機械屋、戦いの中に在る。

「なぁんで、魔物しかいないのにこーんなに機械があるんだ」


 尻に刺さった矢を抜いて、独言ひとりごちる。

 血が出ている箇所を手で押さえて軽く止血し、魔石と魔木を取り出して魔法を発動させる。魔法の炎を傷口に押しつけると、傷が塞がった。

 だが完全に治ったわけではない。動けば、引き攣れたような痛みが走る。


「あー、畜生。もうちょーっと、回復魔法勉強しときゃよかったなぁ」


 高度な回復魔法を使えるのは王の側近周りくらいだ。何かの折に、それを報酬とすればよかったかもしれない。

 壁にもたれかかって座り、少し体力も回復させる。正直魔物との戦いよりも、機械の罠を回避する方が堪えた。

 ここまでに、一体いくつの機械の罠があっただろうか。

 うんざりする数だ。

 王が言っていた、機械屋の仕業だろうか。一人でここまで出来るとは、相当なのだろう。

 一つ一つ、思い出してみる。

 入り口の罠は、簡単だった。橋が回転する仕組みだったが、飛び越えてしまえばなんと言うこともない。

 その次に襲ってきたのは単純な落とし穴だ。ぬるりと動いた床に冷や汗が出たものだ。もう少しで穴底の槍に串刺しになるところだった。

 その次は迫り来る壁。用心して進んだとはいえ、魔法がなければ押し潰されていた。

 数えればキリがない。つい先程引っかかったのは、矢が壁から発射される罠だ。かろうじて避けたが、矢が尻に刺さってしまった。毒矢でなかっただけマシというものだ。

 罠で、体力も魔力も、魔木と魔石もだいぶ消費してしまっている。道中殺した魔物から採ったものも、そうそう使ってしまっては今後に差し障る。

 完全に機械屋が寝返ったのか、無理矢理やらされたのか。どちらにしろ、その腕を褒め称えたいところだ。

 ここまで追い詰められたのは、駆け出しだった時以来かもしれない。

 深く、深く息を吐いた。感傷に浸っている場合ではないが、一度思い出せばずるずると全てがまろび出てくる。

 あの頃は、魔物が悪だと信じてやまなかった。最初に気づいたのは、子供の魔物を殺した時だ。泣いて父母を求める声に目に、人間と違わない感情が宿っているのに気づいてしまった。

 自分を守るためにその出来事を心の奥深くに沈めた。そうしなければ、唯の人殺しでしかないのだ。

 生きるために魔物を食ってすらいた。魔物を倒しに遠出をして食力不足になることなど、ザラにあったのだ。

 これは、魔物。人界に害なす魔物。これを倒さなければ正義に悖る。そう何度も自分に言い聞かせた。

 罪から逃げるように、何匹も、何百匹も魔物を屠り続けた。皮肉にも、戦いの才能はあったらしい。一度も魔物に殺されることはなく、いつからか勇者と呼ばれるまでになった。殺して食うことも当たり前になっていた。

 酒と女に溺れてみたりもした。フラフラと放浪もしてみた。

 だが頭の片隅にはいつも、殺した子供の魔物の虚な目がいる。涙を溜めて、空を向いたあの明るい色の目が。

 記憶の奔流に軽く舌打ちしてから、懐をごそごそと漁った。煙草が少し、残っている。

 取り出そうとしてふと、鼻をひくつかせた。


「一服やりてぇーところだが……」


 それも許さないと言わんばかりに、魔物の気配がビリビリと鼻の奥を焼いていた。とびきり強い魔物の気配が近づいてくるのだ。


「すげぇーのが来たなぁ」


 そう呟く勇者の前に、その魔物は突然舞い降りた。

 赤い髪と目は、爛々と怒りに燃えている。

 その赤い魔物は、朗々とした声で告げた。


「貴様は、陛下の御前を汚す前に私が排除する」


 その言葉に、にぃ、と笑った。

 殺意を含むそれは、心地よく勇者を貫く。

 魔王ならば或いは、と思っていた。その為にここに来たようなものだ。それで駄目なら貰った金を酒と女で使い尽くした後に、自分で終わらせるつもりだった。

 だが、こいつなら。

 この赤く美しい魔物なら、この嫌な正義から、解放してくれるかもしれない。


「さぁすが魔王城。魔王よりも先に、俺より強そうな奴が来たなぁー」

 

 ゆっくりと立ち上がり、腰の大剣を抜く。

 魔物の血曇りすら拭っていないなまくらは、勇者の終わりを喜んでいるようにすら見えた。

 その大剣を真っ直ぐに持ち、背筋をピンと伸ばす。


「勇者ラウス。参る」


 こんな時くらいは、正式な作法で名乗りをあげても良いだろう。魔物相手には、初めてだ。

 だがそれを、赤い化け物は鼻で笑った。

 

