機械屋、人界の敵になる。
ディードが黙り込んでいる間、ルーフスもロセウスも口を噤んでいた。はたまた、かける言葉がなかったのかもしれない。
沈黙がしばらく続いた後、ルーフスが手に持っていた紙をディードに渡す。
親切にも、人界の文字で報告書が綴られていた。
「これは、お前の街で調査を行った魔物からの報告だ。
人間どもがお前の賞金の話で盛り上がり、広場には貼紙がされていたとのことだ。
残りの道具類も取りに行かせたが、既に略奪されていたぞ」
淡々とルーフスは報告のあった事実を伝えていく。
ディードはその顔を恨めしげに見てから、手渡された報告書に目を落とした。相違なく綺麗にまとめられた文章に、自嘲の笑いを漏らす。
「じゃあ俺は、人界じゃ魔王の味方をした極悪人ってことになってんのか」
「そういうことになるな」
事もなげに言うルーフスを睨むが、その表情にはほんの少しの同情が見える。思ってもいなかった顔に、怒鳴りつけようとした口を噤んだ。深く息を吐いて、頭を整理する。
一方的に魔物に連れていかれたのは街の住民も知っているはずだ。
何故こんなことになったのか。
思わず、手で顔を覆った。ディードが連れ去られ、既に殺されたとは考えないのだろうか。
「……そうだ」
何故、殺されたと思われず、魔王の傘下に入ったことになっているのか。たかだか機械屋一人だ。何の脅威になると言うのだ。
「なあ、ルーフスさんよ」
「気安く名を呼ぶな」
少し眉を顰められたが、それ以上何を言うでもない。言葉の先を促されているのだと感じ、そのまま喋る。
「もしかして、王様……人界の、王様は、魔王様が簡単に人間を殺さないことを知ってるか?」
「知っているだろうな。何度かこちらから和平を持ちかけている」
ああ。
やはりそう言うことか。
人界の王は、魔王城を修理する為にディードが喚ばれたことを察しているのだろう。他でもない、人間の侵攻に対抗する為だということも。
賞金をかけておけば、すぐ無条件に捕らえられる。魔王城の修繕が進まないよう謀ったのかもしれない。
「とんだ茶番だ」
ギリ、と拳を握る。ロセウスはなんと言葉をかけていいか迷っているのか、ディードとルーフスの間で視線を彷徨わせた。橙の目が訳がわからないと言わんばかりに揺れる。
「なんだ、どう言う事だ?」
「この人間は、同族に裏切られたと言う事だ」
その言葉はディードの精神を酷く抉った。
いくら街で嫌われていたからとて、人界の敵になるような事をした覚えはなかったのだ。
せめて、意固地にならなければ違う道があったのだろうか。
「何にしろ、お前はもう人界には戻れぬ。
戻ることは死を意味するぞ」
ルーフスの言葉は正しい。
戻ったところで、捕まって処刑されるのが落ちだ。
ディードは天を仰ぐ。魔界の澱んだ空を見て、妙に青空が恋しくなった。
「……俺の、自業自得ってことかね」
小さなその呟きに、二人の魔物が答えることはなかった。
*
「ねえ父さん、聞いた?
