機械屋、職務を全うする。

 玉座の間では、相変わらず魔王が悠然と座っていた。先程までの戦いの空気が夢であったかのような錯覚に陥りそうだ。

 現れた三人に魔王はゆっくりと漆黒の目を向ける。


「大義であったな」


 ルーフス、ロセウス、ディードは黙って跪くと、頭を垂れた。

 魔王はどこから、どこまで見ていたのだろう。城内で起きたことだ。もしかしたら、全てを見ていたのかもしれない。だが魔王の顔を見る限りでは、それを推し量ることはできなかった。


「さて、勇者が遺したものは何かないか」

 

 その言葉にルーフスが立ち上がり、勇者が遺した呪文紙スクロールを魔王に差し出す。


「陛下。こちらが、勇者ラウスが遺した物です。ご検分ください」


「うむ」


 魔王は受け取った呪文紙スクロールをゆっくりとめつすがめつ眺める。細められた目は、何か罠がないか調べているのだろうか。

 一般的な呪文紙スクロールは、開けば発動するように魔法がかけられている。ディード自身は使ったことはなかったが、冒険者が自慢するようにチラつかせていたのを何回か見たことがあった。


「転移魔法か」

 

 検分を終えた魔王が呟くと、ルーフスは補足するように続ける。


「おっしゃる通りです。今際の際にラウスが言うには、人界の王の玉座の間に繋がっていると」


「ふむ」


 魔王はしばらく、黙って考え込んでいるようだった。

 三人は黙って魔王を見つめる。

 人界の王の下に繋がっているということは、かの王の生殺与奪の権を握っているに等しい。

 勇者以上の実力の者がいない限り、勝ち目はないのだ。

 やがて沈黙を破るように魔王が立ち上がる。


「では朕が直接、人界の王にまみえてこよう」


「陛下!」


 咎めるように、ルーフスが声を上げた。赤い目が子供を叱るときのような、諭すような表情を灯している。

 魔王は愉快そうにそれを受け止めると、手で赤い魔物を制した。


「案ずるな。あちらの考えも、わかっている。

 ただ朕自らが叩かねば、気が済まないというものだ」


 じっと見返す漆黒の目が揺らがないことを悟ると、仕方なさそうにルーフスは一つ息を吐いた。

 魔王を見ていた目を伏せて、改めて跪く。


「いってらっしゃいませ、陛下。お早いお帰りをお待ちしております」


「ああ、待っているがよい。

 それと、機械屋」


 やりとりをぼんやりと眺めていたディードは、急に振られた話題に目を瞬かせた。

 魔王の目は、今度はディードを捉えている。


「はい」


 何を聞かれるのだろうか。少し身構えて魔王を見た。

 人界の王の情報はほとんど持っていない。その類を問われても答える自信はなかった。

 

「其方は、人間をどうしたい?」


「は?」


 だが飛んできた疑問は、想定していたものと違った。

 人間そのものの処遇を問われて、ディードは戸惑う。

 確かに裏切られたし、街では嫌われていたが。

 その個人的な感情を、人間の存亡と秤にかけていいものか。


「……正直、わかりません。

 全部、いなくなって欲しいとは思いません、が」


「……そうか」


 ディードの答えは、なんとも言えない灰色のものだ。だが魔王は疑問を投げかけるでも、灰色の答えを咎めるでもなく、鷹揚に頷いた。


「では、行ってくる」


 そう言って、魔王は玉座から立ち上がる。

 呪文紙スクロールを開くと、薄い色の炎と共に魔王の姿は掻き消えた。


「……お前は、人間を恨まないのか」


 魔王の姿を見送ったルーフスは、ディードに問いかける。

 その表情は咎めるようなものではなく、戸惑ったような、寄る辺のない子供のような顔だった。


「そりゃあ、恨んでないと言えば嘘になるが……滅ぶと後味が悪い。

 別に俺に危害を加えなかった奴等までいなくなれと思ってるわけじゃねえからな」


「らしいといえばらしいな」


 重い空気に耐え切れなかったのか、ロセウスが茶化すように言う。それに軽く肩をすくめて見せた。

 正直、他はともかく街の連中に関しては、もっと複雑な思いもある。

 だがあの街に関しても滅びてしまうと、道具やらなんやらが手に入りにくくなると言う打算もあった。

 それに、最大の理由がある。


「それに魔王さまは人間が好きなんだろ?

