力をつけた。もうしばらくやめよう。二人で楽しく過ごそう。」

 羽式は最近ほとんど笑ったり怒ったりすることもなくなっていた。しばらくこの生活からはなれて暮らせば、忘れたものを思い出せると思った。

 羽式はもうすぐ十歳になるころだった。まだまだ幼い子供だったのに。オレは初めてそれを理解した。羽式の言葉を聞いて。

 

「…ホントに?ホントにやらなくていいの?」

 そう言って顔を上げた羽式の目には、大粒の涙がたまっていた。

 ーああ、オレは今まで、この子がこんなになるまで気付かなかったのか。

 オレはゆっくりうなずいて、羽式をぎゅっと抱きしめた。そして、言った。

「ごめん。」

 と。

 羽式はまだその意味を理解できなかったらしい。不思議そうな顔をしていた。

 

  それからは、二人の楽しい生活が続いた。春は花見に、夏は海や川に、秋はクリひろいに、冬は雪ダルマをつくって、平穏な生活をしていた。そんな生活の中で、羽式はもとの羽式に戻ってきた。こんな生活がいつまでも続けばいいと願っていた。

 しかし、とどまる現実などないと、オレが一番よくわかっていた。

 

  羽式は十二歳を迎え、ますます元気盛りになってきた。が、それと逆にオレは体調をくずす日が多くなって来て、(もちろん羽式は知らないが)どうもおかしいと思っていた。

 オレは、ある日医者にかかって、絶望的な結果を聞かされることとなった。

「残念ながら…」

 眉根を寄せて神妙な面持ちで話を切り出した医者が告げた事。

 ー癌、です。余命は…長くて二年ほどでしょう。

 だった。もうあちこちに転移していて手の施しようがないらしい。ここまで気付かなかったのは、長年の仕事で、痛覚が鈍っていたためらしい。

 ならば、もう最期まで羽式のそばにいてやろうと、オレは決心した。

 決して羽式に気付かれてはならない。最期まで。

「ただいまー。って、うわッ!」

 ウチに帰ると、羽式は家中をドミノ会場に変えていた。

「おかえりー、あぁッダメだよデカイ声出したら。」

 一つでも倒したら大惨事が予想されるので、慎重に買い物袋を抱えて抜き足で台所へたどりつく。

「ふぅ…。」

 さて荷物を片付けようか、と下を向いたらここも大変なコトになっていた。

 しかし、もう遅かった。

 カタン…。

 ザララララララララララ……

「あわわわわわ…。」

 止めようとしたがドミノの勢いはすさまじかった。向こうの部屋にいた羽式の叫びが聞こえる。

「あぁーーーッ!」

 全てキレイに倒れおわったドミノの山の向こうから羽式がすごい形相でこちらへ向かってくる。

「んもーーッししょーのバカーー!」

「ごめんごめん…。今日は羽式の好物にしてやるから。」

 むー…、としばらく考えこんだ羽式は、それで納得したらしく、結局それで承諾した。

「じゃあ、今日はエビドリアね!」

「はいはい。(汗)」

 平和な日常だった。そりゃあ、時々襲撃してくる奴らとかはいたけど、だいたいは羽式に気付かれないうちに始末していた。

 そうして、あっという間に2年は過ぎていった。

 

  

  もう最近は、何をするのにも疲れる。けど、羽式に気付かれてはいけない。絶対に。

 羽式は十四歳になっていた。なんだかこの二年で、急速に大人びてきた気がする。

 背が伸びたこともあるんだろうけど。

 オレに残された時間は、もう尽きかけている。それはオレ自身が一番身にしみてわかっていることだった。この二年間で羽式は料理を多少覚えたようだ。

 あとはー生活費だな。

 

  羽式が仕事を休んでもう四年、か。2年前までは羽式にナイショでこっそり夜仕事に行ったりしていたが、この二年はまったく収入はない。それにオレの病院通い(もちろん羽式には言ってない)と、やけに高い薬代とで、貯金もつきかかっていた。が、もうオレは仕事に行けるような身体ではなかった。ソファに座ってそんなことを考えていたら、目の前に急に何かが現れた。見上げるとそこには羽式の顔があった。