例の話」
ぱたん、と扉が開く音が響く。
自室の椅子でうとうととしていた老人は、扉の音と娘の声にはっと顔を上げた。
眠気にしぱしぱと目を瞬かせ、部屋に入ってきた娘を見る。
「あら、寝てたのね」
ごめんなさい、と謝る娘に軽く手を振る。少し申し訳なさそうに下がった眉は、小さな頃から変わらない。先ほどまで見ていた夢に出てきた、小さな娘が脳裏を掠めた。
目を細めながら、老人は話の先を促す。
「いんや、構わん。何の話だ」
「ディードの話よ」
娘の口から出た男の話に、老人は途端に顔を顰めた。
いい夢を見て、良かった気分が吹っ飛んでいく。
「あいつの話はせんでくれと言ったろう」
それは、機械屋としては優秀すぎるほど優秀だが、それ故の傲慢さから縁を切った弟子の名だ。
正直なところ、もう顔も見たくない。何せ、可愛い娘を蔑ろにしてまで己を曲げなかった男だ。婚約者が逃げ出すまで気づかないとは朴念仁にも程がある。
「でも……」
「聞きたくないと言っとろうが!」
頑なに拒む父親に呆れたようなため息をついて、娘は部屋を出て行った。
その後ろ姿を見送り、深く、椅子に座り直す。
老人が機械屋を引退してから、既に十年ほどだ。
機械屋組合の長としての仕事もしばらくはあったが、それも次代に渡してからは隠居生活だ。
更に満足に歩けなくなってから数年が過ぎている。それに伴って精神も、日増しに柔軟さが失われてくるのを感じていた。
そんな頑固さの中で、一際凝り固まっているのがディードのことだ。
一番弟子であったディードと娘を結婚させ、ゆくゆくは自分の工房と彼の工房を合併させて更なる発展を、と考えていたのだ。
だが、ディードは思ったよりも仕事に
凄腕と言われる彼についていけるものなど、殆どいない。否、彼に尊敬の念さえ持てればいただろう。
とどのつまり、ディードには人望がなかったのだ。
「全く、救えない男だの」
憎々しげに、だが一抹の寂しさを含む声音で呟く。
老人も、娘が婚約を破棄してくるまでは彼のことをかなり買っていた。仕事に熱心ならば、そんなこともあるだろうと。
だがこうも我を通すようでは擁護のしようもない。
ぼんやりと昔に思いを馳せていると、
驚いて外を見れば、数軒先の工房に人だかりが出来ていた。
「何じゃあれは!?」
大声で娘を呼ぶ。何事かとやってきた娘に、老人は外を指差して見るよう促した。
「なんじゃあのやかましいのは!?
ありゃあ、アイツの工房だろう!」
人だかりが出来ていたのは、ディードの工房だ。
娘は外を確認すると、納得したように老人に話し出した。
「やっぱり父さん知らなかったのね。
ディードがつい昨日魔物に攫われたのよ。
それでそのまま魔王に寝返っちゃったんですって。
国王様が怒って賞金をかけたらしいの」
「なんじゃあ、それは……」
あの男が、魔王に寝返った?
俄には信じられなかった。
「それで、なんでアイツの工房が壊されとる」
窓の外の騒ぎの最中、工房の扉が壊されているのが人混みの隙間から見える。工房の扉は機械を搬入する為にそこそこ大きい。それが跡形も無くなっていた。
「魔王の手下の道具は没収だって騒いでたわよ」
ほんの少し、気の毒そうに娘も外を見遣った。
道具は機械屋の命に近しい。いくら寝返った者の持ち物だとして、勝手に持ち去っていい物ではないのだ。
その言葉に、激昂した老人は、顔を怒りに染めた。
「……悪辣ものどもめが!」
怒りのままに立ち上がる。杖をついて、騒動の場所へ向かった。その足取りは、普段よりも
娘が慌てて止めるのも無視して、老人は家を出た。
そのままディードの工房の前へ辿り着いた老人は、腹の底から声を出し怒鳴り付けた。
「貴様ら、何をやっとるか!」
その怒声に、騒動がぴたりと止む。皆一様に、驚いた目で老人を見た。更に激情のまま、老人はその場にいるものを怒鳴りつけた。
「機械屋たるもの、他人の道具を奪うなど言語道断じゃ!
今すぐその愚かな行いをやめんか!」
老人が青筋を立てて怒号を飛ばす様を見て、その場にいる者たちは困惑したように顔を見合わせた。
何が悪い、と言わんばかりの表情をしている者もいる。
「だけどな、御隠居。あの野郎は人界の裏切り者だぞ?」
「そんなことは知ったことか!」
老人は肩で息をして、周りを睨む。
「機械屋の風上にも置けんわ!
魔王の手下だろうが何だろうが、魂の籠った道具をぞんざいに扱うな!」
「父さん!」
慌てた娘に取り押さえられ、老人は自宅へと引き摺られていく。
その姿を、皆が黙って見送っていた。
*
「なにやってるの!