「名乗る名などない」


 にべもない対応にラウスは笑う。

 それでこそ最後に相応しいと言うものだ。

 大剣を構え直し、魔物の目を真っ直ぐに見た。


「じゃあ、頼むぜーぇ」


 俺を、殺してくれ。



         *

 


 勇者が名乗ったところで、さして興味もない。

 酷く不快に感じるだけだ。

 大剣を構えてにやつく目の前の男は、勇者らしからぬ外見だ。決して若くはないが、その灰色の髪が男の外見を老けさせている。せめて、見目だけでも整えれば良かったものを。

 こと仕事に関しては活力に満ち満ちているディードとは正反対に見える。それも、己を苛つかせる遠因となっていた。やはりあの男だけが特殊で、人間は下劣なのだと。

 ルーフスは手に力を込める。

 私は、この男を殺す。

 そう、意識する。

 目の前にいるのは、同胞を最も多く殺した者。憎むべき魔物の敵だ。

 だが、にやつくその顔の奥の目が見えてしまった。

 怒りに燃える己とは違う、暗い目だ。

――死にたがっているのだ。


「貴様……なんだその目は」


 堪らず訪ねていた。だが、勇者――ラウスは笑むばかりで何も答えない。

 答える代わりに、大剣を振るう。刃が風を切る音が耳に届く前に、剣から逃れて少し後ろへ飛ぶ。

 表情とは裏腹の鋭い動きだ。が、満身創痍のせいか動きが単純だ。至極読みやすい。

 ルーフスは手から魔力を放った。固く、練った魔力の球は拳で殴りつけるが如く、ラウスの体にめり込んでいく。

 苦悶の声を絞り出しながらも、ラウスは手から大剣を離さない。それが、目の前の敵に当たらなくとも。よすがとするように。

 勇者といえど、死ねば生き返るはずもない。そもそも、一人で挑むこと自体が無謀なのだ。人界の王には、相打ちを期待されているのかもしれない。


「……何故、戦う」


「……それしか……俺にはないからだぁ」


 そう答えてから、ラウスは血反吐を吐く。

 ルーフスの攻撃が内臓を傷つけたのか。たった数発が、弱った彼の体にとどめを刺したらしい。

 ラウスはその場に座り込むと、こちらを見上げてきた。


「ありがとよ」


 ルーフスの目の前で、懐から煙草を取り出し、震える手で火をつけた。

 死を寿ぐような一本の煙が立ち上る。


「何故……死に急ぐ」


 自ら死を望む人間など、ルーフスは知らない。

 人間は、生き汚いものだと、思っていた。


「さっきから……訊いてばっかり……だなぁー……あんたは」


 やはりラウスは笑う。今生に未練などないと言うように。

 人間が、ルーフスにはもう理解できなくなった。

 

 

         *


 

「随分突破されたな……」


 ディードは眉間に皺を寄せながら考え込んでいた。

 手元の機械の図の写しには、びっしりと赤で突破された箇所、理由、改善点が書き込まれている。

 勇者が機械の罠を一つ突破するごとに、発動や管理を任されていた魔物が逐一報告してくれた賜物だ。次があるのかどうかはわからないが、改善点を模索するのは職人としての癖のようなものだ。

 突破された罠を見ると、既に玉座の間のそばまで来ているらしい。

 あの辺りはもう、ルーフスが迎え撃つ場所のはずだ。

 あの堅物の魔物は、大丈夫だろうか。


「死ぬ、ってことはないだろうが……」


 ディードの胸に一抹の不安が過ぎる。

 随分と、魔物達を身近に感じるようになってきた。共に生活を営んでいたのだから当たり前ではあるが、それ以上に同族のような繋がりがあるように思う。

 親しくなった魔物の安否は、気になるのだ。


「……行くか」


 最後の防衛線は玉座の間の前だ。

 機械の罠の数々をくぐり抜けた勇者がどんな人間なのか、見ておきたかった。

 それに、同族であるディードが姿を見せれば、万に一つの可能性ではあるが撤退してくれるかもしれない。淡い希望ではあったが、これ以上魔物達が死ぬよりはマシだ。

 機械屋としての自分を認めてくれた恩に少しでも報いたかった。

 荷物を抱えて食堂を出て行こうとするディードに、慌てたようにウィオラが厨房から顔を出した。


「おい、アンタ!」


「少し、玉座の間の前まで行くだけだ」


「待ちな! 亭主呼ぶからせめて一緒に行くんだよ!