「師匠?何かあったんですか?」

 どうやらオレが珍しく真剣なカオで何か考え込んでいたかららしい。

 いぶかしげな顔で見ている。

「いんや、別に?今日の晩ゴハンに悩んでただけだ。」

 もちろんウソだ。

「ウソくさ。」

 思いっきりバレてら。

「半分ウソだ。半分晩メシに悩んでたからな。」

「じゃ、あと半分って何ですか。」

「トイレに行こーかどーか悩んでた。」

「……。」

 羽式は『あーそーですか。』とでも言いたげな顔だったが、オレはそれに笑顔で応えてやった。

「…もういいや。」

 そういうと羽式は呆れ顔で行ってしまった。たぶん今のはごまかしきれてない。危ない危ない。

「ぐっ……。」

 苦しい。まただ。でも今回は今までとはケタはずれに苦しい。ここまでなのか…?オレは。この二年間、オレはありとあらゆる薬を試して一日でも長く羽式といっしょにいてやるために努力してきた。

 おそらくオレの人生三十三年間の中で最も努力した二年間だと思う。それでも確実に死の足音が近づいてきているのはわかっていた。けど…。あと一日。あと一日でもいい。

 アイツといっしょにいてやりたい。頼むからあと一日でも長く、オレの息子の成長してゆく姿を見せてくれ。一日でも長くアイツを守らせてくれ。十四年前からオレのたった一つの生きがいになったアイツを。

 オレは初めて今まで信じもしなかった神に願った。

  しかしそれは無情にも天に届くことはなかった。

  

  その日の夜、オレは最期の力で家をあとにした。アイツの目の前で死ぬようなことはしたくなかった。これはオレのわがままだった。目の前で死んでしまえば、もう死んでしまったのだと、過去の人になってしまうから。心の中でまで死人にされたくないから。簡単に言ってしまえば、『まだどこかで生きてるに違いない』そう思ってほしいだけだ。

「オレの最期のわがままくらい許してやってくれよな。」

 寝ている羽式の頭をなでながらそう言って、心の中で別れを告げながら、オレはその家をあとにした。

 そして振りむくことなく秋の終わりの夜の闇にまぎれていった。…振りむけば帰りたくなってしまうから。

 思えば、長いような短いような、そんな十四年間だった。もしあの日、オレが偶然栗拾いに行かなければ出会いもしなかった息子。あの時のことがまるで昨日のことのようだった。あの時のことを思うと、自然と笑みがこぼれる。懐かしい思い出であった。

 

   

 さて、俺には最期にもう一人会っておくべき人物がいた。今は街はずれの教会跡でその人物を待っている。その間にも絶え間ない苦痛に苛まれていた。と。不意に後ろから声がした。

