機械屋、魔物と協力する。
人間は嫌いだ。
ルーフスは魔王からの勅命を受けた時、内心不満でたまらなかった。勿論、
魔王城の絡繰を修理するものが必要なことはわかる。だが何故、人間なぞに魔王城の修理を頼まなければならないのかと。
人間は嫌いだ。
子どもの時、弱い魔物を人間が
人間など、善人めいたことを言っても一皮剥けば同じようなものだ。
人間は嫌いだ。
機械屋たちの街へ赴き、街一番の腕前の者を要求した時、皆が一様に一人の男を推した。
驚く男をよそに、人間たちの顔にはそら見たことかという嘲りと、自分が助かってよかったという安堵が浮かんでいた。此方が不快になるほどの負の感情だった。
どうせ、この男も。
連れてきた男は、四十路に手が届くであろう男だった。短く刈った黒髪には白髪が混じり、髪と同じ色の目には、他人への不信感がありありと映っていた。
だが魔王直々の依頼を受けた途端、目の光から不信は消え、目の前の仕事への気概に満ち始めた。
正直、ルーフスは驚いた。どうせ嘘を並べ立てて逃げようとするか、はたまた交換条件を出して助かろうとするか。人間ならばそうするのだろうと思っていた。
人間は、嫌いだが。
ひとまず、この人間は他と違う気がする。
三ヶ月間、様子を見ることとした。
*
「しかし、オマエも災難だなあ人間」
翌朝、目が覚めたディードは早速、ルーフスから修理を始めるよう声をかけられた。案内役をつけると言い置いて、連れてこられたのがこの魔物だ。
案内を任された者は、比較的人間に友好的な者が選ばれたようだ。ドスドスと足音をたてて前を歩きながら気さくに話しかけてくる魔物をチラと見て、ディードは首を横に振る。
「いや、ここに来ても来なくても、俺の仕事は潮時だったんだ。
むしろちょうど良かったかもしれん」
そうだ、ちょうど良かったのだ。
後継者もいない工房なんぞ、無理に維持しても先は長くない。依頼も継続のものだけで、新しいものは滅多に来ない。親方同士の繋がりも殆どなくなっていたのだ。
ディードの内心を悟ってか、ルーフスの部下の魔物――ロセウスは肩をすくめる。
「そうか。人界も色々大変だな。
魔界では存分に働くが良いさ!」
ロセウスは恰幅の良い身体と夕陽色に燃える髪を揺らして、そう発破をかけてきた。魔王やルーフスのような立派な角は彼にはないが、尖った耳と全身に見事な魔族紋様がある。
存分に働け、という言葉にディードは少し眉を上げ、頷く。言われなくともそのつもりだった。ここには、人間を嫌う者はいても、ディード自身を嫌うものは恐らくいないのだ。それだけで、仕事がしやすいというものである。
そう意気込んで出発したのはいいが、ディードは早々に息が上がり出した。
魔王の城は広大で、歩くだけでも一苦労だ。
荷物を背負ってロセウスについていくが、随分と歩いた気がする。実際は十数分といったところなのだが、背に背負った荷物があまりにも負担だった。台車のようなものを借りられないか、頼む必要がありそうだ。
息が上がっているディードを振り返り、人間はひ弱だな、とロセウスが大口を開けて笑う。
そうして歩く二人を、他の魔物たちが奇異の目で見ていた。人間を嘲るもの、得体の知れないものとして忌避するもの、好奇心のあるもの――視線の種類は様々だ。少し居心地が悪い。
普段なら城の中を移動するにも、人型の魔物は乗り物用の魔物を使うらしいが、人間を乗せたがらないらしい。だから、奇異の目に晒されながらも歩くしかないのだ。
漸く城門へと辿り着くと、そこには堅固という言葉が似合いすぎるほどに似合う城門が鎮座していた。
「オマエは通ってこなかったろうが、ここが城門だ」
ディードは思わずその荘厳さに息を呑んだ。まさに《魔王城》と呼ぶに相応しい城門だった。
彫刻の施された柱に、複雑な形に鋳造された鉄の門が付いている。城門の前の深い堀には澱んだ水が湛えられ、その上を石造の橋が渡されていた。城の構造としてよくあるのは跳ね橋だが、どうやら魔王城にそれはないようだ。
息を整えながら、橋を見つめる。石造の橋ではあるが、よくよく見ると継ぎ目がある。回転して、侵入者を振り落とす罠に見えた。
門には一般的な閂以外はつけられていない。その辺りは城の顔でもある為、そこそこ手入れがされているらしい。修理が必要なのは石橋で間違いなさそうであった。
石橋は下に空間がある。そこに、機構部分があると予測できそうだ。
「機構が見える場所まで案内してくれねぇか」
「そいつがオレの仕事だからな。良いぜ」
ロセウスの案内で、橋の下へと向かう。点検口があるらしく、石をずらせば中に入れるようになっていた。道具の中から作業用の
中は堀の澱んだ水のせいか、軽い腐臭と黴の匂いが濃い。思わず鼻を摘んだ。
数歩歩いた先の、揺らめく灯りの中。錆び付いた歯車が見えてきた。苔むし、枯れてまたその上に苔が生えた形跡がある。
「……こりゃあ、随分古いもんだな」
魔王も百年は使っていないと言っていたか。人界では皆が新しいものを求める為、ここまで古くなる前に廃棄されてしまう。正直、動くかは触ってみないとわからない。
だが、機械は機械だ。ディードには直せる自信があった。
丁寧に歯車の先がどこへ繋がっているのか、
肝心なのは、罠を作動させる魔法陣だ。
単純な罠にこの魔法陣は使われないが、この石橋のような大掛かりなものはこれがなければ作動しないものが多い。その魔法陣が経年劣化による黴で侵食され、動かなくなっていた。読める部分から察するに、魔物は罠にかからないよう対象は人間に限定されているらしかった。
荷物から紙を取り出し、頭に描いた絵図をペンで写していく。修理すべき箇所を赤で入れ、必要そうな素材や道具も書き込んだ。
「まあ、だいたいこんなところか」
「お、もうわかったのか?」
点検口の外から覗いていた橙の瞳を軽く見開いて、ロセウスが問う。その問いかけに、ディードはニッと笑って軽口を叩いた。
「俺を誰だと思ってる?