父さんまで魔王の仲間だと思われるわよ!」
連れ戻された老人は、娘の説教にむっつりとした顔で黙り込んでいた。
騒ぎから半日ほどが経ったが、ずっとその調子である。
その様子にため息をついて、娘は諭すように続ける。
「あんまりカッとなると倒れちゃうわよ」
心配そうな声音に、老人は僅かに眉間の皺を緩める。
頭に血が昇ったが故の行動であることは自覚していた。だが、放置はできなかったのだ。
「あんな機械屋としての矜持に
老人はふん、と鼻息を漏らす。
娘は泣きそうな顔で父親の手を撫でた。
「わたしは父さんが心配なのよ?
今日だって役人に聞かれたらとんでもないことに……」
「国王陛下より喚問のご命令だ!
ただちに同行せよ!」
突然、玄関を大きく叩く音と共に、大きな声がかかった。
そんな風に声をかけてくるのは、衛兵しかいない。
老人と娘は、顔を強張らせてそれを聞いていた。
*
「ふむ……?」
人界の様子を、魔王が水鏡で見ている。
そこには人間の王の前で何かを話している老人がいた。
どうやら、必死に機械屋の街の存続を訴えているらしい。
だが、それを見る王と側近の目は、老人を見下すように見ていた。
『別段、機械屋が滅んだとて余になんの感慨もないわ』
水鏡の向こうから冷えた声がした。
老人はその言葉が信じられなかったのか、愕然とした顔で自分の王を見ている。
そのまま両脇を抱えられ、連れ去られていった。
王は何の感慨もなさそうにそれを見送り、側近へ声をかけた。
『彼奴は家に帰してやれ。後先ほど言った通り、機械屋の街は丸ごと封鎖せよ。また騒ぎを起こされてはたまらぬ。
勇者が魔王を討ち取り、魔王城を手に入れたならば、城の保持くらいには使えるだろう』
『魔王城にある魔木と魔石さえあれば、機械なぞ何の役にも立たぬ。人間の魔法さえあれば、魔物の技術など要らぬのだ』
「なるほど」
水鏡の中の王の言葉に、魔王は納得したように頷いた。
魔木や魔石は、魔物が死んだ後、体内からまろび出てくることも多い。その為人間の王やその周辺は、魔物が魔木や魔石から生まれると考えたのだろう。その大元が魔王城にあるのだとも。
実際のところ、魔物が大元であって魔木や魔石は魔物たちの魔力の残りカスから出来ている。排泄物と似たようなものなのだ。
「全く、愚かなものだ」
人間とは。口の中でぽそりと続ける。
魔王が死ねば、その恩恵すら消え去ることを知らない。知ろうともしない。
す、と水鏡を消すと、座っていた執務室の椅子にゆったりともたれかかり、目を閉じる。
魔王はそもそも、人間が嫌いではない。
弱く愚かだが、研鑽を惜しまない。自らの暮らしを豊かにする為、試行錯誤する様が面白かった。愚かさすら好ましく思えたものだ。
やがて魔法も生み出された。
元々高位の魔物だけが使えた技術を、魔木と魔石を燃料とする事で己が物としたのだ。
魔法が使えるようになった人間はどんどんと発展し始めた。そして同時に、我らこそが世界の頂点なりとでも言いたげに君臨する者たちも出てくるようになったのだ。
それでも、まだ魔王は人間が嫌いではなかった。
初めて怒りを覚えたのは、魔物たちを魔木や魔石目当てに殺し出した時だ。それまでは偶然手に入る希少なものだったのが、魔物を殺せば手に入ると気づいた者がいたのだ。魔物は殺され続け、一時は数百まで減った。
魔王は怒り悲しみ、魔物たちの亡骸を回収して回った。魔物は魔王自ら生み出した大切な愛し子達だ。そのままにするには忍びなかった。
魔王はその亡骸を加工し、多数の絡繰を有する魔王城を建設した。
使いきれなかった亡骸はさまざまな絡繰へと加工し、僅かな信頼できる人間たちへと託した。
それでもまだ人間たちへの希望は捨てきれなかったのだ。
絡繰という見知らぬ技術を与えることで、他より優れているという己の傲慢さを見直してくれるのではないかと。
魔王は、かつての人間の姿を取り戻したかったのだ。
その期待も露と消えたが。
「たかだか数百年で、なんとも変わってしまったものよ」
虚しく執務室に響く声に、応えるものは誰もいなかった。
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