 全く、男ってやつは皆せっかちだね!」


 文句を言いながらウィオラが紫の光を何処ぞに飛ばす。

 暫くすると、ドタドタと足音を立ててロセウスが食堂へ入ってきた。


「なんだウィオラ、何かあったのか!?」


 ロセウスの体は傷ついた仲間を運び続けたせいか、血で汚れている。顔は疲労が濃く、いつもの快活さは鳴りを潜めていた。

 その姿に、少し申し訳なさを感じる。


「この人が玉座の間まで行くって言うんだよ。悪いけど、ついてってやってくれないか?」


「勇者にやられたやつは一通り運んだ後だから手は空いてるがなんでまた……」


 ロセウスは訝しげにディードを見る。その手に抱えた道具の数々とディードの表情で、何事か察したようだった。


「お前も損な性分だな」


 ロセウスはため息を吐く。そのため息が咎められているようで、少し居心地の悪さを感じた。

 ロセウスはウィオラに頼んで濡れタオルをもらうと、体の血を拭き取る。身支度を手早く整えると、ディードに向き直った。


「よし、一緒に行くぞ」

 

「俺一人で十分なんだが……」


「何言ってやがる。勇者は死んだわけじゃねぇんだ。

 お尋ね者にされてるお前も殺されるぞ」


「もしかしたら、殺されないかもしれないだろ?」


 肩をすくめるが、ロセウスの厳しい表情は変わらない。


「あの勇者に敵うのは、ルーフス様か魔王様だけだ。

 お前なんぞ首と胴が一瞬でおさらばだ」


「ぞっとしないな」


 確かに斬りかかられては、ディードになす術はない。

 大人しく、ロセウスに付き添ってもらうことにする。

 ウィオラに見送られて、二人は食堂を出た。

 玉座の間までの道程は、思ったよりは荒れていない。だが所々にある血溜まりがそこで何が起きたのかを証明していた。


「……悪かったな。まだやることがあっただろう」


 無言に耐えかねてディードが謝罪を口にする。忙しく立ち働くロセウスに面倒をかける気はなかったのだ。


「いや、さっきも言ったが一通りは済んでる。

 ……今は埋葬する時間があるわけでもないからな」


 隣を歩くロセウスの横顔には、唯々ただただ同族を失った悲しみがある。

  

「……悪かった」


「謝るな」


  勇者の襲撃で、何にんも死んだのだろう。血溜まりの数は、途中から数えるのも嫌になってくる。

 正直、本来の同族である人間が大量に死んだとして、気の毒だとは思っても心を傷めることはなかったように思う。それは以前のディードの人間関係の希薄さからでもあるが、魔王城があまりに居心地が良かったからだ。

 最初は人間嫌いでディードに近づかなかった者たちも、段々とディードに親しげに接してくる。

 人間は一度自分達の社会から外れた者には、部外者の烙印レッテルを押しがちだ。それは弱い人間だからこそ異物を除外するための防衛本能のようなものなのだろう。

 ロセウスが謝罪を拒否したのは、ディードがそういう人間特有の本能から外れているからなのかもしれない。

 暫く無言で歩く。

 勇者の気配はまだない。もう玉座の間は近いのに、だ。

 おかしい。いくらなんでも静か過ぎた。


「……勇者はもういなくなったのか?」


「いや……そんな話は聞いていないが」


 ディードとロセウスが顔を見合わせていると、疲れたような声がかかった。


「先程終わった」


 声の方を振り向くと、ルーフスがこちらに歩いてくるところだった。話し声で、こちらに気づいたのだろう。

 怪我らしい怪我はしていない。だが、消耗し切ったのかひどく疲れているように見えた。


「勇者は……」


彼方あちらだ。まだ、息はある」


 ルーフスが指し示した先に、ボロボロの人間が壁にもたれて座り込んでいる。

 その人間はゆっくりと顔を上げると、ディードに視線を合わせた。


「あぁ……お前かぁー……話……王から聞いてる……ぜぇー……」


 息も絶え絶えで、立ち上がる気力すらないらしい。

 彼岸への土産のつもりか、煙草を燻らせている。

 言葉の端々から、この襤褸布ぼろぎれのような男が確かに勇者であることが窺い知れた。

 

「お前も……殺す……てぇ話だった……が……もう……どうでもいい……な……」


 微かな息を吐くような言葉には、無念さも憎悪もない。本当に、どうでもいいのだろう。

 勇者は懐から呪文紙スクロールを取り出すと、その場に転がす。

 一瞬魔物たちが身構えるが、それが発動することもなかった。


「人界の……玉座の……間に……繋がってる……好きに……使え……」


 そう言って、勇者は事切れる。

 その表情は、酷く安心した子供のような顔だ。

 何故こんな顔をしているのか、ディードに推し量ることはできなかったが。

 ロセウスも理解できないと言わんばかりに、勇者の顔を見つめている。同族を殺された恨みも、死んではぶつけようもないのだ。

 ルーフスは呪文紙スクロールを拾い上げると、勇者の死に顔をじっと見つめた。そして踵を返し、玉座の間に向き直る。


「これは、陛下に判断を委ねる」


 ルーフスの言葉にロセウスとディードは無言で従う。

 勇者の死体を置いて、三人は玉座の間へ消えた。

 

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