人界一の機械屋、ディードだぞ」
*
そこからは早かった。
必要なのは掃除用具と潤滑剤としてのスライム。
それに、魔法陣を描くための魔物の血だ。
歯車と
魔法陣は黴の部分を削り落とし、再びから描き直した。
素材の入手先はロセウスに依頼したところ、ものの数十分で全てを揃えてくれた。
スライムは削ってもすぐ再生できるため、幾らかを数匹のスライムから頂いた。血は少量だったためロセウスが提供したのだが、その効果が凄まじかった。いつも使う魔物の血より、遥かに少ない量で魔法陣が完成したのだ。
「強い魔物の血が、良い素材になるとは聞いていたが……」
これ程とは。感心して自分が補修した魔法陣と、ロセウスを見比べる。
魔物の血には、魔力が含まれる。人間のそれよりも多分に。恐らく上位になればなるほど魔力の含有量が多いということなのだろう。多ければ多いほど、魔法陣は簡略化できるのだ。
だからと言って、上位の魔物の血など、人間が手に入れられるものでもないが。
考え込んだ様子を不審に思ったのか、ロセウスがディードの顔を覗き込む。
「おい、なんか問題があるのか?」
「ああ、いや何も問題はない。
ただ、良い素材でこんなにも変わるものかと思ってな」
ディードの言葉があまり理解できないようで、ロセウスは首を傾げる。その様子がおかしくて、思わず顔が緩んだ。
「魔物にこんなに親しみやすい奴がいるとは思わなかったな」
「そりゃあ、こっちだってそうだ。
人間にここまでオレ達を恐れず、攻撃してこない奴なんているとは思わなかった」
本当に意外そうに、目の前の魔物は語る。ロセウスがどのくらいの人間を知っているのかはわからないが。どの人間も命乞いをするか、殺意を向けるかだったのだろう。
よく素材を売りに来ていた冒険者連中の、殺意の残り香を思い出す。戦闘の素人にもわかるくらいだ。向けられた本人へはいかばかりか。
「そりゃあ、魔物は凶暴で人を食う、ってのが人間の中の常識だからな」
なんだそりゃ。ロセウスがカラカラと笑う。本当によく笑う魔物だ。つられて、ディードも笑う。声を上げて笑ったのも久方ぶりのことだった。
「何を笑っている?
今日の分の修理は終わったのか」
そこへ、冷たい声が降ってくる。
和やかな空気が凍ったように止まる。二人が声の方を見遣ると、ルーフスが不機嫌そうに立っていた。
「こりゃあ、ルーフス様。
たった今終わったところですぜ」
ロセウスがのんびりとした口調で答える。彼の上司が人間に対して冷徹に対応するのはままあることのようだ。
ディードも頷き、点検口から見える部分だけでもと修理箇所の説明を始めた。
「ここの歯車が錆びてたから錆を落としてスライムの潤滑剤をつけた。あとはここの魔法陣が――」
「いや、良い」
ルーフスは説明を遮ると、点検口から顔を中に入れ、じ、と魔法陣を見る。機械屋が使う魔法陣だが、わかるのだろうか。
それから修理箇所を矯めつ眇めつ眺め、納得したように軽く頷く。
「問題なくできているようだな。
次の仕事も励むように」
赤い目がディードを見る。そこにある侮蔑は最初、玉座の間で見た時よりも大分薄くなっていた。
実際の仕事を見て、役に立つと判断されたのかもしれない。
「頼まれた仕事に手は抜かねえさ」
真っ直ぐに目を見返して宣言する。それは機械屋としての矜持だ。例え魔王城であろうと、そこは揺るがない。
それを聞いてもルーフスの表情は動かないが、何となく空気は和らいだように見えた。
ロセウスもルーフスのその姿を意外そうに見つめている。
「ルーフス様、人間を嫌ってたんじゃなかったんですかい」
「私とて、全ての人間を嫌うわけではない
あと、人間。お前に伝えることがある」
その瞬間、ルーフスの表情がまた険のあるものに戻った。ディード自身に向けられたものではないが、人間への侮蔑が再び宿る。
その雰囲気の変化に、不穏なものを感じてディードは体を固くした。今度は、何だというのか。
「人間どもは、魔王の一味としてお前に賞金をかけたそうだぞ」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
じわじわと言葉の意味が頭に染み渡るにつれ。うなじに冷たいものが走る。
「賞金、だと……?」
その信じられない出来事に、ディードは絞るような言葉しか紡げなかった。
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