 全部を滅ぼしちゃ、可哀想じゃねえか?」


 これも本音だ。

 仕事を与え、必要としてくれた魔王を悲しませるのは忍びない。

 ルーフスの表情を見ると、困惑と安堵が入り混じっている。これが彼の欲していた答えなのかは、わからなかったが。

 少しずつ、人間への憎悪がほどけていけば良いと、心の中で祈った。


「で、だ。

 結局オマエはどうしたいんだ?」


 ロセウスの問いかけに、暫しの思考の後。


「……そうだな俺は――」



         *



 煌びやかに飾られた玉座で、王が一人座っていた。

 つまらなさそうに王笏おうしゃくを弄りながら、知らせを待っている。

 正確には側近も共にいたのだが、会話を交わすことはない。彼はいつも、黙って王のお零れを貰う立場だ。信用はしているが、信頼はできない。

 ちら、と外を見れば、陽が沈みかけている。

 待つことは苦手だ。それが例え必要な時間だとしても、思い通りにならないことに苛立ちが増す。

 苛立ちをぶつけるように、側近を睨め付けた。


「勇者からの知らせはまだか!」


「知らせの鳥が到着してからまだ半日も経っておりませぬ。今しばらくのご辛抱を」


「魔物風情にどれだけ時間をかけるつもりなのか……!」


 側近の言葉に忌々しげに歯噛みして、王は呟く。

 魔王さえ倒せば、大量の魔木と魔石が手に入る。あそこには鉱脈か何かがあるはずなのだ。

 そうすればいちいち機械屋に修理を頼まなくてはならない機械なぞ捨てて、魔法のみでの文明が築ける。

 そうすれば、巨万の富も、不死の体さえ手に入る。

 王が永遠に支配できる、理想の世界ができるのだ。


「余の理想世界、この手が届きそうだと言うのに!」


「その理想、彼岸あちらで叶えるがよかろう」


 突然聞き慣れない声がした。

 王が視線を上げると、そこには黒い貴人が立っていた。

 その顔を見れば、見事な魔物紋様。その威風堂々たる態度から、想像できる人物は一人だ。


「……ヒッ、魔王!」


 側近が恐怖の声を上げる。その声でようやく、王の思考にも恐怖が混じり込んだ。

 勇者は何をやっていたのだ。魔王自らここに来るなど、聞いていない。

 自分は王だ。戦うことは責務ではない。国を肥えさせ発展させることが責務だ。

 だから、戦いが本分であろう勇者に向かわせたのに、なんだこの体たらくは。

 目まぐるしく、思考が巡る。

 だがそれが口から出ることはなく、恐怖で戦慄わななくばかりだ。

 そんな王を魔王は冷たく見下ろした。


「どうした、人界の王よ。朕を殺すために勇者を寄越したのであろう?」


 なんだその体たらくは。言外にそう言われた気がした。

 漆黒の目からは感情が読み取れない。だが、薄ら立ち上る殺気は王を動けなくするには十分だった。

 せめて命乞いをせねば、命が終わる。そう確信できるものだ。


「よ、余は……」


「全て知っている。言い訳などもう遅い」


 魔王が手をすい、と動かしたように見えた。

 次の瞬間、王の視界が回る。何が起きたのか理解もできない。側近のものらしき悲鳴と断末魔が微かに耳に届いた。


「あの男に免じて、すべて滅ぼすのはやめておく。彼岸で感謝せよ。そして、あがなえ」


 その声を最後に、王の意識はふっつりと途絶えた。



         *



 その日、人界は怒涛の変化を迎えることとなった。

 まず、王が死んだ。

 そして半日と経たず、国の中枢たる王城が壊滅の憂き目にあったのである。

 当然、人界は混乱した。

 勇者は行方が知れない。王は死んだ。王を支えていた者たちもすべて皆殺しだ。支配されていた側は、一体何を寄る辺にすればいいのかわからないのだ。

 我先に逃げる者、王の代わりに人界を統一しようとした者。はたまた、魔界へ媚びへつらいにきた者。

 魔物と争っていた時とは比べ物にならないほど人界は荒れ、人々は疲弊した。

 それらが沈静化したのは、勇者の最期が人界に流布されてからだ。

 その噂がどこから流れたものなのかわからない。皆の知る勇者は怠惰で金と女に汚い男だ。

 そんな男の意外な面が噂の中心だった。死にたがりの勇者の、魔物を殺す苦悩。

 それに初めに同調したのは、冒険者たちだ。

 金のためと割り切っていても、人界のためと割り切っていても。大なり小なり、そのたぐいの苦悩はつきものだったのだ。

 子を殺すことに罪悪感を感じ、魔石や魔木を剥ぎ取るごとに吐き気すら感じる。皆同じだったと、勇者ですらそうだったのかと。

 その次に、魔界へ寝返ろうとした者たちが声を上げた。

 彼らは魔物へ交渉に行き、自分たちとさして変わらないことを知った。食料を分け、宿を提供してくれた魔物までいたのだ。

 もちろんこちらへ憎悪を向けてくる魔物もいたが、人間が敵意を示さなければ襲ってくることもない。それらの行動に、人間との違いは見い出せなかった。

 ゆっくりと、だが確実に魔物に対するわだかまりがほどけていく。

 人界は王の支配に頼らない、共存を選択しようとしている。

 魔界は人間への忌避感を少しずつ薄めていく。

 人界も魔界も、ようやくお互いの姿が見え始めたのだ。



         *



「機械屋の望み通りになったのかもしれぬな」


 魔王は普段通り、執務室の卓に座っていた。

 手には各所からの報告書がある。それをぱらぱらと捲ると、人界と魔界の境界が曖昧になってきているのがわかる。

 境界線近くでは、人間と魔物が村を作ったとさえ聞く。以前ならば考えられないことだ。

 人界と魔界が少しずつ交わっていくのが実感できる。


「よもや、ここまで変わるとはな」

 