「兄上。」

 振り返ると、俺が家を飛び出して以来会っていない七つ下の弟がいた。

「よォ、零星。ああ、もう零星陛下、だっけか。」

 弟の零星は、この帝国くにの皇帝だ。

「そんなコトはどーだっていい。何だって何年も連絡すらよこさなかった月影兄にいが急に…。どーいう風の吹きまわし…。」

「月影なんて呼ばれたの十数年ぶりだよ。あっはっは。そんな名前だったなぁ、俺。ずっと村上の方使ってたからすっかり忘れてたわ。」

 零星の言葉をさえぎってはぐらかす俺。最後には言うつもりだけど、今しばらくは久々の兄弟の再開を楽しむのも良いだろう。

「村上…?」

 さっきも言ったが、俺は家を出て以来、家族の誰にも連絡を取っていない。知らないのも当然なのである。

「そ。今の俺の名前は村上 秋扇だから。」

 その名を聞いて弟の顔が曇る。

「兄さんはなんでそうやって自分を蔑むんだよ。」

「……。何が?」

「わかってやってるくせに、白々しい。秋扇だなんて…。」

 弟の零星は妙に頭のキレる奴だ。これだから侮れない。

 俺はフッと笑って言った。

「あはははは。バレた?」

「バレた?じゃない!秋扇って…」

「そ。価値のないもの。役立たず。」

 実際俺は家においては価値のないものだった。いつでも役立たずと罵られて生きてきた。だから、秋扇。そんな俺でも少しは羽式アイツにとって価値あるものになれただろうか。

「兄さんはいつもそうだよ。一人で強がって、僕がいくら言っても肝心なコトは何一つ言わないでかわしていく。」

 零星コイツにはかなわない。言わなくても、肝心な所を見透かされているのだから。

「じゃ、今から肝心なコト教えてやるよ。オレはな、もう死に時なんだ。実際ココにいるのだけでもかなりつらい。だからオマエに会っておこうと思ったんだ。」

「なっ…!?」

 驚いて当然だ。今まで普通に話しておいて、突然こんなことを言われれば。

 しばらくうつむいていた零星は、くるりとオレに背を向けた。

「そういうラストだけ言いに来るトコも、…変わってないっ…。」

 零星の声は震えていた。コイツにも、散々迷惑をかけたかもしれない。

「…そうかもな。」

 そう言ってオレは今まで腰かけていた崩れかけたレンガの壁跡から腰を上げ、覚悟を決めて言った。もう立っているのもやっとだ。目もかすんでいて、吹き渡る風の音も聞こえない。

「なあ、オレの葬式、頼んでいいか。参列者は、オマエだけで充分だよ。墓も別にどこでもいい、っつか、むしろなくっても…いいからさ。」

 後ろを向いた零星が小さくうなずいた。これで全部終わった。そう思ったら、力が抜けて、立つこともできなくなっていた。それに気付いた零星が、あわてて駆け寄ってくる。

「月影兄ッ…!!」

 そう言って地面に横たわった俺の目の前にいる零星は、涙でぐしゃぐしゃだった。

 コイツが泣いたとこなんて…初めてーーー見た………。

「兄さんッ!兄さ…」

 だんだん零星の声も遠くなる。

 何も聞こえなくなったやけに静かな空間で、思い出したのはやはり羽式のことだった。

 アイツと過ごした楽しい日々のことばかりが思い出された。

 『゛あーーーーーッ!!!』

 『もォーーー師匠のバカーーーーーーッ』

 『ごめんごめん…。』

 羽式…。あ、そうだ…。

「零星。」

「何……?」

「………………………」

 オレは最期の言葉を告げ、力尽きた。

 

       

 ー翌朝

「師匠ー、師匠ーー。」

 朝起きると、師匠のベッドはもぬけのカラだった。いくら探してもいない。どこに行ったんだろう。また栗拾いかな?でも、もう栗には遅い時期だし…。

 ふと、リビングの棚を見ると、いつも師匠がカギをかけて絶対に見せてくれない引き出しが少し開いているのに気がついた。

「………?」

 本人は、「勝負用パンツが入ってる」とか言っていたが、絶対ウソだと思った。あたりをキョロキョロと見まわして、師匠がいないのを確認すると、今日こそその引き出しの真偽を暴いてやろうと引き出しを開けた。

 カサ…。

「…え?な、何だ?コレ。」

 中から出てきたのは、大量の薬だった。その袋の一つに、『癌治療薬』と書かれている。

「癌⁉︎」

 そんなコト一言も聞いてない。まさか朝からいないのは、医者にでも行っているのであろうか。

 薬の袋を見て、その病院に行ってみた。

「あの、すみません、ここに村上秋扇来てませんか。」

 医者に尋ねたが、来ていないという。

「どうかされたのかね?村上さんが。あの人もまだ大丈夫かねェ…。」

「え?」

 医者に詳しく事情を聞いて、初めて師匠の病気のことを知った。

 もうそろそろ限界に達しているということも。

「ありがとうございましたっ。」

 そう言いながら、病院を飛び出した。街中を探し回ったけど、見つからなかった。帰ると、キッチンの机の上に手紙が置いてあった。今朝は気づかなかったけど。

 