 勇者が攻めてきてから数年が経過していた。

 王城を潰した後、ひとまず魔王は魔王城へ帰還した。

 勇者の遺体をあらため、他の情報を持っていないか確認するためだ。何もなければ、一部の人間を残して人界を潰してしまう予定だった。

 出てきたのは、小汚い手帳だ。どうやら、道中の事を書き留めていたらしい。

 内容は最初の方は魔物を殺す苦悩が綴られていた。頁が進むにつれて手記に感情がなくなり、やがて殺した魔物の数と特徴が延々と綴られるだけになっていた。彼等を忘れないためだったのかもしれない。

 それを見たルーフスは、ディードの意見を聞きたがった。人間を憎んでいた彼が勇者に何かを感じたのか、珍しい事だと驚いたものだ。支障はないだろうと許可すると、数日後にはディードが謁見を求めてきた、

 この話を人界へ流してはどうかと提案してきたのだ。これを聞けば、自分のように変われる人間がいるかもしれない、と。

 試しに人界へ勇者の最期を伝えてみたところ、驚くほどに事態が動いた。死んだ王に対する不満も手伝ったのだろうが、交流が僅かなりともあったことで思うところがあったのだろう。

 実際たった数年でここまで変わった。


「人間はやはり、面白いな」


 かつて人間に絶望しかけたが。

 また希望が持てることに喜びを感じている。

 魔王は満足そうな笑みを浮かべると、再び書類の処理に没頭し始めた。



         *



「よう、じいさん。生きてるか?」


 かかった声に、老人は面倒そうに振り返った。そこには少しばかり白髪の増えた黒髪の、かつての弟子が立っていた。

 ずいぶんな大荷物を抱えた彼に、少し目を丸くする。


「なんだ、とうとう追い出されたか」


「違うさ。ちょっと道具の整備に帰ってきただけだ」


 大荷物を示して見せて、弟子は笑う。快活に笑う姿はかつての彼とは別人のようだ。


「魔王様の専属は忙しそうだな」


 老人の嫌味のような言葉に弟子――ディードは肩をすくめた。

 この、街一番の凄腕で嫌われ者だった弟子は、魔王のもとで機械屋として働いている。

 最初は拉致に近い形だったのに、随分と変わったものだ。その表情はこの街にいた頃とは比べ物にならないほど明るかった。


「そっちの調子はどうだ?」


「人手が減ったおかげで忙しいわい。全く、年寄りをこき使いよって……」


 ぶつぶつと文句が出る。

 この街に残っている機械屋も以前より減った。数年前の混乱で、街から逃げた者が出たのだ。特にディードを積極的に虐げていた者は復讐を恐れたのか、いの一番に逃げ出していた。虐げられた本人はその気はないというのに。

 彼等の行方は未だに知れず、戻ってくる気配のない者を人手に数えるわけにもいかない。

 結果、足腰が弱い老人ですら復帰せざるを得なかった。

 そのことを知っているディードは、眉尻を下げて申し訳なさそうにしている。


「帰って手伝えればいいんだが、悪いな」


「お前の手などいらんわい。

 大出世したんじゃ、誇らんか」

 

 出世という言葉にディードはほんの少し首を傾げる。

 ただ、するべきことをしているだけだと、彼はいつも言うのだ。魔物相手であっても、魔王相手であってもそれは変わらないらしい。

 魔物は敵ではなく、隣人となったのだ。

 この弟子が、この世界を変えたのかもしれないと思うと誇らしいと同時に、相も変わらず仕事の事しか考えていないあたり、呆れてしまう。


「ああ、そうだ。

 今度、素材を提供してもいいっていう魔物がいるから、連れてくる。組合のほうに話を通しておいてくれ」


「わかったわかった」

 

 ディードの言葉にひらひらと手を振る。これも、いつもの事だ。

 素材は魔物が人界で金銭を得るために提供するものとなった。以前より値は張るようになったが、死体から剥ぎ取るよりは気分は悪くない。

 それに、機械屋たちは出来るだけ魔物の素材が少なく済むよう、改良を重ねている。いずれはほんの少しの血で事足りるようになるだろう。魔物が弟子になる日も来るかもしれない。

 逆に魔法は衰退の一途を辿っていた。魔石や魔木が無尽蔵ではない、魔物の死体からのみ採れると知られたのだ。隣人となった彼等を積極的に殺すことは流石に憚られた。それに、そもそも魔法を使う貴族や王族たちがほぼ壊滅したのだ。

 冒険者たちも一部を除いてもう魔法を使うものはほとんどいなかった。魔石も魔木も、必要なくなったのだ。


「じゃあちょっと顔を見に寄っただけだからもう行く。じいさん無理すんなよ」


「お前に心配されるほど耄碌しとらんわい。

 お前さんこそ、魔王城あちらで困ったらわしを頼ってもいいんだぞ」


 凄腕の彼にそれは必要ないだろうが。

 その老人の内心がわかったのか、ディードはくっと笑いを堪えながら答えた。


「いらねえよ。

 魔王城だろうがなんだろうが、直してやるさ」

 

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