   ー羽式へ

  オレはこれから旅に出る。ここには帰ってこないかも。

   まあ、オマエももう十四歳だ。一人で大丈夫だろう。と思っている。

    そうそう、心配なのはオマエの生活費だ。まあ、そのなんだ。オレがー

     いろいろ。そういろいろ使い込んで貯金はスカンピンだ。

      だから頑張って稼げよ。じゃ、達者でなー。

       いい嫁さん見っけろよーー。

        そだ、村上の姓はオマエにやるよ。大事にしろよー。

         なんたってこのオレ様からの贈りモノだかんな!んじゃ。

                               秋扇様より


「いろいろって…全部薬のくせに。」

 読み終わる時には、涙で前が見えなくなっていた。師匠の言う『旅』とはおそらくー。

「バカ。師匠の大バカヤローーーーッ!!!」

 大声で叫んでやった。最後の最後までまんまと隠し通しやがって。ホント大バカだよ。

「アンタはもう、秋扇じゃないよ…。」

 師匠は前に話してくれたことがあった。何でこの名前なのか、とか、本名とかも。

「もう、価値のないモンなんかじゃないよ、あんだけ父親面しといて。」

 そう、もう師匠は父親同然、いや、父親だった。捨て子だった俺にとって唯一の肉親だったのに。

「信じらんねェ。ずるいよ。」

 その日、俺は丸一日泣いていた。

 

   ー二年後

 やっぱり仕事は楽しくなかった。でも仕事したりでもしてないと、師匠のコト思い出すし…。そうして俺は仕事にのめり込んでいった。

「がっ…!」

 ドサッ

 カッカッカ……。

 つまらない日々。何をしていてもつまらない。この満たされない思いは一体何なんだろう。何が足りない…?

『今日はエビドリアだぞ羽式!』

『たまには二人で外にでも食いにいくか羽式!』

 ……やめてくれ。もう、師匠はいないのに。

「全然一人で大丈夫なんかじゃないよ、師匠…。なんで帰ってきてくれないんだよ!」

 俺はそんなに強くない。

『例え一人でも大丈夫だよ。花を見て美しいと思う心を忘れなければ。』

 花を見て…美しいと…。それが師匠の口グセだった。

 

      ー冬ー

「私、雪華って言うんです。雪の華って書いて、雪華。」

 美しい銀の髪。澄んだコバルトブルーの瞳に、やわらかい笑顔。

 彼女を見て美しいと思う事が出来た私は、その心を忘れていないと言えるのだろう。

 私はその日、雪の華を美しいと思えたのだから。

 

                                 

   ー五年後

「花嫁様の準備が整いましたことよーーー♡」

「おめでとー羽式ーー。」

 今日は私の結婚式だ。あれからもう何年が経っただろう。師匠に教わったナイフ投げは、別の方向で、人を殺めるのではなく、人を守ることに使われることになった。

 これからは、もう一人ではなかった。それに、例え一人になったとしても、もう大丈夫のような気がする。私には花を愛でる心があるから。それを忘れそうになったら、思い出させてくれる人たちもいる。だから、もう大丈夫。

「ブーケ、いっくよ〜。」

 雪華の投げたブーケは、群衆のど真ん中ではなく、木影の方へ落ちていった。

 それを真っ先に拾いに行ったのは…こうがい様だったが、他の誰かが拾ったらしい。

 ー城に移りー

「そういや笄、ブーケって誰が拾ったのさ?」

 と、紫音は気になることを聞いた。

「さぁー、見ない方でしたのよ。んーと、髪の毛が腰くらいまでで、後ろで結んでおられましたわねー。メガネをかけておいででしたけれど、そう、少しお父様に似てましたわ。どことなくですケド。」

「ふーーーーん。」

 

 

  ー翌日ー

 城の庭の片隅に、小さな墓があった。ずいぶんわかりにくい場所だから、知っているのは作った本人くらいである。

 『月影、ここに眠る』

 その立てた本人ー零星は、毎朝ここに来ることにしていた。

「おはよ、月影兄。ってアレ?これって…。」

 そこには小さなブーケがあった。

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